刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)
開け放たれた審神者部屋から庭へと走り出てきたのは、一人の少年だ。
小さな両手を前に突き出す。そこから、光が溢れる。溢れた光は拡大し、小さな体に流れ込み、子供の全身を輝かせた。黒い髪がゆらゆらと揺らめく。少年の周囲に複雑な文字が現れ、流れる。集中している様子で瞑られた目。眉間に強く力が籠められ、皺が刻まれる。言霊を乗せ終えた唇は引き結ばれ、歯を食いしばった。幼い顔に浮かんだ必死の形相には、年齢にそぐわない必死さを備えている。
少年が、開眼した。ぱちり、と電流のようなものが散り、火花の如く弾け――爆発的な霊力を解放した。
「――見てろよ、クソジジイ」
ぽそりと、誰に向けたわけでもなく子供は呟く。強いて言うなら、向けたのは黄泉の国にいる、あの審神者にだ。
少年から解放された霊力により、獅子王、薬研、加州、大和守によって貼られた四か所の霊符が光り輝くと、審神者部屋に面した庭一帯を巨大なドーム状の結界が覆った。さらに、霊符はもう一度光り、内側で二層目の結界が展開される。
瞬間、爆発的な威力で、その内部の穢れが見る間に浄化されていった。
「!!」
動けなくなっていた刀剣男士らが、驚きの表情を浮かべる。体に纏わりついていた黒い煙が、みるみるうちに浄化され、消えていくのだ。同時に、痺れは取り除かれ、本来の体の重さを取り戻していく。
「主!」「大将!」「あるじさま!」
彼らが、己の主の無事や、来てくれたことへの安堵、負っている怪我への心配、様々な感情を乗せて一様に叫ぶ。
少年は、ぎゅっと唇を噛んだ。無傷な刀剣男士は一人もいない。血まみれで自分を助けようとした、前の本丸の刀剣男士を彷彿とさせる。しかし、己を叱咤した幼き審神者は叫んだ。
「安心するな! 敵の穢れが強すぎて全部は浄化できない! 来るぞ!!」
少年の言った通り、化け物の体から溢れている黒い煙は消えたわけではない。ただし、先ほどまでの姿から見ると、明らかに煙の量は減っていた。結界は、外にいる歴史修正主義者が中に入ることもできなくなり、新たに吸収することすら防いでいる。
敵もかなりの力を削ぎ落された自覚があるのだろう。ずっと余裕を見せて、どっしりと構えていた巨躯を落ち着きなく左右に揺らし、二つの頭についた合計四つの眼球は、怠っていた情報収集を行うようにぎょろぎょろと動き出していた。
その目が――唐突に、子供に向く。
お前のせいか、と怒りに燃えた目だ。
少年がひくりと表情を引き攣らせる。化け物が雄叫びを上げた。同時に、
「獅子王!」
「おうよ!」
化け物に吸収される目的で周囲を浮遊していたであろう、数十体にも上る歴史修正主義者が、挙って少年に向かっていった。苦無や短刀を咥えた者、異形の脇差。どれもスピードの速い敵だ。
間髪入れず呼ばれた獅子王が、少年を抱えて走り出した。
「小夜すけ!」
「チビ!」
薬研と後藤の呼びかけに、今剣と小夜が頷く。黒い煙による弊害はなく、もう素早く動くことが可能だ。短刀の四人は少年と獅子王の援護に向かう。機動が高く、また空中戦に持ち込まれる場合が多い敵ならば、この場では短刀が適任だ。
「大丈夫? 宗三さん!」
「ええ。主と一緒にあなたたちが来てくれて、助かりました」
「良かった。間一髪って感じだったねー」
「……ですが、もしかして、もう少し前から近くにはいましたか?」
痺れた体は、嘘のように軽くなっている。宗三は、己を挟むようにして隣に並び立った大和守と加州に微笑みかけ、刀を構えながら問いかける。
対して、大和守が眉を少し上げてから、笑って首を傾げた。
「ばれてた?」
「ただ浄化するだけではない、結界。外からあの化け物に近づく敵を遮断する……吸収しているという様を、見ていたのではないですか?」
「あはは、正解。すごい」
少年らは、少しだけ前にこの近くまで来ていた。すぐに助けに入ろうとしたのだが、ストップをかけたのは加州だ。決して、既に対峙していた刀剣男士を使って敵の状況を見ようとしたわけではない。ただ、純粋に敵の様子がおかしく、むやみに突っ込んでいくのは良くないと判断してのことだった。
早く怪我しているやつらを、と暴れる子供を抑えつけながら観察し、とんでもない力を備えているらしいと理解した。無尽蔵に敵を吸収し自分のものにし、しかも強化した状態で放出することも可能など、ほぼ反則の能力だ。
下手に助けに入れば、あっという間に自分たちも黒い煙に巻き込まれ、放出された敵にやられる。どうしたものかと考えたところで、少年が霊符を取り出した。
『浄化と、守護の二つの結界を同時に張れば、いける』
確信に満ちた声だった。二種類の結界の重ね張りは、親代わりであったあの男が少年を護るために、最期に使った応用技だ。
ずっと霊力を込め続けさえすれば、結界は壊れない。かつて男がやって見せたものよりもはるかに広範囲になるが、少年はやってみせると言った。
『あのときの俺じゃできなかった。でも、今の俺ならできる』
伊達にずっと、あのときの無力さを嘆いてきていない。
自分なりに精度を上げた。他にできることがなかったからだが、霊力の使い方も、結界の張り方も学んだ。覚悟を決めた子供を止められる者など、いるはずがなかった。
「それで、できちゃうのがすごいよなぁ、あの子」
「ちょっとさすがに無茶してそうだけどね」
大和守が思わず呟いた言葉に、加州が返した。
そこで、化け物が唸り声をあげた。
鶴丸が、感嘆の息を漏らす。
「おっと。あんまりに突然のことで、余裕がない感じか?」
「そうみたいだね。僕にも、そんな風に聞こえる」
痺れの取れた体で立ち上がった燭台切が首肯する。
人語を語らない化け物の思うところなど、分からない。だが、不思議と今の唸り声は、焦りや怒り、他にも表現し難い、混乱を込めたもののように耳には届いた。
おい、と窘めるように声を発した長谷部は、渋面を作って半眼を燭台切と鶴丸に向ける。
「だからといって、すぐに攻め込むなよ。先ほどのように、簡単に攻撃は通らない。あんな化け物は時間遡行軍の仲間だと言っても、最早全くの別物だ。戦略を考えずに懐に入り込めば、相手の思う壷――」
その、長谷部の横を。
勢いよく走り抜けた者がいた。え、と喋りを止めて間抜けな声を出した彼は、己の目を疑った。
敵の正面へ猛然と突き進んでいくのは、隣に立っていたはずの、龍を背負いし伊達家の打刀だったのだ。
「何をしてるんだ貴様は!?」
「伽羅ちゃん!?」
「伽羅坊!!」
大倶利伽羅は返事をしない。ただ真っ直ぐ敵へと突っ込んでいく。敵は、手に構える得物を変えた。右手に薙刀、左手に大太刀。有り得ない二刀流で、太い腕を駆使して、向かってくる刀剣男士に向けて振り回し始めた。
対して、大倶利伽羅は勢いよく横から振るわれてきた薙刀を低姿勢になって躱し、ほとんど同時に振り下ろされてきた大太刀の刃は倶利伽羅龍の彫られた刀を翳して受け流した。――受け流しきれない刃が、彼の肩を抉り、血飛沫が舞った。しかし彼はそんなことに目もくれない。
化け物の腹部から、短刀を咥えた歴史修正主義者が二体現れる。
目の前に現れた敵に、思わず舌打ちをした。が、やはり防御はしない。突っ込んできた敵短刀の攻撃を脇腹と胸にまともに受けながらも、近くに来た二体を肘鉄と柄頭による殴打で沈める。
伸びた褐色肌の手が掴んだのは、化け物の腰にぶら下がっている麻布の巾着袋。
唇の隙間から小さく息を零しながら、彼は素早く〝大倶利伽羅〟の刃で腰帯と袋を繋ぐ紐を断ち切る。
化け物の目がぎらつく。右手が黒い煙で包まれたかと思うと、握られていた薙刀が一瞬で苦無に変わった。大倶利伽羅は短刀や苦無といった得物の間合いにいる。狙いを定め、苦無を振りかぶる。
「こ、こんなのもあります、一応!!」
「油断しましたね!!」
「ダメ刀だからってなめんなァ!!!」
空から三つの声がする。ほとんど重なっていて言葉の判別は難しくも、どれも鬼気迫る声だ。
敵の目が大倶利伽羅から外れ、上に向いた。化け物の真上を取っていたのは、短刀の刀剣男士。屋根の上で戦っていた、五虎退、秋田藤四郎、不動行光。辛うじて二重結界の範囲内で戦っていたために駆け付けることができた三人だ。誰もが、常ならぬ様子で眉も目も吊り上げており、目に宿る炎はぎらぎらと狂ったように揺れていた。
咄嗟に化け物は苦無をそちらへ振るう。ガキン、と〝五虎退〟と苦無がぶつかるも、彼は気弱そうな普段の言動とは裏腹に、押し負けずに刃を全体重で押し返す。その両側を挟むようにして、体を回転させた秋田と不動が降ってくる。二人は遠心力も利用して、鋭い斬撃をいかり肩に放った。
敵の体から、大量の血が流れる。
「大倶利伽羅、今のうちに離れろ!」
「!」
敵の血を浴びながら吼えた不動に、大倶利伽羅は我にかえる。片手に巾着袋を持ち、その場を素早く離れる。
五虎退、秋田、不動も素早く体勢を立て直すと、即座に化け物から距離をとった。
「どういう無茶をするんだお前は!」
三人が不意を突いてくれなかったらどうなっていたか、と長谷部からすかさず叱責が飛ぶ。だが、大倶利伽羅がその場で巾着袋の口を解き中を覗いたのを見れば、息を呑んだ。
入っていたのは、折れた刀剣だった。
「伽羅ちゃん、それ……」
「……すまない。どうしても取り戻してやりたかった」
政府の施設で、時間遡行軍はどうやってこの本丸に侵入した絡繰りについて話をしていた際、彼が話していたことだ。本丸の外に捨てられた、ここで折れた大切な仲間。捨てた本人だからこそ、すぐに気づくことができたのだろう。
長谷部は喉の奥が締まったような感覚で、眉根を寄せた。刀の姿で無くなっても、仲間だと認識し、助けたいと願うことは、決して責められることではないのだ。
責められるとしたら一つだけ。
「せめて、一言くらい俺達に相談しろ」
「……」
あまりに言葉少なだった自覚はあるのか、大倶利伽羅は眉を寄せながらも反論はしてこなかった。
「……まあいい。怪我の功名で、収穫はあった」
大倶利伽羅によって割られた顎を修復している化け物が、周囲の刀剣男士を二つの頭で睨んでいる。刀を向け、牽制する。
長谷部の呟きに、そうだな、と鶴丸が肩を竦めた。
「どういうわけか、五虎退の攻撃にはわざわざ手に持っている苦無で反撃して、しかも秋田と不動の攻撃は受けた、だろ?」
燭台切が顎に手を添えて唸る。
体内の歴史修正主義者を利用し、肌から直接刃を生やして対処が可能であるなら、その方が五虎退への対応ははるかに速いはずだ。無駄な動きも必要がなくなる。ましてや、あとの短刀二人の攻撃を甘んじて受けた理由も分からない。先ほどなど、長谷部たち四人の刃を体内から出した刀で防いだのだから。
「俺に対しては、腹から新しい歴史修正主義者は放出された」
「三人だけ特別対応ってことかい?」
大倶利伽羅に向けては体内からの敵の攻撃があった。
鶴丸は軽く笑いながら冗談めいた口調で言うが、そんなはずがないのは分かり切っている。
どんな攻撃を受けたかに焦点を当てる必要がありそうだ。
「ねえ、まさか敵の弱点は短刀ってこと?」
「いいえ。お小夜は短刀ですが、先ほど僕たちと同じように防がれています」
加州の推測をすぐに宗三に打ち消された。
他に秋田がやったことと言えば、上から攻撃したであるが、これも最初に小夜が試している。一つだった頭が二つに増えたときだ。
「……もう一度、僕らがいってみますか」
「へっ。いざとなりゃ、俺が盾になりゃいいだけだしなぁ」
「そ、そんなこと言っちゃだめですよ、不動……」
秋田が姿勢を低くし、不動は苦い顔をして一歩前へ。五虎退は心配そうに、前に出た背を見上げた。
どうして彼らの攻撃だけが通っているのかは分からないが、再度斬りかかってみることで見えるものがあるかもしれない。本当に彼らの刃のみが通るというなら、次の攻撃も通るはずなのだ。
加州は、「試しにやってみるしかないかな」と相槌を打とうとしたところで、
「じゃあ、ぼくらがえんごをしますね」
「うわっ!?」
出し抜けに後ろから声がして、驚いて振り向いた。
短刀や苦無を咥えた歴史修正主義者に追われる、少年と獅子王の援護に飛び出していた今剣と小夜が、いつの間にやらそこに立っている。
素早く周囲を見回すと、少し離れたところで獅子王と少年も庭に下りていた。後藤と薬研が彼らの脇に張り付いているが、一応は少年を狙っていた歴史修正主義者の掃討は、完了したらしい。そのときに負傷したのか、彼らはかなりぼろぼろの様相を呈していた。
「今剣! 小夜!」
「だ、大丈夫ですか……!?」
「はい。ふところにとびこむなら、ぼくたちのようなたんとうが、いちばんてきにんでしょ?」
「……お前らの方がボロボロじゃねえか。ダメ刀がいると心配ですよってか」
「不動を侮ってる刀は、いないよ」
「そうじゃなくてさぁ……」
小夜を睨み意見を述べようとするも、結局口から吐き出されることはない。
援護を申し出た二人は結構な怪我を負っているが、少年の近くにいたにも関わらず手入れが施されていない。恐らく、少年もこの二重の結界を維持するので精一杯なのだろう。しかし、戦力外通告をできるような立場にない自覚もあり、不動は溜息を吐くしかなかった。
彼らの応酬を聞いていた加州は、少し思案したあとに顎を引いた。
「無茶しちゃだめだよ」
短刀らが頷く。
そのとき、轟音のような雄叫びが響き渡り、化け物が猛然と走り出した。空中を滑るように動く短刀や苦無のようとまではいかないが、巨躯に対して想定は超えてくる速さだ。手に持っている巨大な槍と薙刀を振り回し、敵の重量が地響きを起こす。
「全員、散らばれ!」
加州の瞬時に出した指示に、全員が散開する。
獅子王もまた少年をおぶって離れたが、微かに表情を強張らせた。やはり、敵の殺気がはっきりとこちらに向いている。審神者である子供を狙っているのは明白だ。最優先に討ち取りたいのは大将首……敵のその思考は当然すぎるもので、刀剣男士の彼らにもよく分かる思考である。
審神者とは、本丸の陥落の際絶対に逃してはならない命だ。
「もう一発食らっとけ!!」
刀剣男士らが散らばる中で、短刀の刀剣男士が五人、化け物に立ち向かう。
不動が正面に回り込み、短刀の切っ先を向けて懐へ飛び込む。
「あしはとめてもらいますよ!」
「止まれっ……!」
大きく踏み出される右足と、左足。それぞれに、今剣と小夜が刃を向けた。
「つ、つらぬき、ます!!」
「覚悟してください!!」
動きを合わせて、二つの脳天にめがけて五虎退と秋田が背後から飛びかかる。
すると、化け物の巨体は大きく傾いだ。だが誰一人、喜びの声を発しはしなかった。どちらかというと、絶句した。
「――は?」
不動の口から、たった一文字と共に赤い泡が浮かぶ。ぱちりと弾けた泡は、確かに血の色で、彼の口の周りを汚した。