刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)


   ***

 廊下で、加州清光が刀を振るう。隙間を搔い潜って攻撃してこようとする敵短刀の刃を受け流し、切っ先を敵に向けると、勢いよく突きを繰り出した。誰に阻まれることもなく、一番前に出てきていた歴史修正主義者の眉間へとその刃は届いた。
 急所を攻撃された敵は、なすすべく倒れる――かと思えば、その敵の首が突如消えた。敵の頭があった位置の、さらに奥から、同じような動きで突きの攻撃が放たれる。
 加州はヒュッと息を吸い、仰け反って躱した。だが、上半身を反らした状態では、バランスが危うい。すかさず、太刀を携えた敵が、赤い打刀に足払いをかけた。

「うわ!?」

 背中からまともに床へと落ちる。
 敵太刀は仰向けに倒れた加州にまたがり、太刀を顔面に向け振り下ろした。対して、加州も己の刀を横に構え、真っ向から受け止める。鉄鋼の擦れ合う音が鳴った。歯を食いしばり、重なる刃の向こうにある敵の顔を睨みつける。

 ――カタッ。

「!」

 床下から感じた気配に、やばい、と表情を引き攣らせる。ありったけの力で刀を弾き返す。腹筋に力を込めて上半身を起こすと、力の押し合いになっていた敵太刀の額に思い切り頭突きを見舞った。
 敵がよろめいているうちに、跳ね返るようにしながらその場を離れると、数秒前まで己のいた床板が音を立てて崩れ、そこから苦無を咥えた歴史修正主義者が現れた。

「あっぶなぁ……!」

 狭い廊下で戦うにしては、歴史修正主義者が多すぎる。刀を前に牽制しながら、じりじりと後ろへ下がっていくと、反対方向からも敵がやってくるのが見えて肝を冷やした。
 大勢で攻め入るのは、新撰組の十八番。だが、逆の立場となるとどう戦うのが一番この状況を打開できるか。額から、血と共に冷や汗が頬を伝う。
 すると、

「清光!」

 加州から見て後方の廊下の先にいた敵の首が複数、ごとりと落ちた。彼らを押しのけながら走ってきたのは、浅葱色の羽織を纏った、相棒の刀剣男士。

「安定!」
「ごめん、遅れた!」

 大和守安定は隣に並び立つと、刀を構えなおす。彼も、今倒したものとは別に多くの敵を斬って進んできたようだ。体のところどころに血が滲んでいる。

「無事で良かったよ。……で、どこまで飛ばされてたの?」
「だからごめんって。主も、『屋内むっずー!』って言ってたから、多分思った以上に転送座標がずれちゃったみたい」
「いや、あの審神者、安定も獅子王みたいに正確な座標に飛ばせるかもって言ってなかった?」
「あ~~それは……」

 大和守に限っては、この本丸への刀剣男士の転送を担った眼鏡の審神者が主人だ。最初の、少年と強く結びつきを見つけることができた獅子王は例外として、大和守ならば指定した通りに飛ばせるのではと言っていたはずだったが……恐らくそれが油断も呼んだのだろう。想定していた座標からずれこみ、加州も大和守もそれぞれ一人になった。

「主、不器用なところがあるから……」
「不器用って理由で俺、だいぶピンチになってたんだけど」
「許してくださいごめんなさいって言ってるよ」

 加州が怪訝そうに見返すと、大和守は左側の髪を少し避けて耳を見せた。そこには通信機と思しきものがはまっている。

「主にモニタリングしてもらったから、清光の位置はちゃんと分かってたんだ」

 ちょっと抜けているのか、抜け目がないのか。子供ほどではないにしても変な審神者だな、と加州は思った。

「審神者って、本当、色々なんだね」
「うん。僕もそう思った」

 身をくねらせていた苦無と、先ほど頭突きをされた太刀が迫ってきた。斜めに振り下ろされてきた太刀を再び打刀で受け止め、隣で苦無の斬撃を躱す大和守が、ちらりと横目で相棒を見やる。

「いいことあった?」
「は?」

 太刀を押し返し、片手で相手の腕を掴んでやる。たたらを踏んだところを、容赦なく斬り伏せながら眉を歪めて問い返した。これだけの敵を前に何を言ってるんだと表情が物語っているが、苦無を叩き折った大和守は肩を竦めた。

「敵に囲まれて大変です、って顔じゃないから」

 頭では、どう戦っていこうかと思考を巡らせてばかりだ。にも関わらず、窮地には似つかわしくない、むずむずとした胸の中の疼きがある。原因で思い当たるものは、一つしかない。この場にいない刀剣男士の誰もが、きっと同じ気持ちでいるはずだ。
 大和守はあの子供とは関係がない。だから分かっていないはずなのだが、そんなにも分かり易く顔に出ていただろうかと内心で恥じる。

「あの子がさ、ようやく認めてくれたみたいなんだよね。俺たちのこと」
「……あの子って」
「俺たちの、新しい〝主〟」

 主、と言葉に出した瞬間、もうだめだった。口角が吊り上がるのを、止められない。切れ長の赤い瞳は、好戦的に光っている。
 加州は、身だしなみに注意を払い、爪紅で爪を綺麗にすることも喜ぶ性質だが、本質は戦闘も好む刀剣男士である。無理強いされる戦、仲間を犠牲にしなければならないような命令……もちろん、そうしたものに喜びはしない。
 顕現してから初めて、審神者のためであり、仲間と生きるために刀を振るうことができる彼は、「刀剣男士」となってから間違いなく一番良い顔をしていた。

「……清光。僕、まだ後任の、その審神者さんに会ったことないんだ」
「分かってるよ。紹介しろってことでしょ?」
「あと、お礼も言いたいかな」

 大和守にとっての主は、今はもう加州とは別人の審神者だ。直接の繋がりはない。ただ、ずっとあの最低の本丸に帰ることができなかったことを、惜しいと思うことはなくてもそこにいた仲間のことは案じていた。
 彼らに再会できたのは、少年が諦めずに大和守の行方を探し続けてくれていたからだ。

「お前もそうだろ? 一緒にお礼を言おうよ」
「そうね。でもその前に、殴らないと気が済まないかも」
「えー。愛してもらえなくなるかもしれないぞ?」
「大丈夫」

 主は俺のこと、嫌いにならない。
 茶化したのに対し、確信を持った声が返ってきた。大和守はぽかんとし、すぐに笑いが込み上げる。状況は、多勢に無勢。ちっとも笑えやしないはずなのだが。

「そう。じゃ、大丈夫だね」
「うん。だから――」

 床を蹴り、飛び込んでくるのは彼らと同じく打刀を携えた歴史修正主義者が、二体。赤い刀と青い刀が同時に構える。

「主に愛された刀が、負けるわけないんだよ!」

 加州が、快哉を叫んだ。
 常の穏やかな顔つきからは想像できない、激しい雄叫びを上げながら二人は歴史修正主義者に飛びかかった。
 何度も鉄鋼がぶつかり合い、激しく火花が散る。敵の肩口の皮膚を、切っ先が破く。同時に、加州の脇腹を敵の刃が突き刺さり、苦痛に顔を歪める。大和守が咄嗟に腕を伸ばし敵の攻撃を流そうとした際、袖口から肘辺りまでを斬撃が走る。しかし二人ともが怯まずに足を進め、二体の敵の股下から脳天へと、脳天から股下へと、一気に刀を振るった。
 噴水のように血を撒き散らしながら、正面から切り裂かれた歴史修正主義者が倒れていき――

「! 清光、後ろ!」
「っ!?」

 大和守の声に振り向き、加州も表情が凍り付く。
 彼らの後方に立っていたのは、禍々しい気配を纏う、薙刀。空虚な目に宿る紅が、攻撃的にぎらぎらと瞬く。敵は、薙刀を振りかぶる。通常なら、狭い廊下だから振り抜けるはずがないと考える。しかし相手の構えに迷いが無さ過ぎて、刀剣男士の二人の戦闘勘は即座に並び、攻撃を受ける体勢をとった。
 瞬きしたのは、たった一度。
 次に瞼を持ち上げたとき、眼前に構えていた刀に思い切り、薙刀の穂が叩きつけられた。遠心力も加わった凄まじい威力に、二人で受け止めても踏ん張り切れない。足が宙に浮き、体が持っていかれる。

 ――ドォン! ベキベキベキ!!

 壁は抉れ、四枚の襖がいっぺんに真っ二つになり倒れる。加州と大和守は大広間の中の奥にある壁に叩きつけられた。背中を強く打ち付け、呼吸が止まり叫び声も出ない。埃と木屑が舞う中で、咳き込みながら加州がどうにか瞑った目を開け、大広間に入ってくる薙刀を睨む。

「いってえなぁ……! 壁も襖も関係なしかよ、反則じゃん!」
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ、来るぞ!」

 呻きながらもすぐに体勢を整え、大和守が素早く刀を構えるが、加州が横に並ばない。
 早くしろ、と相棒を振り返り叱責しかけて、浅葱色の瞳を見開く。
 彼は、壁から体を離し、ちゃんと立ち上がろうとしていた。だが、できていない。畳に刀を突き立て、縋りついても背を丸めている。膝立ちすらままならない状態だ。整った顔に苦痛を滲ませ、歯ぎしりする。

「くっそ……」

 悔し気に握られる拳。手も足も、動かせないほどの怪我は見られない。目にもしっかりとした意思は感じる。ならば、体を動かせない原因となっている傷は一つ。

(背骨をやられたのか……!)

 加州の状態を理解し、嫌な汗が頬を伝う。人間離れした動きができるわりに、そういうところが妙に人間じみた体内構造となっているのが腹立たしい。

「安定……」

 どうにか頭をもたげ、赤い目で示してくる。慌てて前に視線を戻すと、薙刀だけではなく、苦無や太刀、打刀、槍と、様々な形態の歴史修正主義者が大広間に入ってくるところだった。
 まさに四面楚歌。大和守は、加州を背に庇うように仁王立ちする。はなから諦める気などないが、状況は果てしなく悪い。一人でどこまで戦えるものだろうか。
 加州は突き立てた刀を抜くと口に咥え、喉奥で痛みに悶える声を飲み込みながら四つん這いで前に出てくる。それだけでも激痛が走り、とても戦える状態にはなかった。かといって、戦意喪失とはかけ離れた目で敵を睨みつける。
 刀を振り回すことができなくても、絶対に離すことはしない。動けないわけじゃないと強調して見せる加州を横目で見下ろし、大和守は険しい顔で唸り声をあげる敵を牽制しながら言う。

「……清光……何か番犬みたいだね」
こおひょうひょうへほういうこほいふこの状況でそういうこと言う?」

 冗談のような言葉だが、本当の番犬のように動き回れればと思う。無論、そんなことは不可能なのは分かっていたが、戦う意思がなくなった瞬間に精神的な負けだ。だから、敵がどこか嘲笑うように肩をいからせているのが見えたとしても、絶対に刀は手放さないのだ。
 何体もの敵が、雄叫びを上げた。周囲の空気がびりびりと痺れ、瘴気が溢れ、全身に纏わりつく。
 大広間にいる歴史修正主義者が、一斉に動き出す。
 負けるかもなどとは思わない。でもこの状況はなかなか厳しい――と。

 思いかけた、そのとき。
 加州がぽろりと口から、刀を落とした。切れ長の赤い目が、丸くなる。

 脳裏に唐突に浮かんだのは、少年の姿。
 死の間際の走馬灯では、ない。これは。

 ……頭の中に、一本の線が通っているのを感じる。それを手繰る様に、勢いよく近づいて――

 ――ガタアァアン!!!

 大広間の入り口から見て、右手側の襖が豪快に踏み倒された。そこから飛び出してきたのは、

「めちゃくちゃ賑やかだな! 俺も混ぜてくれ!!」
「ぶっといのをお見舞いするぜ!!」

 獅子王と、薬研藤四郎――そして、獅子王におぶられた、子供の審神者。
 彼らは、進行方向にいる加州と大和守を包囲していた一部の敵を派手に蹴り倒し、不意を突いて斬り伏せた。

 突然の援軍に、敵の動きが一瞬だが鈍った。その隙を見逃さず、大和守は一番近くに迫っていた太刀を正面から袈裟掛けに斬る。
 彼に一体やられたことで、我に返った複数の敵が即座に元の本来の動きで、大和守に躍りかかる。

「ずえりゃあああっ!」

 浅葱色の羽織に向かっていった敵の前に素早く回り込んだ薬研が、懐へと飛び込み、その腹に分厚い刃を深く埋める。敵の死も確認しないでずるりと引き抜くと、敵の間を縫うように走りながら刀を振り上げている敵の背後を取り、次々に頸動脈を切り裂く。
 薬研がフォローしきれない敵も少なくはない。だが、数がみるみるうちに減って、己のするべき動きも見えた。突然の援軍に、味方が呆けてばかりいられない。瞳に浮かぶのは戦闘狂の光。

「首落ちて死ね!!」

 左右から襲い掛かる敵を即座に見極め、片方の顔面に脱いだ浅葱色の羽織を投げつけ、もう片方を斬り捨てる。振り向きざまに、見当違いの方角に振り下ろされた敵の刀を足で踏みつけて動きを制限し、己の羽織を剥ぎ取ると同時に首を刎ね飛ばした。

 その後方。
 畳の上で動けないでいる加州に斬りかかろうとした打刀を、獅子王が横合いから回し蹴りで弾き飛ばした。そして、屈んで子供を下ろす。
 獅子王は敵と向き合って太刀を構え、少年は足を少し引きずりながらも加州の傍に寄った。

「主……! 良かった、無事で……ぅ」
「お前は全然無事じゃねえ。馬鹿なの」
「いや……でも、ぐ……主、も……血塗れ……」
「だから馬鹿なのって。喋るなよ」

 赤い刀の背中を見つめてから、小さな手で加州の前髪を掻き上げると、額の傷の出血も全然おさまっていないことに気が付いた。軽い怪我ではない。頭からこれだけ流血して、貧血でよく動けなくならないものだ。その辺は人間よりもよほど丈夫らしい。
 少年は表情を歪めながら、懐から霊符を取り出すと、加州の体に押し付ける。血でぐるりと彼を囲う様に畳の上に円を描くと、正面に回って膝をつく。呪印を切り、目を閉じて集中する。治癒の結界が生み出され、あたたかな霊力の光があふれだした。
 その光は粉のような姿になり、加州の背中や額に注がれていく。

(……嗚呼、主の手入れって……すごいな……)

 結界を用いてる時点で正規の手入れとは言い難いが、手入れ自体を受けるのは二回目のはずだった。だが一回目は、気を失っている間に行われており、その後の体に残ったあたたかな霊力で理解することしかできなかった。
 意識がある今、感じられる少年の霊力は――優しすぎて、涙が出そうだ。
 ただ、享受してばかりはいられない。
 結界の中から手を伸ばし、己が主の手を掴んだ。
 

「主。すっごい痛み引いた。ありがと。もう動けそうだから充分だよ」
「……」

 不安そうな灰色の目がこちらを向く。せっかく手入れしてる最中なのに止めるな、と不機嫌そうでもある。
 またここで押し問答になるかな、と加州が考えていると、治癒の結界の光が緩やかに消えていった。
 なかなか意見を曲げてくれない子供だ。一回声をかけただけで、引き下がってくれるとは思わず、驚きを隠せないで見返す。

「主命。無理するなよ。絶対許さないから」

 ここに来るまでに、この幼き審神者にも、色々あったらしい。
 手入れを途中でやめることは本意ではない様子だが、非効率だという冷静な頭も働いているようだ。粉々になった薙刀を手入れしようとしたときと比べれば、別人のようだった。
 ただ、主命を語る声は微かに震えていた。無理して我慢して、別人のような判断を下していることが窺えた。

「……ん。りょーかい」
「返事が遅い」
「うわぁ、手厳しい。了解!」

 ぎゅっと眉間に力を込めて頷いた子供の前で加州が安心させるように笑って見せ、立ち上がる。先ほどまでから考えられないほどスムーズに背中を伸ばすことができる。完全に直っているわけではないので痛みがないわけではないが、この僅かな時間でこれだけ動けるようになれば十分すぎた。
 すると、加州の動きに倣い、少年も立ち上がる。懐から、今度は三枚ほどの霊符を取り出し、指に挟んで持った。

「え……ちょっと、何?」
「薬研! 大和守!」

 加州の呼びかけは無視して、少年が叫んだ。
 交戦中の薬研は、敵の額に短刀を突き刺してから振り向いた。倒れて消えていく歴史修正主義者に背を向け、近くで戦っていた大和守の袖をつかみ、引っ張る。

「え、何、薬研!?」

 半ば強引に引きずられるようになりながら走る大和守と、引っ張る薬研が少年と加州の方へ近づく。
 少年が手を挙げた。薬研も手を挙げ、互いの掌を打ち鳴らした。

「交代。頼む!」
「任せておきな、大将!」

 足を引きずりながらも、敵の前に出ていく少年に加州は悲鳴を上げかけた。だが、付け足すように「加州も出ろ!」と声がかかって、慌てて刀を構えなおす。
 小さな子供に遠慮なく斬りかかろうとしてきた苦無の動きより早く、少年は霊符を前方に飛ばし、盾替わりの結界を張った。ばちん、と弾ける音と共に体が痺れた様子で空中を揺れる敵苦無を、加州が両断する。
 咄嗟の中で上手く合わせられた自分を内心でこれ以上ないほどに褒めながら、打刀の彼は薬研を横目で見やりながら、怒気を込めて言った。

「ちょっと薬研、聞いてないんだけど!?」
「すまん! 大将も一緒に戦うって約束でな!」
「ならもうちょっと相談してよね!? 吃驚した!!」

 
 加州の呆れ半分、怒り半分の声を聞きながら後方へと下がった薬研は、驚きで上手く言葉が継げていない大和守に座るように促し、腰のベルトポーチから包帯や痛み止めの薬を取り出した。

「大和守、腕を出してくれ。動かせねえほどではないみたいだが、怪我してるだろう。あんたほどの刀が、動きにキレがなかったぜ」
「ごめん。全然状況がわからない。別に、まだ動けないわけじゃないよ?」
「あんたは加州と違って、大将……あの子供の刀じゃない。そうだろ。俺達と違って、大和守は傷が増える一方だ。だから俺が、可能な限りの応急処置をする」

 はっとする。
 大和守は、元は加州らと同じ本丸に顕現された刀剣男士であったが、現在はあの眼鏡の審神者が運営する本丸に顕現されたのと同様の状態である。審神者による手入れの効果は、その審神者の本丸に在籍していないと機能しない。
 だから、大和守がどれだけ怪我をしても、ここにいる少年ではその傷を癒すことはできないのだ。

「それで、わざわざ……? でも、あんな小さい子まで連れてくることないんじゃないの?」
「俺も、戦わせたくねえのが本音だ。大将首をどうぞって差し出してるようなもんだしな。だが、俺達の願いだけで無理矢理大将に納得してもらうのも違う……と、」

 大和守の服を破き、腕を治療しながら、彼は自嘲気味に笑った。

「……獅子王に怒られた。ここに来るまでに。……確かに、大将の無事を確認できてから、ちと過保護だったよ。大将の過去を聞いて、変な同情も……してたんだろうな、俺は」

 アクセスブロックを破り、本丸に戻ってきてから、少年を心配しているふりをして実際には自分を護っていたのかもしれない。
 大きな剣戟の音が耳に届く。
 痛み止めを施し、包帯を巻いてもらっている大和守がそちらへ視線をやると、少年に向かって太刀を振り下ろそうとしている歴史修正主義者の姿が映った。しかし、危ない、と叫ぶことはなかった。少年は臆したわけでもなく、迷いのない動きですぐに後ろへ下がる。その左右から、獅子王と加州が大きく前へ。挟み撃ちで振るわれた太刀と打刀をいなせるはずもなく、交わった傷を負いながら敵は最期の雄叫びをあげながら倒れていった。

 次来るぞ獅子王、と幼い声が緊張を帯びながら迸る。応、と勇ましく答えながらも、金髪の太刀は一定の距離以上は子供から絶対に離れようとしない。少年自身も、それを是としているようだった。その様子に気が付いた加州が、もう少し離れた場所にいる敵への追撃を試みる。

 信頼関係に基づき、互いの領分を弁えた驚きの連携だ。

「大和守。忘れないでくれ。あんたも、大将からすると命を懸けて護りたい刀剣男士の一人だ」

 単騎出陣をして帰ってこなかった、消息不明の刀剣男士を頑なに探し続けた審神者がいると、現在所属している本丸で聞いたときは驚いた。最初は、恐ろしい記憶がフラッシュバックして、吐き気を催した。でも、よくよく話を聞けば、知っている審神者は捕縛されて新しい審神者が着任したらしい。しかも、その人間が審神者の任を降りるから加州たちとの面会に同席しないと言うのだ。
 変わっているなと思いつつも、ずっと気にかかっていながら何もできなかった加州たちに会えることは嬉しく思い、己の新しい主と共に政府施設に赴いた。

 ……気持ちの上では、追いつかない。しかも、初めて見た「自分を探していた審神者」は、少年だった。政府施設で本丸への突入について相談を続けていた時、時折皆が「子供」と呼称していたから分かっていたつもりだったが、本当に小さな、小さな少年だった。その子供に、命を懸けて助けられている。手入れができないなら、それ以外の方法を捻出して。

 ふと、脳裏を過るのは、かつて刀剣としてあったときの、元の主のこと。
 若くして一生を終えたあの男の、志の高さと、少しだけ通ずるところがあるような――ないような。ただの感傷であり、もっと状況が落ち着いて冷静に考えれば、全然違うと思うかもしれないが。

「……清光が心を開いた審神者。ちょっと、分かった気がするよ。変わり者だね」
「嗚呼」

 包帯を巻き終え、薬研が手を離した。

「俺ができるのはここまでだ。動けるか?」
「うん、すごく動きやすくなった。ありがとう、薬研」
「そうかい。……じゃあ、早速」

 収めていた短刀を抜き、大和守も傍らに下ろしていた刀を握りなおす。
 双方が勢いよく息を吸い――気合の声を上げた。全速力で駆けだし、獅子王や加州、少年の前にいた敵を搔っ攫う勢いで飛びかかった。
 この場にいる全員の戦線復帰は、彼らの士気を上げる。だが、大広間の中は乱闘を極めた。四方八方から襲い来る敵を片っ端から斬り伏せ、倒しきれない敵は少年の張った結界で一時しのぎ、痺れたタイミングを見計らって後から叩き潰した。
 そうして、何十体か倒した辺りで、突然地響きのような音が鳴った。まるで本丸が揺れているかのようだ。

 廊下が壊れるのではないかという足音。
 大広間の入口に現れたのは、大太刀を担いだ、巨躯の歴史修正主義者。周りに従えるように、より小さく見えてしまう短刀の歴史修正主義者が飛んでいる。

 浅葱色の瞳が、赤色の瞳とぶつかる。加州は胸の内から湧き上がる高揚感に堪えきれず口角を吊り上げ、大和守に並ぶ。
 加州は突きの姿勢で、大和守は両手遣いに柄を握り、正面に刀を構えた。

「ここは俺たちに任せてもらおうかな!」
「あっはは! 殺してやるよぉ子猫ちゃん!」

 敵大太刀が雄叫びを上げたのにも怯まず、赤と青の刀剣男士が突っ込んでいく。周囲から彼らの攻撃を妨害しようとする敵短刀を、獅子王と薬研が刀で、少年が結界で妨害した。
 二人がかりで斬りかかられた大柄の敵は、巨大な刀を振り回し、己よりも小さい刀を叩き折らんとした。だが、二人は正面から攻撃を受けるようなことはせず、姿勢を低くして躱し、足元にめがけて斬りかかる。太い脚にある腱を断つ。
 敵は膝を折る。赤黒い目の光に獰猛さをはらみ、めちゃくちゃに大太刀を振るう。ほとんど反射的な動きだったのだろう。思考を介していないそれは、早かった。加州と大和守も素早くその斬撃をさばいていくが、途中で切っ先が腕を抉る。
 そして、二人まとめて屠れるほどの威力を持った巨大な刃は、首へと迫る。
 だが。

 ――キィンッ、と空気の中を流れるのは、金属音ともつかない、不思議な心地の音。

 嵐の如き巨大な刃の動きを止めたのは、霊符を投じ、少年によって張られた結界。
 敵が目を見開いたのが分かった。
 こんな子供に止められたという、純粋な怒りが込められていた。
 その見開かれた目に続けて映ったのは、刀剣男士。彼らが高く振り上げているのは、新撰組・沖田総司の携えていた刀である二口。

「首落ちて」
「死ね!」

 加州の言葉を継ぎ、大和守が叫んだ。次の瞬間、大太刀の大きな頭が胴体から離れた。
 どうと音を立てて巨躯が倒れ、黒い瘴気を溢れさせながら、敵の姿は屑となって消え失せていった。

 あの大太刀の歴史修正主義者が、大広間に出向いた最後の敵の援軍らしい。敵味方の血が畳や壁、襖、柱を濡らし、酷い有様になった部屋の中、唐突に静寂が訪れた。
 まだ、敵の増援がくるのではないかと緊張を解けない。彼らは集中を切らさずにしばらくの間、大広間の入口を見つめ続ける。……しかし、しばらくして、

「……ちょっと休憩……」

 ふらりと足元を頼りなく左右に踏みしめた子供が、その場で畳に膝をついた。四つん這いになって、肩を上下させる。
 いくらこんのすけから霊力の供給を受け、霊符を利用して節約しながら使っていると言っても、ここでの戦闘で何回結界を張ったか分からない。消耗が激しいはずだった。
 獅子王と薬研が子供の両脇に座り、様子を見ながら軽く背中を撫でた。

 無理しないでよ、と。
 疲れ切っている子供の姿を見ると、どうしても口をつきそうになる。でも、かけるべき言葉は他だということも分かっていた。一緒に戦っていて、自分の意思で少年はそうしているのだと理解できたからだ。
 譲れないものは、誇りか信念か。どれであろうと、少年を少年たらしめているものに違いない。

「主。来てくれて本当にありがと。助かっちゃった」

 小言は全て引っ込めて、代わりに感謝の言葉を口にした。
 呼吸を乱している少年から返事はない代わりに、目はしっかりと加州へと向けられている。合っている視線が外れ、小さな手が緩慢な動きでありながら差し伸べられる。指先が、赤い刀剣男士の腕に辿り着こうとしたところで、少しだけ加州は身を引いて逃れた。
 あ、と言うように、間抜けに子供の唇に隙間が空く。

「だーめ。直してもらうほどじゃないよ。見かけがちょっと酷いけど、全然まだ動くんだよね」

 大太刀の切っ先が掠って腕を負傷していたが、これ以上霊力の消耗を少年にさせるわけにはいかなかった。

「霊力の使いどころを見誤っちゃだめだよ、主」

 ぎゅっと少年が眉を寄せる。

「……さっき、和泉守にも言われた」
「あ、会ったんだ?」

 よく知る仲間も戦っていること――すなわち、一旦は無事な姿で合流していたことが知れて良かったと思う反面、注意を受けても尚、隙を見て手入れを施そうとする子供の物分かりの悪さは、筋金入りだなと嘆息する。

「審神者さん」

 歩み寄り呼びかけたのは、大和守だ。
 膝をついて、小さな審神者の顔を覗き込むようにして微笑む。
 

「えっと……初めまして。僕は、大和守安定」
「知ってる」
「うん。ここのこんのすけから、聞いたよ。僕はまだ折れてないって信じて、ずっと捜してくれていたんでしょう?」
「……大和守は、強い刀剣男士だから」

 政府施設で、黒いこんのすけから聞いた少年の過去を思う。
 少年が言っている「強い大和守」とは、己のことなのか、それとも少年のかつていた本丸にいた刀剣男士のことなのか。

「こんのすけが大和守を見つけられたのは、お前が折れずに生きていたからだ。だから、俺にお礼とか言わないで」

 灰色の瞳が、単騎出陣という無謀なことを強いられた青い打刀に注がれる。相棒であった加州とて、諦めていた。元々心が弱っている状態だったからこそ、大和守は折れたのだと容易に思い込んでしまったのかもしれない。だが、それだけ厳しい戦場に放り出されていた事実は変わらない。
 そんなことをしたのは、

「しかも俺は、審神者なんだから」
「それでも、お礼を言っていい?」

 困ったように軽く首を傾けて、大和守は問うた。
 少年は酢を呑んだような顔で見つめ返す。

「だって、僕が今仕えてるあの人も当たり前だけど審神者で、あなたが昔いた本丸の審神者だって、良い人だったんでしょう? 審神者だからお礼を言わないって理由にはならないよ」

 まだまだ未熟な頭にフラッシュバックするのは、「またな、坊主」と言った気に食わない審神者の顔。
 大和守の言い分に、咄嗟に返す言葉が出てこない。

「清光たちに、もう会えないと思ってたから。でも会えたのは、あなたが僕を諦めないでいてくれたからだと思う。ありがとう」

 少年の瞳が、微かに陰る。
 彼の両脇を挟んでいる獅子王と薬研が、顔を見合わせた。

 前は、少年が前任の審神者がしてきたこともまとめて〝審神者〟として背負っていると思っていたのだが、実際は違っていたと彼らは理解していた。
 少年からすると、前に過ごしていた本丸で、護られるばかりで誰も救うことができなかった事実が、罪なのだ。どんなにやむを得ない状況だったとしても、己を許すことなどできない。見殺しにしたという点で、勝手に前任の審神者とも重ね合わせているのだろう。重ねられる部分なんてないはずなのにだ。

 だから少年は、感謝をされると痛みを覚える。
 きっと、必死に過去の再現と向き合って戦っている、今この瞬間も。

「……な。そういえば、大和守の本丸にも、加州はいるのか?」

 獅子王が思いついたように言った。
 そんな無駄話をしている状況下でないことは確かだが、話題を変えて空気を和ませようと思ったのだろう。

「いるよ。僕のところにも」

 本当に一瞬であったが、大和守は視線を畳に落としている子供を見やってから頷いた。彼も、獅子王の気遣いの意図を察したようだ。

「へえ。そっちの俺、どんな感じ?」

 軽い調子で加州が問い返すと、相棒は逡巡してから、困ったように眉を下げて笑い、少し首を傾げた。
 ややあって、一言。

「めちゃくちゃ不器用」
「……は?」

 思いがけない評価が飛んできて、加州はぽかんとする。
 緩んできていた少年の包帯を留め直す薬研も、彼らしくない訝し気な表情になった。そして、そのまま疑問を口にする。

「加州は、なんでもそつなくこなすイメージが強いぞ」
「あ、薬研、俺のことそんな風に思ってくれてたんだ、嬉しい……」

 この本丸の〝はじまりの刀〟である加州は、誰よりもあの前任の審神者の傍に長くいて、どのような振る舞いをすれば機嫌をとることができるかも把握していた。だからと言っていつもうまく事が運んだわけではないが、他の刀剣男士の失敗に対する罰を軽くすることができたこともある。
 日常生活で、下手なことをすれば前任の怒りが爆発した。どこに怒るポイントがあるのか、明確に分からない分、慎重に動く必要があった。だから些細な雑用も含めて器用にこなしていたのだ。
 後ろ向きな表現になるのかもしれないが、この、前任がいた頃の本丸で生き延びるために、様々なことをそつなくこなす技術は自然に身に付いた。

 そして、そんな加州に、大和守の単騎出陣が起きるまで、他の刀剣男士は幾度も救われてきたのだ。

「で、安定。そっちの俺が不器用って、どういうこと?」
「だから、そのままの意味」

 大和守は、おさめた刀の柄に手首を置いて休ませると、楽な体勢を取る。

「気遣いも手つきも、全部不器用。多分、お前が見たら発狂するんじゃないかな」

 この本丸の加州が聞いたら発狂するレベルの、不器用な〝加州清光〟の存在に、少年も興味が湧いたらしい。しんどさや痛みで歪みがちな表情を、いくらか子供相応のものにして、耳を傾けている。

 大和守は肩を竦め、自分の居場所となっている本丸のことを改めて思い浮かべる。
 ヤッスー、と奇妙なあだ名で呼んでくるあの審神者にして、あの刀剣男士たちあり、といった具合の個性の豊かさだ。だからこそ、あれだけ人間――審神者を警戒していたにも関わらず、心の扉を開くことになったのだと思う。錆びついていたはずの扉をこじ開けたのではなく、少しずつ錆びが剝がれていく、そんな感覚だった。

 自然に笑いが出そうになるのは、この本丸で前任のもとにいた時からすると、考えられないことで、幸せなことだった。表情筋が「笑う」動作すら忘れていたのではないかと思ったほどだ。

 この本丸の刀と審神者から、いまだに「恐ろしく不器用な加州清光」のことを知りたいと好奇心満載の視線を浴びせられている。
 本来ならのんびり話している余裕がある状況ではないだろうに、先ほどまでの嫌な張り詰めた空気感は消えている。――もしかしたら、これこそが、この本丸の今の空気感なのかもしれない。
 もしそうなら素敵なことだと、大和守は思った。

 さて、あまり時間を要しない喋り方をしなければ。浅葱色の羽織を手で撫でながら考え、あの日、あの加州と出会ったときの話をかいつまんでしようかと、口を開きかけ――

 突如。

「っ!!?」

 空間自体が突き上げるような、震えるような感覚が、その場にいた全員を襲った。
 皆が一様に息を呑む。
 大きな震えは一度だけ。しかし未だに、空気が嫌な痺れ方をしている。

「~~っ……げほ……」

 少年が体を丸めて、何回か咳き込んだ。
 それも当たり前で、瞬間的に周囲の瘴気の濃さが変わったのだ。付喪神である刀剣男士の彼らでさえ全身に重さを覚える。霊力のない人間であったなら耐性がなく、今頃昏倒していただろう。
 だが、子供はすぐに顔を上げて、胸の辺りをとんとん叩いて呼吸を落ち着かせる。

「庭だ!」

 確信をもって呟いた少年に、獅子王らも頷く。
 本能でもとてつもなく危険だと分かる気配が果たしてどこからなのかの見当は、誰もがついていた。見つけてくれと言わんばかりの気配の強さなのだ。

「行こう!」

 少年が獅子王におぶさり、薬研、加州は外へと駆けだす。
 大和守もともに駆けだそうとして、一瞬、足を止めた。襟の合わせを少し引っ張ると、黒い粒のような機械が覗いた。
 ちゃんと機能している。それを確認し、遅れて大和守は少年らの後を追いかけた。