刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)
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積もった雪を、大きな蹄が激しく踏み均す。真っ黒い馬の甲高い鳴き声が響き、その背には太刀を携えた歴史修正主義者が跨っていた。
舌を出して涎を振り撒きながら、苦しそうに叫び続けるも、手綱を強引に引っ張られて行きたくない方向へと導かれる。
導かれる先に立つのは、一人の刀剣男士。彼を蹴飛ばそうというのか、凄まじい勢いで漆黒の馬が迫る。馬を操る者の目は妖しい赤に光り、切れ味の鋭そうな太刀を振りかざした。が、
「邪魔だ」
馬が迫ってくるのに動じず、冷ややかに告げたのは、色黒の、龍を背負いし男。抜いた打刀を手に、振りかぶる。
敵の赤黒い光の目と、金色の龍の目が確かにぶつかった瞬間、地面すれすれを滑空するかのように低姿勢で駆ける小柄な男が飛び込んだ。得物は腰に収められており、手に持っているのは太い縄。引っ掛けたのは、猛進する黒い馬の前足だった。
大きな嘶きと共に馬はバランスを崩す。
後ろ足が大きく持ち上げられ、乗っていた敵太刀が宙に投げ出される。突然の事に全く無防備な状態の相手の首が、倶利伽羅龍の彫られた刀によって勢いよく刎ね飛ばされた。
「どうどう~! 落ち着けよ~!」
茶髪の小さい刀剣男士は、足を引っかけるために持っていた縄を引き戻した。後藤藤四郎である。
雪の上に倒れた状態のまま暴れそうになっている馬の首を、できるだけ優しく撫でる。息を荒くし、興奮気味であった馬の目がゆっくりとだが細められていく。
「ごめんな、痛かっただろ」
馬を起こしてやり、鬣を何度も梳いては、今度は背中を撫でた。
ぶるぶると鳴く馬を落ち着かせていると、片手に刀を携えたままの大倶利伽羅が走り寄ってくる。
二人がかりで厩に馬を戻してから、
「ここで大人しくしていろ」
大倶利伽羅が馬を宥め、厩を出た。後藤もその後ろに続く。
厩の周囲に注意を払うが、どうやらこの辺にそれほど敵は配備されていないらしい。さしずめ、馬を奪って刀剣男士側の機動力を削ぎ、あわよくば自分たちのものにしようとしたのだろう。
しかし、ここにいるのは中でも新入りである望月だけだった。先に厩にいた馬は健康状態が著しく悪く、政府関係者が審神者を捕縛した際に回収していったためだ。おかげで、時間遡行軍からしてもここを多勢で攻める必要はないと判断されているらしかった。
混乱した馬が二頭も三頭もいたら、この場の事態を収拾するのに難儀しただろうと思う。まさかここで、馬当番もろくに命じなかった前任の不精な振る舞いが救いになるとは、何が起きるか分からないものである。
「行くぞ」
短く促されて、大倶利伽羅と共に後藤も走り出す。走るのは、離れがある方角だ。
「やっぱ、あっちの方が敵は多いんだろうな」
向かう先から迫ってくる敵短刀を両断しながら、突き進む。
離れは、今剣と石切丸が引き籠っていた場所である。石切丸が平時より丁寧に祓い清めていたためか、穢れに汚染されにくい。だからなのか、敵はまず離れを破壊するべく、そちらに流れがちに見える――というのは、この本丸に送り込む際に力を貸してくれた、眼鏡をかけた審神者の見解であった。こんのすけが政府職員の権限も利用して、付け焼刃的ではあるが本丸の状態を確認するべく、モニタリングを試みたのだ。
しかし、少年によるアクセスブロックをかいくぐる形で、獅子王を皮切りに刀剣男士を強引に転送している弊害がある。可能な限り努力すると言ってはいたが、具体的な座標を指定してもズレが生じる可能性は十分にあり、約束できないことがその一つだった。
後藤と大倶利伽羅は、厩の近くに飛ばされた。離れに行くならば、厩からが一番距離からして近い。だから、ここに飛ばされた時点で、周囲の敵を掃討でき次第、離れに向かうのは二人の暗黙の了解であった。
「な、大倶利伽羅。絶対に一人にはしねえようにするってあの審神者は言ってたけどさ。離れには誰が飛ばされてっかな?」
僅かなズレのために一人で敵に囲まれたら、いくらなんでも分が悪すぎる。戦況の悪化につながりかねない事象が起きないよう、どれだけ難しくても、せめて二人は必ず同一座標に転送するくらいの調整はやって見せると、眼鏡の審神者は息巻いていた。
(考えてみれば、あの人間だって、嫌いな審神者のはずなのに)
やってやると言ってくれたからには、きっと最低でも二人がそこにいるだろうと、無条件に信じている自分に気づいて苦笑する。また、「嫌いな」審神者とは、随分軽い表現に変わったものだと思う。嫌いだけではなく、憎くて、言いようもない怒りと恐怖に駆られるものではなかっただろうか。
それもこれも、やはり、あの子供のせいであるのは今更の話だ。
後藤は足は止めないまま、そっと胸に手をあてる。
「大将、やっと〝糸〟を繋いでくれたな」
雪を踏み、蹴り上げ、ざくざくと進んでいく音ばかりが響く。
元々、お喋り好きな刀剣男士ではない。前を走る彼が返事を寄越してこないことに、別に違和感は抱かなかった。
ところが、しばらくの間を置いてから、
「遅すぎだ」
端的に言われて、後藤は驚いた。
走って揺れている背中を見つめる。こちらを振り向かないものの、大倶利伽羅も感じているのだ。少年が、主従としての契約を結んでくれたことを。そしてそれを「遅い」と表現する。――この上ない、主への忠誠だった。
「……本当にな! 俺も、大将には文句言わねえと気が済まねえ!」
「生温い。殴る」
「おぉ……」
今度は即答で、しかも全く容赦がなかった。だが、もっと早く主人としての立場を認めろと大倶利伽羅が考えていてくれたとはっきり知ることができて、嬉しくなる。ずっと同じ気持ちだったのだ。
「へへ。じゃあ、そのためにも、まずは本丸を守り抜かねえとな!」
「当然だ」
全員で生き残り、落ち着いてから少年に文句を垂れ、殴ってやろう。
そう気持ちを固めてからほどなくして、離れが見えてきた。案の定、脇差やら太刀やら打刀やら、見えるだけでも様々な刀種の敵が周囲に屯している。
「遅れたら、置いていく」
「おう!」
敵の群に一気に飛び込んだ。
後藤は走った勢いのまま刀を突き出し、不意を突いて敵の急所に絶大な一撃を放つ。大倶利伽羅は、斜め下から振り上げて袈裟掛けに敵を斬り伏せ、振り向きざまに背後を塞ごうとした歴史修正主義者の腹を裂いた。
だが、いるのは敵ばかりで、味方がいない。
一瞬嫌な予感がして、後藤は視線を周囲に走らせる。が、機動の速い苦無を咥えた敵が、距離をつめてくることに気が付いた。大倶利伽羅の方も、目の前の赤黒い光を纏った敵が、太刀を振り下ろそうとしているところだった。
味方を探している余裕はないかと思われた、そのときだ。
「うえですよ!」
「おっと、後ろだぜ?」
同時に鼓膜を震わせた声。
後藤が迎え撃とうとした敵苦無の真上に舞い降りてきたのは、小さな天狗の姿の刀剣男士。大倶利伽羅が刀を振るおうとした相手の背後に、物陰から現れたのは、白い装束を身に纏った刀剣男士。
それぞれの、赤と金の目が鋭く光る――その目に映るのは、呻き声をあげ、絶命する歴史修正主義者の姿だった。
「チビ! 良かった、無事だったんだな!」
「ごとうも、ごぶじでよかった! あと、〝ちび〟はやめてください」
軽やかに雪の上に降り立った今剣は、嬉しそうに言う後藤に対して同じように安堵の表情を見せた後、少し頬を膨らませて訴える。
「よっ! 来てくれて助かったぜ!」
「……」
快活に笑って見せる鶴丸国永の全身をさっと眺めた大倶利伽羅は、眉根を寄せた。
「……膝か。国永」
「おっと、手入れは必要としない程度だぜ? まだまだやれるさ」
「…………」
「あ~~~分かってる! ちゃんと終わったら主に言うつもりだから、そう睨まないでくれ、伽羅坊」
わずかな鶴丸の重心の位置のおかしさから判断したらしい。「一人で戦う」が口癖の割に、本当に仲間のことをよく見ているものだと感心してしまうところだ。実際にそんな評価を口に出したら、拗ねるのはまず間違いないので言わないが。
続けて斬りかかってくる敵に気づき、再び鶴丸は太刀を振るって攻撃を弾き返す。両手で刀を構えなおし、彼らは背を預け合うようにして立った。
「敵が多いな」
「ははっ。斬っても斬っても出てきてなぁ。こっちが驚かされちまったぜ」
「厩の方はもう全然いなかったんだ。馬が元々そんなにいねえのが逆に良かったのかもしれねえ」
「まえのさにわさまは、うまなんてどうでもよかったですからね」
喋っている間に、敵はじりじりと周囲を固め始める。彼らは、ざっと見回した。太刀、太刀、打刀、太刀、打刀、脇差、打刀、打刀、太刀、太刀……。
今剣が、顔も向けずに言った。
「ぼくとごとうのほうが、はやい」
「同感。よし……行くぜ、今剣!!」
同時に、後藤と今剣が走り出した。敵が雄叫びを上げ、一斉に猛進し、刃を振るう。だが、短刀の二人からすると、その刃の動きは緩慢であった。躱し切り、全速力で敵軍の間を走り抜ける。手に構えた短刀で通り過ぎざまに斬りつけた。
敵は顔を顰め、傷口を確認すれば、思ったほどの深手ではないことに怪訝そうにした。
その確認する一瞬の動作を行った歴史修正主義者の前に躍り出るのは、龍と、鶴。
「致命傷はこれからだ」
「本命の攻撃が別だなんて、驚きだろう?」
返事もさせない。繰り出された打刀と太刀の斬撃で、あえなく膝から崩れ落ち、消滅する。短刀二人は翻弄するためだけに動いているのだと敵が割り切ろうとすれば、即座に後藤も今剣も、短刀で敵の急所を掻き斬った。
「完全に無視すんじゃねえよ!」
「いくさのしろうとですか、こわっぱども」
短刀の動きについていけない歴史修正主義者たちが、次々に倒れ、数が減っていく。
戦況の悪さを察したのだろう。甲高く吠えながら、上空に敵の短刀と苦無が現れた。本丸のどこかで戦っていたところからわざわざ移動してきた、援軍らしい。体には複数の傷が見られた。だが、空虚な目の奥にぎらつく赤い光は全く戦意を失っていない。
当然だ。彼らとて、戦う為の存在なのだから。
動きの速い敵の登場に、大倶利伽羅と鶴丸が同時に互いを見た。
――二人の口元に、何とも言えない笑みが浮かぶ。
「後藤!」
大倶利伽羅の声に、後藤が敵の首を切り裂きながら振り向く。
「今剣!」
鶴丸の声に、今剣が雪の上に舞い降りながら顔を上げる。
大倶利伽羅と鶴丸は、平時よりも水平に刀を振りかぶった。刀身がきらめく。
後藤と今剣は、呼ばれた相手の元へと全速力で走った。そして、雪を蹴りながら飛び上がり、それぞれの刃の上に舞い降りた。驚異的なバランスを見せながら、こちらに向かってくる苦無と短刀のいる空を睨んだ。
「行け!」
「そら、頼んだぜ!」
力いっぱい振るわれた刀の力を借り、空中へと弾丸のように放たれた後藤と今剣は、空中で短刀を構えた。
空にまで飛んでくるとは思わなかったらしい苦無と短刀が身を竦ませたが、負けじと鋭い斬撃を繰り出してきた。歴史修正主義者と、刀剣男士の刃が交わり合い、火花が散る。だが、その際に力負けしたのは――敵の方だ。
「あるじさまのためにも!」
「絶対に負けねえ!」
怒鳴った二人が、空中で高速回転し、一気に敵を屠る。
その素早い攻撃をどうにか離れて回避した敵を、大倶利伽羅の目がとらえた。
「国永!」
「ぐえ!?」
大倶利伽羅は、強引に鶴丸の頭を前に下ろさせ、背中を丸めさせる。その背中に飛び乗るなり跳ね、逃げ果せようとした歴史修正主義者を追撃、粉砕した。
雪の上に着地した途端、鶴丸が半泣きで訴える。
「伽羅坊、今のは以心伝心失敗してたぞ!」
「うるさい。膝をやられているあんたにはできなかっただろ」
「その膝をやられてる俺を了承も無しに踏み台にするのも酷いと思うんだが!?」
空中での戦闘を終え、後藤と今剣も地に危なげなくおりてくると、素早く周囲を見回した。敵の数はまだ零ではない。だが、確実に減っているし、援軍の数も少ない。ここは間もなく護り切れる。
声を大にして、主のために戦うと叫べる嬉しさで、かなり戦った後であるにも関わらず、疲労は覚えない。寧ろ、もっともっとと刀としての本能が叫んでいるくらいだった。
後藤は、にっと八重歯を見せて笑い、敵に短刀の切っ先を向ける。
「早い所片付けて、大将のとこに行かねえとな!」
彼の言葉に反論する者はいない。
その通りだと言いたげに、彼らは再び刀を構えた。