刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)
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本丸の、ゲートの近くにて。
乱藤四郎は、びくりと体が震わせ、赤みがかった長い金髪を揺らしながら振り向いた。同時に感じる、〝糸〟。それを伝って響いてきた、〝声〟。青空の瞳を瞬かせて数秒、表情が綻び、思わずといった調子で声を上げる。
「あるじさんだ……!」
幼い声で続けられた初めての主命は、はっきりと届いた。だからこそ、全身に鳥肌が立つほどの興奮と、喜びがあふれるのだ。
「乱、危ない!!」
敵と対峙し、六本脚の敵脇差と鍔迫り合いになっている鯰尾藤四郎が、叫ぶ。
乱は我に返った。ここは戦場であり、一瞬の油断が命取りとなる場所である。背後で、槍を構えた歴史修正主義者が穂先を向け、突進してきていた。目にも止まらぬ速さだ。
まずい、と思う暇もない。痛みに備えようと、無意識に体に力を込めた瞬間――乱の目の前で、己のものとは別の血が弾ける。
「明石さん!!」
乱の前に身を滑りこませて立ちはだかり、敵槍の突きを受けたのは、太刀を手にした長身の刀剣男士・明石国行だった。
ぼたり、と地面に血が垂れるが、明石は軽く笑い、素早く刀を左手に持ち替える。右手でしっかりと、脇腹に突き刺さっている槍の穂先を捕まえる。
「えろうすんまへん。自分、やる気ないのが売りなんやけど……」
敵槍を見返す、眼鏡の奥にある目は、獣を思わせる獰猛さを孕んでいた。
「ここまでされては、本気を出すより他ないやんか」
明石から感じる殺気に気づいた敵槍が、逃げ出そうと槍を引く。しかし、彼に穂先を掴まれており、抜くことができない。
その間に、左手に握った刀が逆袈裟に振るわれた。その刃の動きは、普段彼が操る刃よりもはるかに速く、重い。苦悶の表情を浮かべた敵槍が、呻き声をあげて槍から手を離し、仰向けに倒れ込む。与えたのはたった一撃、されど致命傷だ。
「ふー……いたたた……」
敵槍が起き上がってこないことを悟った明石が、己の脇腹に刺さったままの槍を引き抜く。血のにじむ傷口を手で押さえ、膝をつく。
背中に乱が手を添える。
「明石さん、大丈夫!? ごめんなさい、ボクのせいで……!」
「いつつ……あー、気にせんでええで。勝手にやったことやしなぁ。……あ」
「!」
蹲った明石を標的に、敵短刀が迫る。
「おさわり禁止!」
素早く身がまえた乱が怒鳴り、踵の高い靴で踏み切って勢いをつける。逆手に持った短刀で迎え撃った。
バキン、と音を立てて敵短刀が地に落ちる。
かと思えば、今度は頭上に敵の気配があった。見上げると、苦無を咥えた二体の歴史修正主義者が、こちらに切っ先を向けて急降下してくるところだった。
「兄弟!」
雪を蹴り上げながら走り、声を発したのは、薄藤色の髪を揺らす骨喰藤四郎。
「任せろ!」
敵脇差を屠り、方向転換した鯰尾が答える。
二人は、敵苦無が乱と明石のもとにたどり着く前に飛び上がるや否や、それぞれが脇差を振るって敵の体を両断した。
「おっと、休ませてくれへんみたいやわ」
明石が脇腹を庇いながらも立ち上がる。
乱も、同時に気が付いた。息をつく暇もなく、あらゆる方向から攻撃を仕掛けてくる敵に翻弄されているうちに、ゲート近くの茂みから現れた歴史修正主義者が複数。その全てが、火を灯した矢をつがえようとしていた。
大股で走り出した明石を、弾丸の如く飛び出した乱が追い抜く。
体を回転させながら乱れ刃を振るい、矢先を斬り落とす。
落ちた矢先に向けて、突進する明石が足元の雪を豪快にかけて消火する。
「本丸は!」
「燃やさせへんよ」
短刀と、太刀。
二つの刀が、敵の首を、腹を深く切り裂いていく。血飛沫をあげながら、断末魔をあげる歴史修正主義者から距離をとった。
ふいに、明石が「不思議やね」と呟く。戦場には似つかわしくない、張っていない声であった。うっかりすると聞き逃していただろう。だが、ちゃんと乱の耳は彼の言葉を拾った。
「明石さん?」
「何でやろな。上手く言えへんのやけど……」
どくりと血が流れ出ている脇腹の傷は、深いはずだった。しかし、表情は痛みをこらえるものではない。寧ろ――楽し気だ。
「自分らしゅうないけど、主はんの〝声〟聞こえてから、気持ちが高ぶってしゃあないで」
脇腹を抑える右手を下ろし、左手に持つ刀で、まだまだいる敵勢を牽制する。
やる気がないと宣うことの多い彼の刀身には、敵を倒すことへの強い決意と、本丸を是が非でも守るという強い意志が宿っていた。
「あっはは! 分かります、分かります!」
別方向から飛ぶ声。
乱と明石が妨害した方向とは違う位置の、木の陰から火矢を放とうとしていた敵の前に、鯰尾が走り込む。閃かすのは、鯰の尾のような膨らみがある切っ先の、脇差の刃。
「俺も、主の〝声〟が聞こえてから、負ける気がしませんからね!」
再び、火矢は鯰尾の一太刀によって妨害される。
刀剣男士が戻ってきて、戦況は劇的に変わろうとしている。
敵は先ほどから、諦め悪く本丸全体を燃やそうと、火矢を放とうと画策した。だが、火矢をここから放つには、目一杯引き絞ることがどうしても求められる。その隙を、彼らは絶対に見逃さない様に心掛けていた。
庭の草木を燃やし出すことも警戒していたが、敵側が身を隠すものとしても役立てているため、自らそちらに火をつける様子はなさそうである。
「!」
茂みが動く。火矢を構えていた敵の喉を裂いた鯰尾が顔を上げると、そこに姿を現した歴史修正主義者は、火矢を建物ではなく、鯰尾に向けている。
固まる。キリキリと引き絞られる弓の音が聞こえ、燃えている火に目が奪われ、機敏さが失われる。
だが、口元に蓄えられたのは、余裕のある笑みだった。
「――へえ、もしかして、〝鯰尾藤四郎〟のこと知ってます? 光栄だなぁ」
でも、と口を紡ぐと同時に。
木が大きく揺れ動き、いくつもの葉が舞い落ち、
「そんなもの、俺たちには、通じない」
底冷えした声で言葉を継いだのは、木の上から降ってきた骨喰だ。
脇差の切っ先を向けて狙いを定めていた刃は、その敵の首筋に深く深く突き刺さった。痛みと怒りと動揺、全てが混じり合いながらあげられる叫び声と睨んでくる目を見返す。乱暴に脇差を引き抜き、骨喰が鯰尾と並び立つ。
鯰尾は結んだ長い髪を揺らし、にっと笑った。
「火が怖いかって? もちろん好きじゃないですよ」
「だが、主殿が戦っている」
刀剣男士に護られて生き延び、一度は何もかも失った、あんな小さな子供が。本丸で、自分を護るために刀剣男士が敵と戦うことが怖くてたまらず、心を痛めている少年が、向き合って頑張っているのだ。
そして彼は、〝糸〟を繋いでくれた。絶対に生き残れという、主命付きで。
「俺たち刀剣男士にとって、主命は絶対」
「なーんて言ったら、あの子はきっと怒るんですけど!」
「ほんでも主はんは、今回の主命だけは、〝絶対〟従うて欲しい思てはるのんは分かる」
「だったら、ボクたちが頑張らないわけにはいかないんだよ!」
歩み寄った鯰尾、骨喰、明石、乱の、四人の刀剣男士は、互いの背中を預け合うようにして立ち、周囲から浴びせられてくる殺気に堂々と胸を張る。
まだ、火矢をつがえようとしている歴史修正主義者はいた。こちらの様子をうかがいながら、隙あらば放つ気だと分かる。いかに無駄のない動きで、隙を与えないようにするか問われる戦いであり、決して楽なものではなかった。既に全員が傷を負っているし、状況を嘆いても良いはずだった。
しかし不思議と、負ける気はしないのだ。
「骨喰藤四郎」
「鯰尾藤四郎」
「明石国行」
「乱藤四郎」
自身の銘を口にする。揃って息を吸う。
主のため、否、自分たちのため。本丸を、火の海になどさせない。そんな決意を胸に、彼らは吼えた。
「参る!!!」