刀剣嫌いな少年の話 壱

2022年4月18日

 嗚呼、本当に、貴方のような審神者様がいらして、本当に本当に良かったと思っております。このこんのすけ、今日まで生きてきて、これほど嬉しいことはございません!
 私は式神ですゆえ、生きてきて、等と言う表現は違和感に思われるかもしれませんが、それでもこの言葉に嘘は無いのでございます。あ、そこ、お気を付けくださいね。この辺は木の根が太く、地面から顔を出していることが多いのです。ちょっと転ぶだけで、もしかしたら厄介な怪我をしてしまうかもしれま―――

 ……転んでおりませんよ。転んでおりませんとも。…うぅ、痛い……ああっ! 審神者様、そんな目で私を見ないでください! 今のは…そう! 審神者様がお怪我をされませぬよう、このこんのすけが先に、お手本を見せて差し上げたのです! ……お手本って、真似できるようにする行為でしたね。……と、ともかく。そう、本丸! これからご案内する、本丸のお話でございましたね!

 あの本丸には、随分と霊力の御強い審神者様が主として就任されたのです。一見は大変自然な振る舞いをするお方でした。何というのでしょうか。特徴が無い、と言うのでしょうか。本丸の担当として、私が最初にお会いした時も、別段変わらぬやり取りを致しました。最初の初期刀選びから、顕現の仕方。出陣と指示の出し方、刀剣男士が怪我をしたときの手入れのやり方。鍛刀や刀装のやり方。万屋の利用方法。他にも勿論ございますが、全て、私は政府に指示されている通り、主様に全てを指導させて頂きました。その間も、とくに何も起きてはいなかったのです。

 ところが、いざ本丸の運営を全てお任せしましたら、主様の振る舞いは一変致しました。まさに、極悪非道でございました。これはいけないと思い、政府に連絡はしたものの、注意喚起のみという何ともお粗末な対応を頂きました。このこんのすけ、政府の式神であるのに、政府の力をきちんと引き出すことのできないことに不甲斐なさを覚えました。そして、注意喚起を受けた時点で、私が良からぬことを政府に報告したことが、主様にばれてしまったのです。

 私は主様によって、特殊な結界の中に閉じ込められてしまいました。先ほど申しましたが、主様は大変強い霊力をお持ちだったのです。一式神の私では、到底、どうすることもできない強固な結界でございました。

 それからの主様の振る舞いは、見ていて本当に辛いことでございました。どうしてこんな方が審神者として就任してしまったのだろう。目の前で起きていることが、信じられませんでした。
 嗚呼、何が起きたか、ご説明しなければなりませんね。多少の事は、政府の役人が作成した書類をお読みになられたかと思いますが、審神者様には読みづらいところもあったでしょう? …ふむ、やはりそうですか。では、ご説明いたしますね。

 あの本丸では、まず、…。………。………っ……。
 …………っ、まず、刀剣男士、様を……、……。

 ……ああ、すみません。大丈夫です、審神者様。
 …けれど。それでは、お言葉に甘えて、その辺はまた、追々…。申し訳ございません。こんのすけは、まだ、あのときのことを上手く、言葉として並べることができないのです。胸がいっぱいになり、何も言えなくなってしまいます。私よりも、刀剣男士様の方が苦しかったと分かっているのに。私が悲しむなんて、苦しむなんて、お門違いだと、分かっているのです。けれど、どうしようもできないこの気持ち。

 ……すみません、またお話が逸れてしまいましたね。兎に角、主様は、刀剣男士様に酷い仕打ちを致しました。霊力は汚れ、本丸を覆う結界は赤黒く歪み、結界と呼ぶにはどうしようもなく穢れを含み。見る間に本丸は荒れていきました。

 しかし、あまりに酷い惨状となってまいりますと、演練先で出会った複数の本丸の審神者様が、お気づきになられていたようです。他の審神者様方が、政府に通報を何度もしてくださったと、聞いております。
 演練は定期的に行わないと、政府の管理のもとで支給金を得られなくなってしまいますからね。主様は、それゆえ、演練はきちんと行っていたようでございます。だからこそ、起きた出来事です。

 私がやるべきことでございました。けれど、できなかったことでございます。悔しかったのは事実ですが、何より、他の審神者様方に、私は感謝いたしました。
 膨大な通報量となった本丸に、政府の監査が入りました。本来ならば前もって予告した上で行わなければならないものでしたが、これもまた、他の審神者様のご意見があってのことだったと聞いております。前もって告知しては、上手く言い逃れができるようにと、誤魔化す準備ができてしまうからと。


 !?
 さ、審神者様、大丈夫でございますか!? 木に引っ掛かってしまわれましたか!? ―――嗚呼、良かった。すみません、こんなに悪い道しかなくて…。あと少しですので、どうかご辛抱を。


 あ、ああ、はい、すみません。お話を続けますね。
 結果として、主様は政府により捕縛されました。あまりの穢れの酷さに、政府も謝罪致しました。私も、その際に結界から助けて頂きました。
 ただ、あの本丸に残された刀剣男士様の傷は、心に負ったものも、身体に負ったものも、どれも深く、深く…。とてもではございませんが、最早通常の本丸として機能を果たすのは無茶と思われました。

 そこで政府は、最早手の打ちようのない本丸だと考え、解体する意見が濃厚となっておりました。

 …ですが、こんのすけは我慢がなりませんでした。
 結界の中に閉じ込められていましたが、主様…いえ、あの審神者様がやっていたことは、見ておりました。声を出しても、何も届きませんでしたが。言うなれば、透明の壁に覆われていたというのでしょうか。
 見せつけているつもりだったのかもしれません。私が良からぬことを政府に報告したことについては、審神者様は大変お怒りで、私に対してもいつも嗜虐的な笑みを浮かべていらっしゃいましたので。お前は何もできないだろう、と。

 ……すみません、審神者様。ちょっと、お待ち頂けますか。
 おかしいですね。私は、泣くべき立場にいるはずなどないのに。

 …失礼致しました。
 そう、あの審神者様の所行は、見えておりました。しかし、つまりは、刀剣男士様の、その審神者様に対する振る舞いも、見えておりました。あそこにいる刀剣男士様が、どのように懸命に生きていらしたか。ちゃんと。ちゃんと、見えていたのです。
 なのに、本丸の解体だなんて。解体をしたら、あの刀剣男士様たちの顕現は解かれ、刀自体だって。そんなの、私は、耐えられなかったのです。あんなに懸命に生きていたのに、無意味なことにされてしまうなんて。
 あの皆様に、意味のある生を。式神風情が何をと思われるかもしれませんが、どうしても、そう願ってやまなかったのです。

 政府は、私の抗議に困り果てていたようでした。
 そうは言っても、敵意のある刀剣男士もいるのだろう、と。はっきり申し上げまして、新しい審神者が来たときに、刀剣男士様がどのような振る舞いをされるか、私には想像などできませんでした。最悪の事態も考えなかったわけではありません。
 そんなところの引継ぎができる審神者などいるのか、と政府に言われました。御尤もでございました。

 ダメ元でと政府が募集をかけてくれましたが、当然、そんな真っ黒な条件の本丸を引き継ぐなんて言い出す審神者様はなかなかおりませんでした。何より、審神者様は二つの本丸の掛け持ちは基本できません。となると、初心者の審神者様に対して募集をかけることになるのです。ええ、当たり前の結果でございました。

 今までの例でも、引継ぎの審神者というのは数えられる程度しかいないのです。
 その中でも、上から数えた方が早いほど、今回の本丸は条件が悪かったのです。歴史修正主義者の歴史干渉が激化してきているのも現実ではございましたが、これほど酷いならばさっさと解体して新しい本丸を作った方が早い、という意向である政府も、募集にあまり積極的ではございませんでした。


 そうして、募集の締め切りは間もなくと、諦めかけたとき。
 あなたが。あなた様が。名乗りを上げて下さったのです。


 足を、止める。はあ、と息を吐き出すと、その息が白く塗られた。ゆっくりと顔を上げた。
 灰色の瞳が、目の前にある本丸を映し出す。
 こんのすけも、後ろからついてきていた気配が止まったことに気付いて振り向いた。そして、本丸を見つめている姿に、はっと我に返る。

 ―――そうだ。審神者様、審神者様と言っても。
 ―――彼は。年端もいかない、子供ではないか。

「も、申し訳ございません、審神者様。もっと、どのような様子か、予め、申し上げておくべきでしたね……」

 こんのすけは駆け寄って不安げにうろうろと少年の周囲を歩いて回った。
 嗚呼、怯えてしまっただろうか。恐がってしまっただろうか。本丸は、傍目でも分かるほど荒れ果てて、現世で言うところの「お化け屋敷」同然の姿をしているのだ。
 大体、門自体も半壊しているし、中は瘴気塗れときている。

「すみません、本当に、すみません、審神者様。こんのすけ、浮かれておりました。名乗りを上げて下さったものですから、気が変わる前にと、何も考えずにあれこれ手続きを終えてしまいまして。あの、でも、もう、募集ももう締め切ってしまいました。だから、もう、審神者様に頼らせて頂くしか…嗚呼、でも、やはり、怖いですよね…申し訳御座いません、審神者様、私は、」
「大丈夫」

 ずっと無言で本丸を見上げていた少年が、漸く口を開いた。ゆっくりと瞬いて、本丸を見つめて。

「初めて見たわけじゃない」

 まだ、声変わりもしていない、少し高い声。しかし、子供らしからぬ、平淡な声。
 少年は、淡紅藤色の襟巻に顎を埋めるようにしながら、ぽそりと言った。


「……大したことないじゃんか」