刀剣嫌いな少年の話 壱

2022年4月18日

   ***


 新しい審神者がやって来た。挨拶に来たのが今日。
 でも、一週間前から来ていたのを俺は知ってる。ただ、初めて来たのを見たとき、俺は二度見した。二度見して、肩に乗っている鵺と顔を見合わせてしまった。


「………子供ぉ?」


 小さくではあったけど、素っ頓狂な声が出た。
 そう。
 こんのすけに連れられてやってきた審神者は、まだ明らかに子供だったからだ。

 顔にはまだあどけなさが残る。でも、どこか引き締まって見えるのは審神者として就任するのに緊張するからか、この本丸の荒れ具合に怯えているからか。髪は何だかボサボサしていて、肩に毛先が少しついているくらいだった。
 身長は…どれくらいだろう。実際に並んでみたから分かったわけじゃないけど、印象として薬研や厚何かよりは低そう。でも、今剣や小夜よりは高そう。そんな感じだ。
 姿は黒袴に若草色の着物、ちょっと赤みがかった藤色の襟巻を首に巻いていた。あと、奇妙なことに背中に一振り、刀剣を差していた。でも身の丈に合わない長さの刀だ。大人の男が持つべきなくらいの大きさだと思うけど、子供の方が小さいもんで遠目だとはっきりは分からない。ただ、俺も刀だ。直感的に感じたものだけど、目にそんなに狂いはないと思ってる。さしずめ、あの刀は飾りだろう。
 ……威嚇のつもりかな。刀相手に刀で威嚇って、無意味にもほどがあるけど。

 俺は溜息を吐いた。
 こんな日が来るんだろうなとは思ってた。
 こんのすけが出て行くとき、何度も謝ってたのを覚えてる。でも、こんのすけは分かってるんだろうか。

(あいつらは、もう、審神者なんて求めてない)

 かく言う俺も、もう審神者に使われるなんてこりごりだった。
 本丸の解体をするならさっさとすればよかったんだ。なのに、結果として、新しい審神者がやってきた。また同じことを繰り返すのか、と思う。しかもあんな歳の子供を寄越すだなんて、政府は何を考えてるのかさっぱり分からない。


(…ま。ずーっと助けてもくれなかったもんな)


 政府にまともな判断ができるなんて、俺はもう期待してなかった。なのに、何故子供を寄越すなんて馬鹿な真似をした、と疑問に思ってしまった時点で、自分もほとほと甘いと思った。自嘲的な笑みを零す。
 さっさと恐れをなして、逃げ帰ってしまえ。そう思った。

 俺が何でわざわざこんな遠距離から審神者を監視しているのか。それは、他の奴らがあいつを殺しちゃうのを防ぐためだ。
 審神者を殺したら、俺達刀剣男士は堕ちてしまう。仮にも、人に使われるべき存在だから、それくらいの認識はある。でも、その認識すらあやふやになってる奴だって、沢山いる。衝動的に殺してしまう可能性だって十分にある。

 冗談じゃない。俺は悔しさから唇を噛んだ。唇から血が滲むより前に、鵺がもそもそと動いて、頬に体をこすりつけてきて、噛むのをやめた。ありがとな、鵺。
 
 でも、納得いかないものは、納得いかない。
 顕現してこの方、まともな生活をさせてくれなかったのに。審神者を殺すことで此方が闇に堕ちる? ふざけるな。そんなこと、あってたまるか。
 人に振るわれるはずの刀なのに、今は、人が憎くて仕方がない。
 さっさと、本丸を解体してほしい。さっさと、俺達を本霊に戻してほしい。どうせ、戻ってしまえば、何も分からなくなってしまうのだから。今ある感情も全て消え失せるのだから。さっさと楽にしてほしいんだ、それだけだ、俺達は。

 もう、人に好き勝手にされるのは、嫌だ。

 だから俺は、うっかり堕ちてしまうことがないように、審神者を殺してしまわないようにと、監視を続けている。勿論、俺も衝動的に刀を抜く可能性は充分にあるから、充分過ぎるほど距離離れて、だけど。夜はどうしても近くに行かないと見えないのが厄介だ。
 …鵺、お前、見えてねーの? ……うーん、分かんねえな。

 審神者は、こんのすけと一緒になって本丸の端っこにある祠の前に座って、何かずっとやってたけど何をしてるのかはよく分からない。ただ、一週間はずっとそこで、何かをやってた。
 俺は俺でじっと監視してて、……何て言うか、とてつもなく、暇だった。でも目を逸らせなかったのは、興味があったってことだったんだと思う。

 そして、一週間経ったら漸く審神者とこんのすけが動き出した。まずこんのすけが、みんながいる部屋の方に向かって歩いて行った。そして、刀剣を一度広間に集める。
 こんのすけは俺達と同じであの審神者に色々された立場だったから、こんのすけの言うことには割と素直だった。……でも、みんな薄々気付いてるみたいで、目をぎらぎらと光らせているのが分かった。

 ――――こんのすけ。我々は、最早審神者には何も期待しない。
 ――――もしどうしても顔を合わせるなら、首が飛ぶ覚悟をして来い。

 はっきりとそう凄んだ奴がいた。滲んでいる霊力は酷く汚くて、ああ、よくねえな、と俺は眉を顰める。本当はもっと綺麗な霊力をしているはずなのに、怨念が、憎悪が、霊力の質を変えてしまう。


(…俺もか)

 心配しながら、苦笑した。俺の霊力も、汚いのは、分かってる。どうせ、ずっと、こうなんだろ。もう。

 俺は広間の入口に先回りして、一番よく見える位置に隠れた。今広間に集まっているのは、何とか動くことのできる刀剣だけだ。重傷で動けない奴、目を覚まさない奴もいるから。

 やがて、こんのすけが審神者を連れて廊下を歩く姿が見えた。
 こんのすけは、何かを審神者に訴えていた。そのまま部屋の前まて来て足を止めている。全力で気配を消しながら、そろそろと近づいて耳を澄ます。

「…ですから、刀剣男士様の精神状態は、予想以上に宜しくないようで…もしかすると、本日はやめておかれた方が……」

 嗚呼、やっぱり。これで怖がって、逃げ帰ってくれたら良いんだけど。
 ほら、曲がりなりにも審神者なら分かるだろ? 襖の向こうから漂う殺気が。襖開けたら、あいつら、飛びかかるつもりだぞ。俺は柄に手を添えた。鵺が微かに毛を逆立てる。
 勘違いしないでほしいけど、俺はあくまで、審神者を守るのではなく、みんなの魂を守りたいんだ。魂が堕ちる事を、防ぎたいんだ。

 こんのすけは、まだ、長々と今の危険性を審神者に伝えていた。やっぱり、この審神者、政府が無理矢理派遣したのかな。こんのすけも、本当は来なくてよかったのにとか、思ってるのかな。そうだと良いな。
 同じ立場であっただけ、こんのすけと考え方にすれ違いが生じるのは、ちょっと寂しいから。


「相手は、刀剣男士様です。刀の付喪神でございます。あの方々が本気で、審神者様を殺そうなどと考えていたら、襖を開けた瞬間に、ぐさ! 何てことも…」
「こんのすけ、話長い。もっと短く」
「今襖を開けて刀剣男士様にご挨拶されるのは、危険です!」
「あーそ」

 すぱん! 襖、全開。突き出される刀の切っ先。

「審神者様ああああああ!!!!」
(いや軽過ぎねえ!!?)

 絶叫するこんのすけと一緒になって俺も声を上げそうになった。全力で鵺が黒い毛を俺の顔面に叩きつけてくれて何とか発する前に堪えた。鵺、お前、偉い。
 結構な勢いだったせいか、鵺の黒い毛はもふもふであるにも関わらず顔がひりひるする。見え方が明るくなったり暗くなったりしながら何度か瞬きをして、視界の鮮明さを取り戻す。そして、改めて審神者の様子を見てみると、驚いた。
 あまりに前触れなく開けるもんだから、咄嗟にみんなを止める暇もなかった。…にも関わらず、広間に控えていたみんなから突き出された、沢山の刀の餌食になっていなかった。あの子供は、表情も変えずにちゃんと一歩引いて、しかも身を微妙に反らして躱していたのだ。

 遠目では感じられなかった違和感に、ぞっとする。
 子供なのに、まるで動じていない。それが、不気味だった。

「てめぇっ…」

 誰が発したか分からない声。一瞬で終わるものと思っていた皆の驚きが、見る間に殺気に変貌する。
 でも、審神者はどこ吹く風。怯えるどころか、呆れと、苛立ちを滲ませた表情を作った。子供って、こんな顔、できるんだっけ。俺は刀の姿で見て来た人間達の中で、子供のことを思い出す。もっと、感情が素直に出てしまうものではなかっただろうか。

「見ず知らずの相手にいきなりこれはないんじゃないの」

 何の感情も籠ってない言葉。
 みんなは当然、怒鳴り始めた。罵詈雑言の数々だ。今まで溜め込んでいた鬱憤を晴らすかの如く、このクソみたいな人間が、と牙を剥き出しにして吼えた。


 ――――審神者が何の用だ、また利用する気か

 ――――何しに来た、帰れ、二度と来るな

 ――――助けに来たとでもいうつもりか、人間のせいでこうなったのに

 ――――手入れでもしたいか。その汚れた手で手入れをする気か

 ――――審神者なんか嫌いだ、大嫌いだ

 ――――出て行け、消えろ、消えてしまえ

 ――――出て行く気がないならここで殺されてしまえ

 ――――死ね、死ね、人間なんか

 悲痛すぎる言葉の数々に、俺は思わず目を瞑った。

 …違うのに。
 …こんなこと、平気で言える奴らじゃないはずなのに。

 でも、俺だって叫びたい。審神者何かもういらない、帰れ、と叫びたい。
 憎悪の言葉がどんどん加速していくと、

「うるっせえなぁ」

 唐突に、審神者の声が、ぽとんと落ちた。同時に静まり返る広間。
 俺は瞠目する。
 ……なあ、こいつ、本当に、子供か?
 視線の先で、舌打ちをしながらまた審神者は言った。

「安心しろよ。俺はお前ら何か助ける気これっぽっちもないから」
「審神者様! 審神者様、何を!」
「うるさいあほのすけ」
「こんのすけでございますが!?」

 鬱陶しそうにこんのすけを睨んでから、部屋の中に視線をやる。

「俺、刀剣男士嫌いなんだよ。刀の付喪神様だか何だか知らないけどすげー嫌い。手入れしたいかって? ふざけんなよ。何だよその、俺がどうしてもやりてえんじゃねえかって言い方。訳わかんないんだけど」
「あの、審神者様、審神者様、何故! あなたは!」
「あのさぁこんのすけ」

 ぎろりと、審神者がこんのすけを改めて、睨みつける。
 子供とは思えない、威圧感。

「俺、一応もう契約完了して、ここの審神者なんだよね。で、お前はここ担当の管狐」
「へ!? は、はい、そうでございますが…」
「でもお前、俺のこと〝主〟とは呼ばないよな」
「っ!」

 こんのすけの耳が、ぴくん、と真っ直ぐ立つ。

「…お前も俺のこと認めてないの知ってる。俺もお前のこと嫌いだから無理してそんな心許してるふりしなくて良い」
「審神者様……」
「審神者権限で呼んじゃうかもしれないけど。今、こんのすけ経由じゃないと色々政府に要請もできないから。でもそれだけ協力してくれれば後は何もしなくて良い」

 審神者がもう一度、部屋の中を見回した。みんな刀で審神者のことを牽制したまま、動けないでいる。

「審神者なんかいらない? 審神者なんか嫌い? じゃあ丁度いいじゃん。上等だよ。俺だってお前ら刀剣男士なんか嫌いだよ。いらない。でも政府から頼まれてるから仕事はする。俺子供だから別に難しい事も考えてないし別に恐れるに足りないだろ。ほっといてくれりゃお前らに迷惑かけないし勝手にあれこれやるから」

 以上、と話を畳むと審神者は踵を返して歩き始めた。驚いたまま固まっていたみんなが、審神者が動き始めたことで我に返って、また、怒鳴り散らしている。
 審神者はそれを背中に聞きながら、振り返らずにさっさと歩いていく。俺の方も呆けたまま動けなくなりそうだったけど、慌てて追いかけた。

 …ちょっと、予想外だ。予想外っていうか、斜め上すぎる。

 刀剣男士が嫌い? じゃあ、刀剣男士無しでこの本丸を立て直しに来たって? あんな子供が? 一体、どうやって?
 じゃああの子供、結局、どうする気なんだ。立て直すって、一体どこまで? ちっとも状況が読めない。てっきり、流石にみんなに刃を向けられたら、泣くと思ったのに。…いや、その前に、死んじまうと思ったのに。
 それにもう一つ。
 あの審神者、自ら、味方を減らした。こんのすけが、審神者についていってない。広間の前で固まったまま、動けなくなっている。一週間一緒にいたはずなのに、こんのすけのことも嫌いだからと言って、あっさり切り捨てた。
 子供って、…子供って、こんなだっただろうか。

 広間からある程度離れたところまで歩いていた審神者が、足を止めた。俺も壁際に立って足を止めた。 
 審神者が止まっているのは、別に何処の部屋の前というわけでもない。そこに何があるわけでもない。一体どうしたんだろう、と様子を窺っていると、出し抜けにそいつは振り向いた。

「……お前も、俺に用が無いなら部屋に戻った方が良いよ」

 どきりとする。周りを見回した。刀剣はいない。こんのすけも、ついてきている様子はない。とすると、声を掛けている相手は。つまり。
 鵺の身体にも力が入ったのを感じた。右手で撫でてやりながら、俺も、そっと深呼吸する。それから、壁際から離れ、廊下に出る。子供の前に姿を晒した。
 嗚呼、人間と言葉を交わすなんて……怖いな。
 そう思うのに必死に蓋をしながら、不恰好に笑って見せる。相手は、子供だ。たかが、人の、子供だ。

「…ちぇっ。気付いてたのか」
「…まあ。かくれ…」
 
 うろ、と微かに子供の目が泳ぐ。
 一度、きゅっと口許が結ばれてから、

「…隠れてるのに気配感じたから」
「えっマジかよ」

 結構全力で気配消してたぜ!?
 内心本気でショックを受けていると、審神者は微かに眉を下げた。

「気配はほとんど消せてても血の匂いが強いんだと思うけど」

 まるで品定めをするように、俺の全身を視線が這う。居心地が悪くて身動ぎした。肩に乗っている鵺が、低く唸る。噛みついちゃだめだぞ、鵺。そう思いながら、俺は無意識下でちょっとずつ後退っていた。…だめなんだ、それこそ。やっぱり、俺も、怖いんだ。人間が。
 …くそ、じっちゃんに聞かれたら、呆れられちまいそうだ。
 でも、逃げ出すのは何とか我慢してそのまま、俺も審神者が向けて来る目を見返していた。何もするなよ、という威嚇も込めて、刀の柄には手を添えたままだ。

 ふいに、審神者がくるりと此方に背を向けた。
 驚いて、思わず俺から口を開いてしまう。

「お、おい、俺に背向けて良いのかよっ」
「……はぁ?」

 再び振り向いて、「まだ何か用でもあるのか」と言いたそうに、訝し気にしている。何で訝し気なんだよ、と俺の方が訝し気になってしまう。「はぁ?」じゃないだろ、「はぁ?」じゃ。

「俺も、刀剣男士だぜ。俺に背向けたら、その隙ついて刀抜くかもしれないだろ」
「つまり殺されるかもしれないぞって忠告してるわけ」
「……あんまり、舐めるなって、言ってるんだよ」
「…あーそ。でも俺が躱す方が早いと思うよ、多分」

 びくりと俺の身体が震えた。怯えたんじゃない。怒りでだ。一瞬で全身に力が入ったからだ。
 何だか、刀として大した腕ないだろうと馬鹿にされているような気がして、歯噛みする。悔しい。他の奴らが飛びかかって、うっかり審神者を殺したりしないようにと思って見張っていたのに、今、俺が飛びかかってしまいそうだ。
 俺の気持ちに気付いてか、鵺もぴりぴりと妖気を滲みだしている。
 そうだよな、鵺。腹立つよな。許せねえ。

 どうして。俺達は人間の道具として生まれたはずなのに…どうして、人間は俺達をちゃんと、扱ってくれないんだ。昔の人間は、扱ってくれた。じっちゃんもそうだ。なのに、どうして、今の人間は……!

「だってお前、酷い怪我してる」

 まだ、忘れるにはあまりに最近すぎる、無茶な出陣の数々。
 傷の痛みよりも、腸が煮えくり返りそうだ。

「っ、これはお前ら人間のせいで…!」
「それも知ってる。そもそも、お前は刀剣男士でさ。俺は人間で、しかも見ての通り子供なわけで、そりゃ万全の状態だったらすぐ殺されるよ。分かってる。でも今のお前、酷い怪我してる。手入れもしてないのにそれ以上動くなよ。傷広がるよ。……そんなに心配しなくても、俺、何もしないって。だから見張るのもやめといたら。俺についてくるだけでもしんどいだろ、本当は」

 ……え。俺は、目を丸くした。言われている意味が…分からない。いや、言葉は分かる。でも、頭の中で何度も反芻した。今、何て?
 必死に意味を理解しようとしていると、怒りの感情が少しずつしぼんでいった。同時に、まるで狭める様に視界の周りを縁取っていた黒い靄が、晴れて行くような気がする。そして、その視界で、俺の方を向いている審神者の目を見て、更に、俺は目を丸くする。

 ……何だよ、その目。

 審神者は、…馬鹿にするでもなく、蔑むのでもない。ただ、お前は怪我をしていないはずなのに、痛そうに、辛そうに、目を細めていた。どうして、と思った。さっきまでとは違う意味で。
 …何で、審神者がそんな顔するんだよ。

 俺の表情を一体どうとったのか分からない。けど、審神者ははっと我に返ると突然、謝った。「ごめん」と。

「嫌いな人間にそんなこと言われても、不愉快だよな」

 さっとまた俺に背中を向けて、今度こそ、さっさと歩き、離れていく。背中に差している、審神者にはどう考えてもでかすぎる刀がカチャカチャと音を立てて揺れていた。
 俺は、柄に添えていた手を、ずるりと下ろした。
 悲しそうな、辛そうな、痛そうな。この、どの表現も、ちょっと違うような。あの、灰色の目が、俺の瞳の奥に―――焼き付く。