刀剣嫌いな少年の話 拾陸
転がっていた薬研の本体を、拾い上げる者が、一人。
「本体から手ェ離してんじゃねえよ馬鹿!!」
大声で怒鳴りながら、長い髪を一つに結んだ小柄な男が、横から飛び込んでくる。右手には、不動明王と矜羯羅、制多迦が浮き彫りにされた短刀。左手には、たった今拾われたばかりの短刀・薬研藤四郎。
二振りの短刀で脳天を突き刺された脇差は、呻き声をあげながら倒れ込む。
「不動!」
薬研の声を聞くと同時に、彼の本体を投げて渡したのは、不動行光だ。
肩で息をしているが、すかさず次にまた現れる敵を振り返れば即座に首にめがけて刃を振るった。傷口から噴き出した鮮血を浴びて顔を顰めつつ、袖で拭ってから叫ぶ。
「何で審神者が屋根の上にいんだよ! 格好の的じゃねえか!」
「大将の希望だ!」
「超迷惑!!」
盛大に悪態をついているのは、しっかりと少年と獅子王の耳にも届いていた。
対峙した太刀の刃を弾き返して後ろに下がり、間合いを取った獅子王が苦笑する。
「主、超迷惑だってさ」
「あーそ。気にしねえ」
「それはそれでどうなんだろうなっ!」
取った間合いをいつまでも敵が保ってくれるはずはない。瓦屋根を蹴り、距離を詰めてくる。太刀にしてはスピードが速かった。
ぐっと獅子王は全身に力を込めて、腰を落とす。迫った敵の、上段からの攻撃に対して、斜め下から一気に振り上げた。
派手な金属音が響く。瞬発力は獅子王の方が上だった。
腰を落とした状態から伸びあがって攻撃を繰り出したことで生じた衝撃を、敵太刀は緩和することができず仰け反り、たたらを踏む。敵の刃から無防備に晒された胴体に、素早く銀の目が移った。大きく前に出て振るわれた太刀〝獅子王〟は、相手の骨と肉を断ち切る。
しかし、
「くそ、キリがねえ……!」
倒れていく敵太刀を見届ける暇なく、襲い掛かってくる歴史修正主義者に再び向き直り、刀を振るい、あるいは足蹴にして、殴りつける。
空を滑るように向かってくる敵の姿にも気が付いて、獅子王の表情が微かに強張る。
「獅子王、また太刀の奴も……!」
性懲りもなく、太刀を携えた別の歴史修正主義者がまた屋根に上ってくる。――否、来ようとした。
「!」
眼前にやってきた二体の短刀のすばしっこさに翻弄される獅子王の代わりに、彼の背中で首を回した少年が、気づく。
その敵太刀に、覆いかぶさる小さな影。暗雲の下、どこからか飛び上がってきた子供。手には、しっかりと短刀が握られている。
「油断しましたね! お命、貰いますよ!!」
高い声が、屋根の上を走り抜ける。
ピンク色の髪に、空色の瞳を持つ短刀の刀剣男士。これが「人」であったなら、ただの可愛らしい子供でしかない風貌だが、彼は屋根の上にのぼろうとしていた敵太刀の頸動脈を深く掻っ捌いた。それだけでなく、駄目押しのように顔面を足で踏みつけ、屋根の上から落とすことも忘れない。およそ子供の力ではなかった。
「ご無事ですか、主君! 獅子王さん!」
敵の顔を踏み台に跳ね上がった、赤い胴鎧をつけた刀剣男士が、瓦屋根に降り立つ。
「秋田!」
少年が秋田藤四郎の名を呼ぶのと、ほぼ同時。「ガウ!」という鳴き声が唐突に五つ、重なって聞こえた。
獅子王の刀は、敵短刀に素早い動きで躱され、空を切った。だが、耳が拾ったばかりの鳴き声から、次の攻撃に転じる必要はないと気づいて、背中にしがみついている子供を優先し、後退して切っ先を下げた。守りの構えだ。
二体の敵短刀が、好機とばかりに突進すべく身をくねらせた。だが、くねらせた体が、次の瞬間には両断されていた。
「え、えっと……こ、こんなのも、できるっていうか……あります、一応……!」
声は相変わらず弱弱しい。
低い姿勢で着地し、振るったばかりの刃を閃かすのは、銀色の髪をした子供。その子供の肩に乗っている一匹と、周りを忙しなく走り回るのは四匹、合計五匹の小虎。眉は情けなくハの字で、怯えているようにも困惑しているようにも見える表情だ。
「あるじさま、獅子王さん……! た、助けに、来ました……!」
その割に、呻き声をあげながら消滅していく歴史修正主義者を見つめる眼光に、優しさはなかった。
「五虎退!」
獅子王が声を上げる。
のんびり挨拶を交わしている余裕などない。秋田と五虎退は頷き合いながら、少年を背負う金髪の太刀の前に立って、短刀を構える。
「どうしてここにいるのか分かりませんが、ひとまず無事でよかったです!」
「ぼ、僕たち、頑張る、ので……! 任せ……うぅ、こ、怖いけど、任せてください……!」
屋根の上の刀剣男士が増えたことで、敵勢力も最初より慎重な動きを見せている。薬研と不動も、獅子王と少年のもとへ向かおうとする敵を優先して刀を向けているし、秋田と五虎退のおかげでやっと少し余裕が出た。
(……っ……)
背中に感じる、ばくばくと脈打つ子供の心音に、獅子王は気づいていた。刀剣男士に護ってもらうことにトラウマを抱えている子供だ。目の前で自分たちを庇うべく立っている秋田と五虎退は、かつての本丸の再現とも言える。
しかし弱音を吐かない少年は、過去を乗り越えようとしているに違いなかった。
「主!」
刀剣男士に護ってもらうことを前提に、屋根の上に行くことを求めた子供であったが、現状にいっぱいいっぱいで思考が止まっているらしかった。
だから獅子王は、その背を押さねばと呼びかけた。びく、と首にからみつく子供の腕が痙攣する。
「っ……あ……」
「そんなにずっとのんびりはできねえぞ! 今下ろす! いけるか!?」
何をすべきか、思い出した。
審神者は大きく頷く。
「……平気……! おろせ!」
獅子王が腰を屈め切る前に、少年が彼の首から腕を解いて下りた。
平たい地面とは違いすぎる瓦屋根の上で、バランスに気を付けながら周囲を見回す。周りで自分を護るべく戦ってくれている刀剣男士のほかに、庭や、離れの方でも忙しなく動いている影が確認できた。遠すぎて誰なのかまでは分からないが、激しい戦闘が繰り広げられていることは明白だ。
目に映るものだけではない。少年は、自分に向かって揺蕩う〝糸〟の存在を、ずっと感じている。もっと他の場所で、沢山の刀剣男士も戦ってくれている。存在していると分かるのだ。
「……よし」
少年は懐から霊符を取り出すと、空に向けてゆっくりと手を離した。霊符はひらひらと落ちていくことなく、空中で静止している。それをしばらく見つめてから、隣に並び立っている獅子王に手を差し出した。
「獅子王」
獅子王は少しだけ驚いた様子だったが、にっと八重歯を見せて笑い、しっかりと子供の手を繋ぎ、強く握り返した。
少年が目を閉じる。全身が白く光り始め、視覚化された霊力は霊符に注がれ、霊符もまた光り始める。その光は、どんどん強くなっていき――いくつも細い線となりながら、暗雲と瘴気で包まれた暗い本丸の空気を裂くように、飛び散った。
そして、この瞬間。
少年に向けられていた、全ての〝糸〟が、固く固く結ばれた。
目を開けた少年は、息を吸い、ありったけの声で叫ぶ。
「俺は、審神者として、主として! この本丸の、全ての刀剣男士に命ずる!」
繋がった〝糸〟を辿り、全ての刀剣男士に届くように。
「どんだけ無様で、格好悪くてみっともなくて、めちゃくちゃで、目も当てられないような有様でも、何でもいい!! 死ぬ気で全員生き残れ!!!!」