刀剣嫌いな少年の話 拾陸

   ***

 庭に面した廊下へと出ると、茂みからすかさず飛び出してきた敵短刀が、身をくねらせて空中を滑りながら獅子王に迫る。
 背負われている少年がいち早く気づき、幼い指で呪印を切ろうとして、

「はああっ!!」

 走り込んだ薬研が、下から一気に切り上げる。
 呻き声をあげて、敵短刀が吹っ飛んだ。が、そちらには目もくれず、怒りの形相で首を回す。獅子王の背にいる子供の(包帯が巻かれた)頭を、スパンと遠慮なしに叩いた。

「いてえ!?」
「さっきから何ですぐに結界を張ろうとしやがるんだ、馬鹿大将! 俺がいるだろうが!!」
「ごめん! でもだからって叩くことねえだろ!」
「多分主、もうほとんど無意識にやろうとしてるよなぁ」

 どたばたと廊下を走り抜け、道中で襲い掛かってくる敵を屠りながら進む。途中で他の刀剣が戦っている気配も感じたが、少年は「先にこっち」と獅子王と薬研に指示した。戦っている刀剣男士を一旦そのまま放置にするというのは、少年らしくない判断だ。
 本当は、すぐに向かえと叫びたいのだろう。
 背中に感じられる子供の体が、強張ったり、堪える様に肩を掴んできたり、そのうえで、声量は少なく別の指示を出す様子は、必死に衝動を抑えていることが丸分かりだった。

(信じてくれてるんだな、主は)

 共に戦い、生き抜くために戻ってきたと言う刀剣男士たちを信じる。
 同時に、冷静であろうとする少年は、今のままでは本当に自分自身が無力であることを理解していた。いくらこんのすけに霊力の補填をされたところで、即座に適量を放出して役立てるだけの技術を、まだ持っていないらしい。そして子供は、安定して霊力を操るために必要な霊符を取りに行くことを最優先にしたいと、獅子王と薬研に説明した。

 霊符の在り処は、当然、審神者部屋だった。

「ついたっ!」

 部屋の前で獅子王が足を止めると同時に、少年が背中から飛び降りた。一目散に襖に手をかける。

 ぶわり、と。
 金髪の太刀と、黒髪の短刀の肌が粟立った。

「主、待て!」
「大将下がれ!」

 遅れて、少年も部屋の中の気配に気づく。しかし勢いよく襖にかけた手は、理性が制するより先に、大きく左右に開いてしまった。
 部屋の中から突き出される刀の切っ先に、灰色の目が見開かれる。咄嗟に、半歩引く。加えて、横に立っていた薬研に腕を強く引かれて体が大きく傾いたことが、功を奏した。

「あっ……ぶな……!」

 子供が呆然と呟く。その頬は、切っ先で斬りつけられた傷からの出血で濡れていた。
 その間にも、素早く刀を抜き放たれた獅子王の刃で、一番前に出てきていた――すなわち、審神者の頬を斬りつけた敵脇差を斬りつける。が、一撃で屠ることはできず、閃くような金属音が響き渡った。

 獅子王に並び、少年を背に庇った薬研が身構えて、はっと息を呑む。

 審神者部屋の中には、歴史修正主義者が四体。蜘蛛のような足が目立つ、脇差だ。

 無人の審神者部屋に過剰すぎる敵の数だ。
 ああそうだよな、と獅子王は歯噛みする。敵も阿呆ではない。頭を使い、戦略を練る。もしかしたら先ほどの部屋の近くまできて、気配を殺し様子を見ていた歴史修正主義者がいたのかもしれない。審神者がここに向かっていると分かったなら、連携して待ち伏せするのが筋というもの。

 弾き飛ばした脇差が、再び前へと進み出てきた。

「こいつっ!」

 獅子王が太刀を振るい、二度、三度と切り結ぶ。
 他の脇差も、じりじりとこちらへと足を進めてきている。薬研は少年を背で庇いながら、短刀の切っ先を向けて牽制した。

「こいつら……他の奴となんか雰囲気違う……?」

 眉根を寄せた呟く少年に、薬研も険しい表情のまま頷く。
 問題なのは、部屋の中に待ち構えていた敵の数が多いことだけではない。全員が、妙に禍々しい気配を身に纏っていたのだ。体から黒い瘴気がこぼれ出て、敵から迸る殺気を余計に上塗りしており、重い。

「あの瘴気なら、俺が消せる」

 堕ちそうになっていた燭台切の背中から叩きつけた術式を思い起こし、覚悟を決めた様子で、子供が言う。
 相変わらず、状況判断は非常に速い。

「だが、大将」
「一緒に戦っていいんだろ」

 言質を取られていて、言い返しにくいことを言ってきた。苦い面持ちで、薬研は押し黙る。
 確かに彼の霊力ならば、敵が纏っている瘴気を浄化して、力を減少させることは訳ないだろう。明らかに強い敵が四体に、こちらは刀剣男士が二人。子供の支援で敵を弱体化させでもしないと、子供を守ることすら難しくなる懸念があった。
 ……だが、既に消耗している子供に浄化作業をさせるのは体に大きな負荷がかかって危険だ。これまでも、結界を張ることより浄化作業の方が、子供は疲れを見せていたし、そうでなくても霊力を上手くコントロールするための霊符を、まだ部屋から回収できていない。

「……約束だ。無理はしないでくれ」

 薬研の声掛けに、子供は一瞬返事を躊躇したが、こくりと頷いた。迷っている余裕はない。
 ふ、と息を強く吐いたののと同時に、薬研は獅子王と刃を交えている敵脇差に斬りかかった。

「がら空きだ!!」

 敵脇差が呻く。本来ならばこれで充分屠るに足るのに、消える気配がない。禍々しいオーラのせいで生命力が増しているのか。痛みは感じているらしく、明らかに動きは鈍くなっている。
 すると、他の三体の敵も一斉に動き出した。

「薬研、頼む!」
「嗚呼!」

 薬研が乱暴に短刀を抜いて、敵脇差の首へと振るうと、見事に首が飛んだ。
 素早く獅子王は己の太刀を引き、倒れていく脇差を視界の端に捉えながら、方向を転換した。部屋の中からこちらへと向かってくる三体に向き合う。薬研も即座に同じように対峙した。
 先ほどの子供が加勢する話は、金髪の彼もちゃんと耳で拾っていたらしい。薬研と頷き合う。
 ちらりと視線で、二人から子供に合図が送られた。力を貸してくれという意味だと理解して、子供は――胸が、熱くなる。

(こんのすけから貰った霊力で、何とか……!)

 霊符がない、霊力だけを飛ばす技術も持たないなら、直接敵の体に触れるしかない。全身に負っている傷が、体内の霊力の動きに反応して痛む。少しでも痛みから目を逸らすように、いつもより慎重に手に霊力を込めた。
 確かに手の中に、浄化するための光が灯り、子供は敵の正面へと飛び込もうとして――

「ガキ主! 獅子王! 薬研! 頭下げろォ!!」

 ――突然の、大音声。

「は!?」
「なっ!?」
「主、薬研、頭!!」

 全力で足に込めていたところに、制止にも似た呼びかけ。思わずたたらを踏みかけた子供の頭に、手が乗り勢いよく押される。慌てた獅子王が、子供と薬研の小さな頭に手を乗せ、床の上へと押し倒したのだ。
 三人が床に這いつくばる中、再び声が飛んだ。

「そーら、目潰しだ!!」

 少年と獅子王、薬研が頭をもたげる。
 鋭い刃を振りかぶり、斬りつけんと動いていた敵脇差の顔面に豪快に大きな雪玉が炸裂した。雪玉にしては重量感のあるそれが、いっそかわいそうな勢いで顔ににめりこみ、歴史修正主義者の体が後ろに反る。〝目潰し〟レベルではなく、〝顔面潰し〟だ。

「ほれもういっちょォ!」

 庭先から投じられてきた、巨大な雪玉が二つ。それらも、部屋の中にいた他の二体の顔面に、派手に命中した。片方など当たり所が悪かったのか、頭蓋が割れる。
 思いがけない方向からの攻撃に、敵脇差の動きも明らかな狼狽を見せた。

「国広、今だ!!」
「うん!!」

 審神者部屋の天井に当てられていた板が割れる。天井裏から飛び降りてきたのは、堀川国広だ。
 彼の登場に驚いた脇差たちが、慌てて体勢を整えようとする。しかし、顔面に打撃を受けたことで、思うように動けなくなっているらしかった。

「遅いよ!」

 浅葱色の瞳がきらめき、素早い動きで放たれた斬撃は四体の敵脇差の足を破壊する。
 胴体がどしゃりと崩れ落ちたところで、庭から駆けてきた刀剣男士が廊下に上がった。這いつくばっている三人を跨いで、長い黒髪を揺らしながら勢いよく審神者部屋へと飛び込んでいく。和泉守兼定だ。

「おらぁ!!」

 動けなくなった敵脇差を屠り、最期に抗うべく壊れた足で立ち上がろうとした敵脇差に向けて、

「悪いけど、僕も結構邪道でね」
「斬って殺すのはお手の物。――あばよ」

 無慈悲な目を向けられ、左右に立った新撰組の副長・土方歳三の脇差と打刀によって、派手な一太刀を受けて絶命した。

 一気に、敵ばかりであった審神者部屋の中に静けさが取り戻される。瘴気や禍々しい気配を纏っていたせいで、常より中の空気は悪くなっているが、これより酷い有様であった以前の本丸を思えば、まだまだ許容範囲だった。
 突然の彼らの登場に驚いたままの少年は、這いつくばったままだ。否、獅子王も、薬研も、まさかここに援軍が来てくれるとは思っていなかった様子で、少し呆けていた。

 和泉守が振り向く。
 浅葱色の瞳が動き、視線で子供の頭や左手首に巻かれた包帯、血まみれの着物を撫でた。

「よう、ガキ主。随分ボロボロじゃねえの。ま、生きてたのは感心感心」
「兼さんたら……すごく心配してたくせに」
「んなっ!? 何言ってんだ国広! してねーよ!」
「はいはい」

 呆れて笑いながら、堀川が子供に歩み寄る。持っている手拭を広げ、切れている頬から出る血を拭った。

「吃驚したー……どっかにいるのは分かってたけど、助かったぜ、和泉守、堀川!」
「ああ。どう切り抜けようかと思ったが、旦那方が来てくれるなんてな」

 我に返った薬研と獅子王が立ち上がり、二人の手を借りながら少年も立ち上がる。
 部屋の中にいた歴史修正主義者の体は崩壊が進んでおり、もはや消し炭の状態だった。その敵の傍に落ちているのは、雪と、大きな石。少年は嘆息した。

「……石入り雪玉とか、すげえ反則……」

 道理で、雪玉らしからぬ殺傷能力を誇っていたわけである。

「庭に転がってたからな。使わない手はねえだろ?」

 得意げに鼻の穴を膨らませる和泉守を「褒めてねえよ」と一蹴する。
 堀川は「すみません、邪道で」と申し訳なさそうな色を滲ませながらも全く反省はしていない。元の持ち主が同じだけのことはあり、根本はよく似ていた。

「……で、お前ら、怪我は?」

 敵の血が未だこびりついている刀身を見やってから、和泉守は血振りをして答えた。

「俺も国広も、どっちも無傷……とは、いかねえわな。これだけの敵の数を相手にしてんだから仕方ねえ」
「っ……じゃあ」
「おっと。手入れしようなんて思ってくれるなよ、主。あんたの霊力の使いどころは俺たちじゃない。まだ戦いは続いてる」

 無傷ではないと聞いた少年の表情が曇ったことに、和泉守は気づいていた。だが、気休めを言ったとしても、聡い子供にはすぐに気づかれる。事実を伝え、霊力の使いどころを見誤らないようにはっきりと伝えなければならなかった。そうしなければ、頭は切れるくせに手入れにかけては優先順位の判断もまともにできない子供には、理解してもらえない。
 悔しそうに歯噛みをしてから、少年は首を振って改めて問いを投げた。

「お前らは、何でここに……どこで戦ってたの」
「庭だ。たまたまあんたらが走っていくのが見えたんだよ。嫌な予感がしたから間に合ってよかったぜ」
「審神者部屋だと分かって、庭と屋根裏からの奇襲が一番、敵の意表をつけるんじゃないかと思ったんです」

 助太刀に入ってもらえたのは、本当にただ運が良かったかららしい。
 審神者は自身の中に感じられる、〝糸〟の気配を探った。獅子王のときのように、強く結ばれた様子はない。和泉守兼定と堀川国広の〝糸〟の端は、心待ちにする様子でそこにあった。
 ……否、二人だけではない。薬研の〝糸〟も、いまだに少年とは繋がっていない感覚だ。
 待ってくれていることに、言葉では表現しきれない信頼を向けられていることを悟る。

「……とにかく、助かった。ありがとう、和泉守、堀川」
「……な、何だよ、改まって……」
「は? ありがとうって言っただけだろ」

 和泉守はたじろぎ、堀川は固まって黙り込んでしまったことに、少年は訝し気な顔になった。どうして彼らがそんな反応をしたのか、少年には分かっていないのだ。
 獅子王や薬研からすれば当然のことだと思った。意識して懸命に心を閉ざしていた少年が、素直に礼を言うようなことは今までほとんどない。
 たった一瞬、されど居心地の悪さに耐えきれなくなったのか、長髪の打刀は腕組みをして、わざとらしく踏ん反り返って目を逸らす。

「それより、審神者部屋に用があったんじゃねえのかよ! 他の奴らもみんな戦ってる。あんまりのんびりしてられねえぞ!」
「わ、分かってるよ!」

 少年は慌てて、部屋の中へと足を踏み入れると、棚や押し入れの中を探り、ありったけの霊符を取り出して、二枚を引き抜いて残りを懐に収めた。片手で握りしめた二枚に対し小さな声で言霊を乗せると、霊符は青い光を帯びた。
 踵を返し、立っている堀川と和泉守に近寄ると、二人を囲うように血で丸い円を描く。獅子王と薬研があっと声を上げる間も与えず、問答無用で和泉守と堀川に霊符を押し付ける。
 すると、

「! おい、主!」
「主さん、無茶は良くないです!」
「うるっさい」

 あたたかな光に包まれ、目立っている傷がみるみる内に塞がっていく。
 喚く刀を半眼で睨んでから、少年は役目を果たして使い物にならなくなった霊符を剥がし、放り捨てた。

「これが俺の譲歩。全部は治してない。もっと怪我してる奴、沢山いるみてえだし、温存しておきたいから、これ以上は今はやらない」

 霊符でいっぱいになった懐を上からぽんと叩いてから、少年は獅子王と薬研を見た。

「次。屋根の上に行ってくれ。一番、本丸の全体が見渡せる位置が良い」

 獅子王が顔を顰めた。

「それは……どういう意図なのか、聞いて良いか?」
「獅子王と同意見だな。あんたは俺たちの頭だ。当然、敵に狙われてる。審神者部屋に待ち伏せしてる歴史修正主義者がいたのが、いい例だろ」

 本丸の全体を見渡せる位置とは、つまりどこからでも狙うことができる場所だ。そこに自ら審神者が立つのは、敵への挑発行為に等しい。手負いの敵ばかりとはいえ、状況的に劣勢なのはこちらだ。本丸への侵入を許したせいで高くなっている敵の士気を助長させることは、避けたかった。

「……今戦ってる刀剣男士全員に、伝えなきゃいけないことがある。でも一人一人回ってる暇はねえ。だから、一気に伝える」

 やったことないけど、と自信がなさそうに小さな声で付け加える少年を、薬研は困った様子で眉を下げた。

「いや、伝えるったってな……もう少し安全な方法を取っちゃくれねえか」
「急ぎたいんだ。やり方は、一応、知ってるから。伝えるために、とにかく、全体が見えるとこに行きたい。全員がどこにいるのか、なんとなくでいいから分かってたいんだよ。それに……」

 唐突に、言葉を詰まらせた。
 俯いた少年が、大きく肩を上下させる。深呼吸をし、口から吐き出される吐息は小刻みに震えている。それでも足りないようで、懐から先ほど入れた霊符を一枚取り出し、見つめた。霊符を持つ手もまた、カタカタと震えている。

「それに……? どうしたんだよ、主。……痛むのか?」

 獅子王が気遣わし気に、膝を折って顔を覗き込む。
 瞼を持ち上げる。人の子の、灰色の瞳が揺れ動いたのはほんの僅かな間だった。覚悟を決めたかのように、覗き込んでくる銀色の瞳を真っ直ぐに見つめ返す。

「それに、なんとなく感じるから分かるんだ。近くに、他の刀剣もいる……はず。だから……そいつらと……獅子王も、薬研もいるから。……屋根の上でも、俺を護ってくれる。だから、大丈夫」

 瞠目した。子供の発言とは、俄かには信じられなかった。
 彼らの前で再び引き結ばれた唇は、今度はそう沈黙を生むことなく開かれる。ただし、同時に情けなく歪む。
 そうして、泣き出しそうな表情のまま、順繰りに獅子王と少年を見つめ、少年は言った。

「……信じていいんだろ。お前らのこと」

 どれだけこの少年は勇気を振り絞ったのだろう。
 かつて、刀剣男士に命を守られ、生き延びてしまったことを悔やんだ子供は、当時と同じくして本丸を襲撃されている最中に、刀剣男士に命を守ってもらうことを容認したのだ。

『大嫌いだから、俺のために怪我するな』

 少年と出会って、初めてちゃんと笑っているように見えたときに言われた言葉。
 子供を護ろうとしたことをひどく咎められ、二度と庇ったりするなと。あのときは、どうしようもなく悲しい思いであったが、まさかその子供から、自分を護れと――。

「……ああ、……ああ、ああ! もちろんだ! 当たり前だろ!」

 感動に打ち震えて、動けなくなりそうになっていた獅子王は、己を叱咤するように声を張って、肯定した。

「絶対に護るぜ! 信じてくれ! な、薬研! ……薬研?」

 同意を求められても、薬研はしばらく固まっていた。だが、やがて腰に手を当てて呆れた風に苦笑する。

「……ったく、大将。ちと狡くねえか?」

 藤色の瞳が細められる。
 少年は泣き出しそうな顔のまま、不格好に「切ってもいいけど?」と憎まれ口をたたく。
 馬鹿言え切らせるか、と薬研も頷いて見せる。――はっきりと、薬研が何気なく伸ばしていた〝糸〟が、少年の方から唐突に、固く結ばれたことを感じたのだ。危険なことをさせたくないと申し出ていたタイミングで契約を結ぶなんて、狡賢いにも程があった。
 否、頭がよく回る子供であるのは、今更であったか。

「全部終わったら説教だぜ。大将」

 その言葉は、了承だった。
 迷いはない。一刻も早く屋根の上に行かねばならない。

「よーし! そうと決まりゃ、俺たちも行くぜ! 主を護るなら手は多い方がいいだろ!」
「そうだね、兼さん!」

 話を聞いていた和泉守が景気よく自身の拳を掌にぶつけ、気合を入れる。が、

「あ、ごめん、お前らは来るな」
「はぁ!?」

 獅子王の背に乗りながらあっさりと少年に言われ、出鼻をくじかれた様子で和泉守が素っ頓狂な声を上げた。

「何でだよ! そういう流れだっただろうが!」
「兼さん、落ち着いて! ステイステイ!」
「俺は犬か!!」

 こめかみに青筋を浮かべて怒鳴る短気な相棒を押し止めつつも、堀川も困惑した様子で少年を見返した。

「でも主さん、本当に〝大将首〟って戦の時はかなり重要で。相当危険だから、僕たちも一緒に行った方がいいと思うけど……」

 進言された内容に対して、少年はやはり首を横に振った。だが、それだけではなかった。

「二人には、この先の、一番奥の部屋に行って欲しい」
「奥の部屋って……折れたみんながいる部屋……?」
「陸奥が一人で戦ってる。あいつはすごく強いけど、もしかしたら限界かもしれないから。一緒に奥の部屋、護って欲しい」

 思いがけない名が出てきて、和泉守と堀川がぎょっとした。

「陸奥って、陸奥守吉行か!?」
「うん。お前らも同じ時代にいたんだから知ってるでしょ、陸奥のことは。俺がずっと持ち歩いてたやつ」

 言われて初めて、少年の背中にいつもあった刀剣がなくなっていることに気づく。その刀が一人で奮闘するに至った経緯について気になったが、周囲の剣戟や叫び声といった戦場独特の空気からして、説明を求めている時間は無さそうだ。
 そもそも、説明がなければ従わないのかと問われれば、否である。どうせ向かうことになるのなら、説明は後でいくらでも聞けるだろう。

「頼む、和泉守。堀川。陸奥を折らせないでくれ」

 土方歳三の刀である二人は、顔を見合わせた。
 お互いに、困惑の気配はない。目は、爛々と輝いていた。少年に――己の主に、仲間を護るための命令を下されている事実に喜びと、主命の下で刃を振るうことができることへの興奮で、気持ちはかつてなく昂っている

「はっ、そうこなくっちゃな! あとでちゃんと説明しろよ、ガキ主! 行くぞ国広!」
「うん! 主さん、獅子王さん、薬研さん! どうか気を付けて!」

 和泉守が浅葱色の、だんだらの外套を翻して廊下を走り出す。後ろを追いかける形で、堀川も続いた。
 慌ただしく去っていくのを見届けてから、ちらりと少年は部屋の中を見回す。
 先日、明石を前田、平野に塞いでもらったばかりの天井の穴が、更に大きくなってそこに生まれていた。この緊急事態で仕方ないとはいえ、棚や文机、押し入れも派手な刀傷がいくつもある。歴史修正主義者が待ち伏せていたこともあってか、穢れも溜まってしまっていた。

「主? いいか?」

 少年が審神者部屋を見回していたのを気にしてか、獅子王が気遣わし気な声をかけてくる。
 何も指示を出していないのに、本当にこの平安の太刀は、初めて会った時から無駄に聡い。
 

「うん。行こう。獅子王、屋根の上で俺を一旦下ろして」
「ん? よくわっかんねーけど、了解。でも安全確保できねえと下ろさねえからな?」
「……ん」

 不承不承ではあるが、意外に早く了承の返事(返事にしては明確ではなかったが)がもらえたことに、獅子王は安堵する。
 よし、と獅子王と薬研が気合を入れ直した。雪の積もった庭に縁側から飛び降りると、思い切り足に力を込めて飛び上がる。

 子供の視界で、景色が目まぐるしく変わる。穢れだらけの、暗い壊れた審神者部屋から、白い庭へ。次の瞬間には、本丸を一望できる、高い屋根の上へ。
 同時に、突然ケタケタ、カタカタと骨の鳴る音と、獣のような唸り声が響いた。素早く視線を周囲に投げる。見えやすい位置に審神者が来たため、一斉に、全方向から屋根の上に向かって歴史修正主義者が飛び上がってくるのが見えた。

「来るぜ! しっかりつかまってろよ!」

 空中で重力を全身に感じながら、可能な限り力強く太刀の背にしがみつくことで返事をする。
 太刀を振りかざし、瓦屋根に着地すると同時に振り下ろした。打刀で迎え撃とうとした敵は、落下の勢いが加わった斬撃を受けて、なすすべなく刀身を折れ飛ばした。

「悪いが大将には指一本触れさせねえよ!」

 屋根の上を滑るように進み、身をくねらせて速攻を仕掛けようとした苦無が一体。目敏く気づいた薬研が、高速で走り出すと真正面から肉薄し、敵の咄嗟の一撃を躱して己の刃を突き出した。
 だが、一体、二体が倒れたところで時間遡行軍の猛攻は止まらない。右も左も、前も後ろも敵だらけとなると、そうそう安全は確保できなかった。

「っ、この!」

 背中に子供をおぶる獅子王の動きは、当たり前であるが常よりも俊敏さを失っている。少年は霊符を取り出して、幾度か申し訳程度の小さな結界で壁を作り、獅子王への攻撃を防いだ。盾替わりの使い捨て結界だ。
 あまり無茶をするなとまた怒られるかと思ったが、獅子王も薬研も、注意をする余裕はないほど刃を振るい続けている。

「ぐっ!?」

 薬研の手から、本体の短刀が零れた。屋根の上で、転がっていく。
 彼の前にいるのは、脇差と短刀が一体ずつ。右手の甲をやられて血が流れ出ていたが、本体を失っても怯むことなく、すかさず短刀の方には回し蹴りを見舞って遠くへと飛ばした。
 だが、脇差の攻撃は甘んじて受ける必要がありそうだ――そのときだった。