刀剣嫌いな少年の話 拾陸

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 一緒に戦うにしても、満身創痍である少年をこのままにするわけにもいかない。まずは応急処置をすることになったのは自然な流れだが、子供の全身の怪我はどれもこれもかなり深かった。走り回るために必要な両足と、霊符を扱うために必要な利き手である右手は死守したらしく傷は浅かったが、他はどうして今も意識を保っていられるのか疑問に思うほどの重傷だ。左手首など完全に骨が折れているし、左肩は太刀による刀傷があり、肌が抉られていた。

「大将、痛覚はちゃんとあるか?」

 持っているガーゼや包帯、即席の塗り薬で処置を進めつつ、我慢できずに薬研は問うた。
 体に触れたり、姿勢を変えたりするだけで子供は呻いたので痛覚が無事なのは分かっていたが、よくペラペラと話していられるものだと思わずにはいられない。
 頭に包帯を巻いてもらった少年は、白い顔のまま言う。

「あるけど鈍いかもしれない。爺さんの術式が、まだちょっとだけど体の中に残ってるから」
「爺さん……って、前に主がいた本丸の審神者のことだよな?」

 敵が近づいてきたら即座に斬れるように、少年の応急処置が終わるまではと入口に立っている獅子王が尋ねる。
 少年は首肯する。

「あのジジイ、傷口から俺の体の中に、術式をぶち込んでて。そのおかげで普通の人間よりも回復が早いんだよ。結構消えちまってるから、血は止まらないけど。真似してやってみたのも、上手くいかなかった」

 ガーゼも当てて上から包帯を巻いているのに、血が滲んできている箇所がある。薬研は険しい顔つきのまま処置を続ける。
 対して、獅子王の隣に並び立っている陸奥守は懐かしそうに目を細め、軽く笑った。

「主の得意な技じゃけんど、しょう難しい術式になる。そうそう真似できるものではないきに」

 流し込んだ術式の主は既に他界しており、年月もかなり経っているにも関わらず「残っている」時点で、高度かつ複雑なものを使っているには違いないのだ。桁違いの霊力も込められていた何よりの証明である。

「あーそ。それもさっき教えてくれれば良かったのにな。無駄に霊力消耗した」

 じろりと子供に睨まれて、陸奥守は困ったように眉を下げるが、言い返すことはない。敵の気配を感じて、素早く振り向き部屋に向かってきた短刀を斬り伏せる。

「大所帯だな」
「そーぞにゃあ」

 獅子王が苛立ちを込めて呟き、陸奥守が同意を示す。
 ここに審神者がいると、歴史修正主義者たちもわかっているのだろう。次から次へと、太刀や脇差も集まってくる。獅子王と陸奥守は目で合図を送り合うと、刀を振るって応戦した。この部屋に一体たりとも入れる気はない。

 二人が応戦する音の中、薬研は手首に添え木をしながら包帯を巻いてくれる。
 しかし何もせずにはいられず、子供はすぐ横にいるこんのすけに問うた。

「……今、どんな状況なの。こんのすけ」
「は、はい。現在、武蔵国の審神者様と黒いこんのすけが、外からこの本丸の結界の再形成を試みています。これ以上の敵の増援は来ないものと考えてよろしいかと……」
「武蔵国……ああ、俺が連絡とったあの人か」

 大和守を保護したと思われる審神者。
 そうか、そんな人も力を貸してくれてるのかと、少年は何とも言えない気持ちで頷く。

「はい。……主様」
「何」
「大和守安定様も、ちゃんとおりましたよ」

 少年が双眸を丸くする。それから、安堵したように表情を和らげた。
 あーそ、とまた素っ気なく答えられるが、いつものような突き放す物言いではなく、色々な思いが込められた相槌だ。――が、次の瞬間、はっと子供が息を呑んだ。

「大将!?」

 立ち上がろうとした少年が、顔をゆがめて再び崩れる。やはり、先ほどまでよりも痛みが強い。こうしている間にも体内の術式は消えていき、本来の体に戻ろうとしていることが分かった。
 声にならない呻き声をあげている少年を支えながら、薬研は叱責する。

「無理するな! 大怪我なんだぞ!」
「多分、誰かが怪我した……っ! 行かねえと……!」

 感覚的なものだが、周囲で揺蕩っている〝糸〟。その一つが、緊張したように震えたのだ。何かあったのだと察して、不安な思いが少年の心臓を激しく脈打たせた。

「落ち着け大将! 戦ってるんだ、怪我くらい誰でもある! みんなを信じろ! それに今のあんたには手入れできるだけの霊力は残っていない!」
「残ってなくてもやるしかないだろ! 俺にはそれしかできねえんだから!!」
「あの、主様!!」

 慌てて声を張り上げたこんのすけが進み出る。少年の膝に前足を当てた。

「このこんのすけの霊力を、お使いください!」

 ――出し抜けに、そんなことを言い出すものだから驚いた。思わずぽかんとして見返す。
 だが、すぐに合点がいった様子で少年は半眼を向けた。式神が自らの霊力を差し出すことを思いつく変わり者は、一人しかいない。

「……クロの入れ知恵?」
「違います!」

 間髪入れずにまた否定が返ってきた。

「とても、とても意気地なしで、全て主様にずっとお任せしてしまっておりましたが、それはやめます! こんのすけにも、本丸を救うお手伝いをさせてください!」

 早口でまくしたて、管狐の前足から、ほわりと淡い光が零れだす。少年が了承も拒否も、どちらの意を示す隙も与えずに式神の霊力を流し込み始めた。

 本来ならば、こんのすけは審神者に対して政府からの連絡であるとか、出陣先での時間遡行軍の動向や、改竄傾向にある歴史の検知といった、非常に事務的な役割しか果たさない。油揚げを与えられれば喜ぶが、それ以外は非常に簡潔なものだ。近づきすぎず、遠くなりすぎず、そんな中立の立場を守る。

「この本丸の担当は、このこんのすけです! あのこんのすけでは、ございません!」

 管狐の円らな瞳には、強い意志が宿っていた。
 あの日、結界に霊力を注ぎ込むクロと、同じ目だった。

(……クロは……)

 脳裏に過るのは、押し入れの中でのこと。自分に叩かれても耳を引っ張られても、張った結界に霊力を注ぐことを絶対にやめなかった、黒いこんのすけの姿。
 どうしようもないほど悲し気な目であったことは覚えているが、確かにそこには強い意志も宿っていた。自分を押し入れの外に出さないと決めている顔で、少年にとってはこの上なく腹立たしく、憎しみすら芽生えさせた。

 当時、クロも護りたい一心であったことに気づく余裕はなかった。
 

 考えている間に、僅かだが体が軽い感覚を得る。肉体的な体力の消耗による怠さはどうしようもないが、霊力の消耗が原因である方が改善されたのだ。
 こんのすけは息を荒げながらも前足を下ろす。
 少年を見上げ、また、言葉を紡ぐ。

「可能な限り補填しました。この後は、本丸の〝外〟に戻って、審神者様、黒いこんのすけと共に、本丸の結界の再構成に回ります! 主様、皆様! どうか、ご武運を!!」

 その場でこんのすけは高く跳ねると、くるりと体を回転させたかと思えば、ドロンと煙を残して消え失せた。
 言いたいことだけ言って、子供には意見を一切言わせない。
 もしかしたら、こんのすけなりのささやかな反抗だったのかもしれなかった。何故なら、少年はずっと、この本丸に来てからこんのすけに耳をほとんど貸さなかった。何を言われようと、否定で返してきたのだ。やむなく頼み事があるときだけ、一方的に頼んできた。身勝手であったが、少年自身はそれでいいと思っていた。

 嘗てクロとしていたように、ざっくばらんに楽しく会話をして、僅かでも幸せを感じることすら罪だと思っていたから。

「……」

 少年は己の掌を見つめた。感じられる霊力は、馴染みがない。初めてこんのすけに注ぎ足されたのだから当たり前で、自分自身と素質が違うものが体に入り込んだことにより、倦怠感が軽減されても、気分が悪かった。その気分の悪さを凌駕するほどの、とある感情。胸の奥が詰まって、息が苦しい。

「坊」

 戸口の方から、声がかかる。
 緩慢な動きで、そちらに視線をやった。

「……刀剣男士も、審神者も、こんのすけも、皆が本丸を護りたいと思いゆう」

 刀を携えた陸奥守が、少年を振り向いた。
 悲しく辛い、でも強い顔をしている。

「あの日も、初めから命を捨てよう思うて戦っちょった奴はおらんが、あの時、どう考えても坊は戦力にはならんかった。坊を隠しても、隠さなくても、あの本丸の顛末は変わらんかったがよ。ただ、坊の命が助かるか、助からんかだけじゃ」
「……」
「けんど、今は違うろう」

 呼ばれたわしには分かる、と陸奥守は目元を緩めて笑った。

「坊。強うなったの。そして、この本丸の刀剣も……坊の想いに応えようとしゆう」
「……。……」
「信じちゃれ。ここにおるがは、おんしの刀剣男士ぜよ」

 少年はゆっくりと息を吸って、吐いた。周囲をぐるりと見回し、散乱した折れた刀剣に眉根を寄せるも、隣の薬研を肘でつつく。

「薬研、ちょっとこの辺の刀剣、退かして」
「……大将? 何を……」
「退かして」

 短く命じられて、薬研は首を傾げつつ近くになった刀の破片を手で退かす。
 少年はよろよろと立ち上がり、自身の体についている己の血を使って、畳の上に手早く小さな円と簡単な文様を描いた。

 怪訝そうにこちらを見ていた獅子王に、子供が声を掛ける。

「獅子王、こっち来て」
「主?」
「早く」

 部屋の前にやってくる敵勢を陸奥守に任せて、小走りで部屋の中に戻る。
 すると、子供は目の前にきた獅子王に、円の中に座って刀を差し出すよう促した。言うとおりにする金髪の太刀の前で、少年は血で描いた円に指を触れると、そこから霊力を注ぎ込む。円は光を放ち、ゆっくりと太刀に流れ込み、傷ついた刃が修復されていく。

「……! すげ……!?」
「……こんのすけが俺に霊力を分けてくれたおかげ。大丈夫。使いこなせる、これ」

 治癒の紋を血で描いたのも、全く使ったことがないこんのすけの霊力を使って発動したのも初めてだ。だが、問題なく治癒の紋は働いた。ここにもし霊符の補助があれば、簡単な文様を描くのは省略し、もっと早く、もっと質の良い修復が施されるはずだ。
 ……前の本丸で、「治癒の結界を張ることができるから一緒に戦わせてくれ」と吠えた己を思い返す。
 冷静な今の頭なら分かる。

 あのときの自分に、緊急事態の中で、こんな風に治癒の結界を張る実力はなかった。誰かの霊力を混ぜて使うようなことがなくても、自前のものだけではきっとどうにもならなかった。
 一緒に戦ったとして、死にゆくだけだった。

 ――でも、陸奥守の言った通り。
 ――今は、違う。

「陸奥。頼みがある」
「何でも言うてみい」

 こちらを見ずに答えた陸奥守が、拳銃を構えた。素早い動きで近づいてきた敵脇差に向けられた銃口が、火を噴く。
 苦し気な呻き声をあげて消え失せる脇差の後ろから、続けて短刀が飛びかかってくるが、それも冷静に対処して見せる陸奥守の動きに、獅子王と薬研は内心で舌を巻く。

「ここの部屋の守り、陸奥に任せていい? お前ならできるだろ」
「おぉ!? いきなり責任重大じゃあ!」

 懐に飛び込んできた苦無に打刀を振り下ろし、昏倒させたところを回し蹴りで屠った陸奥守が呵々大笑する。

「わしに任せちょけ! この部屋の刀剣男士は、ぜーんぶわしが護っちゃるきのう!!」

 まるで舞いを踊るかの如く、対峙していた敵をひとまず全員倒した陸奥守が軽やかに振り向き、ぐっと力瘤を作るように腕を曲げて見せた。
 それを笑ったりはせず、少年は信頼に満ちた頷きを返す。
 

「獅子王、薬研。二人は一緒に来て。なんとなくだけど刀剣の場所、分かる気がするから」
「あ、ああ……」
「待て、大将。あんたが歩き回るには、ちょいと無理があるぜ」

 む、と子供に眉間に皺が寄る。

「ここで待ってるのは嫌だ」
「分かってる、置いていく気はない。だが……」
「じゃあどうするんだよ。別に俺は動けるから、気にしな」
「俺が背負うよ」

 不満そうに言葉を言い募ろうとした言葉を、半ばで切った。驚いた表情で少年が獅子王を見上げると、獅子王は己の肩に乗っている鵺に声を掛けた。鵺は何も疑問を持たずにすんなりと畳の上に降り立つと、ごそごそと動き出したかと思えば、陸奥守の方へと移動していく。
 これには主人の彼も眉を上げて見せたが、鵺は陸奥守の肩によじ登って落ち着いた。
 音がしそうなほどはっきり、陸奥守は双眸を瞬かせてから笑う。

「鵺はわしに加勢してくれる言いゆう! 獅子王、鵺を借りてもえいが?」
「え、いいけど……大丈夫か? 邪魔じゃねえ? 陸奥守に押し付けたつもりはなかったんだけどなぁ……」
「まっはは! むしろ、心強い限りぜよ。のう、鵺!」

 鵺の鋭い目は、何を語っているのかは分からない。だが、陸奥守から降りる素振りを見せない辺り、金髪の刀剣男士の肩に戻る気はないらしい。
 陸奥守が良いのならと、鵺の収まる場所に納得した獅子王は、太刀を鞘におさめて、がら空きになった背中を子供の方に向けてしゃがんだ。

「乗ってくれ、主」
「……いや、でも」
「俺が主の足になる。振り落とされねえようにな?」

 片手の骨が折れている子供が、動き回る刀剣男士の背中に乗るのは些か心配ではある。しかし置いていくわけにはいかない手前、他に方法はなかった。薬研の背中など、子供より広いとはいえ体格がそこまで大きく変わりはしないので無茶であった。
 これではやはり足手纏いになってしまうのではないか、と逡巡する子供に、獅子王はもう一度声を掛ける。

「大丈夫。主」
「……分かった」

 少年が背中に乗ると、首に手を回してしっかりとしがみついた。

「よし! 行こうぜ、主! 薬研!」
「ああ!」

 気合を入れて獅子王が立ち上がり、薬研はたくましく答えた。
 三人は部屋の外へと向かう。

「陸奥、頼んだから!」
「分かっちゅう! 坊も無理しなちや!」

 首だけ振り向かせて叫んだ少年に、陸奥守は親指を立てて見せた。
 廊下に出ると同時に、獅子王と薬研が足に力を込め、勢いよく走り出す。前に敵が現れるが、すかさず薬研が前へと出て、短刀を構えた。鋭い斬撃を与え、獅子王がその後ろを追いかける形で猛進していく。
 あっという間に遠くなる背中を見届けてから、陸奥守は片手で鵺の頭をよしよしと撫ぜた。

「ふう……。……さて。責任重大ぜよ、これは」

 部屋の中に散乱した折れた刀は、何度見ても痛々しい。これを、全て清めていた子供の心はいかほどに乱れたのだろう。

「絶対に守り抜かにゃならん、が……命に代えてもとは言うちゃあいかんのう」

 言いたいことは山ほどあったが、最期の主命は心に深く刻まれている。

〝坊主を任せる。陸奥〟

 任せられたからには、絶対に折れることなどできない。子供が護ってくれと願った場所を、まずは死守する。

 壁を突き破り、あるいは床板を破壊し、現れる。また、真正面からも再び、敵が迫ってくる。
 少年も獅子王も薬研もここを離れ、いるのは陸奥守と折れた刀剣のみだというのにも関わらず、敵は多勢だ。――ただし、先ほどからどの敵も、軽傷未満や軽傷、中傷といった差はあれど、手負いである。

「……まっこと、しわい連中じゃのう、おんしゃら」

 知っちゅうよ。忘れるわけがない。おんしゃらのその、ぞうくそが悪い気配を。

 陸奥守は、群がる敵を睥睨した。鵺も、彼の全身から膨れ上がる殺気に触発されたのか、肩で唸り声をあげる。

 西暦二二〇五年から始まった、歴史改変を目論む「歴史修正主義者」による過去への攻撃。審神者と刀剣男士の役割は、その歴史修正主義者による歴史改変を阻止すること。
 当然、歴史修正主義者も考え無しに動いているわけではなく、対策を練るのが道理。だからこそ、本丸への襲撃といった前代未聞の動きが起きたと言える。敵は、審神者と刀剣男士が自分たちの策略を邪魔する存在であることを、明確に認識している。

「今度も同じように攻め落とせる思うたら、大間違いぜよ」

 前のあの本丸は、突然の時間遡行軍の急襲を受け、壊滅した。優秀な審神者がいて、良い戦績を持ち、練度の高い刀剣男士たちが多く顕現されていたから、標的になったのだろう。
 そして、まだ幼いとはいえ、後に脅威になるであろう天才児がいることも分かっていた。類稀なる才能を持つ子供だ。敵も必死になる。だが、あの場では審神者の強力な結界によって、子供は隠され、生き永らえた。政府に救出された後は、強固な施設の中でずっと過ごしていた。

 歴史修正主義者は、時間を飛べる。
 子供の霊力を探り、感知し、追ってきたのだ。そして、外に捨てられていた折れた刀剣を使って結界を破壊し、敵は現れた。――子供が全てを失った日から、そのまま、今この本丸に。

 彼らの負っている傷は、あのとき、あの本丸で、あそこにいた刀剣男士たちに、つけられたものだ。

(流石に、坊は気づいちゃあせんろう)

 歴史修正主義者から迸る気配や神気、霊力といったものは、刀剣男士から感じられるものよりも分かりにくい。だから、前に遭遇していて討ち漏らしていた相手と再び相見えたところで、気づくことはほとんどない。それで良い。きっと知ったら、少年は冷静ではいられなくなる。
 だが、陸奥守は違った。
 刀を水平に構える。交差させるように拳銃を構え、引き金に指を添える。

「仲間を。坊の家族を。――わしの主を、殺したこと」

 失われた本丸の〝始まりの一振り〟は、吼えた。

「地獄の底で後悔せえよ!! 時間遡行軍!!!」

 ――銃声と、剣戟が、響き渡った。