刀剣嫌いな少年の話 拾陸

 ……だと言うのに。
 目の前に立つ刀剣男士――少年と獅子王のそれぞれに襲い掛かっていた歴史修正主義者を屠った彼は、間違いなく、あの陸奥守吉行だ。

「……久しぶりじゃのお。坊」

 少年を見下ろし、切なげにオレンジ色の瞳を細めた。懐かしんでいるには少し痛みが混ざった、微妙な表情を浮かべるのは、少年が血塗れだからだろうか。
 横から慌てて獅子王が走り寄ってきた。片手で小さな肩を掴む。

「主! 大丈夫か!?」
「……平気……」

 ぽつ、と答えたのに、獅子王が息を吐く。会話が可能なだけで安堵した。不意打ちでやむを得なかったとはいえ、鵺だけでは少年を助けるには至らない相手だったのだ。
 命の恩人である陸奥守に、視線を投げる。

「悪い、助かったぜ。えっと……陸奥守吉行、だよな?」
「そうじゃ。初めまして、獅子王。その口ぶりやと、〝陸奥守吉行〟のことは知っちゅうがか?」
「ああ、一応……けど……」

 獅子王の知る陸奥守吉行は、かなり前に人としてどころか、刀としての姿すら失っている。
 言いにくそうに視線を彷徨わせる太刀に、陸奥守はニッと笑みを浮かべて軽く手を振った。

「えい、えい。察したちや、無理に話さんでかまん。それに、今はそがな話をしゆう場合じゃないがやろ」
「あと、こいつにそんな気配りしなくていい、獅子王」

 底冷えした声が響く。
 顔を上げた少年が、心底嫌そうに陸奥守を見上げる。

「……今更でも、出てきてくれて助かった。それだけは、ありがとう」

 刀剣男士に優しさが見え隠れする言い方をしていた子供にしては、ひどく刺々しいお礼の言い方だった。
 だが、陸奥守は気分を害した風ではなく頷く。

「ああ。おまんの言うとおり、今更じゃけんど……間に合うて良かった」
「脇腹、大丈夫?」
「なんちゃあない」

 少年に指摘されて、そっと彼は脇腹を抑えた。元々傷があるが、それとは別の真新しい傷が増えており、血が滲んでいる。先ほど、襲い掛かってきた槍の攻撃を鞘に受けたからだった。だが、問題なのは陸奥守ではなかった。

(いかんのは、坊の方じゃ)

 先ほど、平気と宣った子供の体は小刻みに震えており、顔色もかなり白い。血を流しすぎている。まだ前の審神者に込められた術式が少々残っているおかげか、本来よりは出血量が少なく済んでいるようだが、それでもこの有様だ。呼吸音もずっと短い。意識が飛んでいてもおかしくない状態だ。
 少年の体を支えるように隣にいる獅子王も、険しい顔つきだった。子供の傷が深手だと理解しているのだろう。心配で銀色の瞳が揺れている。

「……お前らさ、その顔、やめてくんない?」

 二人の顔を見回し、少年が顔を顰める。
 そのとき、喉の奥で鳴るような、唸り声が聞こえてきた。はっとして、彼らが戸口を見ると、笠を被り、打刀を構えた歴史修正主義者が一体、立っている。空虚だった目に、妖しい赤い光が灯り、攻撃的な意思をこちらに向けてくる。
 咄嗟に、獅子王と陸奥守が腰を浮かせた。

 ――途端、

「!?」

 突如、どん、と下から突き上げるような感覚があった。本丸全体に響いた音だ。
 驚いて子供は息を呑み、獅子王と陸奥守も目を見開く。
 呆けた彼らが隙だらけだと、敵の口元に笑みが形作られた。歴史修正主義者は、部屋の中へ飛び込もうと足に力を込めた。

 が、

「ずえりゃああ!!!」
 

 低く響く大音声と共に、敵が大きく前にのめった。顔が歪んでいる。
 敵の背後から、まるで弾丸のようなスピードで全力で飛び込んできた小柄な男。敵の背に深々と埋められた太く分厚い刃を容赦なく引き抜くと、血飛沫が舞い上がった。

「柄まで通ったぞ!!」

 ――薬研、と。

 無意識に、少年が呟く。その目の前で、短刀による一撃を受けた歴史修正主義者が、倒れ伏して霧散していった。
 その先には、薬研藤四郎が立っていた。肩には、こんのすけが乗っている。どちらも、頭から敵の血を浴びてしまったため顔が汚れていたが、無傷のようだ。薬研は袖で鬱陶しそうに拭いつつ、短刀を収めてから駆け寄ってくる。

「大将、獅子王!」
「主様!」
「薬研! それにこんのすけも! よかった、来られたんだな!」
「嗚呼。少し遅れたが、あの審神者がこじ開けてくれた。全員転送に成功したはずだぜ」

 前に屈んできた薬研を見て、子供の幼い顔が青ざめる。直視できずに俯いた。
 先ほどの本丸を揺らすような衝撃と同時に、感覚的に嫌でも気が付いていた。獅子王が現れたときのように、問答無用で固く結ばれるわけではない。しかし、周囲に沢山の〝糸〟が、少年から手を伸ばすことを待つように揺蕩っているのを感じるのだ。
 せっかく逃がしたはずの、この本丸から離れれば折れる危険はないと踏んでいたはずの刀剣男士たちの気配は、近くにある。

「坊、ゆっくり呼吸しとおせ」
「うるさい」

 どくどくと心臓の音がうるさい。耳の奥に蘇るのは、次から次へと折れていく刀の音。
 肩に添えられる陸奥守の手を乱暴に振り払い、もう一度を顔を上げ――

 ――パンッ!!

「薬研様!?」

 出し抜けに少年の頬を、薬研が平手打ちした。
 こんのすけがぎょっとして声を上げた。陸奥守も、驚いた様子で目を丸くしていた。あまりに咄嗟のことで獅子王も固まった後、慌てた様子で口を開く。

「や、薬研!? 何やってんだよ!? 主、今は怪我して……」
「獅子王の旦那だって殴りたかっただろ。拳じゃないだけ加減したと思ってもらいたいもんだな。それに、大将がしてる怪我は自業自得だ」

 冷ややかに述べ、子供の顔を藤色の瞳に映す。

「俺たちが一緒に本丸に残っていれば、あんたはここまで酷い怪我を負わずに済んだ。なのにあんたは俺たちを本丸から追い出した。刀剣男士を嫌いだって言って、俺たちを護るために、一緒に戦わせてもくれない。……大将、あんたは……」

 医療に明るい刀剣男士の彼だからこそ、一目で少年の傷の重さを理解した。同時にどうしようもない怒りと、やるせなさが込み上げる。ぐっと、眉間に力を込めた薬研が唇を噛み締める。「薬研藤四郎」は、守り刀なのだ。
 少年は目を瞠った。――薬研の目には、涙の膜が張っている。
 彼自身も自覚があったのか、深く俯いた。手を伸ばし、先ほど平手打ちした子供の頬に手を触れる。

「……あんたは一緒に戦わせてもらえない辛さを誰よりも知ってるはずだろ……!」

 優しく撫でながら、絞り出すように紡がれた言葉は、微かに震えていた。

(どうして、お前がそれを)

 一緒に戦いたいと言ったのに、嘘をつかれて、無理矢理声も奪われて押し入れに隠されたときの無力さを、生々しく思い出す。
 すると、駆け寄ってきた管狐が、悲し気に耳を垂らしながらも、すぐに首を振って耳を立てた。

「黒いこんのすけから聞きました。前の本丸の審神者様のこと、主様のこと、全部」
「……、……え?」
「全ての話を聞いて、我々はここに戻ることを決めたのです!」
「……え、何? 意味わかんないんだけど」
「あなたと、生きる道を選んだと言うことです!!」
「……???」

 畳みかけるように言われても、有り得ない、と思う。
 あの本丸で起きた出来事を聞いたのなら、尚更こんなところに戻ってくるわけがない。自分が無力なせいで刀剣男士たちが皆折れてしまった話を聞いたうえで、わざわざ戻ってくる理由が分からなかった。
 全ての刀剣男士が折れる。その最悪な事態が再度起ころうとしている場所に、何故自ら戻ってくる必要がある?
 

「主。俺たちが戻ってきたのは、ここで折れるためでも、主を助けるためでもねえよ」

 獅子王も薬研の隣に来ると、少年の顔を覗き込んだ。
 八重歯を見せながら笑う。

「一緒に戦って、取り戻すために戻ってきたんだ」

 は……?
 顔を顰めて、怪訝そうに問い返そうとする少年の言葉にかぶせるように、「だってさー」と獅子王はわざとらしく難しい顔をして首をひねった。

「俺、主とやってみたいことたくさんあるんだぜ? 主が決めた編成で演練にも出てみてえし、もっと笑ってる主が見たいから一緒に色んなことやってみたいし。今までやったことねえけど、飯を楽しめる体なんだって気づいたから、色々一緒にお八つも食べてみたいんだよなー。あ! それから遊びも! 前に秋田たちと主もかくれんぼやってただろ? 本丸は広いし、いっそ全員でかくれんぼとかもやってみたくねえ? あ、そうなったら鬼は二人な!」
「――っ、獅子王、お前、」
「主」

 声のトーンが下がり、ふざけた調子から一転、真剣みを帯びた声音になる。
 また、少年は言葉を飲み込んだ。

「俺たちは、主も含めたみんなで生きたい。絶対にこの戦いで折れたりしねえ。だからもう遠ざけないでくれ」

 子供の膝の上で、固く握られている右手をを取り、両手で包むようにして握る。
 整然と並べられていたはずの折れた刀は無茶苦茶に散乱している部屋の中で、襖は倒れ、畳には沢山の血の跡がある。獅子王や薬研、陸奥守が屠った敵から流れ出たものもあるだろうが、酷い惨状だ。この部屋に穢れが残らないように、少年は気を付けていたのに。
 さらに、子供のあまりに悲惨な様相に、どれだけ一人で苦戦を強いられていたかを察するなという方が無理があった。

 それでも、少年だけを逃がしたりなど、絶対にしないと決めていた。

「主。一緒に戦おう」

 少年が前にいた本丸を悪いとは言わない。獅子王とて、この審神者を護るために可能なら先に逃がしておきたいと思う。だが、一方的に逃がされた身からすると、冗談じゃなかった。
 だから、一緒に奪われそうになった未来を取り戻すと誓って、ここに戻ってきたのだ。

 金髪の太刀の言葉を受けて、少年の目が見開かれた。
 少年が引継ぎの審神者だと言ってやってきてから、一番長く傍にいた獅子王も、初めて見る顔をしていた。灰色の大きな目の奥に、はっきりと、光が灯ったような。
 子供は深く俯いてしまった。まだ迷っている様子だ。緩く首を振ってるが、獅子王に握られている右手を、振り払う様子はない。――小さな肩がゆっくりと上下する。深呼吸をしたらしい。
 かすれた声で、紡がれる。

「……俺は絶対に逃げねえぞ」
「うん」

 獅子王が頷く。

「守られるだけなんて、嫌だ」
「そうだな」

 薬研が頷く。

「……俺も、お前らを守りたい」
「知ってるよ」

 獅子王が嬉しそうに笑う。

「誰にも、折れてほしくねえ」
「分かってるぜ」

 薬研が呆れた様に笑う。

「獅子王」
「うん?」
「薬研」
「何だ?」

 顔を上げた子供は、獅子王と薬研を見つめ、一瞬躊躇ったように唇をもたつかせたが、意を決したように開いた。

「一緒に、戦って……いいの?」

 ――幼い、言葉だった。虚勢も、意地もなく、ただただ問いかけてくる。初めて、素の少年が口を聞いたような感覚がした。

 たった一言であったが、普段から少年がどれだけ自分自身を押し殺して会話をしていたのかが分かる。
 迷う素振りもなく、獅子王と薬研が答えた。

「そのために戻ってきたんだって言っただろ」
「俺たちは、あんたの刀だからな」

 はあっ、と息を瞬時に吸い込んだ子供の双眸はさらに大きく丸くなる。それから泣きそうに歪むが、堪えるように唇を真一文字に引き結んで目を瞑った。
 ほんのわずかな静寂の中、本丸の各所から響く剣戟の音が彼らの耳に届く。既に、本丸へ帰還を果たした他の刀剣男士たちが、歴史修正主義者との戦闘を開始しているのだ。

 子供は、改めて顔を上げた。
 泣く気配もない、強い表情だ。そこに、迷いはない。
 そして、大きくはっきりと頷いた。