刀剣嫌いな少年の話 拾陸
『おー! ひょっと、おんしゃあが噂の〝坊〟か!?』
大きな声を聞いて、子供は体を震わせた。
慌てて周囲を見回し、傍の空き部屋に入り込むと、そっと顔だけ廊下に出した。向かいから歩いてきた刀剣男士は、長い襟足を揺らしながら片手を軽く挙げている。
しかし、子供の様子に、あっ、と双眸を丸くしてから手を下ろした。そのまま顎を触り、考える仕草をする。
『んん、そうか。初対面やき、仕方ないのう』
無理に距離を詰めるのは良くないと踏んだか、彼はその場で膝をつくと、四つん這いになってじりじりと少年に近づく。
目の高さが低くなったおかげで、彼からの圧はかなり薄くなっていた。
『わしは、陸奥守吉行じゃ。しばらく遠征で留守にしちょった。主から何か聞いちゃあせんか?』
むつのかみ、と小さな唇が動く。
『……爺さんの、最初の刀……的な……うるさい何か……』
『ぶはっ』
たまらず噴き出した陸奥守は、歯を見せて大笑いした。
ますます怯える少年に、すまんすまんと詫びを入れながらどうにか笑いを噛み殺す。
『いや、いや、すまん。主らしい紹介をされたもんじゃと笑ってまった。確かに、わしは本来の〝はじまりの刀〟とはちっくと違う。けんど、そりゃあこの本丸の成り立ちも、主も、どっちも特殊やき、それだけのことぜよ。あとは、普通の本丸と何ちゃあ変わりゃあせん』
手が届く距離まで這ってくると、幼い顔を覗き込むようにしながら陸奥守は目を細めた。先までの快活な笑い方とは異なる、優しい微笑だ。
少年はある程度腰が引けていたが、大きく後ろへ下がってしまうようなことはないのも、その微笑のおかげなのかもしれなかった。伸びてきた掌が、ぽすんと頭に乗る。
陸奥守から感じられる神気は、初めてのもの。
だが、混じっている霊力は、とても安心ができるもの――あの審神者のものだった。
『遠征中、鳩を通じて坊の話は聞いちゅう。大変じゃったのお。これからは、ここがおんしの家じゃと思ってえい。宜しく頼むぜよ!』
眩しくて優しい刀。
それが第一印象で、本丸で過ごす間、焼き付いた印象が崩れ去ることはなく、少年は彼に懐いた。懐きすぎて、「俺の言う事は聞かねえくせに」と審神者はよく苦い顔をしていた。
そんな刀を信じられなくなったのは、全てを失うことになったあの日。
いつの間にか顕現が解かれ、打刀の姿となって、審神者から渡されてからだった。
――爺さん!!! みんな!!!
少年の口から声が出ず、黒いこんのすけのせいで結界も壊せない。
自力ではどうにもならないと気づいたとき、手元にある打刀を握りしめて、霊力をこれでもかと言うほど込めて、音にならない声で少年は叫んだ。
――助けて!! みんなを助けて!!!
きっと彼なら、この絶望を壊してくれる。
そう、信じていた。
――陸奥!!!!
そして、あのとき陸奥守吉行は、少年の心の声に一切、応じなかった。