刀剣嫌いな少年の話 拾伍

   ***

 何言ってんだこいつ。

 本気でそう思った。ただいま? この本丸に? は?

 ……は???

「どうして……どうやって、なんで戻ってきた!!?」
「あ~~~絶対言われると思ったー!! でも先にこっちな!」

 
 獅子王は眉を垂らしながらも言い放ち、刀を持ち上げる。部屋の中にいる歴史修正主義者の数に対して、牽制するように切っ先を向けた。
 明朗快活ないつもの雰囲気から一変して、太刀から迸っているのは、明確な殺気と、怒り。揺らめく金髪が、獣の逆立てる毛に見える。

「……よくも主をこんな目に遭わせやがったな。噛みつくだけじゃ許さねえぞ、お前ら」
 

 低い声。本気で怒っているとすぐわかった。

「こっからは俺が相手だ! かかってこい!」

 獅子王が叫ぶと、歴史修正主義者たちは目を怒らせて妖しい光を放ちながら、雄叫びをあげて襲い掛かってきた。
 最初に飛び込んできたのは、烏帽子を被った骸骨の姿をとる歴史修正主義者。携えているのは、太刀。真っ向からそれを受け止め、派手な剣戟を響かせた。
 金髪の刀剣男士の口元が不敵に歪み、八重歯を見せて挑発的な笑みを浮かべる。

「お前ら、バテてんの? そんなに打ち込むのに必死になるなよ」

 敵太刀の口が半開きになり、かすかだが驚きの色が浮かぶ。しかし、相手が動くよりも早く、獅子王の上がった足が相手の腹にめり込んだ。
 体勢を崩した相手の前で、刀を上段に構え、一言。

「隙だらけだぜ!」

 炸裂した、唐竹割の一撃。
 太刀を構えた敵は呻き声をあげながら消滅していくが、息を吐く間もなく、歴史修正主義者が太刀や打刀を持って何体も入ってくる。
 これに、獅子王は全く怯まずに的確に敵の急所を切り裂いて、見たことのない身のこなしで歴史修正主義者を屠っていく。
 目の前の敵を斬り伏せると同時に頭を下げ、頭上を刃が過ぎ去っていくのを見届ける。そして、今度は下から飛び上がりつつ斬り上げて、倒す。

 獅子王が一瞬反応が遅れたりすると、肩に乗っている鵺が激しく嘶いた。黒い獣の〝声〟に時間遡行軍はたじろぎ、その隙に刃を突き立てた。

 俺が口をはさむ余裕もないほど、無駄のない戦い方をしていた獅子王だったが、倒した数が十体に到達したあたりで、頬を伝う汗を手の甲で拭った。
 疲労が、蓄積している。

「死にてえ奴からかかってこい! 獅子王様が相手になるぜ!」

 威勢のいいことを言っているが、敵も決して弱くはない。それに、室内だというだけで、太刀である獅子王は普段よりも戦い方に制限をかけられているような状態だ。太刀を振るうには、この空間は狭すぎて、分が悪い。余計な神経も使っていることだろう。肩で息をするようになってきて、鵺が嘶く回数も増えてきた。その分、敵も鵺の嘶きに慣れてきてしまっている。
 また、二体の歴史修正主義者、打刀と短刀が一緒になって襲い掛かってきた。獅子王はすぐに刀を構えなおし、振るわれてきた打刀を受け止める。鍔迫り合いになりかけた途端に、彼の腕を短刀が抉ろうとした。
 獅子王としては、疲労を考えてもまとめて相手にするのは無理だと踏んだのだろう。その程度の傷を受けることは承知の上で、打刀の方を優先し、全力で前へと踏み込み、刃を繰り出したことは、見ていて分かった。

 だが、俺は、見過ごせない。

「くっそ……!!」

 立ち上がって、獅子王のすぐ横に飛び出した。
 最後の霊符を取り出して、翳すと同時に霊力を一気に注ぎ込む。

「主!!」
「うるっさい!!」

 主じゃねえっつってんだろ、まで言う余裕はさすがにない。せめて伝われ。
 小規模の結界を生み出せば、獅子王の腕に狙いを定めていた短刀の刃ははじき返された。何を映しているのかわからない、黒い空洞の目が不愉快そうに一瞬、光る。

「うっ……ぇ……!」

 容赦なしに勢いよく霊力を注ぎ込んだことで、何かがせりあがってくる。
 結界が壊れ去る音を聞きながらも立っていられず膝をついた。袖で口を抑えたが、鼻と口から血が流れ出てくるのを止められない。

「主っ!!!」

 今度は返事ができない。血で喉が塞がる。
 頭上で、激しい金属音と、肉と骨を断つ音が鳴った。直後、短い間隔で刀が交わる音がして、獣のような、人には発し難い苦悶の声が聞こえた。歴史修正主義者の声だろう。視界にある畳に、新しい血が飛び散ったのが見える。
 禍々しい気配が、薄れる。
 敵を倒したらしい獅子王が、背中に手を添えてきた。

「主。悪い、無理させて。助けてくれてありがとな」 
「っ……獅子王……」

 どうにか顔を上げる。
 獅子王を見上げると、そいつはひどく痛そうに表情をゆがめた。血まみれの俺を見てそういう顔をしてるんだろうが……俺も、危うく、泣きそうになった。
 獅子王の頬に、見慣れない赤い線。

 こいつ、怪我してる。

「お前っ……今斬られて……!」
「一撃貰っちまっただけだって。軽傷だよ。そんなことより……」
「〝そんなこと〟じゃないっ」

 叫びかけて、また噎せた。蹲って呻くと、獅子王がしつこく背中を撫でてくれる。いやそこも怪我してるから正直、それはそれで痛いけど。だめだ、全身が痛すぎて、しんどい。持ってた呪符も使い切っちゃったから、いよいよ俺無力だぞ……。
 ひゅー、ひゅー、と変な息の漏れ方がすると思いながらも、言葉を紡ぐ。

「本当に……どうやって……戻ってきたんだよ……」

 本丸にアクセスブロックかけてたはずだぞ。

「……全部済んだら教えるよ」

 眉根を寄せた獅子王は、気のせいでなければ怒っていた。でも、すぐに表情を改めて、心配そうに眉を垂らす。

「それより、まずは主の怪我、応急処置しねえと……ええと、ああ、まだ俺しか戻ってこれてなくて。薬研がいればまともな処置できる気がするんだけど」

 待てお前。今まだっつった? え、獅子王以外も戻ってきちまうの?
 思い切りそう突っ込みたいのに、上手く声が出てこない。喉で、どうしても血が引っかかる。――声が出ない理由は全く違うのに、嫌な記憶がよみがえる。

 体が震えだして、やばいと思った。頭の中に、過去の映像がすごい勢いで浮かび上がってくる。

 厠に行こうとしていた最中に響いた轟音と、廊下の先に見えた時間遡行軍の光。
 間に飛び込んできた、獅子王と薬研。
 審神者部屋に行く途中で助けてくれた、鶴爺と五虎退。
 俺の喉を斬り付けた今剣と、その喉から術を仕込んだクソジジイ。
 押し入れに突っ込まれて、結界の中に閉じ込められた俺に向けて別れの挨拶をする三日月、次郎、厚。
 泣きながら、震えながら、結界に霊力を込めて俺を護った、クロ。

 暗闇の中で聞いた、剣戟と、様々な絶望の声と、誰かが倒れる音。

 その間も、俺は、声を出せずに――

「主」

 手を握られて、獅子王を見つめ返すと、銀色の瞳が真っ直ぐに俺に注がれている。

「大丈夫だよ。絶対に俺が――」

 ――ガタァアン!!

「!!?」

 響いた声に、獅子王と俺は揃ってそちらに顔を向けた。
 開け放たれていた襖が倒されている。本来よりも広くなった部屋の入口に立っているのは――真っ赤な光を灯した、脇差を携えている歴史修正主義者が、二体。

 獅子王が慌てて刀を握りなおしたが、目にも止まらないスピードで脇差は飛びかかってきた。

「ぐあっ!?」

 構えられた黒い太刀に向けて振るわれた脇差に、獅子王の体が飛び、部屋の壁に叩きつけられる。壁にひびが走り、ずる、と獅子王がへたり込んだ。一体の脇差が、追撃の手を緩めずに猛進する。
 心臓が止まりそうになった。

「獅子王っ!!」

 しかし、駆け寄ろうとした俺の前に片方の脇差が立ちはだかり、得物を振るってくる。後ろに跳ねて躱そうとしたが、足元がふらついて尻もちをついた。それでも後ろに下がったことに変わりはないので一撃は躱すことができたが、座り込んだこの場面が好機とばかりに、のしかかってきた。
 他の歴史修正主義者にはない、虫のような複数ある長い脚が起き上がろうとするのを邪魔してくる。

「離せ! 邪魔!!」

 身をよじるけど、びくともしない。蜘蛛みたいな足の先に備えられた、脇差の刃が振り上げられる。
 ふざけんな、死ねない。そんなもんで斬られても、俺は今は絶対に死ねない。
 獅子王……!

「     !」

 〝声〟が、響いた。
 横合いから飛びかかり、敵の脇差にまとわりついてきたのは……黒い毛玉のような妖怪。

「鵺……!?」

 鵺は、鋭い牙で敵脇差の細い脚に食らいつき、俺への攻撃を妨害している。
 脇差はひどく煩わしそうに表情を顰め、黒い妖怪を振り払い、刃で斬り付けようともがくが、負けないくらいの強い力で、鵺は相手の動きを封じようとしていた。

 はっとして、金髪の太刀の方に目をやる。あいつの肩に乗っていたはずの鵺は、当然ながらそこにおらず、敵脇差の斬撃を懸命に自身の本体で受け止めていた。
 表情は険しい。座り込んだ体勢を直すこともできていないので、力が入りにくいらしく、防ぐのでいっぱいいっぱいの状態だ。あの獅子王が俺の方に目もくれないので、そこにいる敵に集中している。がりがりと、刃がこすれ合う嫌な音が響いた。

 力負けしている。
 眉間に力を込めて、必死に歯を食いしばる獅子王の腕が、震え始める。

「鵺! 俺はいい! 獅子王を助けろ!!」

 でも、俺の言葉は届かない。鵺は脇差が俺に刃を向けることを絶対に許さないというように、嘶きながら翻弄し続けている。
 鵺が俺の言うことを聞かないことは、なんら不思議なことはない。だってこいつは刀剣男士・獅子王が顕現すると同時に現れるやつで、獅子王の一部だからだ。

 獅子王の意思に従って、俺を護ろうとしている。

 もう、頭が真っ白だった。また繰り返すのかと、怖くてたまらなくなる。

「ぐ、うう……!」

 呻き声が聞こえて、再度獅子王の方に視線をやると、あいつの刀は禍々しい光を灯した脇差に押されていた。あのままでは折れてしまうと分かる。
 音が全て遠くに聞こえる。やめてくれと、絶叫したくなる。

 どうしたらいい。
 符はない。先ほど、使い切ってしまった。だから投げつけられるものもない。
 霊力だけ飛ばす技術もない。爺さんならできたかもしれないけど、それは、俺にはできない。手で直接触れなければ、敵に浄化の力を流し込むことはできない。自分にのしかかってきている脇差を浄化したところで、倒すには至らないから結局動けないままだ。

 どうしたら。獅子王を。

 獅子王。

「……!」

 上には脇差がのしかかったままで、起き上がることができない。動くこともできない。届きやしない手でも、何もしないこともできなくて……手をのばした。
 そのとき、視界の端に入り込んだもの。

〝きっとお前さんを護ってくれる〟

 明確な考えがあったわけではない。
 あのときだって無理だった。だから今回も無理かもと、冷静な頭なら考えていたはずだった。

〝俺達の誇りは、お前さんが持って行け〟

 ――無我夢中だった。

 ぎりぎり手の届く場所に転がっていた、俺が背負っていた打刀。
 それに指先を触れ、どうにか手繰り寄せて、鞘を握りしめる。先ほど、俺が前に抱えていたせいで、槍の攻撃を受けて、はっきりと傷がついてしまっている。なのに、都合がよすぎるかもしれない。

 それでも。

「――っ頼む……助けて……獅子王を……」

 唯一の、方法だった。

「獅子王を助けて!!!」

 喉も裂けよとばかりに、叫ぶ。同時に、霊力を打刀に流し込んでいく。
 すると、刀は全体を縁取るように金色の光を纏い……

 爆発的な光と、霊力と、――桜が、舞い、溢れる。

 ――懐かしい霊力も、感じた。老齢した、あたたかい霊力と、俺のまだ未熟な霊力が、混ざり合いながら、空気中を漂う。

「拝命した。──待っちょったよ」

 強い光と桜の花弁の中から、現れる。
 同時に、威嚇の銃声と、鋭い斬撃の音。俺の上にいた敵と、金髪の太刀に襲い掛かっていた歴史修正主義者が、胸の悪くなるような声を上げた。致命傷から噴き出した瘴気は、空気中を漂い、消えていく。

「やっと呼んでくれたのう! 坊!」

 灰色の瞳に映るその男は、右手に刀を、左手に銃を携え、橙色の着物に波の柄があしらわれたたっつけ袴を身に纏っている。
 そして、逞しく口角を吊り上げ、絶望を吹き飛ばすみたいに笑った。

「さあ、世界を掴むぜよ!!」

 ──打刀・陸奥守吉行は、不敵に笑って顕現した。