刀剣嫌いな少年の話 拾伍
***
――あれ……。
――どこ、ここ。
ゆっくりと、目を瞬く。青い空が広がっていて、優しい風が頬を撫でていく。青々とした葉っぱが揺れている。少年は、空色の浴衣を着て、縁側に腰を下ろして、足をぶらつかせていた。視線の先の庭では、赤い目の刀剣男士と、青い目の刀剣男士が、額と鼻がくっつくのではというくらい顔を近づけて怒鳴りあっている。
『あいつら、またやってるのか』
一人の男が、呆れた声を出しながら隣に座る。
襟足が金色の髪に、筋肉質な体が特徴的な刀剣男士・長曽祢虎徹。
まだ冷えると言って、黒と白を基調にしたダンダラ羽織を子供の肩にかけた。
『ほら』
続けて差し出された小さな包みには、色とりどりの飴玉が入っていた。
ふわふわとした頭で、何も考えられない。促されるままに手を出して包みを受け取り、揉め続けている二人に視線を戻す。口だけの喧嘩だったのに、どちらが先か、胸倉をつかみあっている。
『ねえ、どうして加州と大和守って、いつもあんなに仲悪いの』
勝手に口が動き出した。
少年は思い出す。そうだ、俺はたまに……刀剣男士のみんなのことが分からなくて、他の奴に声をかけて訊いたりしていた。小夜がどうして復讐にこだわるのかと江雪に問うたこともあるし、髭切に名前を間違えられがちであるのは何故だと膝丸に尋ねたこともある。
長曽祢に問いかけたのも、その中の一つだった。
長曽祢は金色の瞳を細め、前にのめる。自身の膝に頬杖をつき、取っ組み合いになっている加州と大和守を見やった。
『坊には仲が悪く見えるか?』
『だって、いつもどっちかが喧嘩売って、どっちかが買ってるよ。そんなことで喧嘩する? ってことでも喧嘩してる』
『おぉ……坊にそこまで言われるか……』
冷めた見解に肩を揺らして笑い、そうだな、と呟く。
『別に、仲は悪くない。あの二人は、あれでいいんだ』
『どういうこと?』
『喧嘩するほどなんとやら、というだろう?』
『じゃあ、長曽祢も、蜂須賀と仲良し?』
『ぬ……いや……そこは、まあ、置いといてくれ』
がしがしと頭を掻いて、痛いところを突かれたと言わんばかりに長曽祢は眉根を寄せた。蜂須賀、長曽祢、共に修行を終えていながら、関わり方は大して変化していない。
いつの間にか互いの胸倉から手を離した加州と大和守が、今度は言葉を交わしながら小突きあっていた。その顔にはわざとらしい嫌な顔と、苦笑が浮かんでいる。
『あの二人が、元々主人が同じだったのは坊も知っているだろう?』
『新撰組の沖田総司だろ』
『ああ。だからこそ、加州も大和守も、お互いのことを理解している。譲れないものも分かっているから、喧嘩が多い。そうだな……喧嘩を通して信頼を築いている……とか言ったらわかりやすいか?』
『……全然わかりやすくねえ……』
『……すまん……まあでも、あの二人はコミュニケーションの手段の一つが、喧嘩なんだ』
ますます、分からなくなる。喧嘩って、相手のことが嫌いだからするものじゃないのか、と思った。
『ゆっくり、分かっていけばいい』
大きな掌が、小さな頭に乗る。乱雑に撫でられた子供の頭に、なぜか、ずきりと痛みが走った。
思わず顔を顰める。何の痛みか分からないのに、頬に伝うものが熱い。顎にたまり、滴り落ちたものを見下ろす。赤い。
「さて、思い出に浸るのはここまでだ」
子供は怪訝そうにする。あのとき、長曽祢にこんなことは言われなかった。
加州と大和守のことを問いかけて会話をした後、すぐに出陣だったから、呼びに来た蜂須賀に「贋作」と、長曽祢が怒鳴られていた。慌てて飛び出していこうとする打刀を追いかけて、かけられた羽織を返したはずだった。
でも、かけてもらったはずの羽織は、長曽祢の方に戻っていた。
少年は気づく。自分自身の服装も違う。
浴衣ではなく、着物に、黒袴。
ずきん、ずきんと、痛みが強くなる。呼吸が浅くなる。視界がぼやける。
目の前の打刀の姿が唐突に、ぶれた。なのに声ばかりがはっきりと響く。
「目を覚ませ、坊。おれは、いない」
***
重すぎる瞼を持ち上げる。暗雲が立ち込める空が見える。また、日は落ちていないはずなのに、濃い瘴気のせいかひどく暗い。
息を吐き出す。無意識に腕が動くと、全身に痺れるような痛みが走る。
(あ、やばい……意識飛んでた)
強烈な痛みに耐えるために、呼吸を止めながら起き上がる。頭についた雪を払い除けようと頭に触れると、掌にべっとりと赤いものが付着した。
見下ろすと、積もっている雪が鮮やかな赤で染まっており、かなり全身が血まみれだ。
幸い、いまだに体内にこびりついている誰かさんの術式のおかげで、傷自体が塞がるペースは普通の人間よりも早い。……でも痕は結構残るんだよな……たぬきみてえになりそう……俺、実戦刀じゃねえのに。
(……寒いくせに……熱い……)
頭の中枢が、ぼんやりする。血を流しすぎたのだろうか。
そのはっきりとしない頭に、真っ先に浮かんできたのは、先ほどまで見ていた夢の中のことだ。加州と喧嘩をしていた相棒の刀を思い出し、嗚呼、そういえば、と視線を巡らせる。この本丸の庭に、二人が喧嘩している姿を、無意識に探す。
もちろん、二人の姿は視界に映らず、代わりに、傍に落ちている刀が見えた。いつも持ち歩いているものだが、背負い紐が切れてしまっているらしい。四つん這いで近寄る。雪の冷たさで掌が痛い。意味もなく刀の鞘に触れて、ぽんぽんと労わるように叩いてみる。
(……あいつら、大和守に、会えたかな……)
政府の施設に飛ばしたし、昨夜、大和守を保護した本丸と連絡もとれたので、その施設でちゃんと待ってくれているはずだ。単騎出陣して、戻ってこなかった大和守を折れたものと思い込んでいたようだが、再会を果たすことができた彼らは今頃、喜んでいるだろうか。
(あいつらに、最低限のことはしてやれたかな……手入れも、全員終えたし……)
結構こまめに確認をしているつもりだったのに、本丸の結界を破られるというのは想定外だったが、折れていない刀剣男士全員の手入れは間に合ってよかったと、心の底から思う。
それにしても、また本丸襲撃に居合わせるだなんて、なかなか俺も引きが強い、と自嘲する。嫌でもあのときのことを思い出す。だが、あのときと違って、自分を護ろうとして血まみれになっていく刀剣男士を見なくて済むだけで、心が落ち着いていた。
(あとは……折れた奴らを、何とかして……穢れに覆われたり、しないように……守り抜かないと……)
浄化作業はしたが、本丸の一番奥の部屋に安置してからは、石切丸がお祓いを施して、清めてくれていたはずだ。
折れたからと言って捨て置く気はない。霊力がたとえ尽きても、最期まで――
「……っ!?」
そこで、はっと我に返る。ぼんやりとしていた頭が覚醒すると同時に、腹や胸に感じる強烈な不快感に気が付いて、口元を抑えた。だが、抑えたのもむなしく、咳き込み始めてすぐに、胃の中にあったものが吐き出される。
指の隙間から吐瀉物が零れ落ちても止まらず、げほげほと噎せながら体を震わせた。鼻につく異臭で顰めた顔を上げる。周囲に張られた結界と、浮かんでいる霊符。
咳き込み、嘔吐した声に気づいたのだろう。離れたところを徘徊していた歴史修正主義者に赤黒い光の目が、向けられた。
途端に、意識を失う直前までのことを思い出した。
(しまった――!)
この本丸の刀剣男士は、全員逃がした。その後、すぐに時間遡行軍は結界を破壊して、本丸に攻め込んできた。
歴史修正主義者は、短刀から高速で移動する槍に、苦無と、知っている限りの全ての姿の者がいた。
もちろん、霊力があるだけのただの人間である審神者が、どうこうできる相手ではない。しかし、足の速さや、気配に聡いことにかけては自信があった。だから、結界や術式で歴史修正主義者たちを翻弄しながら本丸内を逃げ回り、追いかけてくるように、挑発を繰り返した。敵の注意が自分に向いている間は、本丸の最奥にある部屋など見向きもしないはずで、そうすることで、折れた刀たちを護ることができるという算段だった。
しかし、無傷で逃げ回ることなどできるはずもない。
どんどん傷にまみれていき、額を怪我した際に、血が顔の半分を濡らしてしまう。片目に血が入って見えにくくなったタイミングで、前方に現れた大太刀の豪快な蹴りを腹部にまともに受けてしまった。
咄嗟に、元々霊力が込められていた符を投げて、姿を隠すための結界を展開することには成功したものの、茂みに倒れこんだまま、意識を手放してしまったのだ。
(どれくらい俺は気を失ってた!? 歴史修正主義者は!?)
こちらに向かって歩み寄ってくるのは、打刀の歴史修正主義者が三体、空中を泳いで向かってくる短刀が二体だ。
明らかに、注意を惹き付けていたときから数が激減している。
(ほとんど撤退した? 様子見程度で残ってるのがこいつらなだけ?)
現実逃避紛いに、都合のいい想像をしかける。
……いや、馬鹿。そんなことあるわけないだろ。
素早く視線を巡らせると、庭ではなく、縁側や玄関からずかずかと内部に入り込み、我が物顔で歩いている歴史修正主義者たちが見えた。
脳裏に蘇るのは、やかましく騒ぎ立てながら廊下を走ったり、自分が歩いているときに付きまとってきたりした、あの刀剣男士たちの姿。
そこを、時間遡行軍の者たちが、歩いている。
(こいつら――――っ!!)
頭が沸騰するように熱くなった。
刀を掴んで立ち上がる。
「うっ……!」
ぐらり、と体が傾いた。
……は? 何これ。普段より段違いに重すぎる。全身が痛むせいなのか、全然力が入らない。腕が震える。
「くっそ……邪魔……!」
いっそ、この場に捨てて行ってやろうか。
苛々と歯ぎしりしてから……息を吸い込んで、もはや気合だけで刀剣を持ち上げる。抱えながら、全速力で走り出した。
こちらに向かってきていた短刀や打刀が、スピードを上げて迫ってくる。
わざわざ足を止めて狙いを定めるのも惜しく、懐から取り出した霊符を乱雑に後ろへと投げつけて、素早く呪印を切る。
『一番簡単な呪印は発動も早いが、効果も薄いのをまず覚えろ』
符に込められた霊力が膨れ上がり、短刀と打刀の前で破裂した。迫っていた歴史修正主義者は、床にへたりこみ、動きにくそうに身じろぎする。痺れた感覚があるようで、痙攣していた。
だが、それ以上見届けることはできず、横を走り抜ける。
続けてまた、符を取り出す。枚数は気にしていられない。
『同時に五枚以上使うなよ。阿呆かってくらい霊力が持ってかれるぞ』
気配に気が付いた太刀がこちらに猛進してくる。
短刀とかくれんぼや鬼ごっこをしていたときに、飽きるほど見た動きを思い出す。何度も真似た。本気ではないのは分かっていたが、手合わせにも混ぜてもらって身のこなしを教えてもらったこともある。
恐怖心が芽生えないわけじゃない。だが、ぎらついた刃を睨みつけながら、震える足に力を込めて一気に前へ突き進む。
敵が太刀を振りかぶる。符を目の前に一枚投げた。瞬間的に霊力を注ぎ込む。小さな透明の結界が生まれる。
『一瞬で崩れて良いが、瞬間的な耐えられる透明の盾を作る』
振り下ろされた太刀は、結界にたたきつけられ――容易に、砕いた。
突き破ってきた刃が、肩をえぐる。正面から斬られてはたまったものではないので、咄嗟に肩を突き出した結果だが、傷は深い。しかし。
「っ、邪魔っなんだよ!!」
痛みで怯むより先に怒鳴って己を叱咤し、傷口を手で抑える。手に、霊力を込める。
あのときの、男の真似。自分の霊力を、傷口から体内へ、流し込む。
全身が熱くなる感覚。自棄になりながらの対応なので、上手くできてるかなんてわかったもんじゃない。だが、流れ出すはずの血が不自然に固まった感覚がして、止血できたと思い込むことにする。
確かに一太刀受けたはずの子供が、全く足を止めないことに、敵なりに驚きを感じたのだろうか。そのまま小さな体で脇を通り抜けると、振り向くこともしないで符を六枚、後ろへ放り投げた。
『結界の強度は霊力の量で変わる。見誤るなよ』
また、呪印を切る。今度は少し複雑な形だ。すると、廊下の行先を阻める程度の大きさの、透明の壁が瞬時に生み出された。浄化能力も伴う光が放たれ、歴史修正主義者たちの苦悶の声が響く。
他の何にも目もくれず、最奥へと走っていくと、槍を携えた、長髪の歴史修正主義者が、襖に手をかけているところだった。
「入るな!!!!」
ありったけの霊力を込めた霊符を二枚、走りながら敵槍にたたきつける。
急な審神者の登場に面食らったのか、躱すこともしないで霊符を甘んじて受ける。
重い刀を抱えながら両手を合わせ、小さく唱える。全身から霊力の光がこぼれ、一気に敵槍の全身に浄化の力を注ぎ込んだ。
胸の悪くなるような声が上がり、倒れ込む。
そんな敵槍を一瞥して、襖を開けた。中には、まだ小さな四角い箱型の結界で守られた、折れた刀剣が所狭しと並べられていた。浄化の光も、消えてはいない。すべて綺麗になったままだ。
ほっと胸を撫でおろす。
……が、
「っ……ぐ、う……」
座り込みかけて、抱えている刀を杖のように扱いながらすがりつく。
だが、傷だらけの子供の体では、こんな重い刀、支えにすらならない。寧ろ重すぎて、本当に……本当に、邪魔だ。
たらり、と鼻血が出てくる。心臓の鼓動が早い。視界が揺れて、かすむ。息を吸い込むだけで胸が痛い。カタカタ、と音がする。見れば、畳に突き立てている刀を握る手が、震えていた。
口の中で、鉄の味がする。飲み込んでみたら、また吐きそうになった。
呼吸が乱れる。下唇を噛み締め、視線を前にやった。まだ、廊下に作った結界の壁のおかげで、敵はこちらに来ない。だが、悶え苦しみながらも、何度も結界に向けて刃は振り下ろされている。長くは持たない。
(……? 黒い……)
足元の畳の色に、何度か瞬きをし、よくよく見てみたら、赤黒い血だまりができつつあった。自分の体から全部出た血だと理解した途端、
「……あ、これは死ぬ……」
間抜けなほど、あっさりそう自分に言った。
傷口から体内に術式を叩き込んだはずだが、止血が全然できていなかった。
(ジジイの術式は……ほぼ、消えてるな……)
あれからかなり経つのに、まだ体内に霊力の術式が残っているのは、長い間感じていた。今剣に喉を切られて、喋れないように声を封じられたとき、あの審神者は止血や自然治癒力の底上げのものまで、組み込んでいたらしい。だから、怪我をしても、霊力を大量に消費しても、常人に比べれば考えられないペースで動けるようになっていた。
だが、穢れが酷かった燭台切を浄化し終えたあたりから、少しだけ、霊力の回復が遅くなった。無論、度重なる手入れをしたことによる過度な消耗が原因なのは分かっていたが、感覚的に何かが違っていたのだ。おそらく、あの審神者の術式は、間もなく切れる。
……だから、真似のつもりで自分なりの術式を先ほど、体内に入れてみたが、失敗だったようだ。
(意識が飛ばないのは……まだわずかでも、ジジイの術式が残ってるおかげか……それとも俺の気力の……)
こほ。
咳き込んだら、口からぼたぼたとまた血が出てきて、少しずつ視界が暗くなる。ああ、しんどい。
(ジジイみてえに……死んだあと、この部屋だけでも……護れないかな……)
結界さえ残れば、俺が死んだあとも折れた刀たちだけは、穢れに侵されないで済むかも……。
(本当は、本丸も……こんなでも、一応……あいつらの生きた場所、だし……あそこみたいに、跡形もなくってのは……やだな……)
こほ、こほ。
唇に纏わりつく血を鬱陶しく思いながら、懐の霊符を探り――表情をゆがめた。指先に触れるのは、たったの一枚。
(……まじ、か……一枚じゃ、全然無理……)
今からでも霊符を書くか?
いや、だめだ。己の中で浮かんだ案を即却下する。まっさらな符は全部、審神者部屋だ。ここからは一番遠い。だからこの部屋を折れた刀の安置所にしたのだった。
あれだけの敵の攻撃を全部かいくぐって走っていくなんていうのも、現実的じゃない。
死んだあとにも残せるような結界を張る余力も、符もない。
その場その場を切り抜けることに必死で、残り枚数を考えずに使いすぎた。節約すればよかったなぁとぼやける頭で考える。
(どうしよう。爺さん)
――バキン!!
「!」
はっとしたと同時に、無意識に、杖のようにしながら持っていた打刀を抱え上げていた。
眼前まで迫ってきた敵。廊下の結界を破壊して、いの一番に突進してきたのは――審神者たちの間で恐れられる、高速移動が可能な、赤黒い光を纏った槍。
放たれた鋭利な突きは、たまたま正面に抱えていた打刀に直撃した。しかしそれでももちろん勢いを殺すことはできず、小さな体は軽々と後ろへと吹っ飛ばされる。
部屋の押し入れに背中から突っ込んだ。押し入れの襖は破れて、壊れて、倒れる。
「う……」
持っていた刀のおかげで致命傷は免れたが、邪魔だとはいえ、刀に盛大に傷がついてしまった。
しかも、折れた刀たちも今の衝撃で、派手に散らばってしまった。せっかく安置して、弔っていたのに。
(最悪っ……)
痛すぎて、訳が分からなくなってきた。
起き上がる。骨がどこかいったな、と思った。でも起き上がることができているので、背中は大丈夫そうだ。
(押し入れ……)
暗い中で、声も発せず、出ていくこともできず、剣戟と倒れる音をひたすら聞いていた光景が、フラッシュバックする。
(ここだけは、嫌だ)
左手の手首が動かず、痛みも酷い。右手と両足で這って押し入れから出た。
見れば、高速槍が土足で部屋に入ってきており、打刀や太刀も部屋の中に入ろうとしているところだった。散乱している折れた刀を軽く見回しているが、すぐに、視線がこちらへ戻ってきた。
「……出ていけ」
汗と血で、顔中ぐちゃぐちゃだ。見上げながら、精一杯睨む。
歴史修正主義者が、嗜虐的に笑った気がする。愉快そうに、槍を揺らしていた。
睨み続けたが、限界だった。意識がぐらぐらする。
視線を、周囲に投げた。折れた刀を、守り切れなかった。
睨み続けるのも、疲れてきた。眉間に力を入れていられない。痛みに耐えながら食いしばるのも、顎が、疲れた。
全部疲れた。動けないし、逃げられないし、守れない。
全身痛すぎるし、痛すぎてやばいし、眠いし、しんどいし、……
(……死ぬなら……歴史修正主義者じゃなくて……)
嗚呼……瞼が重い。意識が、真っ暗になる。
言う事を聞きやしない、物好きな刀剣男士の顔が、揺らめいては消える。
そして、明るく笑う、金髪の太刀の顔が浮かぶ。
(……刀剣男士に……殺されたかったな……)
ごめん、と。散乱してしまった、折れた刀たちに、詫びる――
――……――……、……
――糸を。
――糸を、感じる。
――二本の、離れた糸。ゆらゆらと、漂っている、糸。
――その糸が急に、明確な意思を持って、片方が……動き出す。
――片方の糸が、もう一方の糸と触れ合うように、動いて、絡まろうとして、
――急に、
「……え、」
ぱち、と瞬いた。
限界で、全ての思考を放棄しかけていたところに――冷水をかけられたような、感覚がした。
そんな馬鹿なと、急に意識が覚醒する。
やめろ、と思う。
「何で……、」
高速槍が、自分を見下ろしながら、不愉快そうに眉根を寄せた。
槍を、大きく引いた。突きの姿勢で、刺されるのだと分かっていたが、気にしていられなかった。
呼吸が止まりかけた。どうして。どうして。
どうして。
――急に、二本の糸が、強く強く、結ばれた。
刹那。
空間を裂くようにして現れた一口の黒い太刀が、目の前に突然突き刺さる。かと思えば、そこからぶわりと暖かい風が巻き起こった。渦を巻くようにして光り輝きながら現れるのは、鮮やかで美しい、桜の花弁。
具現化された、神気。
「――俺の名は獅子王」
声と共に、激しい金属音が響き渡る。歴史修正主義者が、子供を刺し殺すはずだった己の槍が弾かれたことに驚き、固まった。その、驚愕した隙に、黒漆の太刀の一撃が、叩き込まれる。
高速槍が消滅する。突然の事象に、周りの歴史修正主義者たちも狼狽える。
「黒漆太刀拵も恰好いいだろ。活躍すっから、いっぱい使ってくれよな――」
舞い散る桜から現れたのは、黒い鵺を背負った、金髪の男。
これでもかと、目を見開く。
走馬灯ではない。幻でもない。
振り向いた彼は、刀を構えたまま、八重歯を見せて、笑顔を浮かべた。
「ただいま! 主!!!」
そこには、刀剣男士の獅子王が、立っていた。