刀剣嫌いな少年の話 拾伍
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「……で、話がまとまったのはいいけどよ……。戻りたいと思ったところで、俺たちは戻れないんだよな。あくせす……ぶろっく? だったか」
和泉守が腕組みをして唸ると、そうです、とクロが頷く。
散々泣いて何度も嘶いた結果、声がガサガサで聞き取りにくいことこの上ない。
「主従関係を結んでいればまだしも……契約関係を、パスポート……通行手形みたいなものだとご想像いただければ、わかりやすいっスかね」
「うっかり結んでるやつとかいないのか」
長谷部の言葉に獅子王をはじめ、彼らの表情が曇る。結んでいれば言われなくても進言していると言いたげだ。
鯰尾が考える仕草をしつつ、手に持っている資料をめくる。
少年を助けたいと意見が一致した中で、取り急ぎ揃えられる審神者や本丸についての資料を政府の役人に持ってきてもらったのだ。
「無意識に結んでる可能性とかってないんですかね?」
「無意識にってどういう意味だ、兄弟」
「友達になろうって言ってないのに、気づいたら友達になってたーみたいな……」
「嗚呼……まあ、なくはない……ですが……」
「そうなのか。どう気づけるんだ?」
クロが言い淀んだのに、期待を込めて骨喰が前にのめる。
クロは、つくづく巡りあわせとは不思議だなと驚いてしまう。まさかここまで、嘗て本丸の立て直しにかかわった経験が役立つ日がくるなんて思いもしない。記憶をなぞりながら、話す。
「確か、主様……前の審神者のことっスよ。主様になんとなくよくついてくるようになった刀剣男士様は、糸でつながってる感覚があったって言ってました。正式に契約したら確信に変わったらしいですけど……つまり、仮契約みたいな感じです」
「え」
獅子王が目を丸くする。糸でつながっている感覚には、身に覚えがあった。
薬研も覚えていたのだろう。素早く彼の目が、獅子王に向いた。
「獅子王の旦那、もしかして、あんたはあるんじゃないか」
「ああ……多分……」
クロの耳がぴんと立ち上がる。
「まさか、あるんスか!? その感覚!?」
「ああ。本丸にいる間に……二回くらい?」
一回目は、宗三と鯰尾の手入れに少年が向かった時だ。まだ小夜と骨喰が審神者に対して敵意を抱いており、刃をふるっていた時。唐突に、きりきりと一本の線が突っ張ったように引っ張られている、奇妙な緊張を感じた。
それは、少年に命が危機が迫っている信号に他ならないもので、だからこそ駆け付けることができたのだ。そのとき少年には、どうして庇ったと怒鳴られてしまったが、助けることができたことは全く後悔していない。
二回目は、燭台切と戦っていた時だ。馬乗りになられて、このままでは折られてしまうと思っていたら、このときも頭の中に一本の線が通っているのを感じた。それを凄まじい速さで手繰るようにしながら近づいてくる少年の気配に、安心していた。そして、思った通り、少年は獅子王の窮地に駆け付け、目の前で燭台切を止めて見せた。
「常にじゃないんだ。本当に、ふとした時に感じてた。その時は急すぎてよくわかんねえんだけど、あれが、主と繋がってるっていう感覚なんじゃないかって言われたら……そうだと思う」
クロが円らな目を瞬かせ、そうですかと言葉を吐き出した。
「……それは間違いなく、無意識下に結ばれた主従関係っスね……」
「! じゃあ、俺だったら、今すぐあの本丸のあくせすぶろっくとかいうのを突き破れるのか!」
「……いいえ、今は、感じないでしょう? なら、坊ちゃんがあなたを拒絶するという意識が、薄れているときだけとか、本当に一時的なものなんだと思います。本丸からあなたも追い出されている時点で……二度と結ぶことはないって、坊ちゃんも覚悟を決めているはず。ここにいるまま、その感覚になることもないと思います」
耳を垂らした。しかし一瞬でも、獅子王に心を開いていたのだ。どうして彼なのかは分からないが、どうも、少年を慕う気持ちを露にする刀剣男士の中でも、獅子王はひときわその想いが強そうに思われた。
「ねえ。今回も本丸の襲撃が起きてるわけだけど、政府は介入してくれないの? そこ、俺は腑に落ちてないんだけど」
「せやな。前の主はんがいた本丸の事例があるんやから、今度こそ早う動いてくれてもええもんやと思うんやけど……どうなってますのん?」
蛍丸と明石の疑問も尤もだが、クロは歯がゆい思いで首を振った。
「もちろん、政府の方にも、時間遡行軍の襲撃ありと緊急事態の連絡は飛び交ってます。ですが……今回も……」
今回も一斉に、時間遡行軍は色々な時代への進軍を開始しているのだそうだ。歴史修正主義者としても、敵である審神者と刀剣男士の戦力減退は重要なことなのだろう。手法は前回と同じだ。
だが、政府の対応もまた、前回と同じだった。捻じ曲げられかねない歴史を守る事が優先で、本丸は後回し。加えて、今回は少年の本丸は、実績らしい実績も少なく、解体寸前であったのだから、以前にもまして優先順位は下がる。
その説明に、不動が隠しもせず舌打ちをした。
「なんだよ、それ。前回の反省生かせずってか?」
「いや、反省は生かしてるはずなんだ」
思いがけない方向から声が飛ぶ。
手の動きを休めることなく、ずっと画面を操作し続けて、いまだに本丸のアクセスブロックの介入方法を探ってくれている、眼鏡の審神者だ。青年は画面から目をそらさずに言葉だけをこちらに投げかけた。
「審神者の緊急研修で、その話はあったし、本丸を覆う結界も、審神者の霊力プラスαで、政府の術式も加わって強化されることが決まったんだよ。本丸の結界の核を毎朝チェックすることはマニュアルにも掲載されてるんだけど、前はそんな手順もなかった。でも例の事件は、まだ二年くらいしか前じゃないだろ? あいにく人間は対応が遅い。組織が絡むと余計に。んで、襲撃を受けた本丸に対する支援とかの体制も整ってないのに、今回のが起きちゃったってところじゃないかな。時間遡行軍もどんどん戦略を変えてきてて、都度対応に追われてる政府からすると、時間も人手も、全部足りないんだと思うよ」
ごめんね、頭にくる分析かもしれないけど。
眼鏡の審神者が画面を睨んだまま眉を垂らした。しかし御神刀である大太刀が考える仕草をする。
「でも、強化されたはずの結界は破られた。……主の霊力が足りなかったっていうことなのかな? 私の見立てでは、あの子はとても澄んでいて質の良い、十分な霊力を備えていたと思うけれど」
「多分、霊力は足りてたんだと思うよ」
石切丸の言葉にさらっと答えて、初めて青年の手の動きが止まった。
困り果てたように額に手を当てて、顔を顰める。
「こんのすけの持ってるデータも解析しながら、君たちがいた本丸の情報も見つつ色々調べてるけど。……不本意だと思うけど、前の審神者、相当霊力が強かったんだって?」
思い出したくもない、前任の審神者。だが、確かに彼の霊力は相当だった。少年の持つものと異なり、ひどく暴力的で、心地いいとは全く言えないような代物ではあったが、強いか弱いかと単純な括りで問われれば、間違いなく「強い」に属するものだ。
「その審神者が……まあ、いわゆる穢れってやつだけど。穢れだらけの霊力でも、結界は張ってた。そこに、浄化しながら上塗りするような形で今の審神者が改めて結界を張りなおしてて……今の審神者さんも強い霊力でしょ。強いと強いが合わさったら、めっちゃ、チョー強いはずなんだわ。だから、いきなり結界を破られるなんて、本当ならおかしい。一週間かけて結界を張りなおしてるんだから、相当丁寧にやってるはずだし……でもたった二年の間に、こっち側を一気に飛び越えていくくらい時間遡行軍が強くなってるっていうのも……なんか、ありえない話ではないけど、解せないし……」
途中からは、こちらに聞かせるために話すのではなく、必死に考えを整理したくて独り言のように喋っている感じだった。
眼鏡の審神者が唸っている横で、大和守も、周りに立つ他の刀剣男士も、こんのすけもクロも唸る。
「……本丸の前まで移動できるなら、ひたすらみんなで刀で叩いてみるのはだめ? あくせすぶろっくって、結界みたいなものとは違うの?」
乱が問えば、審神者は疲れた顔で考え込みながら首を横に振った。
「アクセスブロックっていうのは、つまり……干渉できないようにするってことだから……えーっと。本丸のゲートの前にすら立たせてもらえない……行けても、本丸に通じる道の入口までかな……結界とは違うから、本当に政府の権限での強引なロック解除でもない限りはなかなか……いや、でもそれなら、今回強化されてる結界もそれくらいの強度は持ってるはずなんだけどなぁ……なんで破られたんだろ……マジでそこが意味不すぎて辛い……」
五虎退の足元で、小虎たちが鳴く。まるでこちらも、少年のことを心配しているような動きだった。そわそわと動き回って落ち着かない。刀を振り回して打撃を与えることで、アクセスブロックが解除できるのなら、この虎たちも一緒にとびかかるかもしれない。
「あの……やっぱり強行突破は、できないんでしょうか……」
「僕たちで、束になって飛び込めば、一人くらいがたまたま通り抜けられたりとか……それでうっかり刀が欠けても、本望なんですが……」
五虎退の強行突破論に、前田が頷く。
だが、不動が強く「だめだ」と言葉を挟んだ。
「俺たちが傷つきながら飛び込んだら、あいつは俺たちを絶対に許さない」
不動が、自分はどうでもいいからほかの奴らに手を出すな、という考え方を提言したとき、少年はひどく怒った。そういうところが嫌いだ、とはっきり告げられた。
少年の過去を知った今なら、どうしてあんなにも怒ったのか分かる。本丸にいる刀剣男士たちの自己犠牲によって、自身が生き延びてしまったからだ。……そして不動には、生き延びることで感じる辛さを、理解することができた。
自己犠牲を伴いながら助けるのは、こちらの自己満足でしかない。少年を救うことにはならない。それこそ、嫌がっても無理に手入れ部屋に突っ込んだら、それは拷問とは変わらないと言っていた少年の考え然りである。
他に本当に手だてがないなら試してみる価値があるかもしれないが、可能なら自己犠牲的な方法は最後の手段にしたい。
「ねー、俺もう無理……誰か、なんか、本丸に違和感とかなかった? 襲撃がある前から。何も方法が見つからなくてマジで萎える……」
突っ伏してしまった審神者が、へろへろの声で訴える。
刀剣男士同士が困惑する。第一に、本丸の状態を顧みたことがほとんどない。穢れを浄化してもらって初めて、ああ酷かったんだなと思ったレベルだ。少年が来てからを「正常」だとするならば、その前は違和感だらけである。
もし、明確に気づけるものがあるとしたら、
「前から今に至るまで、ずっとある違和感……?」
平野が顎に手を当てて、ぽつりと呟く。
そういえば、何か、どこかで。違和感があった気がする。それも結構最近だ。余裕がなくてすぐに吹き飛んでしまう、その程度の違和感だったが……。短刀は、ちらりと前田を見やった。前田が驚いて、見返してくる。
違和感があるなと思ったとき、隣に前田がいたような。でも、心の中がぐちゃぐちゃで、二人で泣きながら手を合わせるしか、なくて――。
ノイズがかかったような映像が頭の中を走る。
「……! あ、あの! あの!」
はっとした様子で、慌てて秋田が手を挙げながらぴょんぴょん跳ねた。
眼鏡の審神者が、ぐったりしながら「はい、アキちゃん、どうぞ~」とうんざり気味の声で指名する。
「関係あるか分からないんですけど、あの、僕たちの本丸、沢山……仲間が、折れてしまって……! でも、主君が、折れた刀も全部、お部屋に集めて弔ってくれているんです! だけど、えっと……加州さん、言ってました! ね!」
話を振られた加州がきょとんとしたが、次第に切れ長の目が見開かれる。
「……折れた刀の数が……足りなかった……」
平野が息を呑んで、「それです」と叫ぶ。頭の中でノイズのかかっていた映像が、一瞬で鮮明になった。
「違和感、それです! 今まで気づかなかったけど……確かに、初期の頃から考えて、折れた刀の数が明らかに足りませんでした……!」
初期刀と、初鍛刀だからこそ感じられた違和感。本丸運営開始当初から、顕現された刀の数を把握していた二人だからこそ、気づくことができたもの。
眼鏡の審神者はその話を聞いて身を起こしつつも、難しい顔をしてぼりぼりと頭を掻いた。
「本丸中に折れた刀があったんだろー? 全部回収しきれてねえだけじゃないの?」
「……いいえ、全員で大掃除のようなことをしたんです。それは、ないでしょう」
宗三が審神者の言葉を否定した。
さすがに加州も平野も、一口や二口の刀が足りないくらいでは、一目で気づくことは難しい。だが、弔うために集められた刀をぱっと見ただけで気づいたり、違和感を感じたりが可能だったということは、結構な数の刀がそこになかったことになる。それだけの数が大掃除のときに見つかったなら、少しは話題にのぼってくるはずだが、「折れた刀が沢山見つかったがどうしたらいい」と言っている者は誰もいなかった。
審神者の表情が険しくなる。手を前に組んで額を乗せながら、ぶつぶつと何かを呟きながら考えている。
「……ヤッスー、これまでの事故……バグ現象についてまとめられた報告一覧……ざっと見て」
「バグの……?」
「バグで、刀剣男士が本丸から閉め出されちゃったよ的なケース。探して」
「……! 分かったよ、主!」
沢山表示していた画面を閉じて、新しい画面を表示させると、大和守が素早く操作していく。審神者もまた止まっていた手を動かして、続けざまに色々な画面を表示させていった。
ほどなくして、二人から同時に「あった!」と声が上がる。
青年は眼鏡をはずしてしんどそうに顔をこする。
「バグの方にあるのは完全に盲点だった……!」
「ね、ねえ。何があったの? アクセスブロックのぶち破り方?」
加州が走り寄れば、他の刀剣男士も近寄り、審神者と大和守が表示している画面を覗き込むようにして立った。
表示されているのはバグ報告の一つで、「所属している刀剣男士を帰還させられません」という内容だった。同じ報告がいくつか上がっており、合計六件。ほとんどが主従関係をきちんと結んでいたこと、政府が介入してくれたことで容易に解決はしているが、一件は状況が違っていた。
新米の審神者による報告で、まだ結ばれた主従関係が確かなものになる前だった――初期刀を選んだばかりだったときに起きたらしい。そのときは、初対面のときに「出会いの記念に」と、審神者が手作りのブレスレットを刀剣男士にプレゼントしてことが解決の糸口になった、と記されていた。審神者と刀剣男士の間をつなぐ媒介として、役立ったという推測が結果報告にはある。
「……折れた刀を外に捨てるとか……してたことある? 前の審神者って」
眼鏡を外したまま、審神者が顔を覆った指の隙間から、刀剣男士らを見つめる。
すると、「ある」と即答したのは、大倶利伽羅だった。燭台切が驚愕する。
「伽羅ちゃん……!? そうだったの!?」
「捨ててこいと言われたから、捨てた。大抵、俺のせいで折れた刀だった」
本当に、酷い仕打ちだ。命令に従えば、折った刀の処分もしてこいと渡される。
しかもそのとき、審神者の横には、ほとんど人質のような形で白い太刀がいたのだろう。
そして鶴丸も、彼がどんな顔をして折れた刀を部屋の外に持ち出していたか、刀の姿のままでも見ていた。覚えていたのだろう、痛そうに眉を寄せる。
「伽羅坊……」
「誰かが背負わされた役目だ。たまたまその役目が俺だっただけだろう」
ふと、眼鏡の審神者に視線を戻す。……机の上で、完全に突っ伏して頭を抱えていた。変な声を上げているので、大倶利伽羅は怪訝な顔で見下ろした。
「……おい、だったら何なんだ」
「……つまりね……」
突っ伏したまま、顔を横に向けて、半泣きで青年は言った。
「……バグのせいで、結界が破られてる」
「は……?」
「外に捨てられた刀を、歴史修正主義者が拾って持っていたらどうなると思う? 折れちゃってるって言っても一応、一度は本丸の主たる審神者の霊力に触れたことがある刀だよ」
「……まさか……」
大倶利伽羅が愕然とする。
たった今見たばかりの、バグで閉め出されてしまった刀剣男士が、審神者の手作りのブレスレットのおかげで、無事本丸に戻る――否、「入る」ことができた話。
外に放り出された刀剣男士の残骸が、歴史修正主義者の手に、渡ったら――
「折れた刀を媒介に、本丸の結界を破壊して侵入したってことか……!?」
「多分だけど! 多分だけどね!?」
ここにきて、前任に言われてやったことが影響してくるとは思わなかった。大倶利伽羅は歯を食いしばり、両拳を強く握りしめる。
他の刀たちも、心底不愉快そうに顔を顰める。折れた仲間が、こんな形で使われているのだから愉快に思うわけがない。前任が、ゴミ処理のつもりで大倶利伽羅に命じていて、こうなることまで企んだのではないとしても、憎しみが芽生える。通常なら、本丸の外に刀を捨てる行動を強いること自体、おかしいのだ。
「……審神者」
腕組みをして沈黙していた長谷部が、机の上に広がるバグ情報のデータを何度も読み返しながら口を開いた。
「それは、俺たちも例外じゃないんじゃないか」
「! おぉぉ、ご名答、へっしー! 鋭いじゃん!」
体を起こし、眼鏡をかけ直した審神者が、少し笑いながら頷く。
へっしー? と長谷部は一瞬眉間に皺を寄せたが、どういうことだと周りから視線を向けられる方を優先することにした。
「時間遡行軍が、審神者と縁の深い物を媒介にして本丸に入り込むことができているなら、俺たちもできないとおかしいだろう」
もし、この仮説が正しいなら、媒介さえあれば、刀剣男士は審神者の意思に関係なく本丸に戻ることができる。バグをかいくぐる形になるが、正式な主従関係を結ぶことができていない彼らに、正当な戻り方は通用しない。
「へっしーの言うとおり、媒介になるものさえあれば、多分……本丸のアクセスブロックは突破できる。ただ問題は、都合よく誰か一人でも、そんなもの持ってる? ってところだけど……今のところ、調べる限りでは、これしか方法がないんだよね。どう?」
「俺たちが持っているお守りではだめなのか。主が全員に買い与えてくださったものだ」
長谷部が、内側に突っ込んでいたお守りを引きずり出し、青年に見せつける。だが、青年は至極残念そうに首を振った。
「あくまでそれは製作元が政府だし。審神者にもらったものだから、みんな特別感はあるかもしれないけど、実際には他の本丸とほぼ同じ感じだから、媒介として機能させるには無理があるんじゃないかな」
「主。じゃあ、清光が爪に塗ってる紅は? あれ、審神者さんが買ってくれた新しい爪紅だって、さっき話してたけど」
大和守の言葉に、加州が期待を込めて審神者を見る。だが、これも首を横に振った。
「本体の爪紅の瓶があればまだしも……塗ってるだけでしょ? 使えなくはないけど、それだけでアクセスブロックを通り抜けるには厳しいと思うなー。しかも買ったのも昨日……だっけ? 審神者さんの霊力がもう少し馴染んでないと……」
加州が歯ぎしりして、爪を内側に握りこむ。
もう少し早く少年と関係が良好になっていれば、爪紅をもっと早く貰って、アクセスブロックを突破する鍵になり得たかもしれない。今更言っても後の祭りなのは分かっているが、悔しかった。
「あのさ……ごめん。本当~~にごめん。超不謹慎なんだけど許して。……本丸で折れた刀の、形見みたいなもの、持ってたりしない? 持ってたら高確率で、媒介になるよ。審神者さんの霊力じゃないけど、本丸自体に漂ってる霊力は馴染んでるはずだから」
今剣が唇を嚙み締めた。石切丸が、小天狗の背中を撫でる。
以前であれば、岩融の欠片の一つくらいは、持っていたかもしれない。だが、今は弔っている部屋に全て置いてきてしまっている。
他の者も、誰も形見らしきものは持っていないようだった。
「ん~、ん~~~、じゃあ……審神者さんから何も貰ってないなら、こっちから何かあげたとかでもない? 深い縁が見つかれば、それを糸口にどうにかアクセスブロックを突破っていう方法もできる気はする……最初に一人さえ通れば、後からも入っていける、的な……隙間からこじ開けるみたいになるから、チョーチョー無理矢理かもしれないけど、俺も手伝うし」
バグ情報の内容を読み解きながら新しい案を出す。
手伝うという言葉に刀剣男士らが驚いた表情をすると、いや、だって、と青年は肩を竦めた。
「ここまで首突っ込んじゃったら、さすがに見捨てられないっしょ。俺結構そういうとこ、真面目よ?」
「最初から首突っ込む気しかなかったじゃん、主」
「だって後味わりぃの嫌いだもん」
大和守が苦笑する。こういう審神者に拾われたから、彼も人間不信だった状態から、ここまで審神者のために尽力する刀剣男士として生まれ変わることができたのだろう。
しかし、媒介になるものが見つからないと無理矢理でも突破はできない。
短い期間とはいえ、共に過ごした時間がある。本当に、何もないのか? 少年との繋がりとして、生かせるものは。
「……」
燭台切が徐に顔を上げる。
前に進み出た。心臓がばくばくと鳴っていて、全身が脈打つみたいな感覚だ。
「ねえ……媒介……」
脳裏に蘇っていたのは、寝ていなければならない審神者が部屋から消えていたときのこと。獅子王や薬研が、どこにいったんだと心配していて、大倶利伽羅もあきれ顔で厩に探しに行ったときのこと。
結んでいたはずの黒い髪の襟足を、鬱陶しそうに指で払っていた子供を見つけた。子供について歩いて行ったら、手入れ部屋だった。子供は手入れ部屋で、押し入れや棚の中のものをぽいぽい放り出して、探し物をしていた。
探し物を、燭台切が見つけた。少年は、「あった」と、ひどく安心した顔で――そうだ。あのとき、少年は、柔らかな表情で笑っていた。
見つけたもので、髪をくくって……。
『それ……獅子王くんのと、よく似ているね』
問いかけた言葉に、少年は確かに……言っていた。
『……あの金髪に、無理矢理――』
押し付けられた、と。
「獅子王くんの、ヘアゴムは……!?」