刀剣嫌いな少年の話 拾参

2022年4月18日

 ――パリン。

 申し訳なさそうな顔で正座している眼帯男。その男の前には、綺麗に中央から放射状に分かれてしまった皿が一枚、置かれている。

「本当にごめんなさい」
「皿一枚ごときでしおらしすぎて逆に怖い」

 朝、起き上がってみたら体の調子はかなり回復していた。昨日は本丸の修繕作業を(不本意なことに)刀剣男士に全て任せて、ほとんど寝ていたことが功を奏したらしい。畜生。修繕作業も手際がいいの凄えむかつく。助かってしまったと思うのも腹が立つ。

 次にふと気が付いたのが、起き出してくる刀剣男士が異常に増えてしまったことだ。飯も食いたいとどうせ言い出すのだろうし、俺だって食う。かなり多めに握り飯でも作ってやる必要があるだろう、と思って厨に来たのだが、既にそこには伊達の刀の姿があった。しかも、丁度、割れた皿を目の前に呆然としている状態で。
 厨にいた燭台切光忠は、俺の姿を認めるや否や、いっそ華麗と表現できるほど迷いなく正座して、今にも頭を床に擦り付けそうな気配を漂わせながら謝罪。

 続けて一言、

「割っちゃった」

 いやお前割っちゃったって。

「どんな罰も受ける覚悟だから……!」
「その覚悟今すぐ捨てろ。というか、さぁ……」

 ――問題なのは皿を割ったことではなく。いや、なんというか、別に割ったことも、問題でもないのだけど。

 カウンター越しに、食堂の方に目をやる。

 食卓に並んでいるのは、握り飯、味噌汁、漬物、サラダ……と、ミートソースのパスタ、コーンスープ、醤油ラーメン、高菜炒飯、刺身の盛り合わせ、キノコのアヒージョ、とろろ蕎麦、豚カツ、唐揚げ、ビーフシチュー、秋刀魚の塩焼き、トマトと玉葱のマリネ……いや、やめた。キリがねえ。兎に角朝飯(信じられねえがこれは朝飯なのである)はそんな感じで、席についている刀剣男士連中の目は当然数々のメニューに目が釘付け状態。

「お前、料理の経験ないんだったよな……?」
「え? ……う、うん。興味があったくらいで……」
「興味があるだけでレシピわかるってお前何なの? 天才?」
「ち、違うよ主! それは――」
「燭台切様ーーーー!」

 叫びながら厨に飛び込んできたのは、この本丸担当の管狐だ。

「新しいレシピをお持ちしましたよ! まだお作りになりたいのですよね!!」

 口に紙を何十枚も咥えているにも関わらず、淀みなく話すお前は腹話術士か何かか。

「………把握」
「その……何か作ってみたいなーと思って……昨日長谷部くんから、朝もみんなでご飯食べてる話を聞いたし……そしたら、こんのすけくんが気を利かせてくれてレシピを……」
「……で、やり始めたら楽しくて夢中になって、これだけの料理を作り上げました、と……」

 やりたかったことを長年取り上げられてると、反動でこうなるのか? 反動えげつねえな。怖。
 それにしても、こんなに作れるほど材料揃ってたっけ?
 そんな疑問を抱いていたら、こんのすけがぴょんぴょん跳ねながら言う。

「レシピはこちらに置いておきますね! 追加の材料も後ほど届きますゆえ!!」

 解決。

 この本丸はしばらく演練もやってないので、最低限のものしか届けられないはずなのに。明らかにテンションが上がってしまったこんのすけがバカスカ材料を持ってきている。……下手したら巨額を請求されかねないし、あとでこいつには「私が勝手にやりました」の紙書かせて足印を押させよう。

 溜息を吐いた。

「……皿はもういいから片付けるぞ。そんで早くあっち行く。何故か律儀に俺たちのこと待ってるみてえだから。お前が作った朝食、冷めちゃうし」

 隻眼が一度瞬き、

「……お、怒らないのかい……?」
「だから何で俺が怒る必要があんの?」

 首を傾げて問い返すと、また眼帯は黙り込んだ。
 食堂から、「主、燭台切、まだかー」と獅子王の声が聞こえてくる。またやんやと騒がれても鬱陶しいので、早いところ片付けてしまおう。固まっている燭台切に袋を用意するよう促して、俺は箒とちりとりを取りに向かった。

 さて。いざ飯を食う段になってみて分かったけど。
 ――ここ数日の食事を軽く凌駕する勢いで美味い。皆夢中になってがっついている。ひらひらと仮想的な桜が宙を舞っては消えていくので、余程感激していると見えた。

「こんなに美味しいもの……初めて食べました……」

 味噌汁を啜りながら、半ば放心している平野と、泣きそうになっている前田。その前田の頭をわしわしと撫でる後藤が、こっちも美味いぞ、と芋の煮物の皿を寄せた。渋い。

「やばい。美味すぎて折れそう」
「兼さん……!」

 泣きそうな前田の隣にも既に涙目のでかい刀が一人。何のために手入れしてやったと思ってんだ折れるな。和泉守は唐揚げに感激しているようである。なお、堀川の皿にもこれでもかと唐揚げが積まれているので、土方歳三の刀二名は揃って唐揚げが好きなようだ。なぜか食卓に並ぶ沢庵もしっかり確保しているあたり、どちらもブレない。
 茶碗に盛られた白飯を豪快にかきこんでいた鯰尾が顔を上げるや否や、俺に向かって言う。

「主さん主さん、刀剣男士って腹一杯になりすぎた結果折れたりする?」
「飯くらいで大袈裟なんだよ」

 そんな幸福な折れ方聞いたことねえ。

「やりぃ! 燭台切さん、おっかわりー!!」
「えっ!? 鯰尾くん、もう五杯目じゃない!?」
「言っとくけど食い過ぎで腹痛にならない保障はしないからな」

 そういう俺もついつい箸が伸びてしまって、いつもよりもだいぶ飯を口に運んでしまっていたけど。つーか獅子王、トマトスープを俺の分までよそうなこの野郎。ぎろりと睨んでやると、戯けたように肩を竦めてから、

「今日は何するんだ? 主」

 しれっとしやがって。トマトスープはいらない。
 俺はスープの器を片手で押し返し、別に、と言いつつ春巻きを口に運んだ。

「お前らのおかげで、大体修繕作業は済んでるし、俺は眼帯たちが引きこもりしてた部屋の浄化作業する。お前らは好きにしてろ」

 穢れは広がるものだから、本当なら昨日中にやりたかった作業だ。でも俺の体力が追いつかなかった関係上、まだあの部屋は手付かず。燭台切たちが殺気立ってたときは当然近づくこともできなかったし、あそこだけは俺が来た当初から何も改善されていない。

「俺たちが手伝えることはないのか?」

 回答に詰まる。
 浄化されていない部屋は、掃除も修繕もされていない状態なので、穢れを祓った後は物理的な肉体労働が待っている。だけど、悲しいかな俺はチビだし、どう頑張っても高いところの掃除は手が届かない。畳を剥がすのも一人ではかなり時間がかかることは、ここにきてからの経験で分かってる。

 その点、刀剣連中に手伝ってもらうと、早さは歴然である。
 ――癪だけど。本当に、癪なんだけど。

「……少しだけある。部屋の掃除とか」

 刀剣連中の目が輝いた。おいやめろ。

「言っとくけど総出でやる作業じゃねえからな」

 そう言ったら、今度は我先にと手を挙げ始めやがった。

「俺! 俺がやるぜ、主!! 何度も手伝ってるし、手際良くできる自信がある!! 鵺だってやる気満々だぜ! 任せてくれ!」

「抜け駆けはずるいな、獅子王の旦那。その点については俺も負けねえぜ。そう思うだろ、大将?」

「あ、あの……! えっと、虎くんたちも手伝ってくれるので……! あ、あるじさまさえ良ければ、ぼ、ぼくに……」

「五虎退まで何を言ってるんだ。主が困っていらっしゃるだろう。ここは俺に任せ、お前たちは大人しく手合わせなりしていろ。ですよね? 主」

「はせべさんこそ、ここはひくところではないのですか? くりやのおかたづけを、しょくだいきりさんとしているべきですよ。さにわさま、ぼくならやねのうえだって、ぴょーんとはねて、かんたんにおそうじしちゃいますよ!」

「…………あるじさま。できることがあったら、言って。……復讐以外に、僕に力を振るえることがあるかは、分からないけれど……」

「まあまあ、小夜さん。そんなことを言ってはいけないよ。ところで審神者殿。穢れを祓うのなら、私もお手伝いをさせてもらえないだろうか? 少しは助けになれると思うよ」

「僕も僕も! あるじさん、僕だって色々お手伝いできるよ。そうだ、めちゃくちゃになっちゃってるお部屋のレイアウトを考えるのはどうかな? 飾り付けなら任せて!」

 う る せ え 。

 他にもやんややんやと言い合う刀剣に俺は頭痛を覚え始めつつ、一喝しようとして――
 パンパン! と、景気の良い掌の打つ音が聞こえた。視線をやると、呆れ顔で両手を打ち鳴らしたのは加州で、その横に平野が正座している。

「はーい、みんな落ち着いてね。気持ちはわかるけど、そんなに燭台切たちが籠城してた部屋にも入らないでしょ。審神者さんの部屋だって天井が直り切ってないから、そっちにも刃員を割かないといけないしさ」
「燭台切様たちがいた部屋を掃除する以外にも、主様のお役に立てることは沢山あります。改めて、役割分担を考えましょう」

 初期刀と初鍛刀の威厳、というのか。あれだけ騒いでいた連中が、みんなして顔を見合わせて、口を噤んで居住まいを正した。

   ***

 好き好んで審神者の手伝いをしたい、という刀剣男士の気持ちは、俺にはさっぱり分からないけど、加州と平野が鎮めてくれた後も、結局は誰が俺の手伝いをするかで話は盛り上がった。何故盛り上がる。

 手順として、最初に審神者の手による浄化作業が必要になるので、まずは俺が部屋に行く必要がある。その後は、畳を剥がしたり障子を変えたり、血を拭いたりするのは、力仕事であると同時に、高いところに手を伸ばす作業になる。俺はこの本丸に来たばかりの頃、それでかなり大変だった。獅子王が手伝ってくれちまったけど忘れることにする。思い出したくない。

 どいつもこいつも譲る気がない様子で、部屋の浄化作業後の掃除をやると言ってきかない。
 ……ああもう、めんどくせえしうるせえ。

「おい。燭台切、鶴丸、大倶利伽羅」

 呼ばれると思わなかったのか、三人が揃って少し意外そうに俺を見た。

「お前らさ、最後まで籠ってたんだから、自分で掃除くらいしろ」

 別にそんなルールに則ったことは一度もないけど、最もらしい理由で任せられるのは伊達の刀だ。それに三人とも体格がいいから、力仕事も、高いところの掃除も、お手の物だろう。
 驚いてる様子だった三人は、一瞬互いの顔を見合わせてから、

「確かに、主の言う通りだな! 驚くくらい綺麗にして見せよう!」
「沢山、迷惑をかけちゃったしね。任せてくれ、主!」
「ふん。主に言われるまでもない。当然だ」

 主じゃないっつってんだろ。

「俺が掃除をした方がはるかに美しい部屋をお見せできるというのに……! 主っ……!」

 長谷部が食卓を叩いて悔しがる。だからお前は何なんだ。普通に引くぞ。

「……はあ。鯰尾、骨喰、小夜、宗三。……それから長谷部」

 食卓に突っ伏していた長谷部が「はい!!!!」とバネのように背筋を伸ばした。骨いってねえか大丈夫か。

 仕方がねえから、あまりに怖い悔しがりようの長谷部と、鯰尾、骨喰、小夜、宗三の計五人には、その問題の部屋の、周囲の掃除と修繕作業をお願いした。穢れが酷かったこともあり、近寄れなかったせいで、周りもほとんど修繕作業は手つかずだ。

 こうして、全く手つかずの領域を掃除する奴は決めたのだが、「狡い」だの(何が?)、「やりたかった」だの(だから何が?)、騒ぎ立てる刀剣連中にも色々今日の役割を決めることにした。黙らせるには役割を与えるのが一番良さそうだったから。

「獅子王。不動。二人には馬小屋の掃除、頼んで良いか」

 獅子王は昔の主人の影響か、馬の世話が凄え上手いし、不動はぐちぐち文句を言う割に手つきが丁寧で馬の方が喜んでいるのが分かる。馬小屋を頼むには適切な人選のはずだ。

 そんな風に理由を伝えると、金髪はまた口許をむずむず動かした。……にやけるな、獅子王。

「分かったぜ! 任せとけ! 宜しくな、不動!」
「……へいへい。やりゃあいいんだろー、やりゃあ」

 力強く拳を握って見せる獅子王に対し、不動は頬杖をついたままそっぽを向いた。返事をしたのだから不動もちゃんとやるだろう。こいつ真面目だし。それに、もしこいつが色々ごねて、馬小屋で寝始めちまっても、その辺は獅子王が上手くやってくれるだろ、多分。

 馬小屋を頼まれなかったことに、本当に僅かだが安堵した様子を見せている薬研と、今剣、それに和泉守の方を向く。

「お前ら三人には離れの掃除を頼みたいんだけど」

 今剣と石切丸が籠っていたところだ。二人が出てきた後、そんなに間を置かず色々なことが起きたために、満足に掃除ができていなかった。
 人選は伊達の連中と同じで、こうなったら自分たちの領域は自分たちでやってくださいどうぞ、である。

「おぉ。すうじつしかたっていないのに、あのはなれ、なつかしいですね!」
「今はあそこで寝ていないしね。埃も溜まっていることだろうし、ついでに穢れも念のため、確認しておくよ」

 そうやって、二つ返事で承諾する短刀、大太刀とは異なり、和泉守が気後れした様子でおずおずと口を開く。

「お、おい……何で俺まで離れなんだ? 俺はそこには籠ってねえぞ?」
「お前は力仕事要員だよ」

 本格的に掃除するとなると、畳を剥がす必要がある。それに、仮に短刀にも人間離れした力があるんだとしても、今剣と石切丸では体格が違いすぎて色々不便のはずだ。
 俺の言葉に、一応納得はしたのか、不承不承といった様子で和泉守は頷いた。

「……で、ちょっと不安そうな顔してる堀川。それと、加州」

 自分は当然和泉守と組ませてもらえるとでも思っていたのだろう、呆然としている堀川に目を向けてから、加州も呼ぶ。

「二人は買い出しで万屋に行ってくれ」
「買い出しね。何買うの?」

 冷静に頷いて見せる加州に、肩を竦めて答える。

「燭台切が冷蔵庫の食材を使い切って、追加でこんのすけが持ってきたもんも全部使い切って……なんつーかもう全部使い切って」

 眼帯野郎が顔を覆って震えてる。ごめんとか言ってるけどもういい。ねえもんは仕方ない。朝飯美味かったし。つーか半分以上、無尽蔵にレシピを渡した狐が悪い。

「……あと他にも、手入れで大量に消費した分、資材や包帯とかも補充しておきたい。必需品の買い出しだと思ってくれればいい。一覧にしたの渡すから」

 買い出しに行けるほどの金は、悔しい事に……黒い管狐が用意してくれたらしい。好き勝手してとっとと政府に帰ると言ってたのに、この本丸に思いっきり干渉してるじゃないか、と腹立たしく思ったけど、助かったのも事実だった。

『政府にかけあって、支援金早めに入れておきましたよ。使いたきゃどーぞっス』

 ……抜け目なくて助かったけど早く帰ってくれねえかなあの狐……。

「あー……わかった。……えっと、じゃあ、宜しくね、堀川」
「えっ。……は、はい」

 少しだけ居心地悪そうに視線を交わし合った後、加州と堀川は頷いた。

「……前田、平野。それから明石。三人には、審神者部屋の掃除、頼んで良いか。最低限過ごせるようになればそれでいい」
「ええっ!?」

 椅子に凭れてふわりと欠伸をしている太刀とは真逆に、短刀二人は同時に声を上げた。
 前田にしても平野にしても、一昨日まで敵対していた審神者に、まさか一番触れて欲しくないであろう部屋を任されるとは思ってもみなかったのだろう。

「綺麗にしろとは言ってねえ。最低限寝れる状態になれば良い。天井に大穴空いてるから、板で塞いでくれ。明石がいるから肩車でもしてもらいながらやりゃ手は届くだろ、何とか」

 お前がいないと作業は絶対進まないからな。サボり癖があると見える明石を見れば、一瞬は確かに目が合ったが、すぐに逸らされた。かなり眠そうな目で。
 分かってる、お前はそういう奴だな。

「その後は何しててもいいから」

 言外に、審神者を殺すための罠を部屋に仕掛けてもいいぞ、と伝えた……つもりだけど、分かっているのかいないのか。
 少し緊張した面持ちで、前田と平野はこっくりと首を縦に振った。

 さて、役割分担としてはこんなところだろうか。俺がふっと息を吐いて間を置くと、

「え、大将」
「あるじさん!?」
「あ、主様!」
「主君!」
「ねー審神者さん?」

 後藤、乱、五虎退、秋田、蛍丸の五人が、まるで打ち合わせたのかというくらい同時に、「俺達のやることは」「僕達のやることは」と問いかけてきたので、うるさくてかなわない。

「流石にもうやることねえよ。好きに過ごせばいいんじゃねえの」

 五人中四人は、もうこの本丸で好きに過ごすことに慣れつつあるし、蛍丸もついていけるだろう。
 今日また手入れしてると収拾がつかないので、怪我する可能性がある出陣も、連絡がとれなくなって面倒なことが起こりかねない遠征も、どちらも頼む気はなかった。

 ぶうたれるそいつらに溜息交じりに言った。

「だったら――」

   ***

 燭台切による豪華な朝食を終え、浄化作業が終わるまでは手が空く伊達の連中に食器の片付けを任せた後、分担した通りの作業に向かわせた。

 そして、俺は予告通り、燭台切たちが籠城していた部屋に向かっている。ちなみに、一人ではない。
 

「えへへ……」
「………」
「えへへ、えへへへへ……」
「……秋田」
「えへへぇ、えへ。えへへへ……」
「秋田、流石に気持ち悪い」

 俺の後ろについてきている秋田に言うと、ピンクの髪の短刀ははっとした様子で、だらけきった顔を引き締め直した。

「す、すみません! 主君と一緒にかくれんぼができると思うと、嬉しくなってしまって……!」

 両拳を握り締め、鼻息荒く秋田が言う。

「絶対にみんなを見つけて勝ちましょうね、主君!」

 空色の目をキラキラ輝かせながら俺を見る秋田は、完全にかくれんぼを(俺と一緒に)やる構えである。
 鬼になったのは俺と秋田。何故二人かと言うと、後藤が無理矢理そうさせた。曰く、

『勝手にどっか行っちまうだろ、主』

 まるで迷子防止のために秋田を俺につかせたようだ。……まあ、でも、信頼できない審神者に監視を置く気持ちは、これまでに比べれば一番理解できる行動なので、「好きにすれば」って言ったけど。

「でも、意外でした。主君がかくれんぼを提案してくれるなんて!」
「俺を巻き込めと言った覚えは露ほどもねえんだけど」

 確かに、なんか不満そうにしてる奴らに、「だったら、かくれんぼでもしてろ」と言ったのは俺である。
 でもそこに俺を含めろと言った覚えはない。
 刀剣男士たちは、普通の人間と比べて、やっぱり考え方が違うので、思いがけない場所に隠れることもあるのを知っていた。その分、浄化作業や修繕作業が済んでいない、見落とした場所に気付いてくれるんじゃねえかと期待しての提案だったけど……マジで巻き込まれるなんて聞いてない。

 廊下の突き当りを曲がると、縁側で昼寝をしている明石が視界に入った。
 秋田は無邪気に「あ、明石さん見つけましたー!」と明るい声を上げるだけで、明石も「あら~、見つかってしまいましたわ」と面倒くさそうに答えている。
 いや、見つけましたではなく。お前、前田と平野はどうした。

「え~~~? んー……まあ、必要になったら呼んでくれはると思いますし」
「あーそ。それならもうちょい審神者室に近いとこでサボれ」

 こんなところまで見に来させる方が手間だろ、と審神者室の方角を指さすと、じっと眼鏡越しに明石に見上げられる。

「……何」
「……それだけです?」
「はぁ?」
「いや。自分、サボってるんやから、もっと何か言う事あるんと違うかなー思いまして」

 眉根を寄せる。

「……サボってる自覚あるなら、別に何もなくねえ?」

 少しだけ、明石の目が丸くなる。それから、面白そうに目が細められ、三日月型になる。
 まだ聞きたいことあるんやけど、と言葉は続いた。

「主はん、乱に言うたんやろ。自分が左手で刀を振るったら注意しろて」
「……言ったけど。それが何」

 肘をついて横になっていた明石が起き上がり、正座をする。膝に手を置き、体を折り曲げた。
 だらだらとした様子から一転して、随分とかしこまった姿勢になるものだから、俺もちょっと驚く。

「あの子らは、封印されとったから、自分が左利きや言うことは知らんかったと思う。……おおきにな」

 本気で斬りかかって、もし仲間である刀を折ってしまっていたら――そう思っての感謝の言葉なのだろう。咄嗟に左手に持ち替えたとき、右手に刀を握っていた時よりも機敏に動いていたら、きっと何も知らない相手はぎょっとする。
 もしもの場合を考えて、事前に乱に知らせられたことで、彼の生存率は格段に上がっていたはずだ。

「礼を言われる覚えはねえよ」

 蛍丸と共に、乱達に誘導されて手入れの結界まで連れてこられたとき、明石は右手に刀を握っていた。審神者である自分がいる間、なかなか刀をおさめてくれなかったが、左手に持ち替えることはなかった。

「お前は左手で刀を持たなかった。それこそ、ありがとうな」

 俺が礼言うのも変かもしれねえけど。
 顔を上げた明石は、アホ面で俺のことを見ていた。黙って見返してから、妙な沈黙が生まれて、居心地が悪くなる。何か言えよ、と思う。だってお前は、こういう堅苦しい雰囲気になったときに、気怠い言葉を吐くのが得意なはずだろう。

「……ほんまに。おもろいお人やね、主はんは」

 結局、明石から返ってきた言葉は、茶化すようなものでも気怠い愚痴でもなかった。柔和な表情を浮かべて、称賛すら感じる、じんわりと沁み込むようなものだった。
 それが尚更居心地を悪くして、たまらず逃げ場所を探し、さっと視線を走らせる。そこで、庭の隅にある小さな祠が視界に入った。結界の核が安置されている場所だ。

 そういえば、毎朝のルーティンに入れていた、祠の結界の核を見に行くという作業を、今朝は忘れていたことに気が付く。今日は真っ先に厨に向かってしまったので、確認していなかったのだ。

「部屋の浄化作業の前に、祠、確認してくる」

 冷静に言ったつもりが、早口になった。縁側から庭に下りて、裸足であるのも構わずに祠へと駆ける。

「主君!」

 呼ばれて、振り向いた。振り向いてから、〝主君〟に反応している自分に腹が立った。
 縁側から身を乗り出している秋田が、弾けるような笑顔で言った。

「言い忘れてました! 全員を手入れしてくれて、ありがとうございます! 主君は、とっても優しいです! 大好きです!」

(――――)

 胸の辺りを掴み、ぐっと唇を噛む。
 居心地が悪くなって、少し落ち着こうと思って、祠を見るという口実で、一瞬でも離れようと思ったのに、秋田は声だけで追いかけてきた。

(どうしてそれを俺に向ける)

 真っ直ぐすぎる声が、きらきらした秋田の顔が、痛い。
 どいつもこいつも、俺に心を許すなと繰り返し伝えていたが、ここまでの好意をはっきりと向けてきたのは秋田が初めてだった。

 心を許すなと怒鳴ったところで、そんなのも関係ないというような明るすぎる声が眩しい。
 居心地が悪い。居心地が悪い。居心地が、悪い。

 そのとき、屋根の上に、小虎を五匹抱えた短刀が、目立たないように小さくなって座っていることに気が付いた。
 向こうも、視線を向けられていると気付いて、ぴゃっと跳ね上がっている。

 秋田に返事をするのも嫌で、でもあからさまに無視をするのも憚られ――

「おい秋田、そんなことより」

 心底不本意ながらも、屋根の上を指さし、やっとの思いで言った。

「五虎退、みーつけた、だ」

 ピンク色の髪の短刀が、踊り出しそうな勢いで庭に飛び出してくる。そして、屋根の上を見上げ、「本当だ!」と嬉しそうに叫んだ。
 すごいです主君、というかくれんぼに対する褒め言葉を、再び祠に向かいながら背中で聞いた。
 手入れに対する感謝とかの話を続けてされるより、かくれんぼの鬼として褒められた方が、何百倍もマシである。

「審神者様! 審神者様ー! 朗報でございます、審神者様ー!!!」

 続けざまに、今度は刀剣男士ではない声に呼ばれる。見れば、小躍りでもしそうな勢いで飛び跳ねながら走って来るのは、管狐だ。
 
 ああ、やっと待ってた朗報がきたか、と安堵する。一方で、毎度言っているが極秘に調べてくれと言ったことを大声で言うなと思う。
 足元からすくった雪で玉を手早く作ると、八つ当たりの意味も込めて、駆け寄って来る管狐の顔面へとぶつけるのだった。

   ***

「それにしても……」
「多い、ですよね。何なんだろう、品番号って言ってたけど……」

 万屋に向かって歩きつつ、加州と堀川は二人して手元のメモを覗き込む。そこには、びっしりと十桁ほどの数字が羅列されており、何かの暗号かと見紛うほどだ。
 一部は、万屋から直接本丸へ届けてもらえるような大きなものだが、小さいものは箱やら袋やらに詰められて手渡されるらしい。予め、どの範囲が手持ちになるのかは印がつけられているが、結構な量である。二人がかりでも大変かもしれない。

「俺達の本丸、だいぶ色々足りないから、一気に揃えちゃおうってことなんだろうけどねー」
「そ、そうですね……」
「……そういえば、堀川。体は平気? 手入れを受けたの、初めてだったでしょ?」
「は、はい! もう何とも……ちゃんと、直りましたから……」
「そっか」
「はい」
「…………」
「…………」

 二人の間にあるものが、加州と堀川の足音だけになった。
 買い物メモを懐に入れながら、ちらりと横目で脇差の彼を見やる。視線はやや下向きで、身体距離は通常よりもやや離れている。でも手を伸ばしたら届かないほどではない、絶妙な距離だ。

(すぐこうやって、だんまりなんだよね……)

 ぎすぎすしている理由は分かり切っているが、別に気にしていないのに、と加州は肩を竦めた。

 本当は、本丸から万屋に繋がるゲートをくぐれば、一瞬で到着のはずだった。だが、いざくぐった先は、万屋からそれなりに離れた地点。え、と思って一度本丸に戻ってからくぐり直したが、結果は同じだった。

 ゲートの行先は、ある程度審神者の手で調整ができる。この微妙な地点の設定は、あの子供がしたことなのだろう。設定を間違えたのかもしれない、と普通なら思うところだが、多分わざとだ。
 少年を知ってしまってからだと、無言の訴えを無意識に受信してしまう。すなわちそれは、歩きながらでも二人の時間を確保し、わだかまりを解消してこい――という、審神者の気遣いだ。(本人が気遣いだと認めるかはまた別の話だが)

 実際のところ、昨日も堀川と会話をしようと思っても、すぐに和泉守の方へと走って行ってしまうので、なかなか一対一の時間を作ることができなかった。わざわざ今行かなくても、というときに「兼さん」と呼び、走り去っていったので、間違いなく避けられていたのだろうが。

(よく見てるっていうか……丁寧、だよなー……)

 驚く以上に感心してしまう。
 確かに、堀川は目をできるだけ逸らそうとするし、傍目でも分かりやすいのは承知している。だが、それでわざわざ二人で話す場を設けるのは抜け目がなかった。
 あの子供のスタンスから「主命」とは言わないので拘束力は存在せず、押しつけがましくないことが尚良い。審神者に威圧され、委縮して、無理に実行に移すなんてもう真っ平だ。自ら「そうしたい」と思い、「そうする」。それが今は叶う環境である。

 ……ただ、まあ。
 環境が整っているからと言って、じゃあ何でもすんなりいくかと言えば、話は別だ。

 結局、これといった会話もできない内に、二人は万屋の前に到着してしまった。足を止めて、視線を交わし合う。何とも言えない空気だ。どっちが先に店に入るかというだけで、互いに遠慮しているのだから、また情けない。

「……入ろっか」
「は、はい」

 ――別に気にしていないのに。

 堀川が気にし過ぎだと思いながら――否、そんな風に言い聞かせながら話しかけていた自分に、自嘲的な笑みが漏れる。余裕なんか元々ない。気にし過ぎているのは、お互い様だ。

 嘗ての主人・沖田総司は、土方歳三と喧嘩をしたとき、どんな風に仲直りをしていただろうか……。

「こんにちは……おや。今度は新撰組のお客様だねぇ」

 万屋に入ってすぐ、店の奥から出てきたのは、前掛けをつけた老婆だった。

「こんにちは、おばーちゃん」
「こんにちは」

 二人が頭を下げれば、老婆は曲がった腰に手を添えながら、皺だらけの顔に柔らかな笑みを浮かべて会釈を返す。

「今日は何を買いに来てくれたのかしら?」

 見かけのわりに澄んだ声で問い掛けて来た。パソコンが備え付けられた勘定台によいしょとつきながら、老婆は加州と堀川を順繰りに見つめる。

「そうそう、お守り、今少しだけお安くなってるわよ?」
「ごめんねー、おばーちゃん。俺達、今日はもう買うもの決まってるの。お使いだからさ」

 加州は懐から買い物メモを取り出し、差し出した。
 老婆は頭の上に乗せていた老眼鏡を目許に下ろし、視線で数字の羅列をなぞる。

「おやまぁ、随分と多いねぇ……。手で持ち帰るものも結構多いようだけれど、大丈夫かしら?」
「うん。元々そうなるって聞いてるから、ヘーキ。気にしてくれてありがとね」
「そうかい? じゃあ少し待っててね、手続きするから」

 そう言うなり、老婆は少し体をずらしてパソコンの画面に向き合うと――先ほどまでの緩慢な動きからは想像ができないほどの早さで、キーボードを叩き始めた。軽快な音に、思わず加州と堀川の目が釘付けになる。

「す、すごい……」

 思わず呟いたのは堀川だ。
 すると、老婆は堀川の方を向いた。恐ろしい事に、画面から視線を外したにも関わらず、キーボードを叩く手は止まっていない。

「なぁに? 恥ずかしいねぇ。でもずーっとここで働いていると、自然とできるようになるものよぉ」

 ターンッ、とキーボードで入力を終えてから、腰は曲がっているのにさくさくと動き回り、手持ち分の荷物を並べ始める。あれとこれは大きいから本丸に直接送るとして、と独り言ちながら、凄い速さで頭の中を整理しているようだった。買う量は相当なものなのに、あまりの手際の良さに驚かされるばかりだ。

「審神者様だってそうでしょう? 初めの内は皆、仕事に慣れていなくて慌てたり困ったり。でも気付いたらそつなくこなせるようになっている。私だってそうだわぁ。初めのうちには、商品を一つ探すのでも苦労したものぉ」

 初めから、大体の事をそつなくこなしている気がする少年の姿を、頭に浮かべる。相槌を打ちながら、まだ少年のことを何も知らないなと考える。

 全ての商品を並べ終えた老婆が、金額を提示した。
 加州は予め持たされていた巾着袋から、その金額分を取り出す。はい確かに、と受け取った老婆が、改めて画面を見直したところで「おや」と声が漏れた。

「あらあら、これとこれも、本丸に送っちゃっていいのかしら」

 老婆が首を傾げる。
 勘定台の上にのっている買い物メモの、二つの数字を指で示した。

「この二つ、お二人のじゃない? 直接送る方の番号になっていたけれど、自分で持ち帰らなくて平気?」

 加州と堀川は買い物メモを覗き込んだ。だが、書いてあるのは数字の羅列。漠然と、資材や包帯、厨の材料が足りないとは聞いていたが、具体的にどれがどういう品なのかは聞いていないので、二人には一体それが何なのか分からなかった。
 眉をハの字にして、二人は顔を見合わせる。

「すみません、その……僕達、審神者さんからお使いを頼まれただけで、何を買うかまでは分かっていなくて……」

 堀川の言葉に、老婆の白い眉が微かに上がる。それから顎に手を添えて考え込み、立ち上がると、一度店の奥へ消えた。
 ほどなくして戻って来て、既に置かれている荷物とは別に、二つの小さな包みを勘定台に乗せる。掌に収まる程度の小さなものだ。

「もしかして、審神者様と喧嘩でもしているの?」

 ぎくりと、堀川は口を結んだ。喧嘩というより、まだ、主だと認められていないだけなのだが……〝審神者さん〟と呼んでしまったことを後悔する。普通は皆〝主〟と呼ぶのだから、老婆が気にするのは当然だ。

「えっと……ちょっと訳ありでさ。あ、でも悪い本丸ってわけじゃないから」

 万屋は政府とも少なからず関わりを持っているはずだ。誤解されて変な情報がいってはたまらないと思い、加州が助け船を出す。
 老婆はゆったりと微笑んだ。

「それは分かっていますよ。でなければ、こういうものを審神者様も頼まないでしょうから。喧嘩をしているなら、きっと審神者様は、仲直りしたいんじゃないのかしらねぇ」

 小さな二つの包みを少し前に押し出し、

「金額は足りているから、開けてみたらどう? 他の本丸に送るべきものは、もう送っておくから」
「え、いや、あの……! でも、審神者さんが頼んだものですし……!」
「やあねぇ、そんなの、万屋の婆さんが手続き間違えちゃったんだって言えば、なぁーんにも問題ないわよぅ」
「いやそんな……僕達審神者さんに怒られ――」

 大慌てで首を横に振り、遠慮する堀川の横から加州が手を伸ばした。ひょいと袋を摘まみ上げた彼に、思わず「加州さん!?」と半ば悲鳴に近い叫びを上げた。

「おばーちゃんが言うんだし、気になるからねー。開けちゃおっと」
「ちょっ、加州さん! 本気ですか!? 勝手な事したら審神者さんに、」
「怒らないよ。審神者さんは」

 肩を竦めて、笑って見せる。金の耳飾りが揺らぎ、光った。

「流石にもう、俺でも分かる。勝手に開けて、あの子が何て言うかも」

 ――〝あーそ。好きにすれば〟

 脳裏に過った、全く愛想のない反応に、くすりと笑う。
 その笑った顔を、堀川は驚いたように見つめた。

「それに、審神者さん、なーんにも俺達に大事なこと話してくれないしさ。おばーちゃんが、これは俺達のじゃないかって言うんだから、確認してもいいと思うだよねー。ね、おばーちゃん?」

 老婆は穏やかに微笑み、何度も頷く。その間に会計を済ませ、他の手持ちの荷物を持ちやすいように袋に入れてくれていた。
 加州は残ったもう一つの小さな包みを取り上げ、堀川の手に乗せる。

「だから共犯。一緒に確認しよ。これで恨みっこなし」
「……でも」

 徐に老婆が立ち上がり、

「手続きが終わった旨、書いてある書類、持ってくるわねぇ。少し待っていて?」

 ゆったりと告げて、店の奥へ再びいなくなった。
 万屋に現在来店している者は他におらず、加州と堀川の二人だけになる。
 今は、丁度申し込みをしている本丸の、演練における対戦の組み合わせが変わる時間帯だ。演練に出向いている者が多いので、新しい客はなかなか来なさそうだ。

 老婆は分かっていて、二人だけにしてくれたのかもしれない。

「……俺も最初にあの審神者さんに会ったとき、沢山怒鳴ったし、審神者なんか嫌いだって言った」
「……!」
「でもそしたらさぁ、あの子、俺に何て言ったと思う?」

 加州は指先で包みを開けた。
 中から出てきたのは――美しい、深紅の、マニキュア。

「審神者を許さなくていいんだって」

 不思議と、驚きはない。目敏いあの子供のことだ。加州の爪紅がほとんど剥がれてしまっていることには、気付いていてもおかしくはない。

「何かその後も、色々みんなからあの子の話を聞いて……あー、信じられるなーこの人。この人が主ならいいなーって、思ったんだよね、俺」

 買い与えようとしてくれるのは哀れみや同情ではなく、ひとえに「加州は欲しがるだろうから」という思いだけだ。

「だから、一度も会話したことがない堀川が敵意剥き出しにするのは当たり前っていうか。沖田くんや土方さんだって、喧嘩してたことあるでしょ。それと一緒。ぶつかりあった方が手っ取り早いかなって思ったから、俺も刃を向けた。おあいこってね」

 驚かなくても、嬉しくないわけがない。
 本当は何も言わずに本丸に送ってもらって、適当に理由をつけてから渡してくれるつもりだったのかもしれないが。

「……でも、加州さんは今も、あの子供のことを、主って呼ばないんですね」

 堀川は、まだ開封はせず、包みを手の中で転がした。
 少し赤い目を丸くしてから、加州から声が返って来る。

「そーね。あの子が呼ばれたがってないから」

 主と呼ぶと、少年は露骨に嫌そうな顔をする。照れ隠しとかではなく、本当に嫌らしく、会話の中で〝主〟という言葉が混ざり、それが自分を指していると分かる時、必ず目を伏せたり、顔を逸らしたりする。

「勝手に呼ぶのはできるし、他の奴らがあの子のことを〝主〟って呼ぶのは悪い事だと思ってないよ。何だかんだ、慕ってるって分かってもらえるのは間違いないと思うし」

 開けなよ、と手で急かされて、堀川は遠慮しながらも、包みを解きにかかった。

「ただ、本丸の初期刀の俺が呼んだら、あの子は一番苦しむ気がする」

 堀川は、息を飲んだ。包みの中からころりと出てきたのは、二組の――浅葱色の、ピアス。とても小さな、粒みたいなピアスと、絶妙に目立つ複雑な造形をした、揺れるタイプのピアスだ。
 ぱっと見て分かった。片方は、堀川の分で、もう片方は……和泉守の分だ。

「俺は、あの子が観念して〝主〟になったときにそう呼ぶつもり。だから、堀川」

 何が、必需品の買い出し当番なのだろう。こんなもの、必需品でも何でもない。無くてもまったく困らない。

 浅葱色のピアスで、相棒とお揃いのものなんて、本当に、必要のないものだ。今だって、紅いピアスをつけているのだから。
 なのに、堀川がどんなものなら喜ぶか――分かっているようなものを購入させて。しかも本人たちに、何も告げずに。

「堀川は、あの子のこと、良かったら主だって認めてあげてね。本当のこと言うと、さっさと観念させて、俺も主って呼びたいからさ」

 手入れの温かい光を発しながらも、一切、恨み言を言って来なかった少年が、無理に会話をさせようとしてこなかったこと。何も無理強いしてこなかったこと。

「……っ……はは、……変な審神者ですね……あの子……!」
「あ、やっとわかった? 俺もずっとそう思ってる」

 震えながら、ピアスを掌の中に握り締め、胸に当てる。声が震えるが涙は出てこなかった。口許が緩んで、自然に笑顔がこぼれて来る。

「加州さん」
「うん?」
「すみませんでした。色々」

 堀川が、加州を見つめた。ぴったりと視線が合う。
 すっきりとした顔の脇差に、打刀も微笑んだ。

「改めて、これからも宜しくね。堀川」
「はい!」

 今更こんな挨拶をすることになるとは。二人は妙にむず痒くなって、笑い合う。そのタイミングで、

「はい、お待たせしましたぁ」

 と、老婆が書類を持って店の奥から戻って来たのを見て、二人はまた笑ってしまう。堀川は身を乗り出した。

「お婆さん、僕達の話、聞いてたんでしょう?」
「はてねぇ。最近は耳が遠くて、何とも」

 会話には全く支障がないのに、何を言っているのか。ころころと上品に笑いながら、老婆はそれぞれが手に持っている小さな包みを見つめながら問い掛ける。

「さ、お二方。送る分は本丸に送ってしまったけど、その小さな包みはどうしようかしら? やっぱり今から送る?」
「いいえ」

 にっと、加州も堀川も笑みを作る。差し出された書類を受け取って、答えた。

「このまま手で持ち帰ります!」
「そうかい。じゃあ、また来てね。審神者様にも、宜しく」
「はい、ありがとうございました!」

 加州と堀川は、分担して勘定台に乗っていた紙袋を両手で抱え上げ、老婆に背を向ける。万屋を出て行こうとして、加州は足を止めて振り向いた。

「そうだ、おばーちゃん」
「はぁい?」
「ついでに聞きたいんだけど。今回注文したのって、例えば俺と堀川じゃなくても、手持ちで帰らなくていいかって聞いてたりする?」

 万屋の老婆はにこにこと、笑顔を絶やさず、

「そうねぇ。確認は、したくなってしまったかもしれないわねぇ」

 堀川は驚いた顔をし、なるほど、と加州は呆れ顔をする。勿論、必需品も沢山注文の品の中にはあるのだろう。だが、異常に量が多いのはそういうことだ。

 審神者らしいというか、どうやって渡すつもりなんだと疑問に思うというか。

「さ、早くお行きなさい。またのご来店をお待ちしてるわね」
「うん。またね、おばーちゃん」
「ありがとうございました!」

 加州と堀川は、頭を下げて、万屋の外へと出て行った。

 青空を見上げた堀川が、息を吐き出す。抱えている紙袋の中は今にもはち切れんばかりに入っていて、重量もかなりのものだ。それでも、万屋に来た時よりもはるかに、今の方が足取りは軽かった。

「ねえ堀川?」

 加州は、抱えている紙袋の陰から顔を出すようにして堀川を見た。

「何ですか?」
「あのさ、まだ日も高いし……よっと……」

 荷物を器用に抱え直しながら、銭の入っている巾着袋を取り出すと、少し揺らして見せた。中からは、ちゃり、と銭の擦れる音がするが……。
 加州の言いたいことがいまいち伝わらず、堀川が首を傾げる。
 すると、彼は巾着袋をそのまま、堀川に投げて寄越した。

「うわっ、ちょ!?」

 慌てて片膝を持ち上げ、そこに荷物を乗せる。片手を離し、投げられた巾着袋をどうにか受け取った。
 ――その巾着袋が、予想していたよりも重いことに驚く。

「え、今お支払いして、こんなに残ってるんですか……?」
「うん。多分、それも審神者さんの気遣いじゃないかなーと思ってる」

 お金が足りなかったときのために余分に持たせてくれた、というには少々持たせすぎの金額だ。先ほど支払う際に残金を見たが、大体二人でちょっとその辺の甘味処でお茶をするくらいの金額は入っていた。あの子供が無意味にすることとは思えない。
 万屋の行き帰りだけでわだかまりがなくならなかったら、もうちょっと話してから帰ってこい。そんなところだろうか。

「ちょっとだけ、甘いものでも食べて行かない?」

 もうわだかまりは無い。否、もしかしたら少しは残っているかもしれないが、解消すべき一番の大きなものは、きっと先ほどの会話で消えている。
 それでも、せっかく持たせてくれたお金なのだから――

「加州さん」

 巾着袋を握り締め、堀川はやっと、堀川らしく明るく笑った。

「できたらお土産も、ですね!」
「……へへ。そーね」

 本丸に顕現されたときは、こんな日が来るだなんて思わなかった。
 幸せを噛み締めながら、二人で、甘味処を目指して歩きだした。

   ***

 手頃な価格の甘味処に落ち着いてからは、顕現された頃の苦い思い出から、かつての主人たちの話へと遡り、かと思えば今の本丸にいる新しい審神者の話になりと、思いの外しっかり盛り上がってしまった。もうすっかり日は暮れており、加州と堀川は慌てて帰路についた次第だ。

 玄関の引き戸を開いた。同時に、視線の先で鯰尾藤四郎は立ち上がり、敬礼のポーズをとりながら軽い調子で口を開く。

「おー! おっかえり、加州さん、堀川さん!」
「遅かったですね。もう皆さん、夕飯を待っていますよ」

 鯰尾の隣りに並び立ったのは、宗三左文字だ。思いがけない二人の出迎えに、加州と堀川は顔を見合わせる。

「えっと、遅くなってすみません……!」

 取り敢えず、といった様子で堀川が詫びる。抱えている紙袋を、鯰尾と宗三に手伝ってもらいながら玄関の脇に下ろした。

「いーえ! 二人が遅いのは多分いいことだからあんまり気にするなって、主に言われたので!」

 歯を見せて笑う鯰尾に、やはりお金を多めに持たせたのはそういうつもりだったか、と加州は一人で納得する。しかし、笑っている脇差の表情が……必要以上に笑顔全開に思えて、不思議そうにした。心なしか、声もいつもより高く、テンションが高そうだ。

「どうしたの、鯰尾。もしかして、俺達がいない間に何かあった?」
「え!? ええっとぉ……」

 本気で隠す気がないのか、本当に隠すのが下手なだけか。鯰尾は視線を彷徨わせる。にやけきった口許を隠すように手をかざすが、口角がつり上がったまま下りていない。
 そんな彼の様子を見かねた宗三は、やれやれと腕を少し広げながら、

「食堂に行けばわかりますよ。まあ……本人たちは本気ですが、愉快な図……なのではないでしょうか。僕達からすると」

 堀川も、ますますわからないと眉根を寄せた。

「本人たちは本気の、愉快な図……?」

 ――さて、加州と堀川は、鯰尾と宗三にも手伝ってもらいながら荷物を運び、食堂へと顔を出したわけだが……宗三が口にした妙な言い回しの意味を、すぐ理解することになった。

 食卓に並んでいるのは、握り飯と漬物と味噌汁という、朝食の狂った量からするとかなり質素なメニュー。(万屋から直接送った荷物に含まれている食材は、既に届いているはずだ。だが燭台切なりの、朝食に対する反省の表れなのだろう)
 その食卓を挟み、身を乗り出して睨みあっているのは、少年と、和泉守兼定であった。

 怒鳴り合っている内容は、こうだ。

「何度も言うけど、お前、何で手首を捻挫してたこと言わなかったわけ? それ骨までいったら手入れの難易度跳ね上がること知らねえの? つーか何痛み我慢してんだよ怪我したら言えっつったろこのチンピラ刀」
「あぁ? 言うじゃねえかガキの分際で。人間様は言う事が違うねぇそりゃそうか人間様はなかなか怪我なんざ治らねえもんなぁ? 俺が平気だって判断したもんをとやかく言われる筋合いねえんだよ」

 ほとんど一息で早口に、つらつらと述べる二人の表情は極めて不機嫌だ。
 和泉守は手袋を外しており、右手首には包帯を巻いていた。

「和泉守が適切な判断できるなら信頼するけど、お前できないだろ。平気だって言ってるそばから飯の皿さえ上手く持てなくて落としてんじゃねえか。だからガキの分際で指摘してんだろうがそんなこともわかんないわけ刀剣男士最年少」

 びきり、と流行りの刀のこめかみに青筋が浮かび上がる。

「はぁ? 何だテメェ、ここに来て俺が最年少だからなんだって言うんだよ言ってみやがれ、流行りの刀ナメんじゃねえぞ」
「お前だって俺にガキの癖にって言ってるだろうがそれとさして変わらないだろ。大体、力仕事要員とは言ったけど、離れの屋根から落ちたときに受け身とりそこねて手首捻挫ってダサすぎるだろ」
「たまたまだよ!! 今剣の奴が急に下で叫びやがるから何かと思ったら足踏み外して」
「もぐらがいてかわいかったんです」

 しれっと頭の後ろで手を組みながら答える小天狗に、「今剣!!」と和泉守は怒鳴った。
 今剣はぺろりと舌を出し、全く怖がっていないくに、素早く石切丸の後ろに隠れた。石切丸は苦笑を浮かべるばかりだ。
 
 ……なるほど。何とも分かりやすい。そして何て平和な喧嘩なのだろう。殺伐としているように見えるが、本人たちはいたって真剣、しかし周りから見ると非常に平和――言い得て妙である。

「……あー……和泉守のやつ、やっちゃったわけね」

 納得して加州は荷物を下ろすと、腕組みをした。
 そういうこと、と隣で相槌を打ちながら答えるのは獅子王だ。

「主、怪我したこと全部伏せておくと、めちゃくちゃ怒るからなァ」
「俺たちも、お守り持ってないで戦いに止めに入ったって言ったら、めちゃくちゃ怒られましたからねっ」

 鯰尾が笑いを噛み殺しながら言う。宗三もくすりと微笑み、「びっくりしましたね、あんなことで怒られるなんて」と肩をすぼめた。怒られたことを嬉しそうに語るのはおかしなことかもしれないが、こちらを案じて怒られるのは初めての経験で、笑いが込み上げてしまう。
 まだ審神者と和泉守の喧嘩を眺めはじめて数分しか経っていないが、内容は手に取るように分かった。

 つまり、内容はこうだろう。

 離れで掃除をしていた和泉守は、屋根にのぼって作業を進めていた。そのとき、下から今剣が突然叫んだので、驚き、慌てて下の様子を伺う。瞬間、足を滑らせて屋根の上から落下。積もっている雪がクッションになってはくれたが、変な落ち方をして受け身をとり損ね、手をついた。その時に手首を捻挫したが、審神者には報告しなかった。しかし夕食の段になって、皿を落とした和泉守が手首を抑えていることに気付き、怪我を隠していたと審神者が理解する。そして、今に至る。

「常に怪我して過ごしてたから、痛みを我慢するってのは普通のことだしな、俺たちは。和泉守もまだ怪我を大将に報告するっていう発想がそもそもないんじゃないか?」

 取り敢えずの応急処置をしたのは薬研なのだろう。持っている一巻きの包帯を手の中で弄びながら呟く。
 獅子王が首肯する。

「薬研なんか主との初対面、腹に穴空いてたもんな」
「ははっ、あれは酷すぎた」

 思い出した様子で薬研が笑うと、「笑い事ではないのだがな」「流石にへし切に同意」と長谷部と不動が苦い顔をして見せた。
 しかし、もう随分と長いこと怒鳴り合っているようだ。食事も見えていた湯気が疎らになってきている。

 燭台切は止めたい意思はあるものの、おろおろとするばかりで手が空中を彷徨っている有り様だ。鶴丸は妙にきらきらした目で喧嘩を見ているし、大倶利伽羅は我関せずと食堂の隅で壁によりかかったまま目を瞑っている。

 なんだか、もう少しこの殺伐とした平和な喧嘩を眺めていたい気もするが、料理が冷めて美味しくなくなるのは忍びない。
 軽く咳払いをして、加州が進み出た。

「審神者さーん、ただいま。何やってんの?」

 和泉守に怒鳴るのに夢中になっていたらしく、初めて審神者がこちらを向いた。

「うるせえな……戻ってたのかよ、加州。堀川。お疲れ」

 苛々した口調のくせに、労いを忘れないあたりがまた、彼らしい。
 審神者の意識が加州に向いたことにより、自然に和泉守の注意もそちらにそれた。すると、視界に入ってきたのは、加州の隣に立っている――

「国広!」

 味方が来た! 顔にそう書いてある。
 堀川は和泉守の輝く目にたじろいだ。相棒としての温かな光が灯ることはあれど、こんなに爛々と輝いているのは見たことがなかったのだ。

「戻ってたのか! なら、お前からも言ってやってくれ!」
「ええっと……どうしたの? 兼さん」
「どうもこうも、この程度の怪我で喚きやがるんだよ! この頭の固えガキ主が!!」
「えっ」

 呆けた堀川の目の前で、和泉守がせっかく巻かれている包帯を素早く取り去った。白い包帯の下から出てきた手首は、赤く腫れ上がっている。確かに、これまで負ってきた怪我と比べなくとも、普通に軽傷の部類だし、審神者が必要以上に騒ぎすぎな気は少しした。
 そこまでで、堀川の脳の信号は、全く別の方向へと滑った。

(兼さん……今……)

 目の前で色々喚いている相棒が見える。だが、声は形をなして耳に届いていなかった。
 初めて聞いたのだ。憎しみが込められていない〝主〟という呼び声を。相変わらず怒っているようだが、どこか楽しそうにさえ見える。

 はっとして、堀川は周りを見回した。
 ずっと静観していた他の刀剣男士たちを見れば、誰も彼もがそうだった。楽しそうな、おかしそうな目の色だ。

(対等に怒鳴り合ってもいい審神者……)

 少年を徐に見やる。すると、丁度相手も堀川の方を向いた。突然、視線がかち合って、堀川はぎょっとした。
 灰色の瞳を、真っ向から受け止めて、唾を飲み込む。

「……お前も怪我、隠してたりしないだろうな」

 声を低くして問われる。
 首を横に振ると、「ならいい」とあっさり視線を外し、

「とにかく! 和泉守は食い終えたら手入れ受けろ。罰として今すぐはやらねえ。精々箸使うのに苦労しろ」

 思わず、和泉守は表情を歪めた。
 朝食、昼食と既に食事をしているので、利き手の手首の自由が利かない状態では箸を使う難しさは容易に分かることだ。

 そのとき、パンパン! と、景気の良い掌の打つ音が聞こえた。

「はい、話はまとまりましたかっ!」

 両手を打ち鳴らしたのは、加州――ではなく、その横にいつの間にか並び立った平野だ。少し気恥ずかしそうに頬を紅潮させているが、胸を張った。

「そろそろ食べないと、せっかくのご飯が冷めてしまうので!」
「ひ、平野くん。大丈夫だよ、味噌汁だって温め直せば……」

 燭台切はそう言うが、少年は肩を竦めた。

「いや。平野の言う通りだし食べる。いつまでも最年少刀なんか相手にしてられるか」
「んだとコラぁ!!」
「か、兼さん! まあまあ! 主さんも煽らないでください! 兼さんはほら……こうですから!」
「国広ォ! こうってなんだよ! テメェどっちの味方だ!!」
「兼さんはどっちが味方とか子供みたいなこと言わないの! あんまりめちゃくちゃなこと言うと食べさせてあげないよ!!」
「誰がそこまで頼んだ!?」

 ぎゃあぎゃあ喚く和泉守を押し留めながら、横目で少年を見やった。

(……あ、)

 灰色の瞳が、先ほどとは違う意味を込めて、堀川を凝視していた。それから、眉間に深く皺を刻み、顔を背けた。

 理由は、分かっている。堀川が、〝主さん〟と呼んだからだ。

 本当に、主と呼ばれることを嫌がっているらしい。その真意は分からないが、少年に刀剣男士を服従させたい意思が欠片もないことを実感した。

 同時に、加州の、「初期刀が〝主〟と呼んでしまったら一番苦しむ」と言った意味も、分かったような気がした。

   ***

 夕食はかなり質素だったが、それでも目を剥くほど美味しく、おにぎり一つをとってもこんなに味が変わるものなのかと驚く。
 最初から和泉守が思いがけないそこそこの怪我を隠していたものだから、思わず変に怒鳴ってしまったが、今は和やかな食卓になっていた。

 ……その和やかな食卓を囲む一人にはなりたくなかったんだけど。

 ――ああ、でも、今日は丁度いいかもしれない。
 

 俺は鮭のおにぎりを一気に口の中に押し込んで、緑茶で飲み下してから「少しいいか」と口火を切った。
 どいつもこいつも、結構驚いたみたいで俺の方に注目する。とても居心地が悪い。

「珍しいな? こういうときに主が声掛けるなんて。何だ、また頼ってくれるのか!?」

 遠慮なしに笑顔全開で訊いてくるのは、いつも通り金髪の太刀だ。はいはいうるせえ、黙っとけ。
 そうやってあしらったら、唇を尖らせながらも獅子王は静かになり……驚くほどシンと静まり返ってしまった。

「……俺が話すから飯食っちゃいけねえってルール、別にねえぞ」
「いいから、とっとと話せよぉ。何ですかぁ? ひっく」

 先を促す不動も、何だかんだ甘酒の瓶を傾けるのをやめて、頬杖をつきながらこちらを見ている。
 もっと、片耳を貸してくれるくらいでよかったんだけど……。

 そのとき、足元に何かがするりとすり抜けた。見下ろしてみると、椅子の下から顔を出したのは黒いこんのすけだ。焦らし過ぎっス、と半眼を向けられる。
 本当にこの黒い管狐は、腹立たしい。

「……明日、演練に行く事になった」

 刀剣連中が、息を飲んだ。
 急で悪い、と軽く頭を下げてから続ける。

「通常なら、演練に参加する部隊だけを連れていくことになるんだけど……この本丸は特殊だろ。多分……お前ら自身が分かってるように」

 膝の上に乗せている両手を、強く握り込む。

「そんで、一応全員連れて来るように政府から言われてる。だから、明日は全員武装して朝から本丸のゲートに集合して欲しい」

 自分が今、どんな顔をしているか分からない。何度も練習したから、上手く言えているはずだと思った。
 しかし、すぐにこいつらのことだからお祭り騒ぎになるだろうと思ったら、妙に静かで不安になって来る。懸命に表情が崩れないように、顔の筋肉に力を込めた。

「……嫌ならいいけど」

 刀剣男士の様子をうかがっていると、顔色が悪くなっている奴までいる。そんなに嫌なのか、と胸の奥がざわついた。半ば癖のようになった言葉を吐く。
 すると、白い太刀が軽く手を振った。

「違うぜ、主。ただ……演練だけは、前の審神者に何回か連れていかれていたからな。皆、そのときのことを思い出しているだけだ」

 前任に連れられて演練に出向いた際、他本丸の目がある中で彼らを虐げるようなことは恐らくしなかっただろう。店主の見ている目の前で万引きをしないのと同じだ。だが、やはり行く前も、帰ってからもどんな対応をされたのかは想像するに難くない。演練で負けて、報酬が少なくなった場合等はとくにだ。

「思い出して辛いなら……」
「それこそ、癪だよね」

 俺が言いかけると、言葉尻に被せて声が発せられた。
 食事の手を止めていた蛍丸が、味噌汁の椀を取ってズズッと啜る。

「前の審神者となら行けた演練が行けないなんてさ」

 黄緑の爽やかな、円らな瞳が俺を映す。そこに一切の迷いはない。

「いいよ、俺は。真打登場ってね。任せて、審神者さん」

 刀剣男士の中では、まだあまり会話を沢山しているわけではない蛍丸が、いの一番にそう言ってくれるとは思わなかった。
 そして、蛍丸が行くと言ってくれたのを皮切りに、全員が急に元気を取り戻す。

「は……確かに。蛍丸の言う通りだな。俺まで、何急に前のこと気にしてるんだか……悪かった、大将。俺も行くぜ。誰が相手だろうが、ぶっすりいかせてもらう。期待してくれて構わん」
「演練かぁ……! ボクたちは封印されるより前だから、もうどんな雰囲気かも忘れちゃったかも……ううん! あるじさんがいるんだから、きっと前の印象なんて関係なく、楽しいに決まってるよね! ボクも頑張るよ!」

 薬研と乱が椅子から立ち上がり、気合十分に両拳を作る。その後も、長谷部がいつものように叫んでたり、伊達の刀の連中が互いに頷き合いながら拳をぶつけ合ったりしていた。他の奴らも遠からずの反応だ。全員、明日ゲートに集合する意思があるようである。
 俺はほっと息を吐いた。

「……じゃあ、明日、朝飯食ったら武装して、ゲートに集合。遅れるなよ」

 応、と応える声が重なると、かなりのボリュームだ。苦笑して、うるせえなあ、と言いながら俺も再び食事を再開した。
 一瞬だけ、視線を隣へと流す。やんややんやと、結局お祭り騒ぎになっている奴らの中で、一人、銀の目とかち合った。
 じっと、顔を覗き込むようにしてこちらを見つめている、金髪の太刀。俺が一番苦手な目をしていた。

「…………何だよ、獅子王」

 顔を顰めて問うと、微かに獅子王は目を細め、

「俺も頑張る。この獅子王様に任せとけ」

 静かに言って、おにぎりを掴み、食べ始めた。足元に下りている鵺も、唸ったような気がする。
 ……舌に何かが絡みついたように、上手く動かない。結局、無視をする形で誤魔化して、返答を紡ぐことはできなかった。

   ***

 ――翌朝。青空が広がり、雲ひとつない快晴になった。本丸に積もる雪が朝日を反射して、きらきらと輝いている。
 穢れがひどく、息もしづらい本丸。雪は傷ついた刀剣を転がすための、拷問道具に近しいものだった。それを今は、美しいと思えることが驚きだった。

 朝食を終えた後、我先にとゲートの前に集まってるみんなは、浮き足立ってるみたいだった。
 武装自体は珍しくない。ほんの三日前にも審神者を信じられない刀と、信じられる刀で刃を向け合っていたのだ。だが、審神者の命令下で、嫌だなという負の感情を抱くこともなく、皆が同じ方向を向いて刀を携えるのは、ある意味初めてだったかもしれない。

「血の匂いがしない武装、初めてだね」
「本来ならこれが普通だ。俺たちがおかしい」
「まっさらだと逆に落ち着かんな。いや、怪我してたいわけではないんだが」

 燭台切のあまり笑えない感想に平然と返すのは、大倶利伽羅と鶴丸だ。怪我をしていた期間が長い彼らを遠目に眺めてから、今の今まで会話していた五虎退の頭をひと撫でして、後藤は大倶利伽羅に歩み寄った。

「大倶利伽羅!」
「……」

 後藤に気づいた大倶利伽羅も歩み寄る。

「今日の演練、一緒に頑張ろうな!」
「……とりあえず全員来いと、政府が言ってるから行くだけだ。全員が演練に出られるとは限らない」

 出られる、という言葉を使うところから、大倶利伽羅もそこそこに高揚しているようだ。可能なら出たい気持ちの表れ。彼らは刀剣男士であるがゆえ、戦いたい気持ちは最早本能だ。

「でも一緒に演練に出られるかもしれないだろ?」

 後藤の言葉には答えない。
 だが、大倶利伽羅の場合、否と答えないものは肯定と捉えて、大抵は問題がない。

「だからよろしくな!」

 手を差し出すと、大倶利伽羅は後藤を一瞥し、溜息を吐いた。それから、手を差し出し、いい加減な割にはしっかりと握り返した。

 少年がゲートに来たのは、この本丸の刀剣男士が全員揃ってから少し経った時間だった。手に紙袋を持って、雪を蹴り上げ、襟巻きを靡かせ、ゲートまで走ってくる。頭には黒いこんのすけが乗っており、この本丸のこんのすけは少年と並走していた。
 肩を上下させながら、集まっている刀剣を見回す。

「ごめん、遅れた」
「も、申し訳ございません……!」

 ぜえはあと息を切らせるこんのすけの隣に、ひょいと黒いこんのすけが降り立つ。

「あんたが謝ることないっスよ。審神者さんが無茶を言い出したのがいけないんです」
「いいえ! いいえ!! 私がもっと政府に積極的に掛け合えば良かったのです! 初めての演練で、刀剣男士の皆様に士気を高めて欲しいからと、審神者様がせっかく考えて下さったのに、私は!」
「あーあーあーうるせえ。うるせえ、こんのすけ」

 結果、間に合ったからいいじゃねえかよ、と言ってこんのすけを黙らせたのは、他でもない少年だ。
 少年は呼吸を整えてから、

「これ、慌てて買いそろえて、送ってもらった。全員一つずつ持て」

 そう言いながら紙袋に手を突っ込むと、順番に刀剣男士に手渡していく。半透明の、薄い包装紙で包まれた、掌サイズのもの。
 後藤も受け取り、不思議に思いながら包装紙を解く。

 出てきたのは、美しい刺繍が施された、上質な黄金の布。中には、高濃度の霊力を閉じ込められている一級品――刀剣破壊を防ぐ超的な力を持つ、お守りだった。

 どよめいた。後藤も息を呑んだ。こんな上質なものを、ここにいる刀剣男士全員に配っている……。妙な胸騒ぎを覚えた。
 それは後藤だけではなく、他の刀剣も感じたことだったらしい。

「あの……さにわさま? えんれんでは、けがしたぶん、ちゃんとなおしてもらえますし、おまもりはひつようないんじゃ……それに、これ……」

 今剣も焦りながら、言葉に困っている。彼らは全員、審神者が買い与えたお守りを、既に持っている。青い生地の、もう少し安価で買うことができるお守りだ。
 なのに、こんな高価なお守りを渡されて、狼狽えないはすがない。すぐに懐にしまうこともできず、小天狗は小さな両手でお守りを掴んだまま、麻呂眉を下げた。どうしたらいいのか、わからないのだ。

「主……すげえ嬉しいけど、なんでこんないいお守り、今くれるんだ?」

 獅子王も訝しげだ。嬉しいと口では言っても、表情に浮かぶのは困惑の色の方が遥かに強い。
 全員に渡し終えて、音を立てながら紙袋を折り畳んでいる子供が、心底迷惑そうに顔を上げる。

「……別に今渡そうが何しようが、俺の勝手だろ」
「いや……でも、わざわざ今じゃなくても良かったんじゃねえの? だって、こんのすけが言ってんの聞こえたけど、無理して政府に送ってもらったんだろ?」

 隠しもせず、審神者は舌打ちをした。苛々とした様子……否、違う。機嫌が悪いのではなく、少年は、焦っている。
 ……何故今、そんなに焦っている?
 ……何を、隠しているのか?

「いつもちんたらしてる政府に嫌気がさして、急かしただけだ。どうでもいいこと疑ってんじゃ――」

 ――ガシャアアアァァン!!!!

「!!!??」

 唐突に、天を裂くような崩壊音が響いた。
 皆、咄嗟に刀の鞘に手を添えるが、何が起きているかわからない。

「――くそっ!! こんのすけ!!!」

 最初に動いたのは、子供だった。手に持っていた畳んだ紙袋を投げ捨て、鋭く叫ぶ。
 咄嗟に、この本丸を担当するこんのすけが「はいぃ!?」と素っ頓狂な声を上げたが、子供が指した〝こんのすけ〟は、そちらではなかった。

 黒いこんのすけが、素早く動き出す。刀剣男士たちの間を縫うように走り、ゲートに一番近い位置に移動する。そして、ぴんと、尻尾を真っ直ぐ天へ向けて立てた。
 審神者が、懐を探り呪符を取り出した。三枚を空中に投げ上げ、両手を構える。幼い両手から光が溢れ、複雑な文字が現れ、宙を踊る。術式の展開だ。

 すると、一瞬で刀剣男士たちを包むように、淡い輝きをもった結界が現れた。
 審神者は、その外から霊力を注ぎ込んでいる。

「主!?」

 獅子王が慌てて手を伸ばすと、二人の間にある結界の壁が瞬き、太刀の指を弾き返した。
 その指先に感じた霊力が、審神者のものだけではないことに気付き、獅子王は振り向く。黒いこんのすけの全身から、霊力の光が溢れ出ていた。この結界の強度は、あのこんのすけに力によるところも大きいらしい。

「……よかった、ぎりぎり間に合って。いや間に合ってって言うのかこれ。まーいいや」

 少年が面倒くさそうに呟く。
 どうしてか、さっきまでの焦った声とは異なり、寧ろ今の声音の方が、普段通りだった。

「何言って……」

 獅子王の声が震える。突然すぎて、状況が分からない。
 どうして、ゲートごと刀剣男士を結界で包んでいるのか。そこに審神者が含まれていないのか。
 そこで後藤は、目を見開く。――気付いてしまった。

「っ……!? 大将、あれ……!」

 本丸の上に広がる空。雲もない、青い色が満たされていたはずなのに、どんどん暗雲が巻き起こり始めている。
 そして、本丸からは見えるはずがない……本来ならば、戦場で嫌という程目にする、赤い、光。

 刀剣男士が、いつも、対峙する光。

「時間遡行軍……!?」

 誰が呟いたか、分からない。だが、その通りだった。刀剣男士が敵の光を見間違えるはず等ない。
 上空から、本丸を覗き込むようにいくつも赤い光は増え、次第にその姿がはっきりしてくる。夥しい数の歴史修正主義者の、姿。
 青ざめた薬研の頬を、冷や汗が伝う。

「おい……まさかさっきの音って……!」

 きっと、誰もが嘘だと叫びたかったはずだ。
 先ほどの音の後、突然見えるようになった赤い光に、はっきりと見えてくる姿。

 本丸の結界が、破られたのだ。

 刀剣男士の誰もが、主、審神者、大将と、様々に審神者を呼んだ。間にある結界の壁に拳をぶつける者もいるが、びくともしない。

 ――――ガキァン!!!

 変な金属音が響いて、目を向ける。
 刀を抜いた大倶利伽羅が、審神者が張った結界の壁に斬りかかっていた。
 彼の打刀をもってしても、傷一つつかない壁に顔を顰めた。立て続けに刃を振るい、どうにか壊してしまおうとしているが、響くのは結界が壊れる音ではなく、弾かれる金属音ばかりだ。

「やめろっての。せっかく手入れしてやったのに刃毀れするぞ」

 平淡な声で審神者が言う。
 穢れを祓った本丸に、時間遡行軍の吐き出す瘴気が少しずつ侵入してきている中、一切それには言及せず。

「結界を解け。主」
「は? 嫌だけど」

 大倶利伽羅は怒気を込めて言ったが、にべもなく断った。

「……まあ。もうお前らと一緒に仲良くお手て繋いでなんて、俺はもう嫌なんだよ。言ったろ、俺は刀剣男士なんか大嫌いなんだ。だから……」

 ぎゅっと、唇を引き結び、目を瞑り。……そして破顔して、言った。

「俺には見えねえところで、生きろ」

 掌を改めて結界に当てる。少年の全身が青白く輝く。
 黒いこんのすけが頭をもたげ、甲高い鳴き声を上げた。すると、ずっと沈黙していたゲートが突如として光り始め、結界の中にいる刀剣男士を次々に飲み込んでいく。ゲートで行う、強制移動だ。

 謎の引力に引っ張られながら、必死に獅子王が腕を伸ばす。

「主!!!!」

 喉も裂けよとばかりに張り上げる声に対して、少年が応えた、小さな言葉。

「主じゃねえって言ってんだろ」

 その呆れたような言葉が聞こえたときには、もう、ゲートの奥にほとんど引き込まれてしまっていて、少年の姿は、見えなくなっていた。