刀剣嫌いな少年の話 拾弐
『ごめんな、みっちゃん』
『■■■■■』
――貞ちゃん……
***
目を開けたら、布団の上にいた。何故布団に入っているのか分からなくて、一度気持ちを落ち着かせるために、意味も無く天井の木目を数えた。途中で、体に痛みがないことに燭台切光忠は気が付いた。
(そうだ。手入れをしてもらったんだっけ)
少年の小さな背中を思い出す。手入れ部屋に運び込まれるまでに、黒い管狐に顔を覗き込まれた覚えもある。
黒い管狐は初めて見たので、この本丸担当の式神ではないはずだ。どういう経緯でここにいるのかまでは、まだ考えることができなかった。
(朝に、なったんだ)
障子から零れて来る光を見やり、ようやく気持ちが落ち着いて起き上がった。身に纏っているものが真っ白の着物だったので、手入れ用の服なんだなと見当をつける。
枕側を振り向くと、刀掛け台が置いてあり、そこには太刀〝燭台切光忠〟が掛けてあった。そのすぐ横に、濃紺の褞袍が畳んで置いてある。
起き出すならこれを着ろということだろうかと、褞袍を手に取って羽織る。
のろのろと立ち上がり、自然にしゃんと背筋が伸びた。視線の高さに慣れず、普段から傷の痛みを庇って前かがみになっていたことを今更知った。
障子に手を掛けて、指先に力を込める。
「っ」
障子を開けて、直接差し込んでくる朝日に思わず目を細めた。吹き込んでくる冷たい風が、頬を撫でていく。肌寒く、吐いた息が真っ白に塗られる。だが、褞袍のおかげで身震いするほどには至らない。
眩しくて、視界が忙しなく明滅する。何度か瞬いて慣らすと、雪が降り積もった真っ白の庭が見えた。なるほど、雪が朝日を反射して輝いていたらしい。
かんかんかん、と遠くから音がする。何かを打ち付けているような音だ。何気なく視線をそちらに向けて、導かれるように廊下を歩きだした。
起きたはずなのに、まだ夢の中にいるかの如く、ふわふわと歩を進める。
徐々に、何かを打ち付けるような音に、会話のようなものが混じり始めた。苦しみ、悶え、怯え、許しを請う声ではない。
もっと楽し気な声。演練会場で、他の本丸の刀剣男士の口から発せられていたもの。この本丸でも聞くことができたらと、いつだったかに願ったもの。
廊下の突き当りを曲がって、庭に面した縁側に出ると、
「ああ……燭台切はん。おはようございます、てところですか? もう昼過ぎですけど」
「……明石くん」
縁側に座った明石国行が顔を上げ、燭台切を見るなり肩を竦めた。膝の上には蛍丸の頭があり、すうすうと寝息を立てている。
二人とも内番着だった。血塗れで青白くなりがちであった肌は健康的な色になっている。
「……何や。まだ夢の中みたいな顔、してはりますなぁ」
「……」
「ま、自分も夢みたいに思ってるんですけどね。変な結界にまんまと入ってしもうたときは、生きた心地がせんかったし」
乱藤四郎、秋田藤四郎、石切丸の三人と戦っていた明石と蛍丸は、彼らを追う内に手入れの結界に誘い出されてしまった。
最初は正体不明の結界に恐れおののいたが、体に感じる温かさは決して不快なものではなく。全身を襲っていた傷の痛みが次第に和らいでいくことに安堵した。これは手入れの光だ、と気付くのには時間がかかった。だが……
『俺だって手入れされてれば、すっげーんだからね……!』
戦闘中、蛍丸が思わずつぶやいた言葉に明石は傷ついた。審神者にしかできない手入れ。自分に何もできないことを思い知り、悔しくなった。
だから、手入れの光だと気付いた時、柄にもなく一瞬、泣きそうになった。待ちわびた光だったのだ。
「……変わった審神者やね、あの子供は」
蛍丸の頭を撫でる明石の手つきは優しい。眼鏡の奥で細められる瞳は、慈愛に満ちている。かと思えば、ふわりと欠伸をして見せた。
これまで、欠伸をする余裕などなかったはずだった。こんなところで、のんびりしていていいのか。出陣しろ、働け、と言われるのではないか。謎の焦りを覚え、早く部屋に戻るように促そうと思うが、何故かできなかった。
ふと庭に目をやると、木材を運んでいる和泉守兼定と、ぐしゃぐしゃになった地面を熊手や鍬を使って均している堀川国広が見える。脇に色々な工具を抱えて何度も往復する小夜左文字や骨喰藤四郎も。
「修繕作業やって。交代で休みながら進めてるんですけど……いやぁ、みんなよう働くわ。蛍丸が寝こけてくれたおかげで、自分も多めの休ませてもらってます。あんまり、自分、やる気がないもんですから」
言葉は力が抜けていて、いかにもやる気が無さそうだ。だが、一言では言い表すことができない穏やかさを帯びている。
「……一つ言うときますと……これ、主はんに強制されて作業してるんと違うで」
燭台切は、明石が言う〝主〟を、あの子供だと理解した。一瞬も疑問に思わなかった。そうか、明石もあの審神者を主と認めたのか、と妙に納得したくらいだった。
「主命なんか、なんもあらへん。けど、皆してああやってこの本丸を直し始めたんや」
不思議なもんやな、と空を見上げる。美しい青空が広がっている。
空が青いという当たり前のことすら、考えるのが久しぶりだった。
「きっとこの本丸を好いとった刀剣なんておらんかったでしょうに、直しとるんやから。大体、ほんの数刻前まで刀向け合って、命のやりとりしてたのに……」
明石の視線の先で、色々な道具を抱えた刀剣男士たちが、作業をする和泉守たちに合流した。乱や五虎退、秋田に不動だ。他愛もない言葉を交わし、笑い、苦い顔をし、作業を続けている。
「――ほんと、訳分かんないよね」
突如、間近から聞こえた声に、少なからず明石は肩を跳ねさせた。見下ろすと、膝の上に頭を乗せた蛍丸の、緑青の瞳が覗いていた。
「蛍。起きてたん?」
「こんなすぐ近くで二人が喋ってたら、そりゃ起きるよ」
まだ眠い感情が瞳の奥に見える。
明石はそれに申し訳なさそうにするでもなく、
「寝てたらええやん、自分は寝られるで。雑音なんか気にならんしなぁ」
と軽口を返した。
それは国行の話でしょ、と不機嫌そうに半眼になって、蛍丸は一つ欠伸をかいた。小さな顔に一切の緊張はなく、隙だらけの様子はこの本丸では初めて目にするものだ。
「……笑っちゃうよね。昨日、殺し合いをしてたのに、ああやってもう共同作業してるんだもん」
和泉守の羽織に木材が引っ掛かり、派手に転倒する。堀川が声を上げ、不動が指を差して笑う。怒った和泉守が不動のこめかみを拳で挟み、ぐりぐりと力を込める。痛い痛いと喚く彼を、まあまあと乱や秋田が止める。遠巻きに見つめて頬を緩めながら、小夜と骨喰が作業を続ける。
馴れ合いだ。茶番だ。仲良しごっこだ。彼らは昨日、刃を向けて傷つけあっていたはずなのに。
「……そうやな。確かに、おかしいかもしれんなぁ」
「国行だって、昨日、本気出してなかったでしょ」
ぴく、と明石の頬が震えた。
「……何言うてんの? そんなこと……」
「一回も左手で刀を持たなかった」
咄嗟に動き出した口が止まる。二の句が継げなくなり、諦めたように笑みを浮かべた。
「……真剣に戦っとったよ」
「うん。知ってる。……でも俺は、結構本気で刀を向けたんだ」
同じ本丸にいる刀剣男士の仲間に、本気で刃を向けた自分が正しかったのか、真剣に戦っても本気にはなり切れなかった明石が正しかったのか。だが、正しさを求める必要はないのだろう。
今なら分かる。刀剣男士が、刀剣男士に向けて刀を振るうのは、極めて異常だ。
そっと蛍丸は、自身の腹を撫でた。昨日まで肋骨も折れていて、酷い痛みを持っていたそこは、今は何もなかった。とんとん叩いてみても、何も痛みを感じない。
「審神者なんてみんな同じだと思ってたけど、違ったんだね」
まだ、手入れを受けていたときくらいしか、子供とは会話をしていなかった。警戒しきって、これといった言葉を投げかけられなかったこともあるし、子供の方も必要以上の会話を求めてこなかった。自分の刀剣男士になれ、とも言わなかった。
その事実に気付いて初めて、審神者側についてしまった者は皆、強要されていたわけではないし、術式をかけられたのではないとも理解した。
まだ、どうしても怖さがある。不信感がある。だから蛍丸は、審神者を主とは認めていない。認めていないけれど、怒られず、殴られず、認めている刀と平等に手入れもしてくれた。
前の審神者と違うということだけは、認めざるを得ないだろう。
「さて……じゃあそろそろ、俺も本丸の修繕作業、手伝ってきますか、とっ!」
言いながら勢いよく起き上がり、縁側から飛び降りる。「あ、そうだ」と出し抜けにくるりと振り向いて、明石の傍らに立つ燭台切を見上げた。
「燭台切さん。悪夢はもう、終わってるよ」
笑顔を浮かべ、走っていく。笑っちゃうよね、と指摘した庭の刀剣男士たちの中に加わった。
蛍丸が離れていってから、燭台切と明石は会話をしなかった。どちらも何となく、茶番を続ける彼らを眺め続けるだけだ。
やがて燭台切は、その場を後にして本丸の中をまた、ゆっくりと歩いた。まるで初めて本丸を訪れた刀剣男士のように、きょろきょろと忙しなく視線を動かした。
いつの間にこんなに綺麗になったんだろう、と不思議に思う。飛び散っていた血がなく、床板も割れていない。時折廊下で見かけた、折れた刀の破片もない。何より瘴気も充満していない。ただ澄んだ空気ばかりが肺に満ちる。
また、何か音がした。先ほどの修繕作業による音よりも、鋭く打ち付けるような音だ。渡り廊下を挟んだ先にある、道場。唯一、この本丸内で本来の使われ方をしたとも言える場所。――ただ、前任の審神者が興味を持たず、刀剣男士が自主的に訓練に励んだだけなのだが。
足をそちらに向けて、一歩一歩前へ進む。中では誰かが手合せをしているらしい。引き戸に手をかけ、開いた。
「――はっ!!」
「おぉぉっとぉ!?」
ズダァン!
けたたましい音を立てて道場が揺れた。白い刀剣男士が盛大に背中から倒れ込み、手から零れ落ちた木刀がカラカラと音を立てて回転しながら、燭台切の足元に転がって来る。
「いっ………つつつ……おいおい、俺はまだ病み上がりだぜ? もう少し手加減を言うものを……」
「泣き言を言うな。大体病み上がりなどと言ったら全員が当てはまる」
「それにしては俺への当たりが強すぎないかい? なあ伽羅坊?」
へし切長谷部にぴしゃりと言われてしまえば、鶴丸国永は道場の壁に凭れて座っている大倶利伽羅に助けを求めた。が、褐色肌の彼は徐に顔を上げ、
「知らん」
「伽羅坊が冷たい!!」
わっと顔を両手で覆い、泣き真似をする。長谷部は呆れ顔で肩を竦めて、転がって行った木刀の方を見た。
必然的に、そこに立っている燭台切と長谷部の視線がぶつかった。長谷部が少し眉を上げる。
「……目が覚めたのか。燭台切」
長谷部の言葉に、鶴丸も起き上がると首を回して戸口の方を振り向いた。燭台切は、声を掛けられても、感情が抜け落ちた様子でぼんやりとしている。
まだ状況を把握できていないのだな、と長谷部は感じた。状況が把握できても、審神者が信頼に当たる存在なのか分からなくて、不動と共に警戒を解かなかった自分を思い出す。燭台切も似た様な気持ちなのかもしれない。
「……うん。……朝から、何してるの?」
「昼過ぎだがな」
そういえば、明石も昼過ぎだと言っていた。先ほど空を見上げた時も、太陽が高い位置にあった。それでも自分は起きたばかりなので、感覚的に朝だと思ってしまう。
「手入れで傷が無くなった今、どれくらい動けるようになったのか試したいと言うので、相手をしていた」
「最初は渋ってなぁ。でもあの子が手入れをしてくれたんだ。こんなに体が軽いのも久しぶりだし、全力で刀を振ってみたいのは、刀剣男士としての性だろう? で、伽羅坊と一緒に頼み込んだんだ!」
「俺は頼んでない」
大倶利伽羅がそっけなく挟んできた言葉を、「でもついてきたじゃないか」と明るく笑いながら流した。
「俺もそれほど暇というわけではないんだがな……大体、他の奴らは本丸の修繕に精を出しているというのに、首謀者の貴様らがこんなところで……」
「あーあー、分かってるって! ちゃんと終わったら手伝いに行く! その説教はさっき耳にタコができるほど聞いたぜ!」
「反省している気配が無いから繰り返してるんだ。何度でも聞かせてやるが?」
「理不尽!!」
打てば響く受け答えだ。しかし、そこに憎悪や怒りはなく、ただ楽し気な空気が彼らを包んでいる。
燭台切は目を細めた。真っ赤だった姿の方ばかりが思い出されて、目の前にいる鶴丸の白が、ひどく眩しく感じられる。
ふと、長谷部がこちらを向く。
「ところで、燭台切。主とは会ったか?」
問いかけに、何回か瞬きをしてから燭台切は首を横に振った。目が覚めて勝手に部屋を出てきて、ふらふらと歩き回っていたが、明石や蛍丸と話をしたくらいだ。途中であの子供の審神者と遭遇はしなかった。
「そうか。お前に話があるようなことを仰っていたが……嗚呼、いや、お前から出向けというのではなくてだな」
燭台切に不安を感じさせないためだろう。一人で審神者の元へ行かせるのは酷だと判断したらしい長谷部が、否の意味を込めて、手を振って見せた。
審神者が僕に話、と小さく呟く。前なら、恐怖で体が凍りついた。しかし今は純粋に、どんな話かな、と疑問を抱くだけだった。だから、
「……審神者くんは、どこにいるの?」
会おうと思わない限り、口をついて出ない質問だった。自ら審神者に会おうと思ったのは初めてだ。
長谷部が驚いた様子で燭台切を見つめていた。だがそんなに間は置かず、「今頃はまだ部屋でお休みになられていると思うが」と答える。その返事に、隻眼の彼の表情が曇った。
「……昨日のせいで?」
めちゃくちゃな戦い方をしていたことを、忘れたわけではない。完全に魂が堕ちると思われた瞬間、審神者が浄化してくれたことも。あの瞬間だけで、幼い体に見合わないほどの霊力を使いこなしているのは充分過ぎるほど理解できたが、子供は子供だ。小さい彼に無理を強いたことは想像に難くない。
「勿論それもあるが、あの方はご自身のことを顧みずに霊力を放出して何口でも手入れをする傾向にあってな。泣けてくるがこれが初めてではない」
心底呆れたと言う声で遠い目をしながら語る長谷部に、燭台切は小首を傾げる。だが、鶴丸と大倶利伽羅までもが、何やら遠い目をしていた。「あー……」などと、分かりにくい相槌を打っているのだ。鶴丸と大倶利伽羅は昨日まで自分と一緒にいたし、審神者と接する時間も大差ないはずなのに、なぜこの二人はこんな顔をするのだろう。
「……じゃあ、今は会いに行っちゃ、迷惑だね」
存外、とても残念そうな声になってしまった。完全に無意識だったので、言ってから燭台切は自分で隻眼を丸くした。
長谷部は顎に手を触れて考える仕草をする。審神者を〝主〟と慕っている彼が、進んで〝主〟の休む時間を邪魔したくないと思うのは当然だった。一方で、少しくらいならいいのではないかという相反する気持ちもあるのだろう。他でもない、燭台切の落胆した声を聞いて生じた気持ちなのだろうが。どちらにせよ、長谷部を困らせているのは燭台切も理解していた。理解しているにも関わらず、「今はやめておくよ」と諦める気持ちを伝えることができず、かと言ってこの場を離れようともしない。ただ、困っている長谷部を眺めているだけだった。まるで赤子のように、自分がどうしたらいいのか分からなかった。
「いいんじゃないかい?」
唐突に発せられた声。長谷部も顔を上げて、燭台切も声の主に目を向けた。頭の後ろに手を組んでいる、鶴丸である。
「あの子は光坊のことを気にしていたし、無事に目覚めたって伝えに行くのは必要なことだと思うぜ?」
「……お前の言い分も分からんではないが……。……そうだな……おい、大倶利伽羅」
ずっと道場の壁に凭れて座っていた大倶利伽羅が、ゆっくりと顔を上げる。
「お前は分かるだろう、主が休まれている部屋を。燭台切を連れて行ってやれ」
「……慣れ合う気はない」
顔を背ける相手に、ああ彼らしいなと燭台切は思う。そうだ、大倶利伽羅とは、慣れ合いを好まない刀だった。これまでずっと、慣れ合うとか馴れ合わないとかを言っていられるような環境下ではなかったため、彼らしいそんな言葉すら聞いた記憶はなかった。
「……というわけで、大倶利伽羅が付き添ってくれる」
「おい、長谷部。俺は慣れ合う気はないと……」
「異論はないな? 大倶利伽羅」
改めて大倶利伽羅を振り返る長谷部。褐色肌の彼は、一度は顔を顰めたものの、ため息を吐いて重い腰を上げた。携えていた竹刀を竹刀立てに突っ込み、燭台切に歩み寄る。
「……伽羅ちゃん」
「……無駄話はいい。行くぞ」
脇をすり抜けて、龍の打刀はさっさと道場を出て行く。慌てて、隻眼の太刀も彼を追いかけて道場を出て行った。
「……いやにぼんやりしていたが……燭台切のやつ、大丈夫なんだろうな痛ァ!?」
長谷部が難しい顔をした途端、即座に眉間に人差し指が叩き込まれた。驚きとともに素っ頓狂な声を上げてしまったことを恥じつつ、白い太刀を睨みつける。
「何をする貴様!?」
「凄い皺が寄っているぜ。まるで怒りに打ち震えた魔王の面だ」
「あの男は関係ないだろうが今は!!」
怒鳴られても気分を害した様子はなく、鶴丸はからからと笑った。笑ってから、大倶利伽羅と燭台切が去っていった方向を見つめる。金色の瞳が優しく細められた。
「心配ないさ。まだ夢を見ていると勘違いしているだけで、じきに目を覚ます」
鶴丸からすれば、あんな風に夢現の状態でも、自分の意思で、怪我もなくふらふらと歩き回ることができている燭台切を見られただけで嬉しいのだろう。
「それより、ありがとうな、長谷部。まだ光坊が不安になると思って、大倶利伽羅を付き添わせてくれたんだろう?」
「あれは初めから主に敵意など抱いていなかったからな。お前と違って」
だから大倶利伽羅を付き添わせておけば、主に会わせても危険なことはないだろう。
言葉には出ていないが、長谷部の淡々とした口調と意味ありげな視線は、明らかにそう言っていた。思わず鶴丸も苦笑する。
「棘がある言い方だな。まあ、俺はやっていたことがやっていたことだから、仕方ないか」
昨日の今日で、審神者を信じられないと暴れていた刀を警戒するなと言うのも無茶な話だろう。白い太刀は肩を竦めて、頑張って信頼を築いていくとするかね、などと宣っている。どこか、楽しそうに。
この男も、昨日戦っていた最中とはまるで別人だった。半ば自棄になった様子で声を荒げ、自虐にも似た言葉を吐きながら笑っていたことが嘘のように、実に楽しげに話し、笑う。恨みや憎しみ、怒りを込めた話し方は、今は少し戯けた様子の軽い口調に変わっていた。
それもこれも、全て前任の審神者のせいだ。嫌いとかの言葉では言い表せないほどの男であったが、心を許さなかったとは言えども、結局は彼の影響を受けて刀剣男士はここまで荒んでしまった。刀剣男士は付喪神だが、やはり人に使われてこその刀であるのだ。審神者の影響は、どんな形であれ如実に姿を表す。
……だが、ならば今の審神者の影響も当然受けて、刀剣男士は変化するはずなわけで。
(……楽しみだな)
ぽつりと心の中で呟く。
俺たちはこれから、どんな風に変わっていけるのだろう?
視界の先で、鶴丸が木刀を構え直した。
「さあ、続きをやろうぜ、長谷部!」
楽しそうに、木刀を振って見せている。長谷部も木刀を構えた。
***
「まだ現実味がないか」
振り向かずに問いを投げかけられて、燭台切は返事が遅れた。否、先ほど長谷部から問われたときも然り、今は正面から尋ねられても、遅れるのかもしれないが。
「この本丸をこうして〝普通〟に歩けることが」
返事などあってもなくてもどうでもいい。そう言いたげに、大倶利伽羅は話し続ける。
「周りがどれだけあの審神者を認めようと、あんたが認める必要はない。認めたくなければ認めなければいい」
だが、と続けられた言葉は、
「俺はあの審神者を認める」
彼の性格からは予想できないものだった。
燭台切は、呆けたまま背中を見つめる。大倶利伽羅が足を止めて踵を返し、振り向いた。目と目が合う。こうして真っ向から視線を合わせるのは、随分久しぶりのことのように思えた。
褐色肌の彼の顔。そこに微々たる笑顔もなく、安堵したような気の抜けた表情は見出せない。しかし、金色の龍の目は、揺るぎない光を灯していた。
「俺たちは刀だ。刀である以上、主君がいた方が俺は、落ち着く。……戦うとなれば俺は、一人で戦うのでいいがな」
周りとの慣れ合いは好まない。しかし使われるモノである刀は、使ってくれる人間があってこそだと、彼は語る。
「国永はどうするつもりなのか知らない。だが俺はそう決めた。あんたも、これからはあんたの思うようにすればいい」
言外に、もうこの本丸に刀剣男士を強制する存在はいないのだと伝えられている気がした。
もう怯えなくていい。不器用にも程があるが、大倶利伽羅の言いたいことはおよそそんなところだろう。焦らせるでもなく、強要するでもなく、ただ現実を静かに語る。燭台切は、ゆっくりと現実を咀嚼する。
「……伽羅ちゃん」
自然に声が漏れた。何かを聞こうと口を開く。頭に疑問が浮かんでいたわけではないので、勝手に口が何かを問いかけようと動き出した感覚だった。
だが、言葉を紡ごうとした矢先に、何やら騒々しい声が聞こえた。二人は怪訝そうな顔をし、揃って廊下を先を見つめる。黙ったまま大倶利伽羅が歩き出したので、燭台切も慌てて後に続いた。
歩いた先、大倶利伽羅が今まさに目指していた審神者の部屋の前では、獅子王と薬研が何事かを話していた。どちらも、困り果てた様な顔をしている。
ふいに、前を行く打刀の歩く速度が上がった。呼び止める暇もなく、獅子王と薬研に歩み寄る。
「何があった」
「わっ、びっくりした!? 大倶利伽羅! ……と、燭台切?」
大倶利伽羅の登場に思わず体を仰け反らせて驚く獅子王。銀色の目を瞬かせながら見返し、少し離れた位置で立ち尽くす燭台切を見た。
「よかった、目が覚めたんだな。きっと主も喜ぶはずだけど……」
「すまん。大将がまたいなくなった」
頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せ、薬研が告げる。告げられた倶利伽羅竜を背負う男は、つかつかと部屋に歩み寄り、勢いよく襖を全開にした。
躊躇いがちに近づいて、大倶利伽羅と一緒になって燭台切も部屋の中を覗き込む。
部屋の中は閑散としていて、少年のものと思しき物品は置かれていない。精々、審神者という任に就く際に政府から渡される指南書や、旧型のパソコンが部屋の隅に設置されているくらいのものであった。
そんな中、一際目立つのがやはり、部屋の中央に敷かれている布団であるが、そこに寝ていたのであろう主は不在であり、乱暴にどかされて乱れた掛布団があるばかり。
枕元には、少年が常日頃着ている若草色の着物と、黒の袴が畳んで置かれているので、どうやら寝間着のまま部屋を出ているらしい。
「今朝はちょっと話しただけですぐ二度寝してたくらいなのに……」
連続した手入れの後、ほとんど気を失うように眠った少年は、今朝も一応起きてはいた。様子を見に来た獅子王と、あの後刀剣男士たちは落ち着いているかとか、暴れていないかとか、口頭で確認をできる程度には、意識がはっきりしていた。
「あ~~、マジで嘘だろ……まさかあんだけ霊力を使って動き回るとは思わなかった……!」
獅子王が頭を抱え、金髪をぐしゃぐしゃと搔き乱す。それに薬研も苦い顔で首肯しながら、足元に置かれている握り飯の皿を見下ろした。
どうやら昼時に届けに来たところ、部屋はもぬけの殻だったということらしい。
「その様子じゃあ、聞くだけ無駄だと思うが……一応聞かせてくれや。大倶利伽羅、燭台切。あんたら、ここに来るまでに大将に会わなかったか?」
「会っているわけがないだろ」
大倶利伽羅は今にも舌打ちをしそうな雰囲気で、苛々した感情を隠しもせず答えた。「あの主は勝手な行動が多すぎる」と、彼にしては珍しい評価まで添えられた。
お世辞にも良いとは言えない評価に、獅子王と薬研は曖昧に笑ったが否定はしない。薬研がわざとらしく咳払いをして、それを合図に獅子王が足元の盆を取り上げた。
「仕方ない。片っ端から探すぞ、獅子王の旦那」
「おう! 鵺も手伝ってくれよな」
肩に乗っている黒い毛玉は、もそもそと体を微かに揺らしてみせた。これがどういう返事なのかは獅子王にしか分からないのだろう。
「大倶利伽羅たちも、もし主のこと見かけたら教えてくれ」
燭台切に歩み寄り、申し訳なさそうに眉を下げて、片手を立てながら片目を閉じた。
「起きてくれたのにゆっくりできなくてごめんな。あとで話そうぜ。色々昨日のこと謝りてえしさ」
脳裏に蘇るのは、獅子王に罵詈雑言を並べ立てた自分の姿。刃を向け、押し倒して、そこに審神者が来てくれなかったら、きっと目の前にいる獅子王は、今頃……、
――謝るって、それは僕の方じゃないのか?
ばたばたと忙しなく廊下を駆けていく、獅子王と薬研の背中を、半ばぼんやりした気持ちで見送る。
ややあって、隣に立っていた大倶利伽羅が歩き出した。
「あ……伽羅ちゃん?」
「厩を見てくる」
それは、あの子供の審神者を探してくる、と同義だろう。
足を止めて、肩口に振り向きながら言った。
「もう平気だろう」
俺がいなくても。
「後はあんたの好きにすればいい。俺も、好きにさせて貰う」
そして、大倶利伽羅もさっさとその場を離れて行ってしまう。ぶつぶつと何やら愚痴めいたことを呟いていたが、はっきりとしたものではないので分からなかった。
一人、取り残された燭台切は再び、審神者の部屋の中を見やる。血の跡も何もない、綺麗な部屋だ。記憶にある姿と全然違っている。中を満たしている霊気も、安心する温かみを帯びていた。
……静かだ。
誰も呻いていない。荒い吐息も聞こえない。鳥のさえずりが聞こえる。風の吹く音が聞こえる。寒いな、と思う。褞袍を着ていても、その下は白い着物一枚だ。冬の真っ只中にしては薄着である。
(あたたかい芋の子汁でも、飲みたいな……政宗公が好きだったっけ……嗚呼、今なら、僕も作れるのかな……)
掌を見つめる。動ける手がある。
ずっと刀を振るい、刀に手を添える以外では、主人に土下座するべく、地面につけるために、使っていた体の部分。
(料理……とか)
刀剣男士に食事は必要ない。実際、顕現されてから今まで、一度も食事を取らないでここまで来ている。空腹を覚えても、餓死によって折れる刀はいなかった。
前の審神者の食事は長谷部が主に作っていたが、燭台切は一度も料理をしたことはない。
(食べたい、とか、作りたいって、思うものなんだ。この体は)
ずっと芽生えていなかった感情に、困惑しながらも不快感はなかった。どこか、寧ろそわそわとした落ち着きのない感情があるような。
――ゴン。
「……え?」
床下から何か音がした気がして、目を丸くした。縁側の方へと歩み出てみる。
すると、出し抜けに、縁の下から小さな頭がにょっきりと生え出した。驚いて思わず燭台切が身を引くのと、生え出した頭が首を回して此方を向いたのは、ほとんど同時だった。目の前にいるのは、つい先ほど、刀剣男士の間で話題に上がっていたばかりの張本人である。
灰色の瞳が一度丸くなり、瞬く。それからすぐに少年は這い出してくると、手や膝についた雪を払い落としながら眼帯の彼に向き直った。
燭台切は不思議に思った。何故だろう、昨日とこの審神者の雰囲気が、違う気がする。霊力は確かに同じだが、何か違うような………。着ているものが、昨日とは異なり寝間着の白い着物であるせいだろうか?
「……あんなに神気がぼろぼろだったのに、もう動けるのか。刀剣男士って丈夫だよな本当。……体はどう?」
首を振る。咄嗟の反応だったが、嘘ではなかった。痛みに悶えず背筋を伸ばして立てたのは顕現されたとき以来だし、頭痛や腹痛といった体の内側の不調も特に感じない。
「あーそ。良かったな」
少年は興味が失せたように手を振り、雪の上にできた小さな足跡を雪をかけて消しつつ縁側にあがる。鬱陶しそうに己の襟足を指で摘んでは払った。
その仕草を見て、昨日の少年は髪を結んでいたはずなのに、今日は下ろしているのだということに気がついた。
「鶴丸たちなら道場だから」
――さっき会ってきたよ。
口を開いたが、声は乗らずにぱくぱくと開閉させるだけに留まった。喉に手をやるが、今この瞬間、何か審神者に術式をかけられたような気配はない。理由はわからないが、不思議と声が出せないようだった。
話は終わりとばかりに、少年は廊下を歩き出してしまう。本当は、心配していた獅子王や薬研を呼んで、真っ先に報せなければならないところだろう。だが、今はただ目が離せなくなり、何となく小さな子供の背中を追いかけて歩き出した。
***
どこに行くのだろうと思いながらついてきたが、想像していた動きとまるで違うことに、燭台切はいくらか困惑していた。
別に具体的に、どんな動きをするとかを想像していたわけではない。しかし、手入れ部屋にやってくるや否や、置かれている棚の引き出しを開け放して中を引っ掻き回すように漁るわ、雑に中の包帯や薬を放り出して空っぽにするわ、押し入れを開けて布団を全部出すわ、出した布団は全部広げてひっくり返したりバサバサと波を打たせてみるわ。理由が分からなければ理解不能な行動があまりに多い。
みるみるうちに手入れ部屋の中は散らかり放題になっていき、構わず少年は今度は押し入れの中に小さな体躯で入り込んで、中でごそごそと動いている。たまに、押し入れの奥にあった本や薄汚れた手拭いを外にぽいと放り出していた。
「何か……探してるのかい?」
先程は話そうとしても声が乗らなかったのに、頭に浮かんだことが、ころりと口から滑り出た。今は意図したものではなかったので、内心焦る。慌てて己の喉に手を添えた。同時に、夢から覚めた様な感覚に陥っていた。
「お前には関係ない」
折角発せられた声に、別段驚く様子もなく、切って捨てるように言葉を返す少年。だが、どう見ても少年は何かを探している。一体何を探しているのだろう。
押し入れと戸棚を探し続ける子供を見つめてから、まだ手付かずの方に何気なく目を向けてみる。手入れの道具が一式、乗せてある台がある。その手入れ道具は、燭台切には見たことがないほど綺麗で、清潔感があった。特に深く考えず、手入れ道具に近寄った。
朧気な記憶だが、覚えている。少年が持つ霊力で体が包まれ、本体である刀を手に取りながら打粉で手入れをしてくれたとき、ひどく安心した。人間を前にして、呪術の類をかけられているわけでもないのに、全身の力が抜けるなんて、刀剣男士として顕現されてから初めてだった。
本当に前の審神者と、全然違うものだ。手入れ部屋に血が飛び散っていたり、折れた刀が転がっていたりしないことも驚きだが(通常はそちらの方が有り得ないのだが、燭台切はそんな本丸しか知らない)、手入れ道具は一つの台の上に、整理してそろえてあった。油に油塗紙、拭い紙に目釘抜き、打粉、それに――
「……?」
打粉の横に、白いふわふわとしたものが置いてある。さり気なく置いてあるが、明らかに手入れ道具とは別物だ。手に取ってみると、輪になっている黒いゴムがついていた。ヘアゴムのようだ。
脳裏を過るのは、金髪の太刀。彼が髪を結う際に使っているものと酷似している。
「――!」
ふと気配を感じて見てみたとき、どきりとした。今の今まで、押入れに体を突っ込んでいた少年が、目の前に立っている。燭台切のことを見上げながら、掌を向けて来る。言葉には出さないが、このヘアゴムを渡せ、と言っているようだ。
どぎまぎしながら差し出すと、少年はそれを受け取り、じっと掌に載せて見つめると――
「……あった」
心底安心したように、表情を綻ばせた。初めて見る、柔らかな笑顔だ。燭台切は、そんな少年から目を離せなかった。食い入るように見つめてしまう。これを人は、「見惚れる」と呼ぶのだろう。
心のどこかで、まだ審神者を怖がっていたのかもしれない。だが、今の少年を見た事で、不思議と燭台切も唇に笑みが浮かんだ。
「手入れ道具と一緒に、置いてあったよ」
「手入れ道具と? そっか……手入れを終えた後あんまり覚えてねえから、そのときに無意識に乗せたんだろうな……」
突き放すような言葉ではない言葉が返って来て、心臓の鼓動が早まる。自分は人間と会話をしている。それも、対等に。
少年は納得したように頷いてから、手慣れた様子で髪を持ち上げて、ヘアゴムで結んだ。それから、ふと気づいた様に燭台切に視線を戻し、気まずそうに一度目を伏せる。
「……悪かったな、何か手伝わせたみたいになって」
「え? い、いや、そんな……たまたまだから」
「……そうか」
どこか、またほっと息を吐き出している。たまたまなら良かった、と繰り返す言葉に、不思議と物寂しさを感じた。
「それ……獅子王くんのと、よく似ているね」
あれほど、言葉を出すことを躊躇っていたのに、今はするすると言葉が出てくることが不思議だった。
「……あの金髪に、無理矢理押し付けられたんだよ。借り物だから無くしたらまずいだろ」
少年の方も、無視をするわけでもなく返事だけして、さっさと踵を返した。畳の上に散らばっているものを拾い上げて、押入れから放り投げたものは押入れに戻していく。
燭台切も屈んで、順番に拾い、引き出しから出されたものをそこへ戻していった。
「手伝うなよ。嫌いな審神者の散らかしたもんなんて」
先ほどとは異なり、不機嫌な声が聞こえてきた。見ると、少年はこちらを向いてすらいない。だが、片付けている少年の肩が、微かに上下していることに気が付いた。そういえば、通常では考えられないほどの霊力を放出して、本来であればまだ床に臥せっているべきであったはずだ。
『あの方はご自身のことを顧みずに霊力を放出して何口でも手入れをする傾向にあってな』
『まさかあんだけ霊力を使って動き回るとは思わなかった……!』
『あの主は勝手な行動が多すぎる』
長谷部、獅子王、大倶利伽羅の言葉を思い出す。しかも全員同じ様な顔をしていた。この少年が、こうして無茶をするのは、彼を信じている刀剣男士全員の悩みの種のようである。
「君こそ、本当は動き回るべきじゃないんだろう」
言ってから、自分の言葉に苦みを感じて、思わず燭台切は顔を顰めた。どうして彼が動き回るべきではない体になっているのか、今更のように原因を思い出す。
床に散らばっていたものを引き出しに戻して、閉じる。あとは押入れに戻すものだけだ。その場で正座する。
「……審神者くん、昨日は」
「俺に謝るなよ」
振り向いた審神者は、ぴしゃりと言葉を遮る。
「俺は審神者だ。審神者に刃を向けようと考えたこと自体は、今までお前達がされたことを考えれば必然だし、正当だろ。お前が謝るべきなのは獅子王だ。死ねって言った事、忘れたとは言わせない。獅子王が許しても、お前自身はお前を許すな」
真っ直ぐと灰色の瞳を向けて来る。
「……でも、君は前の審神者とは……」
「そのやりとり、いい加減飽きたからもう言いたくないんだけど」
向けてきていた目に、表現し難い光が灯る。それは拒絶に近い意思を感じる。
「審神者は審神者だ。しかもお前らは俺が顕現したわけじゃないから、霊力的な主従関係もない。他の奴らは勝手に俺の事を〝主〟とか呼んでるけど、絶対に今だけの気の迷いだからな。お前も勘違いするなよ」
『俺はお前たちの主なんだぞ』
そう訴えて、刀剣男士を痛めつけ、嘲笑していた男の姿が浮かぶ。しかし、目の前の少年は、主ではないから勘違いするな、という。
(嗚呼、なるほど――)
この少年は、前の審神者の罪もまとめて、背負う気なのか。全く違う人間で、その場に居合わせすらしなかった立場なのに。
燭台切は、何気なく己の掌を見下ろした。体の中をゆっくりと駆け巡る血と、霊力。獅子王にとどめを刺そうとしたとき、背中から叩きつけられた小さな手は、燭台切の穢れた神気を浄化した。
「……それでも、」
「それでもじゃねえって言ってるんだよ」
「最後まで、聞いて欲しいな」
何度も言葉を遮って来る少年に、困り笑いを浮かべて頼むと、いかにも嫌そうな顔をした。
だが、その頼みに対しては拒否の意は示さず、代わりに、不承不承だと言わんばかりに片付ける作業を再開した。燭台切に背中を向けている。
燭台切は口を開いた。
「謝らせてくれ。そして……感謝の言葉を、言わせて欲しいんだ」
我を失っていた。この本丸に顕現された刀剣男士を仲間だということすら、最早認識が危うくなるほどに。
獅子王にも勿論謝るが、多くの刀剣男士を巻き込んで怪我をさせ、その刀剣男士を手入れする負担を、少年に強いた。謝罪と感謝。どちらも、してもしつくせない。
「断る」
聞く耳を持たない。持ってほしいと思われているのを分かっている上で、少年は無碍に返すのだろう。
「百歩譲って謝られたとしても、感謝される覚えはねえよ。感謝するなら太鼓鐘にしろ」
心臓が跳ねた。どうしてここで貞ちゃんが出てくるの、と動揺する。
押し入れから出したものは全て中に戻し終えて、押し入れの襖を閉めた。
「どうしてこの本丸の前の審神者が、突然政府に連行されたと思う?」
前任は、政府からの支給金を得るために、最低限の審神者としての任務をこなした。その中に演練があったから、この本丸の刀剣男士が纏う穢れた霊力等から不信感を覚えた他本丸の審神者が、政府に通報した。通報数は膨大な数になったため、政府はこの本丸に監査を入れることにした――というのが、この本丸を担当するこんのすけの説明だった。
「でも実際はそうじゃないんだよ」
襖の方を向いたまま話しているので、燭台切には少年がどんな顔をしているのか分からなかった。
「確かに通報数が多いのも、政府が動き出す材料の一つにはなったんだと思う。……でも、通報数が重なっていくだけじゃそうはならない。証拠もないのに面白半分で通報する審神者もいるから、通報されただけで政府が動き出すことは少なくて……調べるだけ調べて、お終いってことの方がずっと、多いんだって」
幼い声は、心なしか、震えている。
「…………刀剣男士が、通常は考えられない消え方をした記録がない限りは」
「――――!!」
燭台切は隻眼を見開き、表情が凍り付いた。
笑顔を浮かべ、己の腹に刃を突き立てた、派手好きの短刀。血を吐きながら、介錯をしてくれと目で語りかけてきた姿。
「太鼓鐘貞宗が自刃したから、時間はかかっても政府は、この本丸の審神者を捕縛するために動いた」
「そんな……」
どろりとした黒いものが、心の中に溜まる感覚。危うく、自分は取り返しのつかないことをしかけたのではないか。心臓の音がうるさくなり、胃液が波打った気がして、思わず口を押えた。
審神者を退けて新しい審神者が来ることまで想定されていたのだとしたら。そのために、太鼓鐘が自刃したのならば。新しい審神者に刃を向けた自分は、太鼓鐘の残してくれた希望を、自ら――
「勿論! 勿論、そんなこと刀剣男士は知らねえぞ!?」
強い声で叫ばれて、一瞬沈みそうになっていた思考が制された。
そんなはずはないんだ、と強い声が重なる。
「刀剣男士にこんな情報は知らされてない! 顕現されたばっかの太鼓鐘なら尚更だ! 絶対に知っていたってのは有り得ない! 太鼓鐘は、前任の審神者に一矢報いるために、お前達を護るために、自刃を選んだ。――獅子王たちから、その話は聞いてる。ただ、その自刃は結果的に、審神者を退ける切り札になったんだ。太鼓鐘が思っているよりも多分、ずっと強く、自刃の影響は強かった」
ゆっくりと振り向いた審神者の顔は真っ青で、今にも泣き出しそうに歪んでいる。それでも、その頬に涙を伝うことはない。
「……この本丸を見回り出して、すぐの頃……柄まで全部粉々の刀を見つけた。変な折れ方だったから、自刃したんじゃねえかって、思ったんだ。最初は……逃げ出したくて自刃した刀剣男士なんだと思ってた。楽な人生で良い事でって、俺、思った」
一度、唇を噛んで引き結ぶ。深く俯き、両手に拳を使って握り締める。小刻みに震えていた。手の色が、どんどん白く変わる様は、ありったけの力が込められている証拠だった。
「――ごめん。燭台切たちを助けるために自刃したんだとは、思わなかった」
「審神者くん……」
泣いているかと思う程、震えていて頼りない声だった。
小さな少年が更に小さく思えて、このまま赤ん坊の如く泣き出しそうだ。
しかし、実際には、少年は顔を上げる。目は充血しているのに、涙は一粒も零れてこない。
「それでも俺は、太鼓鐘貞宗を……意味のある死だったなんて絶対に言わない」
つかつかと近寄り、正座している燭台切を見下ろす。
「自己犠牲なんてくそくらえだ。自分が死ねば助けられるかもなんてふざけた思考を持つ刀剣男士が、俺は、嫌いだ」
「……」
「太鼓鐘は何も偉くない。お前らを助けられたことも、結果論だ。褒められる部分は何もない。ただ、結果論とはいえ、太鼓鐘のおかげで前任からは逃れられた。刀剣男士としての尊厳を守ることが、これからはできるはずだ。俺はお前らに興味なんかないから、どうこうしてやろうって気は一切ねえから安心しろ。俺はこの本丸の審神者にはなったけど、お前らの〝主〟になる気はない」
突き放すような言葉なのに、温かいのは何故なのか。
少年が手を伸ばしてくる。審神者であるにも関わらず、怖いから身を引きたい、と思わない。この審神者が前任とは全くの別の存在であり、刀剣男士に害を与えるようなことはしないことを、燭台切はもう理解していた。
どん、と肩を拳で突かれる。全く痛くなく、衝撃を感じる程度のものだった。
「……あの穢れ。しんどかったな。――よく治った」
短い言葉は、紛れもない労いと、称賛だった。
体の緊張が解れていく。同じ刀剣男士と斬り合ったことや、堕ちかけるほどに周りが見えなくなってしまっていたことは、到底褒められたことでない自覚はあった。しかし、少年に与えられた言葉で、引きずっていた前の環境を、やっと「過去」のものだと割り切れる気がする。
あの最低の環境はもうない。あれは、過去の出来事になったのだ。
「……ありがとう……」
左目が熱くなる。思わず顔を俯かせた。
「……あ、あはは……やだな、かっこわるい……」
「お前もう最初っからカッコ悪いから安心しろ」
「ええ? 酷いなぁ……」
少年が一度、ふ、と息を吐いた。かと思うと、突然膝から崩れ落ちる様に座り込む。急に自分よりも下の位置に顔が降って来て、燭台切はぎょっとした。一瞬、倒れたのかと思ったのだ。
「あ~~~……しんど……」
畳に手をつき、肩で息をしている。
話をしていてすっかり忘れていたが、この少年はまだ部屋で寝ているべきの体調だ。なのにヘアゴムを探すためにこんなところをうろうろして、しかも燭台切に全てを教えるために長話までしてしまった。体力的に限界も来よう。
「ご、ごめん! 僕とずっと喋ってたから……」
「全くだよ。あー……目回って動けねえ畜生……」
気持ち悪くなっているのか、口許に手を当てながら半ば喘ぐように呼吸している。ついている手も微かに痙攣しており、とても自力で動き出せるようには見えなかった。
おろおろと手を彷徨わせ、周りを見回し、しかしここにいるのはやはり自分だけ。自分にしか、少年をどうにかしてあげられない。
……その事実に気付いた途端、直前まで躊躇っていた気持ちは嘘のように消え失せた。
「!!? は、いや、は!?」
燭台切は、少年を抱え上げた。所謂抱っこの体勢である。
「おい、馬鹿、何してんだ眼帯!? 下ろせ!?」
強い言葉で言われると、まだ一瞬でも体は竦む。過去のことだと割り切れたとしても、精神にしみついてしまっている恐怖心はそう簡単に拭い去ることはできない。
しかし、少年の〝下ろせ〟という言葉に従おうとは思わなかった。
「……動けないくせに何言ってるの。僕のせいでこうなってるんだから、部屋まで連れていくよ、主」
「うん、何て? お前さっきまでの俺との会話なかったことにしてない?」
燭台切は首を傾げる。腕の中の少年を見下ろすと、非常に面白くなさそうにこちらを見上げていた。
〝主〟
この言葉を言ったことが、少年は気に入らないらしい。だが、燭台切も、自然にそう呼んでしまったなと遅れて気が付いた。
『俺はあの審神者を認める』
大倶利伽羅は、認めようと思って認めたようだった。そのうえで、少年の事を「主」と呼称していた。
彼と比べて自分は、成り行きに任せて少年を「主」と呼んでしまうとはなんといい加減なことだと、自分で苦笑を零しそうになる。だが、自分に呆れても、気分は良かった。
「しっかり、つかまっててね」
「お前らって俺の話ほんと聞いてくれないよね」
燭台切が少年を抱えて部屋を出た。
その後、審神者を探していた獅子王や薬研、大倶利伽羅と出くわして、無理をして起き出したことについて、少年は問い詰められた。だが、頑なに少年は、ヘアゴムを探していたことは告げずに「関係ない」「うるさい」を繰り返した。
審神者にたてつくことが恐ろしかったはずなのに、怒鳴り合っている彼らの姿を見て、前の審神者はもういないことを実感した。
***
「つ、鶴さん? 何処に行くんだい?」
燭台切は、己の手を引いて前を歩く白い彼に問いかけた。夕食を終え、初めての湯浴みを済ませ、部屋に戻って少し経った頃合い。鶴丸が「よし、行くか」などと言ったかと思えば、急に眼帯の刀の手を掴み、廊下へ連れ出したのだ。後ろには、少し離れてついて歩いてくる大倶利伽羅も一緒である。
肩口に振り向いた鶴丸は悪戯小僧のように笑い、唇の前に人差し指を立てた。確かに、早寝の刀は寝ていてもおかしくない時間帯だ。前を行く彼は答えてくれないので、助けを求めるように後ろに視線を投げてみるが、大倶利伽羅も視線を逸らした。一体何処に連れて行こうというのだろう。
「あ」
向かっている方向から、二人分の声が重なって聞こえる。前田藤四郎と平野藤四郎が並んで歩いてきたところだった。
「よ、二人とも」
「こんばんは、鶴丸さん」
ぺこり、と前田が頭を下げ、平野も頭を下げる。
「伊達の皆さん、お揃いなんですね」
「嗚呼。これから、行くところだ。君達は済ませたところかい?」
二人は顔を見合わせ、不恰好な笑顔を見せてから頷いた。彼らの頭の上に、鶴丸が手を乗せる。
「そうか。よく頑張ったな」
はにかむように笑いながら、乱雑に撫でてくる鶴丸の手を享受している。しかし何度も鼻をすすり、目元を擦っていた。前田も平野も、どちらの目も充血していて、泣いた後であるのは明らかだ。しかし、沈鬱な表情ではないので、以前のような悪い意味での「泣いた」ではないと気付くことは容易であった。
おやすみなさい、と揃って言いながら、歩き去っていくのを見送り、彼らは再び前へ進み始めた。もう、鶴丸は燭台切の手を引いてはいなかったが、燭台切も一人で引き返そうとは思わなかった。
廊下の突き当り。本丸の中の、一番奥の部屋の前まで来て、鶴丸は足を止めた。
「もう、他の刀剣は皆、一度ここにきている」
燭台切は首を傾げる。前にはあまり使ったことがない部屋だ。入ったことがないわけではないが、とくに何もない部屋だったと記憶している。審神者室から最も遠い部屋であるので、一時はここに籠城していた刀剣男士もいたはずだが……今更、この部屋に何の用だろう。
鶴丸が部屋の襖を開けた。
そして、燭台切は目を丸くする。
畳が剥がされ、床板が露出している部屋。しかしその板はぴかぴかに磨き上げられ、壁一面に飛び散っていたはずの血も拭き取られていた。部屋の中には、洗浄な気で満ちている。
部屋の中央に座っていた石切丸が、ゆるりと振り向く。
「やあ、こんばんは。来たんだね」
「ああ」
鶴丸と石切丸が会話をしているが、燭台切はその石切丸の前にあるものに視線が釘付けだった。
小さな透明の箱――一目でそれは、あの子供が作る出した結界だと分かる――が数多く並び、中には折れた刀剣が入っている。
「これ、は……」
「審神者殿がやってくれたんだよ」
手に持っている大幣を見下ろして、石切丸が教えた。
「本丸で見つけた折れた刀を全て拾って、ここに安置しているんだ。この部屋は、折れた刀達が眠る場所にしたらしいよ。私も後で聞いた話だけれどね」
赤黒く汚れ、錆びていたはずの刀は、どれも折れている事実以外は光沢を放つほどに美しく磨き上げられていた。
「元々、穢れが酷いまま折れた刀たちだ。だから合間を見て、こうしてお祓いするように審神者殿に頼まれたのだけど……本当は、もう私のお祓いは必要がないほど、清められているよ」
「しかし、よくやるよな。あの審神者が変わり者なのはもう分かり切っていたが……折れた刀剣なんて、もうどうしようもないだろうに」
「それでも放っておく事なんてできない、処分なんてとんでもない……あの子は、そう考えるからだろう」
「違いないな」
これだけの折れた刀剣をかき集めるのにも、結構な苦労があったことが想像できる。ましてや一口ずつ小さな結界で覆うなど、時間がかかって仕方ない。
折れた刀剣は感謝の言葉も口にできないというのに、少年にとってそれは大した問題ではないのだろう。
そんな少年の振る舞いに、石切丸は嘆息し、鶴丸も浅く頷いた。
「……光坊。あの、隅にある刀剣を見てくれ」
沢山並べられている中で、隅にある刀剣……。
鶴丸に誘導されるままに、燭台切は視線を動かし――固まった。そこには、他の刀とは異なり、柄まで無残にも粉々になったものが置いてあった。刀と呼ぶには原型をとどめていないもの。
「――――貞、ちゃん……」
あの日、目の前で折れた太鼓鐘の姿は、忘れることができない。介錯をしたのが己である分、その肉と骨を断つ感覚、刀剣が粉砕される音、どちらも生々しく手に、耳に残っていた。
「驚きだよな。あの審神者、貞坊の破片まで全部集めてたんだ」
『……この本丸を見回り出して、すぐの頃……柄まで全部粉々の刀を見つけた。変な折れ方だったから、自刃したんじゃねえかって、思ったんだ』
唇を噛んだ。また、目が熱い。呼吸が難しいほど苦しくなって、すると、後ろから進み出てきた大倶利伽羅が、すぐ隣に正座をすると両手を合わせた。目を閉じる。反対側に、鶴丸も正座をして両手を合わせた。
死者に手を合わせるなんて、まるで人間みたいだ。
石切丸が、再び大幣を振り、祈りを捧げると共にお祓いを始めている。
燭台切もその場に腰を下ろし、息を吸って、両手を合わせた。
――頬を、冷たいのに熱い涙が伝う。嗚咽が零れそうになり、必死に堪える。何てかっこわるいのだろう、と思った。今更、太鼓鐘の首に刃を振り下ろしたとき、彼が言っていた言葉を思い出した。自分のことでいっぱいいっぱいで一度も思い出さなかったのに。
太鼓鐘は最期まで、これでお別れとは思っていなかったのだ。己の腹に刃を突き立ててもなお、まだ希望を捨てずに、たった一言を告げて、消えていった。
『またいつか』
まだ自分は、燭台切たちと無事に出会える未来があると、死を目の前にしてもなお信じた一言。
その太鼓鐘貞宗の前向きさが思い出されて、どうしようもなく、眩しく。眩しさを我慢するように固く目を瞑った。でも涙は、止まらなかった。
***
ここ数日、霊力を使いすぎた自覚はある。ただ、符の霊力にもかなり頼った側面があるし、何だかんだ刀剣連中が力を貸してくれたおかげで、思ったよりも元気だ。
無意識に、あいつらがいることが心強く、精神的に支えられてしまっていたことを否定することはできないのが、ひどく悔しい。でも、一番危険な状態だった刀も含めて全員の手入れが終えられたのは良かった。
できるだけ意識をして、雑念を捨て、霊力の回復に努める――
「相変わらず、その齢にしてその霊力の感服しますね」
うるせえな、今雑念捨てようって思ったところだぞ。
瞼を持ち上げて、首を回す。枕元に、黒い毛の管狐が座っている。
「なかなかできることじゃありませんよ、あれだけの数の刀剣を手入れして、穢れも祓うなんて。よくやるっスね」
「……」
「償いのつもりですか?」
「手伝ってくれたお前も、償いのつもり?」
管狐は、前足で顔を洗った。誤魔化しているのだろうか。俺も、答える義理はないと思い口を噤んだ。
暗がりの中で、太い尻尾が揺らめく。
「……規律違反スよ。政府でしか知り得ない情報を流すのは」
言葉の並びは怒っているわりに、口調自体は平淡で、無関心そうだ。
政府でしか知り得ない情報は、ここに来てからもういくつか吐いてしまったような気もするけど、多分言っているのは刀剣男士が自刃したときの話だろう。
「本来は知らないはずの情報を聞かせて、今後刀剣男士の行動に何か影響があったらどうするんスか」
「あーそ。知るかよ、そんなこと。大体、政府の情報知ってるのは俺じゃねえし。最初に俺に流しちまった誰かさんに文句言えばいいんじゃねえの」
言ってから、俺は自分で苦虫を噛み潰したような表情を作ってしまう。対して、黒い管狐も、驚いたように耳をぴんと立てていたかと思うと、半眼を向けてきた。
「……嫌な性格してますね、坊ちゃん」
「うるさい」
寝返りを打ち、体ごと顔を背ける。
沈黙が下りるが、すぐ傍にまだ管狐の気配を感じる。鬱陶しくて仕方がなく、背中を向けたまま言葉を投げる。
「今回のことは力を貸してくれて、感謝してる。でももう用済んだから、帰っていい。つーか、帰れ」
「……何の縁があってか、ここに呼ばれたわけですし。もう少し見学させてもらいますよ」
「あーそ。好きにしろ」
「言われなくても、勝手にして適当に帰るので、お構いなく」
たしたしと、畳の上を歩く足音が離れていく。襖が開くと月明かりが差し込んだ。
「……おやすみなさい、審神者様」
ぴしゃりと襖が閉められ、管狐の気配が部屋からどんどん離れていく。
雑念を捨てろ。霊力の回復に努めろ。この本丸の立て直しが終わるまで、あと少し。もう間もなく、終えられるはずなのだから。明日からまた頑張らなければならないのだから。
俺は布団をかぶり直し、改めて目を閉じた。
すると、やはりさすがに疲れていたのか、あっという間に眠気はやってきて、俺の意識は夢の世界へと旅立って行った。
――パリン、と。小さな音が響いたことに、気付かないまま。