刀剣嫌いな少年の話 玖

2022年4月18日

 本丸の大広間には、最初に本丸で刀剣男士らに挨拶をするために、集まってもらったことがある。つまりは、一応ここの刀剣男士にとって、大広間は集まること自体に抵抗はないらしかった。
 それならば今も、あの大広間は審神者を認めない刀剣男士がたむろしている可能性が高い。実際、少し近寄ってみたところ刀剣男士の気配を感じた上、大広間を境にその先の部屋からは、血の匂いが強くなる等の不穏な気配が色濃くなる。

 本丸の掃除をしていたとはいえ、掃除中も流石に刀剣男士が籠城する部屋に好き好んで近寄りたくはなく(それならば反抗されない範囲の掃除をする方がはるかに効率が良いと判断したため)、自然に大広間も避けていた。

「みんな、主を連れて来たぜ!」

 集まるならもっと広い部屋の方が良い。
 部屋から既に出てきている物好きな刀剣男士は、図らずもそこそこに増えてしまったため、その言い分は理解できた。だから、獅子王と薬研の部屋ではなくもう少し広い部屋に集めたということも納得ができた。
 獅子王に呼ばれて行った部屋は、襖を開けて広くした二間続きの和室だ。

 それは、いい。が。

「……」

 ずらっと畳の上に並んで座り、真剣な面持ちで待ち構える、刀剣男士。
 その前方の中心に、厳かに置かれた座布団が一枚。横には脇息。
 俺が部屋に入った瞬間、頭を下げるそいつら――

「俺は将軍か何かですか」

 審神者になった覚えはあっても征夷大将軍になった覚えは露ほどもねえよ、阿呆。

   ◇◇◇

 俺は座布団を蹴飛ばし、「ああっ主の御座敷が!!」という声を聞きながら脇息もどかす。長谷部、お前俺に対する敵意をどこに忘れてった。今からでも決して遅くはねえから拾って来い。

「馬鹿、俺はお前らに相談するんであって命令出すわけでも何でもねえよ。何でこんなとこで上下関係見せつけなきゃなんねえんだ」

 姿勢も崩せ、と言いながら、適当に全員から離れた位置に腰を下ろす。同時に両サイドに獅子王と薬研が座る。だから何でだよ離れろ。

「主の隣りいっただきー!」
「まあ早い者勝ちだな」

 何で満足げなんだお前ら。
 しかしいかんせん、今は時間がない。どうせ言ったところで離れて座り直すことはないだろうし、座り直しさせるまで揉めるのは時間の無駄だ。
 溜息を吐いて周りを見回すと、どいつも先ほどまでよりは幾分姿勢を崩していた。並びも整列したような状態ではなく、列は乱れている。

 ……ったく、まるで俺が一番偉いみたいな担ぎ上げ方するんじゃねえよ。
 集まっている刀剣男士を見回す。どうやら、最近部屋から出てくるようになった刀のうち、小夜左文字、宗三左文字、骨喰藤四郎、鯰尾藤四郎以外は、揃っていそうだった。
 改めて、結構な人数と会話してきていたんだな、と今更のように思う。

「……集めてごめん。用が済んだら即戻っていいから」
「大将のことだから、そう言うと思った」

 呆れた様子で胡坐をかいている後藤がわざとらしく溜息を吐く。口の中に生えている八重歯がちらついて、へえ、獅子王と同じだ、などと考えながらも、眉を顰める。
 予想してたんなら、ちゃんとさっさといなくなってくれるんだろうな。

「あの、主君! 僕、まだ主君のためにできていることがないので……! もし、宜しければ、お力になれたらと思います!」
「主君じゃねえ。大体お前は本丸掃除するときに手伝ってくれただろうが」

 ぱちり、と空色の目が瞬く。……な、何だよその目は。……何で満面の笑みだオイ。やめろ。何だ、俺は今こいつが喜ぶようなことを何か言ったのか……!? 全然分からねえが取り消してえ。今の部分の時間修正してえ。
 審神者として絶対願ってはいけないことを願いつつ、

「……集めたお前らに聞きてえのは、鶴丸国永のことだ」

 時間をかけて話す気もなかったので、すぐに本題を切り出した。
 すると、藤四郎兄弟連中は不思議そうな顔をしていたが、他の刀剣男士は分かり易く表情を強張らせた。獅子王と薬研に話した時と、同じような表情だ。

「単刀直入に訊く。あの鶴丸国永、前任の審神者の下で何されたんだ。どいつもそうやって似たような表情を俺に晒しておきながら、何もされてない、が通用すると思うなよ」

 変に隠そうとされると、無駄に時間がかかるだけだ。刀剣連中が逃げの回答に走らないように、先回りして告げた。
 それでも、刀剣男士はお互いの様子を窺うようにしながら視線を交わし合っている。
 藤四郎兄弟は、恐らく蔵に封印されて人質にされて以降、本丸内で何が起きたのか分かっていないのだろう。どことなく居心地が悪そうにしていた。

 その部屋には、妙な空気が漂っていた。
 今回の話題の中心である〝鶴丸国永〟という刀に、奇異の念を抱いているというよりも、どちらかと言えば彼の状況を案じているような。しかし、ただ案じるだけではなく、そこには確かに負の感情も滲んでいる。「仲間」として案じるのではなく、「仲間」として触れるべきではないとでも言うかのような、独特な空気。

 仲間であるからこそ、彼の話題に触れるべきではない――そんな空気だった。

(でも俺の知ったことじゃない)

 質問の撤回などはせずに、ひたすら回答を待つ。
 急かしたい気持ちも当然あったが、ここで急かしてもあまり時間は短縮されないような気もしていた。

「……俺、待つから」

 余計な労力はかけずに済ませたい。どうせなかなか口を割らないのなら、こちらが声を荒げるのではなく、自ら話し始めるまでは辛抱強く待つとしたものだろう。
 俺は腕組みをしたまま、他にこれといってできることもねえので、周りを注意深く観察してみることにする。

 どの刀も、この本丸で最初に会ったときのような怪我は負ってない。頼んでもいないのに勝手に出陣や遠征もしているようで、当然その先で歴史修正主義者に遭遇することもあるはずだが、今のところ、最初以外でこいつらを手入れしたことはなかった。
 それなりに資材も持ち帰って来てる様子もあるし、戦っていないわけはない。つまるところ、審神者の手入れ何か受けなくても大丈夫なラインを保って、出陣先や遠征先を選んでいるのだろう。

 時間遡行軍による歴史修正の波は、今のところ激化しつつあり、各本丸の強化が急がれていることは俺も知識としては知っている。
 ただ、時間遡行軍側にも考えがあるらしく、選りすぐりの精鋭部隊が選ばれていると思われる時代と、下っ端の部隊が選ばれていると思われる時代は、戦力差が激しかった。

 審神者の手入れを受けずにいようと思えば、現在の刀剣男士の戦力で問題なく敵を倒すことができる時代――つまり、時間遡行軍があまり重視していない時代に飛ぶのは、必然と言えた。
 手入れを受けないで済むという意味で最も楽な方法は、出陣しないことだが、彼らはそうはしない。

(……まあ、外見これで、刀だしな、元は)

 頼んでもいないのに出陣、遠征を行い、資材の回収をしてくれることは、有難くはあるが余計なお世話だと思っていた。まるで、審神者の俺が資材不足で困っているから、やっているような行為だと思っていた。
 だが、元々刀なら、戦う事が刀剣男士の本分だ。その戦う事を取り上げてしまった方が迷惑だというのであれば納得もできた。つまるところ、「戦場」は彼らの存在証明を行う場であり、存在意義でもあるのだ。

「……君は、鶴丸さんに会ったのかい」

 落ち着いた声で問い掛けられた。
 先ほど、鶴丸国永の名前を出した時、周りと比べればまだ冷静な表情を保っていた石切丸。
 外から障子を透き通して差し込む太陽光が、落ち着きを払う太刀をより神々しくさせている。

「他の皆の様子を見る限り……君が鶴丸さんと面識があることを知っているのは、ごく少数のようだけど」

 言いながら見るのは、他よりもあまり動揺した様子を見せていない獅子王と薬研だ。
 どうやら石切丸の口ぶりからすると、二人は俺から話があるらしいという理由だけで、こいつらをこの部屋に召集したらしい。詳しい説明はされていないようだ。
 話す必要のないことまで漏れていないことには取り敢えず安堵する。

「この二人にはさっき少し話した。そん時鶴丸の話になったんだよ」

 問題は、既に「鶴丸の話をする」と知っているにも関わらず、やはり鶴丸の名前を出すだけで、明らかに普段よりも表情が強張る点だ。それだけのことを前任にされた、ということになるのだろうが、どんな内容だったのか聞く前から気が滅入る。
 ここに話に来る前の時点でも、あれこれ想像を巡らせてみたものの、吐き気のするものでしかないのだ。わざわざ想像でも気分が悪くなりたくないので、さっさと想像するのはやめた。「かもしれない」など意味がない。どんな仕打ちが受けたのか、確固たる事実はそこにあるのだ。

「あの、あるじさん……その、鶴丸さんのお話になったっていうのは、元々、どんなお話をしてたのか、教えてほしいな」

 俺が指示したわけでもなく、また、碌なことをしない審神者に対して敬意なんか払う必要は全くないと思っているが、乱は自ら正座し直して、背筋をしゃんと伸ばし、挙手して俺にそう言った。
 最初は怯えている様子で声を掛けていたのに、随分スムーズに発言するようになったなと思うと同時に、相手がこんな子供ならそれは当然、前任よりも警戒しなくて済むかと一人で納得する。

 ……ただ、乱が平気で声を掛けて来るようになったことに納得することと、質問に対して答えるかは、別問題だ。

「……何だって良いだろ。俺はお前らから、鶴丸国永の話を聞きたくて呼んだんだから」
「そんな……経緯くらい、教えてほしいよ。だって、あるじさんはそんなこと言って、また一人で無茶をする気なんでしょう?」
「は? どうしてそんな事言われなきゃいけねえんだ」
「どうどうめぐりになっては、えいきゅうに、つるまるくにながのおはなしをきくことはできませんよ」

 あらぬ方向から声が飛ぶ。
 こちらは元々正座していただろうか、座っている今剣はじとりとした視線を向けてきた。

「あなたは、ひとりでむちゃをするんです。いわせたくなければ、それにかなうように、こうどうをしてみせること」

 そんなこともわからないんですか、と溜息を吐かれる。
 この外見年齢詐欺が。姿は子供のそれのくせに、発言の一つ一つが無駄に冷静で理にかなっていて、腹が立つ。
 別に無茶をしているつもりはない。ただ、ちょっと頑張ればいけるか、と思ってやってみると、結果的に無茶をしていたというオチになるだけで。

「……そういうところだと思うぜ、主」

 ぶつぶつと文句を垂れた俺の言葉が聞こえていたらしく、苦笑交じりに獅子王に言われる。確かに結果、「無茶」に繋がってしまった。
 ええいうるさい、と舌打ちをする。
 視界で乱と今剣が、同じような感じで頬に空気をためて膨れっ面になっていた。

「でぇ? 結局さぁ、どういう話で鶴丸の話に繋がったんだよ?」

 苛々と畳を指先で叩きながら、すぐ横に甘酒の瓶を置いた赤ら顔の短刀が問い掛けて来る。お前、甘酒を飲むようになったのは別に構わねえけど、普通こんなところまで持ってくる? ……事実今持ってきてるわけだから、お前の中では持ってくるのが普通なのか。
 つーか聞き方が完全に酔っ払いの絡み方だぞ。しゃっくりすんな。

「大将」

 薬研に声を掛けられる。その一言で、こんなところで時間を食ってる暇はないんじゃないのか、と言外に窘められているのを感じた。
 嗚呼、畜生――その通りだから、今回ばかりはうるせえと撥ねつけるわけにもいかない。

 深く溜息を吐いてから、目の前の畳の縁を見つめつつ口を開く。

「……前に、鶴丸と約束をしたんだ。一週間経ったら、この本丸から出ていくってな。約束したのは一週間前の今日。つまり……今日が、約束した最終日だ」

 全員が息を呑む。
 一瞬、嫌な感じの沈黙が下りてすぐ、「何で!?」と咄嗟に声を上げたのは、後藤だ。立ち上がって、勢いのまま、何でそんなに必死になるんだというくらい必死に叫ぶ。

「何で、そんな事言われるんだよ! だって鶴丸さんはっ」
「お前が知ってる〝鶴丸さん〟は、いつの鶴丸国永だ?」

 ひんやりと冷たい温度をもって、長谷部が問う。
 咄嗟に叫んだ後藤も、そのまま勢いで言葉を連ねようとするが、長谷部は許さなかった。
 主に、後藤をはじめとした藤四郎兄弟に視線を走らせる。

「蔵に封印されていたお前達は知らないだろう。……色々あったんだ。お前達が初めて顕現された頃と、封印された後と……。……お前達が顕現されていた期間に目にした鶴丸と、今の鶴丸は、別物と考えろ」

 まだ、後藤は言い募ろうとしていた。納得がいかないと、全身で訴えている。他の藤四郎兄弟も、戸惑った様に互いの顔を見合わせている。

 そんなの、そんなの。
 だって。鶴丸さんは辛くても、俺達に笑顔で。

 必死に訴える声が、どんどん自信なく、語尾はすぼまっていく。

「後藤」

 黙って聞いていた加州が、手だけで座るようにと促した。俯いていた顔を上げると、金色の耳飾りが小さく揺れ、踊る。
 切れ長の赤い瞳が、俺に向いた。

「わざわざそれを打ち明けてくれるってことは、今日出ていくわけにはいかなくなったってことでしょ? 鶴丸の話を聞きたいのも、そこに起因してる。違う?」
「…………」
「……わっかりやすい人~……」
「……あーそ。分かり易くて悪かったな」

 声の調子だけ聞くと、軽くて、半笑いのようにさえ聞こえる。
 しかし、加州の表情はいたって真剣だ。

「いいよ。あんたに鶴丸の話、してあげる。何か今回、切羽詰まった顔してるしね」

 いちいち、余計な一言が多い打刀だ。

「……だが、加州……」
「異論あるやつ、納得いく理由もつけて言ってね」

 薬研がぐっと押し黙る。
 困ったような笑いを浮かべてから、いーじゃん別に、と加州は続ける。己の爪を見て、何気なく指の腹で撫でているのは、きっと赤い爪紅のほとんどが剥がれてしまっているからだろう。

 甘酒を飲んでいない不動行光、というのは少し違和感があって早めにこんのすけ経由で買い求めて、甘酒を準備していたが、加州の爪紅にまでは気が回らなかった。
 適当に、良さげなものを見繕ってやる必要があるだろうか。

「どっちにせよ、仲間なら、触れなければいけないことだったんだし」

 仲間なら、という言葉に優しさが滲んでいた。仲間だからこそ、放置してはならない。向き合わなければならないという真摯な心が、はっきりとそこに見える。仲間だからこそ触れてはならない部分ではあるかもしれないが――今回の場合、触れなかった果ては恐らく、取り返しがつかないのだ。
 赤が禿げた爪を掌の内側に握り込む。
 

「俺達が知ってる全てを、教えてあげる。その代わり、条件がある」
「……条件ってのは?」
「その条件、どんなものでも飲むって約束できるなら話すよ」

 つまり、先に条件を聞かせる気はない、と言っているのだ。
 歯噛みする。これは卑怯だ。どうしたって俺は鶴丸の話を聞かなければならないのに、その条件が後出しだなんて。話を聞いてしまったが最後、どんな条件であろうと、俺は「はい」と答えるほかなくなる。
 ――きっと、この状況を、「卑怯だ」と思っている時点で、どんな条件を出されるのか薄々予想できている俺の、何て愚かなことか。

「時間が無いんでしょ。審神者さん」

 膝の上に置いた拳が微かに震える。力を込め過ぎて、まだガキな細い骨が角ばって見えた。それでも足りなくて、勢いよく息を吸った。息はまるで大きな塊の様に口の中を転がり、ごくんと音を立てて喉を通っていく。姿形は目視できないのに、まるで鉛を飲み込むような感覚。空気ってこんなに硬いものだったっけ。
 こめかみに、鋭い痛みが走って目を細めた。この痛みは、外的な刺激によるものではなく、一種のストレスによって生じるものであることは知っていた。いつだってこの痛みを感じるとき、俺が思う事は同じだからだ。

 
 ――とん、と、背中に感じる衝撃。

 はっと息を吐き出して、自分が今まで息を詰まらせていたということを知る。もう一度、背中をとんと叩かれて、横を見た。
 獅子王と目は合わない。だが、後ろから腕を回して、背中の中央に金髪の刀剣男士の拳が、当たっている。
 こちらは全く見ずに、また少し拳が離れると、とん、と軽い衝撃を与えて来る。三度では終わらず、四度、五度と、それを何度も繰り返す。

 こんなことで、安心なんてしていない。

 ただ、いらないと思ったのだ。頷かない限りはきっとこの拳は、ずっと俺の背中をこうして叩き続けるから、鬱陶しく思ったのだ。

 やっとの思いで俺が頷くと、加州はいくらか強張った表情を崩した。分かったから話せ、と急かしてやると、殊更に嬉しそうな顔をされたのは、意味が分からないと思った。

   ***

「そーぉれっと」

 軽い声が飛ぶ。はっとした秋田が素早く視線を走らせ、叫んだ。

「石切丸さん、丑の方角です!」
「っは!!」

 風を切る、とはまさにこういうことか。
 鋭く振るわれた大きな刃は、風をも巻き起こし周囲の叢を震わせる。

 目の前に切っ先を突き付けられているわけでもないのに、全身が竦むほどの殺気と、剣圧とも呼ぶべき、刃に込められた力。思わず身を引きたくなるが、ぐっとこらえる。
 代わりに、此方からも同様の斬撃――否、同様と言うには込められているものには差があるのだろうが――が繰り出され、鉄と鉄がぶつかり合う。耳を突き抜けるような甲高く激しい音が響き、大太刀の真後ろに控えた秋田は息を呑んだ。刃が擦れる音が、妙に気持ち悪く耳に届く。

 暗がりに灯る豆のような光、蛍の輝きを思わせる目が、微かに目の前の石切丸から、外へと逸れる。

「国行、生きてる?」

 短く問い、普段の口調の間延びしたものを感じない。身の丈よりもずっと大きい刀を振り回す蛍丸も、力の押し合いで余裕がないことを示しているのだろうか。
 石切丸も負けじと押し込み、大きな二振りの刀をもって鍔迫り合いの形になっている。がり、と鉄の削れるような音が微かに響いた。

「生きてる。蛍、加勢しよか?」
「いらないっ」

 蛍丸の返事に、そうか、と太刀の明石国行は肩を竦めた。
 明石が頭を掻いていると、その目の前で刀の切っ先が向けられる。それは、乱れ刃が特徴的な短刀だ。

「加勢しようか、なんて。明石さんの相手はボクでしょ?」

 月明かりの中、長く美しい赤毛の混じった金髪を揺らし、空のような蒼い瞳をはっきりと太刀に向けているのは、乱藤四郎だ。

 
「まあ、そうですけど。自分に隙があったところで、さっきからわざと見逃してばっかやろ」

 声はどこまでも気怠そうで、やる気がないのに、しっかりと此方の動きを見ている明石は、色々な意味で油断ができない。見逃してくれて有難う、等とは考えていないのだ。何故見逃す、と眼鏡の奥の瞳は乱に問い掛け、逃げの答えを述べることは決して許さないと言わんばかりの強さがある。否、強さと言うよりも、これは、

「戦う気ないの、丸分かりやで。乱藤四郎」

 ――怒り、だ。

 明石は、顕現当初、やる気が無いのが売りと宣ったが、それは本当に顕現されてすぐの頃だけだ。
 本丸の惨状や、様々な仕打ちからでもやる気云々の問題で無くなり、必死に互いを奮い立たせて折れないように抗うことしかできなくなっていたのは、周知の事実。
 より、〝生き物〟 らしく表現するならば。
 生きるか、死ぬか。それだけだった。

(当たり前だよ、そんなの)

 乱は駆け出し、乱れ刃を鋭く振るう。

(戦う気なんて、起きるわけないよ)

 月の光を受ける中だからか、太刀である彼にもよく見えているのかは定かではないが、太刀を振るって流される。また、咄嗟に小回りが利く事が自分自身の利点だと思っていたが、明石はそれを上回るスピードで斬りかかって来るので、一瞬たりとも気が抜けない。ただ、そんな彼の力の底上げの源泉が、負の感情であることは正直頂けない。

(だってボクたちは、仲間なんだから)

 ずっと蔵に封印されていた乱自身は、どちらかと言うと恵まれていた方なのかもしれない。いつ折られるか、ひたすら怯えて時が経つのを待つだけなのだから、審神者に対して抱いた感情は「恐怖」の一言で済んだ。
 しかし、他の刀は……薬研の話を聞いていても、「恐怖」ではなく「憎しみ」を抱くには十分なことを強いられていることもザラだった。蔵にずっと封印されていた乱には、到底分からない苦しみがあったかもしれない。

 それでも、負の感情による力は、必要以上にエネルギーを消費することも知っていた。怯えて動けずにいるだけでも疲れるのに、負の感情で突き動かされている身体への負担は、果たしていかほどのものだろう。

(ボクたちは、同じ本丸に顕現された〝仲間〟だ)

 蛍丸と対峙している秋田、石切丸を見やる。二人は、小さい身体から放たれる大きな一撃を、連携してどうにか向かい打っていた。
 今こうして戦っていても、蛍丸も明石も、敵と思った瞬間はない。あくまで、敵は時間遡行軍。歴史修正主義者、と呼ばれる者達。

 仲間だと認識してなお、本気で刃を振るえるときなど、少ない筈だ。

 乱達は、少年に反感を抱く彼らを倒すために、刀を握ったのではない。彼らに、少年を信じる己が正しいのだと示すために、刀を握ったのではない。
 共にあるために、敢えて刀を握ったのだ。

(……でも、そんな風に言っても、きっとこの二人には響かない)

 蛍丸にも、明石にも、彼らが「何のために」刀を握ったかんて、興味はないだろう。重要なのは、審神者の刀として戦っているか、否か。この事実だけで、敵対するには充分なのだ。
 大きく踏み込んでくる明石の動きに、すかさず後方へ飛び退る。

「乱さん、屈みなさい!!」

 石切丸の声に、咄嗟に身体を小さくしようと体を屈めた。
 びゅん、と真上を通り過ぎていく大きな刀――感覚で、分かる。これは、石切丸ではない方の……蛍丸の刃だ。
 大太刀の一撃が不発であったことに、目の前の明石が隠す素振りもなく舌打ちするのを見て、嗚呼怖いな、と思う。そんな眼鏡の彼が、蹲っている乱に向けて隙をつくように、太刀を突き出す。

「させませんっ!!」

 横から、秋田が飛び込んだ。小さい身体でも、勢いをつけた体当たりは、明石の放った突きの軌道を逸らすには十分だった。

 後ろからまだ蛍丸からの第二撃が飛んでくるのではと警戒しながら振り向くと、ふわりと脇の下から手が滑り込んできて、身体を優しく、しかし素早く持ち上げられた。
 今度は、自分が先ほどまで立っていた地面を滑っていくように、長く大きな刃が通り過ぎていく。あのまま立っていたら足首ごともっていかれていた、と口からぷうと息が吐き出された。

「大丈夫かい、乱さん」
「えへへ、ありがとう、石切丸――さんっ! っと!」

 顔を窺うように覗かれて、笑顔を見せてからすぐに、手に持っていた本体を投げ飛ばす。
 全身全霊の体当たりで地面に倒れ込んでいた秋田に斬りかかろうとしていた明石が、咄嗟に飛んできた短刀を弾き返した。
 その、たった一瞬の間に秋田は立ち上がり、弾かれて空中を回転する乱藤四郎を危なげなく捕まえると、跳ね返るようにして乱と石切丸のもとへ戻る。

「ありがとうございます、乱兄さん!」

 三人は一所に集まり、互いを見比べる。怪我が無いかのチェックだ。流石に無傷でとはいっていないが、どれもかすり傷程度のもの、軽傷とすら呼べないほど軽いものにとどまっている。
 ほっと、誰からともなく安堵の息を吐いた。怪我の有無は重要だ。誰よりも、手入れをしてくれるであろうあの子供が、怪我をしないことを望んでいたから。

「秋田、石切丸さん、行くよ!」

 手筈通りに、と。その部分だけを唇の形だけで付け足す。
 二人は一様に頷き、駆け出した。どうしても速度が劣る石切丸については、短刀の二人で援護しながら進むしかない。

 蛍丸と明石が、怒りを滲ませたまま、追いかけて来る。しかし、本来あるべき速度はない。だから石切丸でも、援護しながらでどうにか、追いつかれないで済んでいる。追いつかれても、すぐにこうして駆け出すことができるのだ。
 どちらも、太刀筋は確かであるけれど、走らせてみれば一目瞭然――積もっている雪に時折、滴るものは、鮮やかな紅色だ。そのことに、胸が痛む。そして、それが流れ落ちていることに全く気にも留めず、当たり前のように、闇夜の雪をざくざくと踏んで猛進する様は、その胸の痛みを強めた。

(ボクたちは、刀で、モノだけど、人だ)

 刀剣男士。人の身を得た刀は、感情も心も、人間のそれに限りなく近くなる。ましてや、付喪神という存在は、人に使われていたモノだからこそ宿るもので。

 人は、他人のために優しさを向けることができるとき、往々にして心に余裕がある。他人の辛さを受け止めても、それを打ち消すだけの余裕と、喜びと、強さがある。
 本当に余裕がないとき、人は他人のために優しくなれないことが多い。勿論、余裕が無くても他人のために優しくできる人だっている。けれど――そう言う人程、自分のことは後回しで、自分のことを傷つけすぎてしまう。
 優しければ優しいほど、自分の傷には無頓着なのだ。

 人はよく、傷つく辛さを知っているから優しくなれると言うけれど、あくまでそれは良い部分に注目した結果なのであって、実際には、傷つきすぎた果てに、何が正しいのか分からなくなってしまう。

(自分の怪我も省みずに、ボクたちを倒そうとしている。審神者側の刀である、ボクたちを)

 そのことは、悲しくはあったけれど、刀同士の戦いを最も望まなかったのは、頑なにそれを許そうとしなかったのは、あの子供だった。
 今、こうして刃を交えるのは――そう。刀剣男士側から進言した、結果なのだ。決して、あの子供が望んだわけではない。

『ねえ、あるじさん』

 何とか審神者を頷かせて、いざ準備をせんと皆が部屋を出ていく際に、問わずにはいられなかった。
 部屋を出る間際になって、思わず振り向いて、尋ねた。

刀剣男士ボクたちが嫌いなのに……どうしてそこまでしてくれるのか、聞いても良いかな……?」

 少年は、少し驚いた様子で目を丸くしていた。乱から質問がくると思っていなかったのか、それとも質問内容そのものに驚いたのか。
 どっちかは判然としなかったが、誤魔化すようなことはせずに、目を細めて笑い、随分ときっぱり答えた。

 ――〝お前らは充分過ぎるほど傷ついた〟

 だから、審神者を敵視することは正常なのに、刀剣男士を攻撃しようとするのは正常ではない。冷静な判断が下せなくなっている。だから、斬りかかって来る相手に、傷つけられてはいけないし、傷つけてはいけない。きっと、それはどちらにとっても、大きな後悔しか生まない。

 皆の為に傷付いた、優しい刀に、最大級の感謝を。
 そのうえで、救わなければ意味がない。

 モノであり、人であることを認め、両方の意味で救おうと考える少年は、誰よりも迷いがない顔をしていた。

「あんまり……なめてもらっちゃ、困るんだよね」

 ふわり。ふわり。周囲に突然、光の粒が舞い始める。――蛍だ。
 走る三人は、驚いて目を見開いた。頭上から響いた声。庭に生い茂る木の下を走ったことが、仇となったか。がさがさと木が大きく揺れ、上から蛍丸が姿を表す。

「じゃーん……必殺技……っ!」
「それっ!」

 石切丸が大きく刃を振るった。頭上から全身の力を使って振り下ろされてきた刃を、真っ向から向かい打つ。
 ガィン、と耳の奥が痛いような音が鳴った。

「!」

 蛍の光、丁度、木々の隙間から降って来る月光。両方が、拮抗する二枚の刃を照らし出した。
 蛍丸は、息を呑む。血に塗れて、黒ずみ、錆びそうな己の刀身と、刃文がくっきりと浮かび上がった白銀の刀身が露わになった。

「厄落としだよ。蛍丸さん」

 あくまで静かに告げて、言葉の静かさとは裏腹に、強く弾き返す。反応が一歩遅れた蛍丸は、その小さい身体が軽々と飛ばされた。だが、その飛ばされた先は、明石の元。

「蛍丸!」

 明石は咄嗟に己の本体を投げ捨てて、両腕で小さい身体を抱き留める。

「くっそぉ……! 俺だって手入れされてれば、すっげーんだからね……!」

 明石の呼びかけに答える余裕もなく、苦々しく吐き捨てながらその腕から下りる蛍丸。
 一瞬だが、明石の表情が揺れる。蛍丸は、己を抱き留めてくれている彼の表情の変化には気づかない。まだ、獲物を追う目をしていた。

「石切丸さん、乱兄さん! 行きましょう!」

 秋田の声に頷き、また三人は駆け出す。
 さあ、ついてこい。まだ戦う気なら、獲物を追うために、ついてこい――誘いこむことこそが、蛍丸と明石国行を救うための、最大の目的だ。

 二人が追いかけて来ることを確認しつつ、必死に三人は前へと進んだ。

   ***

 金属音が響き、同時に刃が擦れあい、弾く音。

「くっ……!」

 宙返りをし、どうにか体勢を立て直して、着地する。襟首あたりで切りそろえられた栗色の髪が乱れ、口の端に纏わりついて鬱陶しい。
 瓦屋根からの小気味良い音と共に、前方から、カラン、と一際大きく音が届いた。はっと顔を上げると、大きな月を背後に、夜空を舞う小天狗が一人。暗がりで、大きな赤い目がはっきりと瞬く。

「あっは! うえですよー!」

 赤い目は前田藤四郎を真っ直ぐに見据え、刀を向けて一直線に降って来る。
 飛び退って逃げようと考えるが、先ほどから同じ攻撃を繰り返されていることから、このまま屋根の端へと追い込もうとしているのは、戦場における直感で気付くことができた。
 後ろへ躱すことは、相手の思うつぼだ。ならば、と、大きな打撃に備え、膝を軽く曲げて、眼前に短刀を掲げた。
 刹那、想像よりも少し強めの斬撃が放たれ、手首に伝わる。小天狗の顔がすぐそばまで迫り、思わず前田の表情が強張った。

「今剣、しっかりしなさい! あなたは審神者に騙されて――」
「ざれごとをきくきはありませんよ、こわっぱ」

 迷いのない眼光に射貫かれて、息を呑む。
 騙されているなんて言わせない。己自身が、信じたくて信じているのだ。
 小天狗の目は、そう雄弁に語っていた。

「今剣!」

 横から飛んでくる声に、ちら、と視線を散らす。今剣は即座に剣を弾き、距離を取った。
 次の瞬間、前田の正面に、庇うように割っては散って来たのは、平野藤四郎だ。

「無事ですか、前田」
「ありがとう。どうにか……平野は?」
「僕も平気です」

 安心させるように微笑みかけてくるが、短いお河童頭の下から絶え間なく流れる汗の量は、尋常ではない。平野もかなりの苦戦を強いられていたらしいことは明白だった。
 前田と平野の、二人の視線の先でも、それぞれが相手していた後藤藤四郎と今剣が、合流している。

「はあ、びっくりした。まさか、ひらのがこちらにくるなんて」
「元々、兄弟の中でも、あの二人は阿吽の呼吸は目覚ましいもんがあるからな」
「……ごとうが、ひらのをちゃんとあいてしていれば、こっちにこなかったのになー」
「あのなぁ、そもそも、もうちょい手加減してやってくれよ、チビ。俺達と違って、前田と平野はどっちも手入れも受けたことなくて、ボロボロなんだから」

 手加減をしないで、今剣の方に平野が行ってしまうことを妨害することは可能だった。だが、足を狙うとか、当たり前ながら怪我を伴うやり方でしか、妨害はできない。手加減しながら妨害するなど、同じ刀剣男士としては、よほど練度に差があるかしない限り難しい。
 後藤の言葉に、麻呂眉を不本意そうに寄せ、視線を逸らす。

「やげんがこっちにくればよかったのに」
「薬研はほら……前の審神者の頃から頻繁に出陣してたから、練度高いし。だったらやっぱ、向こうを頼むってのは当然じゃねえ? 薬研も、大将も、チビを信頼してこっちに回したんだろうし……。大事な兄弟だから、俺の顔に免じて……な? 本気はやめてやってくれ」

 詫びる様に眼前に手を立てて、軽く目を伏せる。
 短刀にしては大きい相手を見上げながら、今剣は嘆息する。

「……ほんきになってませんもん。あと、〝ちび〟ってよぶのやめてください」
「嘘吐け。今絶対大将のこと、前田に何か言われて、かちんときてたろ」
「きてないもん」
「言い張るくらいなら殺気しまえって」

 隣に立っているだけで、肌が粟立つような気配を感じるのだ。この気配を殺気と言わずして何と表現するのか。更に、これを真っ直ぐ向けられている前田の方は、もっと強く感じていることだろう。

「なにもしらないくせに、ぼくらが、さにわさまにだまされているだなんて、いうんですよ?」

 はらがたつじゃないですか。
 唇を尖らせながら、しかし声量は抑えて、前田と平野には聞こえないように不満を漏らす。

 この短刀も、本当は分かっているのだ。実際に関わってみないことには、疑心を拭うことができないことは。
 そもそも人伝に聞いて、「じゃあ信じてみよう」なんて即座に応えられたなら、人間不信になど陥っていない。新しい審神者だって、初めから受け入れられたはずである。

「後藤兄さん」

 前田と並んで立った平野は、真剣な眼差しで――否、心配さえ滲んだ悲しい目で、此方を見つめる。
 前田と平野、今剣と後藤。それぞれの間は、短刀としての戦闘における間合いにおいて、瓦屋根の上で足場が不安定であることを鑑みても、絶妙に、一息では飛び込んでいけない距離感を保っている。

 
 すぐに信じてもらえないのは、仕方がない。
 ただ、殊更に厄介なのは――

「鶴丸様から聞きました。あの審神者は、この本丸に住み着き、刀剣男士を巧妙な手で仲間に引き入れ、僕たちをこうして、同士討ちさせる卑怯者であると」

 ――これである。

 鶴丸国永が、果たして彼らにどのような形で、現在の審神者の情報を話しているのかは定かでないが……少なくとも、少年をよく見たうえで、丁寧に、事実だけを、憎い審神者のそれとして、伝えている。

(……ずっとやりにくかったのは、これだよな、やっぱ)

 後藤は歯噛みするが、あと少しだと思うと、やりにくいことを感じつつもしっかり自分のなすべきことに集中したのは、褒められて然るべきなのではないか、とさえ思った。尤も、あの少年に褒めてくれと言ったところで、心底怪訝そうに見上げて来るだろうことは、もう分かり切ったことだが。

「それ、さっきも違うって言っただろ? 俺達は、鶴丸の爺さんも含めて、話し合いがしたいって思ってるんだ。そっちが刀を引いてくれれば、俺達だって無駄な戦いはしたくねえんだよ」
「ならば、どうして審神者は、僕たちの戦いを止めに来ないんですか? 後藤兄さんが戦いたくないと思っていて、審神者が後藤兄さんの本当に信じる人なら、止めに来るはずです。でも、僕たちは今、こうして戦っています」

 痛々しく表情を歪める前田に、平野は頷く。「やはり、どこかから僕たちを眺めて、同士討ちを嗤っているとしか思えません」と、続けた。

 やりにくい理由として、まさに、二人が言った通り、あながち間違っていないからだと言える。
 真実はどうあれ、今、今剣と後藤は少なくとも、審神者側の刀として刃を振るっている。現実に、そうなってしまっていた。それを、鶴丸の説明とは真実が「違うのだ」と、容易く説明できるものだろうか。前田と平野には、前任の審神者に酷い仕打ちを受けたことしかないのに。

「………同士討ちねぇ……」

 ぽつりと呟く。平野の言葉を受けて、意図して呟いたというよりは、純粋に零れたような呟きだった。――苛立ちをもって。

 そういえば、今回のことも、少年は頑なに一人で抱え込もうとしている節があった。頼むから刀剣男士を信じて、一緒に戦う事を許可してくれ、と食い下がる刀剣男士に、追い詰められたように、あの子供は苦々しく言葉を吐いた。

『お前らなっ……分かってんのか!? 俺の側になって他の奴らと顔合わせたら、ほぼ確実に戦う事になるんだぞ!』

 あの少年が、同士討ちを望む? あの、同士討ちを案じる言葉は嘘だと?
 それこそ、〝モノ〟に宿った神である彼らからすれば、有り得ない。必死に吐き出してくれた、〝モノ〟に向けてくれる想いは、怖いくらいに純粋で、単純な願い。あの想いは、本物だ。

「ごとう。かちんと、きました?」

 にんまりと、悪戯小僧のような笑みを浮かべる彼に、苦笑を返す。

「なあ、チビ。兄弟って、喧嘩することもあるよな」
「ええ。いのちのやりとりを、きょうだいのあいだでするなんて、めずらしいはなしでもありません」

 随分とはっきり言い切るなぁ、と後藤が目を丸くすると、今剣は笑みを絶やさずに、しかし少し困ったような表情を浮かべて「みぢかにね、あったんです、そういうことが。すくなくとも、ぼくのじだいでは」と補足する。
 その言い草から、何となく必要以上に踏み込んではいけないことを察して肩を竦める。そして、後藤は歯を見せて笑った。

「だったら、小突くくらいは許されるよな!」
「!!」

 前田と平野が、同時に表情を急変させる。構えを取ろうとするのを待たずに、足に力を込めた。

「行くぜ、チビ!」
「だから、〝ちび〟ってよばない!」

 まるで示し合せたかのように、二人は同時に勢いよく足を踏み込み、全速力で間合いを詰めた。

 ガキン! と大きな音が響く。誰よりも速く、前田が眼前に構えた短刀に打撃を加えたのは、長い白銀の髪を軽やかに躍らせた天狗だ。

「くっ!!」
「ぼくたちのあそびに、つきあってもらいますよ!」
「っ……! 甘いっ!!」

 負けじと前田も押し返し、鋭く弾く。瓦屋根を器用に飛び跳ねながら今剣の攻撃を流し、今度は此方から懐へ飛び込む。
 今剣は身をよじって、懐に入り込んでくるのを躱した。

「ここです……!」

 咄嗟に、前田が片足を軸に回転、振り向きざまに、刃を流す。遠心力で常よりも素早く走ったそれに、今剣は踏鞴を踏んで微かに後方に下がった。

 頬に感じる痺れるような痛み。
 たった数ミリ程度の傷でも、確かにそれは刀傷で、つ、と頬を血が垂れる。

「……さにわさまに、おこられてしまうでしょうが……!」

 乱暴に袖で頬を拭い、跳ね返るようにしながら距離を取る。
 その横でも、瓦屋根が激しく音を立てた。短刀と短刀がぶつかり合い、火花が散る。こちらは、スピード勝負というよりも力勝負だ。後藤はがりがりと刃が鳴くのにいくらか顔を顰めつつ、刀と刀がせめぎ合う中で、刃の向こうに見える平野の表情が辛そうなのを見つめる。

「良いか、平野! 大将は俺達の同士討ちなんか絶対に望まねえ! 絶対にだ!」
「そんなこと……信じられるわけがないでしょう!!」
「嗚呼そうだろうよ、信じられるわけねえだろうな! 俺だって薬研にいくら言われても信じられなかった! でも直に話した俺やチビには分かるんだよ!!」

 ちびってよばない、と横合いから声が飛んでくる。何だ余裕じゃねえか、と頭の隅で小天狗の戦況を心配していたことを後悔する。
 がぢり、と脳の髄に響くような、嫌な音が鳴る。
 平野が拮抗していた刀から突然力を抜いたため、後藤は思いがけず、持て余した力のまま、相手の短刀の峰を滑り降りてしまったらしかった。
 体勢が崩れたことにひやりとしつつ、敢えてすぐにしゃがむと、刀は使わずに身体を使って体当たりする。

「っ!」

 瓦屋根の上で尻餅をつく。平野は慌てて顔を上げた。

「―――え……」

 月を背後に立った後藤は、静かに見下ろしているだけだ。馬乗りになったりもせず、平野が立つのを待っている。

「……ご、後藤兄さん……?」
「言ったろ。同士討ちなんかする気ねえって。これは喧嘩なんだよ」

 兄弟を斬れるわけねえだろ、バーカ。
 そう言って、八重歯を見せて笑う。平野は、戸惑ったように視線を彷徨わせた。同士討ちをさせるのが目的だ、と言っていた白い太刀の言葉が、不安定に揺れた気がする。

 納刀の音が聞こえた。平野は、更に目を見開くことになった。
 後藤が目の前で、刀を鞘に納めたのだ。そして、拳を構える。

「喧嘩、するぞ。平野」
「………」

 まだ、平野は刀を鞘に納めない。迷っているように、視線は一所にとどまらず、あちらこちらへ移っている。

「いけません、平野!」

 前田が慌てて、平野のすぐ横に降り立った。手にはしっかりと、短刀を構えている。

「前田……」
「立ってください、平野! 惑わされてはいけません! 審神者の力を、侮ってはいけません! 審神者は霊力が強いんです、後藤兄さんをたぶらかすことだって簡単にできます! 今、刀を引いてはいけません!」
「……でも……」

 後藤を、改めて見る。彼は確かに、刀を納めている。今近づいてこっちが刀を振るえば、どうしたって先制できる。どんなに早く抜刀したところで、既に構えている側には敵わない。
 今剣が、徐に刀を納めた。そのことに息を呑む。あそこに並ぶ二人は、どちらも刀を構えていない。

 ――丸腰の相手に刀を振るうことは、卑怯ではないのか。

「……でも、前田!」
「僕たちがどれだけ審神者に兄弟を奪われたか! 審神者は僕たちの敵なんです!! 審神者の為に刀を振るう刀なんて、最早仲間じゃありません!」

 歯を食いしばり、前田は平野から視線を外すと、後藤と今剣を睨みつける。
 栗色の大きな瞳に、水の膜が張られ、月光を反射して煌めく。つけている外套が、夜風に吹かれて大きく広がり、靡いている。

「奪われた兄弟の痛みに比べれば、後藤兄さんや今剣と敵対することなんて、何も痛くなどありません!!!」
「……っ! 後藤兄さん、今剣!! お覚悟を!!」

 前田に叱咤されたことが、彼を奮い立たせたのだろう。平野も刀を握り締めて立ち上がり、叫ぶ。その目も、水の膜で覆われていた。

 どちらも、きっぱりと宣言したつもりだろうが、声は涙でよれよれだ。
 馬鹿だなぁ、と後藤は苦笑する。甲高い雄叫びを上げて、猛進してくる兄弟を目の前にして、手を差し伸べる。
 今剣に目配せした。今剣は、一瞬痛そうに顔を歪めたが、すぐに表情を改めて、同じように足を広げて、どっしりと構える。天狗もまた同じく、手を差し伸べる。
 

 目を大きく見開き、涙の膜は分厚くなっているのに、その頬を伝おうとはしない。懸命に堪えているのだと、すぐわかる。
 二人は差し伸べた手で、躊躇わずにそれぞれ、前田の刃を、平野の刃を、掴んだ。

 前田が、突然のことに固まる。

「……!?」
「まえだ。もういいんです」

 平野が、突然のことに固まる。

「ご、と……」
「平野。もういいんだ」

 ぎゅ、と短い刀身を握り締めて、掌から鮮血が流れ落ちるのも気に留めず、あくまで静かに、後藤は告げる。

「もう、いいんだ。前田。平野」

 抜刀するでもなく、躱すでもなく、二人は、前田と平野の攻撃をそのまま受け止めた。腹に刃を埋めさせるようなことはしなかったが、それでも、素手で刃を掴むなんて、どうかしている。
 今剣も後藤も、穏やかに目を細める。
 想像もしない対応に、前田と平野は同時に呆けた。――その瞬間を、見逃すはずはない。

 今剣は前田の腕を掴み、捻り上げながら全身の力を使って背負い投げた。己の身体よりもきもち大きい前田をそうすることは、きっと骨だったろう。だが、血に塗れた手で、天狗は渾身の力を込める。

「ぼくたちは、なかまをすくうために、ここにたった! だから!」
「負けるわけにはいかねえんだよ!! これで、終いだ!」

 今剣が前田を放るのと同じ方向に、後藤も平野の襟首を掴んで、勢いよく引っ張り上げた。平野の真っ白な襟が、掌の鮮血で汚れてしまうが、洗濯をすれば済む話だった。

 本丸の瓦屋根の上から、小さな体躯がふたつ、空中へと放りだされる。
 二人は息を止めて、同時に後悔する。どんな対応をされたからと言って、油断するべきではなかったと、夜風に頬を撫でられながら考えた。

 力いっぱい引っ張られた腕が、首回りが、痛む。
 彼らの手の痕がついただろうな、と思うほどに、力いっぱい掴まれた。成すすべなく、投げられてしまった。

 視線を下にやる。そこに、見えたのは――初めて、大広間に挨拶に来たとき以来、姿を見ることはなかった、子供。若草色の着物に黒い袴。赤みがかった藤色の襟巻。背中に差した刀。
 雪で白くなっている地面の中で、少年は異常に目立っていた。

(ああ、結局――)

 屋根の上にいる後藤と今剣を、見つめる。
 平野は、苦笑した。前田に言われた通りだ。結局あの二人は、審神者のために刀を振るって、わざわざ、審神者がいるところに向けて、屋根から投げ下ろしたのだ。

 空を飛べるわけではなし、このまま落ちて受け身をとるにしても、落ちている最中に、審神者に霊力で何かをされてしまえば、お終いだ。ああ、やはり、後藤も今剣も、審神者に良いように利用されていたのだ――。

(ごめんなさい、前田)

 先ほど、気持ちが揺れた自分が愚かだと思った。前田はそれを、揺れるなと叱咤してくれたのに、この体たらく。
 共に落ちていく前田と目が合った。前田も、諦めた顔をしていた。そうだろう、下に審神者がいるだなんて、思いもしなかった。

 落ちていく時間が、異常にゆっくりに感じられる。
 走馬灯、と言えるほどこの本丸には良い思い出などないけれど、でも最後を感じて、地面にたたきつけられる前に、ぎゅっと唇を引き結んだ。

 ここで、お終いになるなんて。

「くやしいなぁっ……!」

 かすれた声で、前田と平野は呟く。ずっと審神者に太刀打ちできなかった。そして、今回も、自分達は結局何もできずに――

「――あーそ。じゃあ、生きろ」

 少し高い、耳に馴染みのない声が、響く。次の瞬間。

「……えっ」

 前田と、平野。どちらの口から零れた声だったか、あるいはどちらの口からも零れたのかは、判然としなかった。
 落ちている最中に、何かをされるか、あるいは地面に強かに叩きつけられるであろうと、どちらにしても何らかの衝撃に備えて自然と体を丸めていた二人に襲ったのは――柔らかな感触だった。

 二人は目を丸くして、暫く驚いたまま固まって動けない。
 恐る恐る起き上がってみると、空中(と言っても、限りなく地面に近いような高さではあるが)に薄透明の糸が、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。それがクッションの役割を果たして、前田と平野を受け止めていたのだ。

 視線を巡らせる。

 数歩先に離れた位置に立つ少年は手を差し伸べていた。その手の先から、薄透明の糸が伸びているのだ。
 また、闇夜に紛れていて気付かなかったが、雪が積もった地面にも薄く、非常に複雑に、紋章のようなものが大きく描かれているのが分かった。微かにその文様が、輝きを放つ。
 同時に、全身を包むあたたかさ。傷跡にじんわりと染みわたる、澄んだ霊力は、確かにこの少年から放たれたものだと気付くのには、時間がかかった。
 気付いた頃には、ゆったりと柔らかく、半透明の糸が弛緩し、雪の積もった地面に体が降ろされており、どちらもぺたりと座り込むような形になっていた。

「じろじろ見るんじゃねえよ。前田藤四郎。平野藤四郎」

 驚愕に見開かれた目は、そう言われてもどうしても、少年から視線を外すことなどできなかった。
 見開きすぎた目は、その縁でどうにか溜めていた涙を、一滴溢れさせる。すると、前田も平野も、堪えがきかなくなったように涙が頬を伝い始めた。

「……良かった。泣けるのか、お前ら」

 少年の言葉の意味は、分からない。

 ただ、雪の冷たさを物ともしない、全身を覆う、まるで抱き締められているような温かさ。傷口に入って来る癒しの霊力は、このとき初めて、自分は痛いのだと感じていたことを教えてくれた。そのせいだろうか、涙が止まらないのは。

「いたい、です、平野」
「はい………痛いです、前田……」

 涙は零れる。全身がずきずきと痛いのに、不思議と身体から力が抜けて、緊張が解けるように脱力する。いたい、いたい、と二人は泣いている。少年から視線を逸らせないでいるので、まるで少年に訴えかけるかのようになっていた。
 少年は、二人の短刀を見下ろし、視線を真っ直ぐ返す。くしゃり、と表情は歪み、

「……いいんだよ、それで」

 少年は、ふと灰色の瞳を細め、微笑む代わりに唇を噛む。触れることはしない。だが、声音は確かに優しく。

「お前らは、ずっと痛かったんだよ」
 

   ***

 なるほどな、と頷きながら呟いて、息を吐き出した。
 嗚呼、何て胸糞悪い話なんだろう――道理で、どいつもこいつも表情を強張らせていたわけだ。
  

「……ありがとな、聞かせてくれて。事情は分かった」

 一人の情報源では不十分だったが、流石にこれだけの刀剣男士が揃うと、鶴丸自身と鶴丸の周りの話は思った以上のボリュームを誇った。その分、彼らがされた仕打ちの酷さも浮き彫りになってしまい、何人かの刀剣男士は顔から血の気を無くした。
 自分とて、ある程度の酷さは想像していたが、優に越えていたと言っても過言ではない。

「じゃあ次はこっちの条件の番ね」
「……嗚呼」

 赤い切れ長の目に見据えられながら、頷く。
 忘れていたわけではないが、俺の答える声はややうんざり気味だ。どうせ、言う事は分かっている。しかし言葉を遮る権利が俺にはない。こいつらは、不本意であろうに自分の仲間の情報を、俺に売ってくれたのだから。

「手入れしようって思ってくれてるらしいじゃん、あんた。鶴丸のことだけじゃなくて、他の刀剣のことも」

 くそ、やっぱりこいつらには話し済みかよ。俺は思わず視線を逸らして舌打ちをした。恨みがましく獅子王と薬研を交互に睨むが、二人は何とも言えない顔で俺を見返すばかりだ。

 獅子王と薬研から聞いた情報をもって、改めて加州が真直ぐに向き合おうとしている姿を見ては、この場では到底、嘘など言えるはずもなく、俺は浅く顎を引いた。

「今日出ていくわけにはいかないってなったのは、まだ把握もできていない他の刀剣男士の手入れが、今日中に全部終わるとは思えなかった、ってところかな?」

 その無駄に聡いところは一体どこで培われたもんだ? 頭の中でぼやいたつもりだったが、実際に声にも出ていたらしい。
 やっぱりね、と答える声にはどこか呆れが滲んでいる。
 うるせえな、呆れられる筋合いなんざねえよ。

 俺のぼやきに対しての反応はそれだけでは終わらず、続けざまに、

「岩融さんを直そうとした君だ。仮に、獅子王さんと薬研さんが話してくれなくても、察するなという方が難しいと思うけれど」

 石切丸が丁寧にもそんな回答を寄越してきた。
 尤もだとでも言いたげに、ここに集まる刀剣男士は誰一人として驚きのリアクションは取っておらず、うんうんと頷いて見せるのみ。凄えむかつく。いや、驚いてねえ事がではなく。当然だよねってツラをしてるのが物凄くむかつく。

「獅子王、言いなよ」
「え」
「獅子王が言いたい事でしょ。本当は」

 加州の言葉に、面食らった様子で声を漏らす金髪男。銀色の瞳が、俺の周囲を彷徨った。迷っていると言うよりは、どう言うべきか思案しているといった様子だ。
 ……察したくないが、条件として出されるものは何となく予想がついている。獅子王は既に一度頼み込んでおり、それを俺が即答で断ったから、改めて頼むことに抵抗を覚えているらしかった。

 しかし、その〝抵抗〟も、自力で脱するのが獅子王だ。
 少しの空白はあったが、やがては真っ直ぐに俺を見つめて来る。――嗚呼、嫌な目だなぁ。「主」と呼んでくるから、俺は「だから主じゃねえっての」と、最低限のあがきを見せた。その程度では、獅子王の目は、揺らぎはしない。

「……手入れ、手伝わせてくれ」

 ――俺だけじゃなく、この場にいる全員を。

「…………」

 首に手をやる。そこに巻いてある襟巻に触れながら、布越しに何気なく、首の刀傷に触れる。
 ただの気のせいなのかもしれねえけど、傷が疼いたような気がして、無性に掻きむしりたくなった。痛みに似た何かを感じたのだ。

「俺達の仲間なんだ。刀を交えることになっても、だから仲間じゃなくなるなんてヤワな絆じゃない。主だけが頑張るんじゃなくて、今回は俺達にも手伝わせてくれ。俺、知ってるから。主が俺達を傷つける様な行動しないって。主が何と言おうと、俺は知ってるんだ。だから、手伝いをさせてくれ。主」

 ひと息で、早口にまくしたてる。一瞬も俺から視線を逸らしはしなかった。

「……確かに、後何人、手入れがされていない刀剣男士がいるか分からねえ。でも、後二人、三人程度なら、お前らの手伝い何ていらねえよ。それだけ聞けたら、自力で、どうにかできる」
「主……流石に、分かるだろ。最初に挨拶したときから。もっと他に、手入れ受けてない奴がいるって。そもそも残りがその程度だったら、主は俺達に今回、こんな話、ぜってえしなかった」

 くそ、鋭い。ただのじっちゃん子……否、じっちゃん刀だと思ってたら頭回るのな。……そりゃそうだ。こいつは頭のいい太刀だ。俺を主とか言っちまう点以外は。

 襟巻を握り締めて、堪える。深呼吸をした。
 この部屋に集まっている刀剣男士は、どいつもこいつも、獅子王と俺を、固唾を飲んで見守っている。嫌に緊張した空気が、部屋の中を支配していた。何故緊張するのか。分かり切ったことだ。俺が、了承しないかもしれないからだ。

 こいつらは本気で、俺が手入れするのに手助けすることを、望んでいるのだ。

 正気か、と問いたくなる。実際にこの部屋に来る前も、獅子王に問うた。これは遊びでもない。戦でもない。ただ、自分達の領域で、相反した考え方をする刀同士がぶつかる。
 刀を抜かないで済むかもしれない、何て甘い考えは持ってはいけない。俺の側に立つと決めてしまったが最後、そこに戦いは必ず生まれる。必ずだ。

 問答の余地が無いなんて、浅はかな。そう思わないでもない。
 だが、こいつらの場合は、違うのだ。問答の余地がないことを浅はかだと考える、〝普通〟の状況に、こいつらはあてはまらない。

 刀剣男士同士が戦うと言う、本来ならば有り得ない、あってはいけない事象が、ここで起ころうとしている。
 それを、あろうことかこいつらは――買って出ようと言うのだ。俺は、戦わなくていいと思っていて。俺だけが泥を被れば済む話かもしれないのに。

「主」

 徐に視線を上げる。視線を上げてから、俺は俯いていたのかと気が付いた。膝の上で握りしめている手の甲ばっかり見ていたらしい。少しだけ首の後ろが痛い。身体ががちがちに固くなっている。
 嗚呼、俺もこいつらに負けず劣らず、全身が緊張状態だ。
 本当は分かってた。こいつらよりも、多分、俺が、俺の答えを聞くのが怖いのだ。――何故なら、こいつらを……

「俺達を信じてくれ」
「……っ……お前らなっ……分かってんのか!? 俺の側になって他の奴らと顔合わせたら、ほぼ確実に戦う事になるんだぞ! そうなることは覚悟の上だ? そうじゃねえよ、何も分かってねえ! 獅子王、お前も言ったよな!? 審神者に敵意がある奴が他は多いって! だとしたらだ! 手負いでも、そいつらと戦う事になる! そしたら、最悪、」
「最悪はねえ」

 強い言葉でもないが、獅子王は表情を一切変えずに、俺の言葉を遮った。思わず口火を切った俺は、慌てて飲み込む。
 咄嗟の事で何も言えずにいると、獅子王は黒漆の太刀をしっかりと握って、膝のすぐ横に立てた。鵺が、威嚇する様な低い声を漏らす。

「約束する。最悪はねえ」

 信じられない、という目で見ているのがばれたんだろう。いつになく真剣で、剣呑に帯びた瞳で、一切の反発も許さない、そんな雰囲気で獅子王は、「信じろ」と短く告げた。

(…………こいつ……)

 俄かには、信じがたい。だって、こんなのは聞いた事がない。だが確かに今、獅子王は誓ったのだ。最悪はない、と。有り得ない、とまで言い切れるほどに、はっきりと。
 今この場で、獅子王は、仲間を殺す覚悟ではなく、殺さない覚悟を示したのだ。

(……最悪は、ない? 本当に?)

 心臓がどくどくと早く脈打つせいだろう。息が浅くなって苦しい。
 もう時間が無いぞ、と離れたところにいるもう一人の自分が、脳内で叱咤する。分かっている。鶴丸の話を聞いただけで充分時間は使った。一人で手入れをして回るにしても、早く行動しなければ今日中に終わる筈はない。

 一週間以内に出て行く約束をしておきながら、諸々の怪我や体調不良のせいで、全然予定通りいかなくなった。
 あのとき無茶してなけりゃ、とか、霊力の使い処をもう少し考えておけば、とか、後悔しても後の祭りだ。ようやくまた手入れができるようになってみたら、既に一週間の最終日となっていたのだから、泣いても喚いても状況は変わらない。

 出ていけばいいだけかもしれない。鶴丸との約束を最優先にするのなら、こいつらに何も言わず、ふらりと本丸を離れれば済んだかもしれない。
 ………だが。

 他に、まだ傷ついている刀剣男士を放置して、本丸を去る?

(ふざけんな。誰がするか、そんなこと)

 それこそ、俺の中では、〝有り得ない〟。うっかり途中で死ぬようなことが無い限り、傷ついた刀剣男士を放置して離れる選択肢は、はなから無い。

 ……そうだ。だから最初から、獅子王と薬研に、話したのだ。今は意地を張る時じゃない。今は俺の事情なんざどうでも良い。鶴丸との約束? 知るか、そんなもん。

 最優先事項は――手入れを受けられていない刀剣男士。

 ならば、今更何を、じたばたする必要があるのだろう。

「…………良いか、お前ら」

 拳を握り締める。目の前の獅子王から視線を外して、周りを見回した。どいつもこいつも、神妙な顔つきで俺を見て来るんじゃねえよ。
 俺は、自分の髪を乱暴に掻き回す。

「……やっぱりやめた、は、無しだからな」

 俺が、その言葉を吐き出して、一拍。
 突然その部屋の中がぶわっと活気づいた。ぶわっとって何だ、と俺も思うが、他に表現のしようがない。まさにそうだったのだ。
 こいつらは総立ちになって

「任せてください、主君!」
「やっと言った、そうこなくっちゃね」
「ぼくも頑張るよ、あるじさん! 何でも言って!」
「えっへへ! うでがなりますね!」
「途中抜けなど言語道断! そんな奴は見つけ次第俺が斬って……」
「あ、あの、あの途中抜け、する人なんていませんから……!」
「うぃー……時間かかりすぎだってぇのぉ……」
「よーし! いっちょやってやろうぜ!」
「上手くいくように、みんなの厄も祓うとしようか」

 あわや酒宴でも始まるのではないかというような大騒ぎになってしまった。馬鹿野郎なんで俺の一言でそんな騒ぎになるんだよ……! お前ら一人一人の声結構でけえんだからな……!?

 俺が狼狽えていると、視界の端で、八重歯を覗かせながら、獅子王がにんまり笑っているのが分かった。うぜえ。お前、全部分かってます、って風を気取るんじゃねえよ。

「まあ、みんながこうなるのも仕方ねえと思うぜ」
「何で」
「だってよー。なー薬研?」

 反対側に座る薬研に、俺の頭越しに獅子王が声を掛けた。
 俺も首を回して薬研の方を見ると、こいつはまあ落ち着いたもんだ。総立ち組の一人ではない。胡坐をかいて、膝に肘を乗せて頬杖をついている。……ただ、これまでにあまり見ないほどににやにやしてやがる。気持ち悪い。

「大将が俺達を頼ってくれたんだ。初めて、はっきりとな。そりゃ、小躍りするくれえ嬉しいはずさ。俺だって今時間さえありゃあ、大急ぎで万屋に出向いて、一升瓶でも買ってきてこの場で開けてえくらいだぜ。おっと、スルメも忘れちゃならねえな」
「だからお前は何でそうやって外見儚げのガキで中身おっさんなんだよ、外見詐欺。つーか、勘違いするなよ、今回は時間がねえから……」
「大将」

 薬研が膝を叩いて姿勢を正すと、顔を覗き込んできた。

「それだけあんたは、俺達に頼ってくれなかったんだ」
「…………」
「あんたに頼られたってだけで、これだけの刀剣が喜ぶ。……意味、分かるか?」
「分かりたくない」
「成程、分かってはいるんだな」

 分からない、と答えなかった事を悔やむ。薬研を睨むと、そいつは逃れるようにそっぽを向いて立ち上がって、掌を打ち鳴らした。

「騒ぐのはそれくらいにしようぜ、旦那方。大将がさっき言ってた通り、時間が無い。情報共有と対処の仕方について考えなきゃならん。だろ、大将」
「…………このクソ短刀」

 吐き捨てて、静かになったそいつらを順繰りに見つめてから、俺は息を吐き出した。
 ああ、くそ、こんな形で……こいつらを頼ることになるなんて。全部終わったら、全部記憶から抹消してやる……。

 苛々して仕方ねえので、目の前に立って得意げな薬研に足払いをしかけといた。油断していたのか派手にすっ転んで背中から落ちた薬研が、じろりと視線を向けて来る。ざまーみろ、と思いながら見返していたら「兄弟みてえだなぁ」という獅子王の何気ない感想が降って来た。大変不本意だったので、薬研との戦いはそこまでとなった。

   ◇◇◇

「あほのすけ」

「ですから、こんのすけでございます、審神者様!」

 ぽんっと煙を立てながらすぐに登場する。
 そのことに一瞬眉間に皺を寄せた。すぐに登場したってことはお前……

「……スタンバってたんじゃねえだろうな」
「何をおっしゃいます! このこんのすけ、先日審神者様に極秘でと頼まれたことを政府にて調べておりましたゆえ……!」
「極秘の意味調べてこい」

 例によって両側に座る刀剣男士から顔を覗き込まれるが、「聞いてくれるなよ」の意味も込めて睨んだ。どれくらい俺の眼力が強かったのかは分からないが、二人とも何か青ざめて引っ込んだ。質問される筋合いも無かったので無視しておく。

「……まあ、ちゃんとやることやってくれてたんなら、良いけど。……とっとと旧式じゃねえ、まともなパソコン手配してくれりゃ、俺がやるけどな」

 平時から思っている不満なので、思わず嫌味ったらしい言葉が口をついて出て来る。

 
「う……そ、それは申し訳ございません……。何分、そのぅ、最新型のパソコンはどうしても、こう、別の本丸が優先にされがちと言いますか……」
「あーそ。知ってるわそんくらい」

 しょんぼりと耳を垂らした管狐に言ってやると、恐縮するように更にそいつは縮こまった。

 数日前にこの本丸に到着したパソコンは、中古品店でもなかなか見かけられないくらいの旧式で、画面を一つ出すのに一分弱もかかるものだった。そのせいか、外と回線で繋ぐことはできてもすぐに落ちてしまうという有様で、本丸内の資材状況の確認なんかをするには一応利用できるものの、役割を果たせるのはそこまでが精々だった。
 検索をかけて調べる、何て芸当は、検索中に回線が落ちて終わってしまう。調べる手段がない以上、そういったことは、大変精密な最新機械を持つ政府様にお任せするよりほかに、手立てがなかったのだ。

 ……因みに、政府との連絡も管狐経由である。便利じゃ無さ過ぎるというか面倒が過ぎる。知ったことじゃねえけど政府と本丸を定期的に行ったり来たりしなきゃならん管狐の労働力は同情の余地があった。

(相変わらず、気に食わねえの)

 別の本丸が優先されがち。
 一応立て直しの依頼を、このこんのすけがしたこと自体は許したくせに、実際に引継ぎの審神者が現れて立て直しを図っていても、結局政府はこの本丸を見放している。
 この本丸は、最悪の状態の時でも本丸の形を保ち、刀剣男士も多く折られていたが、それでもかなりの刀が残されていたと言うのに。

 ――可哀想な子。

 耳の奥で声がしたと同時に、ぎ、と続けて音が鳴る。己が、歯を食いしばった音だった。

(見放すには早すぎるだろうが。馬鹿政府)

「そ、それで、今回はどのようなご用件で……? そのう……」

 こんのすけが、少し意外そうに周りを見つめる。

「……何だか、皆さん、お揃いのようですが……?」

 確かに、俺がこいつを呼び出すときは、決まって俺が部屋に引きこもってるときか、外にいたとしても周りに誰もいないときを狙ってだった。こんなに刀剣男士が集まっているのは初めてだ。

「お前の力が借りたい」
「……? は、はあ……ええと、具体的に何をすれば……?」
「結界張れるだろ。こんのすけも」

 まだ、俺が何を言っているのかいまいち掴めていない様子で、管狐は耳を垂らした。小首を傾げて、首元に下がる鈴を揺らす。

「確かに、このこんのすけ、政府の式神ですゆえ、多少なりとも結界を張ることはできますが……」
「例えば、俺が結界を張ったら、お前はそれを維持することはできるのか。規模は庭の一部。畳十五畳分程度」
「十五畳でございますか……できなくはないですが、一体、どういう結界をお張りになるので……?」
「治癒の紋を地面に書いて、それを護る形で結界を張る。消されると困るんでな」

 こんのすけが、ぎょっとした顔をした。

「ま、またそんな霊力を派手に消費するようなことを!? 何故!? 治癒とおっしゃいますと、手入れをされるのでしょう!? 刀剣男士の手入れならば、手入れ部屋で行って頂ければ、結界を必要とする霊力は半分で済むことは、御存知でしょう! ただ外で結界をひとつ張るだけで、どれだけの、」

 早口でこんこん喚きやがる狐の鼻先に、一枚の札を突き出した。細長いそこには、赤い文字で複雑な呪文が書かれている。
 黙り込んでいるのを見つめながら、札を突き付けたまま言った。

「手入れ部屋以外で結界張るのに、アホ程霊力使うことくれえ知ってるわ。だからこれを使う。この符に込められてる霊力で、結界を張る霊力を補充する。そんなら良いだろ」
「でも、わざわざ、外で……!」
「じゃあ何か? お前、手入れ部屋に行きたがらない奴引きずって手入れ部屋で手入れしろってのか? 拷問とさして変わらねえよ、そんなもん」

 手入れをするから拷問じゃない、何て言えるわけがない。合意もなく無理矢理するってだけで、「される側」には恐怖しか植え付けない。
 身体が治っても、心が治らないのでは意味がない。心が痛ければ、結局ずっと痛いのだ。

「外で結界張ったときに、その結界維持する手伝いをしてくれ、こんのすけ」
「審神者様……」

 つぶらな瞳がぱちぱちと瞬く。
 人間や刀剣男士の目と違って、どんな感情がそこに宿っているのか、こんのすけは分かりにくい。式神だからなのか、単純に小動物の目だからなのか。

「……結界を張るための霊力の補填は可能です。ただ……審神者様は、ご自身が張られた結界から離れる場合はお考えですか?」
「状況に応じてだけど、考えてはいる。それがどうした」
「結界は審神者様の霊力があってのものとなります。たとえ符に霊力が宿っているとしても、審神者様に頼っている霊力の部分は大きく、このこんのすけ一匹では、補填しても足りるものではございません」
「……つまり、お前一匹じゃなけりゃ、可能なのか」
「はい。少々、お待ちくださいね」

 こんのすけが目を閉じて、そのまま微動だにしなくなる。
 怪訝そうに眉を寄せた長谷部が、何事かを言おうと前にのめった。だが、前に手を差し出して、制した。唇の前で人差し指を立てて、静かに、と伝えると、怪訝そうな様子ではあったものの、大人しく浮かせた腰を落ち着けた。
 この本丸がまともに機能していたことなどないのだから、こんのすけがこうしているのも初めて見るのだろう。

「今、政府と連絡とってんだと思う。こういう時こんのすけに声掛けると、通信途切れたりして色々面倒くせえから」
「な、なるほど……妙にそういうところは機械的なんですね……」

 驚きながらも頷いた長谷部だけではなく、他の刀剣男士も感心した様子で息を吐いていた。
 こんのすけは、各個体によって性格もあるし感情もある。だが、腐っても政府の式神だ。目を閉じて一切の動きを止め、式神の身体である管狐の身体の生命活動も一時的に停止状態に陥ったら、それは基本的に政府と通信している最中と見て良い。

 先ほどまでの会話から、恐らくこのこんのすけ以外のこんのすけを、この本丸に寄越せないか交渉しているものと思われた。

 通信結果を待つ間、居心地の悪さを勝手に感じていた俺は、思わず獅子王を見やる。

「……悪い、獅子王」
「うん?」
「多分、お前が一番、しんどいと思う」

 一連の作戦はあとで見直すが、ひとまずまとまった内容だと、よく考えてみるまでもなく一番の貧乏籤は獅子王だ。
 是が非でも獅子王でなければならないならまだ肚も括れるけど、他のベストな配置を考えたときに、消去法のようにして獅子王に白羽の矢が立ってしまったのは、予想してないだけに申し訳なかった。こいつが全く異論を唱えないから、余計に押し付けてしまった感覚は強まり、申し訳なさは募る。

 獅子王は考える仕草をしてから、傍らの黒い毛玉――鵺をもふもふと触り、撫でつける。その手はいつものことながら丁寧で、優しい。粗雑に扱おうという素振りが見られない。
 こういうところに、〝じっちゃん〟への労わりの気持ちも込められているのかと思うと、刀と一口に言っても色々あるものだと思う。

「……俺、何で主にそんなに申し訳なさそうにされるのか分からねえんだけどさ。仮にしんどくても、結局、仲間を相手にするわけだし。そう言う意味では、どいつもみんな同じしんどさはあると思うぜ」

 思うところは、そりゃ色々あるっちゃあるけど、と続ける。

「戦うって決めたのは俺なんだ。何でもかんでも、主が言ったからじゃねえよ。そこには俺の意思があるから。……あー……俺そんなに頭良くねえからかなぁ、何て言うかぁ……」
「…………いや、平気。何となく伝わった」
「お、まじ!? すっげーなぁ! そう! 言いてえことはそれ!」

 もしかしたら俺が誤解して認識しているかもしれないのに、即答で信じ込むこの太刀は、何処までも果てしなくお人好しだ。
 だけど、自然に、漠然と、何となく言わんとしていることが分かったのは、嘘ではなかった。言葉で全て表現できるものではねえだろう。

「つまりそう言う事だから、気にしないでくれよな! どーんと構えて、この獅子王様に任せろってんだ!」

 どん! と威勢よく胸を叩く太刀。

「……何だろう、俺今凄え不安になった」
「えー! 何でだよー! がーお!」
「がーおじゃねえよ金髪」
「しーしーおーう! 金髪じゃなくて! 獅子王!!」

 管狐が、ぴくんと尻尾を持ち上げた。手始めに、全身の毛がぶわりと逆立ったかと思うと、ぶるぶるっとまるで水気を飛ばす猫の如く、全身を震わせる。狐ってそんな仕草すんのか。知らねえけど。
 俺の方を見上げて、

「おひとり、応援を頂けることになりました。以前までは別の本丸を担当に持っていたこんのすけでございますが、今は担当を持っておらず、政府の仕事にひたすら従事しているこんのすけでございます」
「そいつがいれば、結界は維持できるんだな」
「はい。このこんのすけ一人ではいささか足りない面があるかと思いましたが、そのこんのすけは……く、悔しいことながら! もっと霊力については恵まれておりますゆえ……!」

 明らかに悔しさで牙を剥き出しにして、わなわなと震えているこんのすけに、俺は、お、おう……と辛うじて返事をした。管狐の中でもどうやら階級的なものは霊力の差が、いくらかあるらしい。それは知らなかった。個体差は知っていたがそんなに能力差もあるとは知らなかった。

「で、その応援はいつ来てくれるわけ」
「それでしたら、もう間もなく――」

 ポンッ! とこんのすけのすぐ横に、煙が立つ。驚く暇もなく、中から現れたのは――白ではなく、黒い毛で体を覆い、あとはほぼ同じ姿のこんのすけが、姿を現した。

「嗚呼、いらっしゃいました。こちらが、今回お手伝い頂けるこんのすけでございます!」
「……急遽手伝いが必要とのことで、参りました。宜しくお願いします」
(――――)

 どこか、まだ悔しそうにするこんのすけの隣りで、黒いこんのすけは俺を見上げながら、挨拶を口にする。
 ……脳が停止する。息をするのも忘れた。

「……ここにいたんスね」
「……っ!」

 何かを、言おうと思った。だが、咄嗟に開いた口から言葉は出てこず、息こそ吐き出されてもそこに音は伴っていない。
 落ち着け。落ち着け。今こいつに構う時じゃない。刀剣連中も……困惑してる。視線が集中してるのを感じる。

 ……落ち着け。

「………それはこっちの台詞だ。クソが」
「……お互い様です」

 黒いこんのすけが目を細める。
 間に立ってしまっている、この本丸のこんのすけは、困惑した様子で、俺と黒いのを交互に見つめている。

「……それで、さっきこのこんのすけから、話はあらかた聞きました。ようは、結界を張る手助けをすればいいんスよね。要領は分かりますし、できますが、審神者様にできるんスか? 本当に?」
「黙れ」
「ま、いーですけど。……嗚呼、何か空気乱しました? 申し訳ございません。どーぞ。お話の続きしてください」

 
 とってつけた様な丁寧な言葉を並べて、黒いこんのすけは黙った。この本丸のこんのすけが、何やら叱りつける様に前足で尻尾を叩いたりしているようだが、こいつは素知らぬ顔だ。
 ……よりにもよってこいつが応援に来るなんて思わなかった。

「……大将。大丈夫か。……顔、真っ白なんだが」
「気にすんな」

 何か様子がおかしいと思って、顔を覗き込んできた薬研を制する。
 不本意そうに眉根を寄せたから、これもまた俺は不本意なんだけど、「大丈夫だから」と強めに答えた。
 俺を心配されることも不本意だし、察して安心させるように答えねばならないのも不本意だ。

「いかがされますか、審神者様。この無礼なこんのすけではなく、他のこんのすけを御呼びすることも可能ですよ!」

 ここのこんのすけは、どうも、黒いこんのすけの挑発的な態度が気に食わない様子だ。全身の毛を逆立てて「審神者様にその態度は何ですか!」とぷんぷん怒っている。
 対して、つんとそっぽを向いてしまっている黒い方も、餓鬼かと怒鳴りつけてやりたくなるが――今の感情だと、俺と、黒いこんのすけ、どっちの方が餓鬼なのか分からない。
 あとは、悔しい事に……

「良い。そいつの霊力強いから、助かる」

 ――くそ、こんなに時間がない状況じゃなかったら頼まなかったのに。

 時間はかかっちまったが、漸くこれで全部だ。全員を見回す。揃うべきものは揃えたことが、他の奴らも分かったんだろう。気を引き締めた顔で姿勢を正している。……やっぱり、軍議ってほどのものじゃなくても、刀剣男士が真面目に「戦」に心を向けている姿は……纏う空気自体が、人間とはまるで違う。

「……じゃあ、話をまとめる。これが最終確認だからな。あとは各々動くこと。良いな」

 一様に頷いたのを確認してから、ひとつ息を吐いた。

「……まず、お前らの話を聞く限り、鶴丸を初めとしてどいつもかなり好戦的な状態。この本丸でそれなりに信頼を集めて、本丸の仲間を意識していた鶴丸なら、約束を守らなかった時点で、残った刀で一丸となって俺を殺しにくる可能性が高い。そうだな?」
「半ば、自棄になっているのでしょう」

 長谷部は自身の掌を見つめ、まるで掌の中心に大事な何かがあるかのように、丁寧に指を折り握り込む。

「俺と不動も、元々はそんな約束が無くとも、貴方を討つつもりで部屋を出ようとしました。……今は大変、無礼であったと思っておりますが、鶴丸からすれば約束通りに出て行かなかった主は、襲い掛かる好機と言っても過言ではない。驚きを追求するあの太刀は、他の刀を仲間に引き入れて、闇討ちを計画するのは、刀としても当然の思考かと思われます。また、主を悪だと思っている以上は、主の元に集まった俺達刀剣男士との戦闘も予想しているのではないかと」

 そこまでは良かった。流石に頭の切れるだけはあって、簡潔にまとまっていて分かり易い。
 大真面目に語っていた長谷部が、はたと動きを止めて微かに俯いたかと思うと、切れ長の目がぎょろぎょろ動き始めた。おいその混乱状態どうしてそうなった。

「…………討とうとしたこと、悔やんでも悔やみきれません…………無礼でした、貴方はこんなにも……俺達のために……うっ、俺はなんて罪深い事を……! このへし切長谷部、この場で腹を切って今すぐお詫びを……!」
「よし、話ややこしくなるからお前もう黙れ」
「ははっ! 主のためならば喜んで! 一生喋りません!!」
「コミュニケーション困るから喋れ。後俺を討とうとするの当たり前だからいっぺん頭ん中整理しやがれアホウ」
「ありがたき幸せ!!」
「サイコパスかな」

 ……やっぱりこいつ俺がいることによってどんどん馬鹿になってないか。気のせいか。織田信長の自慢の刀なのに信長が泣くぞお前……。
 意味も解らず土下座してる長谷部に白い目を向けてから、ひと呼吸。

「この長谷部の予想は満場一致だったから、確実に発生するとして。審神者部屋に奇襲をかけてくるだろうってのが、堀川国広と和泉守兼定。この二人は……」
「あーはいはい、それ、俺ね」

 加州が手を挙げる。
 手入れされていない刀の中で、堀川国広と和泉守兼定は、どちらも元々は新撰組の刀だ。両方が結構邪道な戦法を取るだろうと言って、旧知である加州が、真っ向から戦うと進言したのだ。無論、最初に審神者部屋を襲うのはこの二人だろうと予想して。

「堀川も和泉守も、手段は選ばない刀だからね。昔から知ってる俺じゃないと、あっという間に術中にはまるよ、多分」
「分かってる……繰り返すが、元々よく知ってる相手とやり合うのは、抵抗はねえんだな?」
「ぜーんぜん。っていうか俺以外に誰が相手するのさ。目潰しも何でもありな刀だよ? ……それより、俺は不動と五虎退の方が心配。かなり癖のある太刀筋だと思うけど、二人とも平気?」

 ぎゃう!
 五匹分の仔虎の鳴き声が重なり、抗議するように鳴いている。仔虎に囲まれた状態で、五虎退も背筋を伸ばしていた。……凄え膝に乗ったりしてるけどそいつらはスルーしていいのかお前……。

「だ、大丈夫です! その、こ、怖いけど、でも話し合いも、挑戦、しますし……!」
「あーそれは期待しない方が良いよ。堀川も和泉守も、相当荒んでたのは覚えてるから。長曽祢さんが顕現できなくて、よくあの審神者に八つ当たりもされてたしね」
「う、うぅ……」

 希望的観測をはなからへし折っていく加州、お前鬼かよ。
 しかし有り得ない希望を見てはしゃいでも仕方ないのは確かだ。ぬか喜びほど切ないもんはない。
 視界でまた別の刀が動く。
 やおら立ち上がって、肩を落とす五虎退の隣りに移動した不動は、突然低い位置にある頭を乱暴に撫でてやりながら胡坐をかいた。

「屋内で戦うってんなら、脇差よりも短刀の俺達の方がまだ、小回りが利いてどうにかなんだろぉ。加州には後で付け焼刃的ではあるけど、堀川の戦法も教えてもらうからさぁ。ま、そもそも、ダメ刀なんか期待できねえだろうけど、五虎退の盾くらいにはなれるってぇの。ひっく」
「………」
「……睨むなよ、審神者。冗談だろぉ。ひっく……ったく面倒くせーの……」
「こんな時に下らねえ冗談言うな」

 舌打ちをしてそっぽを向く不動。こいつとはどうも、何度でも揉めちまう。俺がいちいち突っかかるのもいけねえんだが、嫌なもんは嫌だ。
 不動に時間を割くのも下らねえので、次の刀に話題を転じる。

「……次は、本丸の色んな所で戦闘が起こるだろうって予想だったな」

 相槌を打ったのは薬研だ。

「どいつも、審神者であるあんたを殺しに来るはずだ。妨害するってなると避けられねえな。手入れをする以上、大将に死んでもらうわけにはいかん」
「当然だ! 主には指一本触れさせはしない!」
「長谷部黙れどうぞ」
「御意!!!」

 忠犬長谷公を黙らせつつ、獅子王に視線を移す。

「どいつがどのあたりで戦うとか、見当はつくのか。獅子王」
「おう。みんなやっぱ怪我してるからな。散らばって主のことを狙うんだとしても、引き籠ってる部屋に近いところで戦おうとすると思う。みんなは、『審神者の刀おれたち』に妨害されることは少しは織り込んでるだろうから、痛む身体に鞭打って無駄に遠距離移動するってことはねえんじゃねえかな」

 訳の分からない発言が今迄多かっただけに、冷静な分析をする獅子王は妙に逞しく思えた。頭良かったんだなこいつ……。

「じゃあ、この辺りには誰がいるってのは予想は可能で、間違いないな」
「おう!」

 に、と歯を見せて笑い、百点満点の回答を寄越した獅子王に一瞬微笑みそうになり、慌てて引っ込める。油断するな俺。

「じゃあそれを前提に、手入れを受けていない他の刀として……前田藤四郎と、平野藤四郎。この二人は」
「嗚呼、それは俺と今剣だ」

 後藤が挙手して、今剣も頷いている。
 前田藤四郎と平野藤四郎が、まだ本丸内にいると聞いたときは不思議に思った。藤四郎兄弟はてっきり、一期一振を顕現するべく、薬研が出陣するときの人質として、折れていない刀は全員蔵に封印されているものとばかり思っていたからだ。
 だが、加州の口添えですぐに理由は知れた。

 ――平野藤四郎は、この本丸の初鍛刀だったのだ。

 審神者が本丸を持った際に、最初に政府の監督下で鍛刀した際、顕現した刀。初期刀と同様にこの刀は特別な意味を持ち、本丸の運営開始時点として、政府からもより注目させる刀の一つだった。

 だから、己の所行が早々に政府に露見することを恐れて、前任の審神者は平野藤四郎を折らなかった。そうこうしている内に、前田藤四郎が顕現して……混乱したのだろう。
 前田藤四郎と平野藤四郎は、顕現したとき、外見がよく似ている。
 誤って、初鍛刀の平野を折ったら、政府にばれる可能性が格段に上がる。それを恐れて、どちらも残したのだ。

 あろうことか前任の審神者は、初鍛刀の平野と、後から顕現した前田の区別すらつかなかった。似ていると言っても、よくよく見れば全然違うはずなのに。

「二人は屋根の上に誘って戦うつもりなんだったか」
「はい! とんだりはねたりおてのもの。くうちゅうはぼくのせんばいとっきょですからね、まえだとひらのにはわるいですが、こっちがわにきてもらいます」
「俺も短刀として、そういう戦い方は苦手じゃねえからな。二人は相当怪我してるから、チビと俺でも、対等に渡り合えると思うぜ」
「〝ちび〟ってよぶのやめてください」

 はっきりとは言わないが、後藤も、藤四郎兄弟の中で、兄として前田と平野の相手をしたい様子だった。
 同様に、薬研も自分が相手をすると名乗り出たのだが――度重なる出陣で、重傷を何度も負っていたものの、生還したことにより、こいつの練度は他の短刀よりも格段に高い。だから、手負いで練度が低い前田と平野を相手にするよりも、他に相手にするべき刀がいることを周りが指摘し、辞退したのだった。

「……前田と平野のこと、頼むぞ。二人がいるところから、俺が結界張るところはかなり近いから、最悪屋根から突き落としてくれればいい」
「了解。ちょっといてえかもしれねえけど、俺達の兄弟だからな。全然大丈夫だと思うぜ! だから気にしないでやっちゃってくれ、大将」
「いや、痛くないように最大限努力はする。できることはいくつかあるから。……こんのすけにも手伝ってもらうしな」
「さにわさまがうけとめるのは、なしですよ? そんなちいさいからだでは、ぜったいつぶれてしまいます!」
「うるせえ。心配しねえでも俺も前田と平野をまとめて物理的に受け止め切れるとは思ってねえよ。そん時何とかするからそこは信頼しとけ」

 言ってから俺は苦虫を噛み潰す。
 ……酷い仕打ちをする審神者を、信頼しとけ、とは。
 失言だったと思うものの、後藤も今剣も目がきらきらしてやがるのでここはスルーに限る。何も言ってない。俺は何も言ってない。

「……あー、次! 明石国行と蛍丸がいるんだったか」
「はいはーい! それはボク! あと、石切丸さんと、秋田も!」
「そうだね。秋田さん、迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、宜しく頼むよ」
「いえ、僕の方こそ! 全力で石切丸さんにご助力いたしますので!」

 明石国行と蛍丸の二人は、どうやら短刀の愛染国俊が折られたことに対して、随分を怒りを覚えているらしかった。一期一振を呼び出す名目で薬研を重傷にさせ、かつ出陣させ続けたことと同じ様に、愛染も戦場に無理矢理出ていたらしい。
 結果――運が悪く、というべきなのだろう――明石国行と蛍丸が、ほぼ同時に発見・顕現されてすぐ。愛染は用無しとして折られたのだ。

(毎度ながら胸糞悪りぃ)

 先ほど説明を受けたときも「何だそれは」と吐き捨てそうになった。
 更にむかつくことに、ほぼ同じ仕打ちを受けていた薬研も、極めて冷静に、「仮に俺がいち兄を見つけていたら、やはり同じ目に遭っていたと思う」と言い添えた。「実際にいち兄を見つけても報告しないと心には誓っていたが、結局刀剣男士は基本的に、審神者の管理下。誤魔化すことはほぼ不可能なことくらい分かってた。見つけたら、終いだったんだ」と。

 知っている。刀剣男士を発見した時点で、自動的に審神者の記録として刀帳に刀剣男士が登録されてしまう。だから発覚は容易だ。
 薬研が一期を見つけずに済んだのは、ある意味、幸運だったと言える。

「夜なら咄嗟に小回りが利いて、対処できる短刀の方が有利だよね。明石さんはきっと強いけど、ボクも頑張るよ!」
「蛍丸さんは大太刀で、攻撃の範囲が広いからね。やはりここは、私が出るべきだろう。大丈夫、夜目が利かない分、秋田さんに手伝ってもらうから」
「大太刀の攻撃は緩慢であることが多い筈ですが、攻撃範囲の広さはやはり厄介ですから……僕も、石切丸さんがいるなら、心強いです!」

 明石国行も蛍丸も、手負いだ。加えて夜闇での戦闘は、夜目が利く短刀に軍配が上がり易い。とはいえ、大太刀の攻撃範囲の広さは侮れない。同じだけの力が此方にも欲しい。
 そんな分析から、乱と石切丸が抜擢。次に、石切丸の大太刀としての弱点を補助する役割として、秋田が抜擢されたのだった。

 こいつらにも結構危険な戦闘をさせそうで嫌だが、本人たちはやる気満々なので正直困る。
 頼むから無理してくれるなよ。
 告げると、三人は深く頷いた。お前ら頷いたからな、絶対無理すんなよ。

「嗚呼、それと……乱」
「! な、なぁに、あるじさん!」

 何で呼んだだけでそんな前傾姿勢だ。落ち着け。

「明石が左手に刀持ち替えたら、最大限注意しろ。あいつ確か本来は左利きだから。剣筋がかなり鋭くなるはずだ」
「……う、うん、わかった! 気を付けるね!」
「ん」

 今の空白は何ですか。分かったんなら良いけど。
 ふうと息を吐き出す。さて、残るは……最大の問題児。

「……主」

 金髪頭の、引き締まった低音の声。
 頷き返して、長谷部を、薬研を、最後に獅子王を見つめる。

「……やばいのは百も承知。だがやるしかない」
「……本当、あれは、やばいけどな」
「……この長谷部、刺し違えてでも奴らを……」
「刺し違えるな馬鹿。良いか。兎に角無力化しろ。そいつらについては多少は……怪我しても仕方ねえと思ってるから。最終的には俺が何とかする」

 こんのすけに手伝ってもらっても、結界を張るのも、他に諸々霊力を使うのも、相当に苦労するだろう。

「……色々、骨が折れるだろうが。信じろ」

 お前達が、審神者を憎んでいても、今回ばかりは。

「必ず、助けるから」

 今度こそ、絶対に。

   ***

 口から零れる息が、真っ白だ。冬の庭というだけでも寒いのに、夜など冷え込みは最高潮である。
 目の前には、三人の刀剣男士。対して、こちらも三人だった。

 ぽたりぽたりと、そいつらから滴る血は、積雪に降り注いで赤く染めていく。こうして離れてみていても分かるほどに傷だらけなのに、何がこの冷たい雪の中で彼らを奮い立たせているのだろう。
 ――言うまでもない。憎しみと、怒りだ。

「……はは、こいつは驚いた。審神者はどんな術を使って、きみ達まで誑かしたんだい」

 金色の目が、怒りで燃えている。
 鶴丸国永を挟み、うつむいたまま何もしゃべらない燭台切光忠。何を考えているかわからない目で、こちらを真っ直ぐ見つめる大倶利伽羅。

 彼らに、獅子王、薬研藤四郎、へし切長谷部は、対峙していた。