刀剣嫌いな少年の話 肆

2022年4月18日

 本丸の結界を張り直し、反抗期真っ盛りであろう刀剣連中に挨拶したらあとは自由に動き、穢れを祓う。そしたら、思い描いていた日常生活を送ることになるだろうと思ってた。


 朝。起きて最初にやることは、結界の核に異常が起きていないかの確認。
 瘴気は結構なもんだったので、万一浄化ができなくなっている可能性もあると考えての点検だ。もしもの場合があるので、どんなことよりも最優先で行うべきものだと認識している。そのために、一人で祠まで足を運ぶ。


「主、おはよう! 散歩か? あ、祠に行くのか! 俺も行く! 秋田も行こうぜ!」
「は、はい、その、主君が嫌じゃなければ、是非。…あ、挨拶、遅れちゃいました。おはようございます!」


 祠にある結界の核に問題がないことを確認したら、次は顔を洗いに中に戻る。瘴気の他、血や傷や埃でぐちゃぐちゃになっている本丸ではあるが、幸い水が出ないとかそういうことはない。
 大人数で同時に使えるように横に長い台が備え付けられている洗面所に、一人で入る。


「うわっ。…な、何だよその目…ダメ刀が顔洗ってちゃ悪いかぁ?」
「不動? どうした…あ、大将! おはよう! …へへっ、大将って呼べるの、何か嬉しいな!」


 顔を洗ったら次は洗濯。昨日掃除して出て来た中で、洗えばまだ使えなくはなさそうな手拭やシーツは存外多い。
 洗濯機はまともに動いたので(多分前任もきたねえ服を着続けるのは嫌だったんだろうな。本人が自分でやってたかって言うとどうせ刀剣男士使ってたんだろうけど)、先に動かしておくのが吉だ。一人でやると時間がかかるし、時間の無駄遣いは極力避けたい。


「あっ、主さんだ! おはよう! ねえ、何か汚れているものはない? 大丈夫?」
「おー大将、おはようさん。乱が手伝うって言ってくれてな…新しい洗濯物、あるなら出しといてくれると助かる」


 次は飯。腹が減ってて途中で動けなくなるのが一番困る。
 別に凝った飯なんか作れやしないけど、腹を満たせれば何でも良い。米が炊けるんだから何も問題は無い。適当に握り飯でも作れば良い。前、ちょっと塩と砂糖間違えた気がするけど食えりゃ何でもいい。それに、政府から送ってもらったインスタントだってある。湯を沸かせば味噌汁だって飲める。
 子供の俺でも、一人で、一食分くらい用意できる。


「…おはようございます。毒なんて入れてませんが、もし必要であれば毒見してからお出ししますよ」
「おはようございます…あ、あの主様。長谷部さんは、前も、ご飯はその…えっと、あの人に、作ったことがあって…人間が食べるもの、ちゃんと、分かってるので、安心して大丈夫ですから…」


 食堂に並んだ食事。メニューは握り飯にアスパラの天麩羅、味噌汁(味噌が何処かにあったらしくインスタントではない)だった。諸々こんのすけに頼んで冷蔵庫内を適当に満たしておいたものを使っているようだ。使うために入れたから別に問題は無いけれど。
 俺の両隣に獅子王と薬研が陣取り、他の連中も適当に席に着く。わりかし広い食堂なのに全員が同じテーブルに集まってるもんだから随分小さいスペースにおさまっていた。

 元々、食べる習慣がなかった奴らだ。まだ、慣れない様子で皆そわそわと身体を揺らしているが、昨日の昼や夜と同様に、覚えたマナーをいざ実行。両手を合わせて、声を揃えて、


「 いただきます! 」

 な ん で だ よ 。


 箸を片手に持ったまま項垂れる。どうしてだ。何か就任一週間経って獅子王に絡まれるようになった辺りから毎日繰り返してる気がするんだけどどうしてだ。何故こうなってる。誰か説明をしてくれ。
 俺は、一人で、諸々の事、やるはず、だったんだよな!?


「どうした大将、箸が進んでないみたいだが。長谷部の作る飯、意外と美味いぞ」
「意外とって何だ貴様」
「いやだって食ったことなかったから知らなかったしなぁ。昨日は大将が作った飯もどきばっかりだったろう」


 はっ倒すぞそこの短刀。


「主ー? 早く食わないと冷めちゃうぜ。あ、もしかしてアスパラ嫌いとか!?」


 黙りやがってくださいませ付喪神様。


 覗き込んでくる獅子王に対し、そういう意味を込めて無言で睨みつけたら、「主はもっとにこにこした方が良いと思う!」やかましいわ黙れっつってんだ。

 昨日はよく分からんが初めて飯食った奴らはぼろくそ泣いて泣きながら飯食ってて、何て言うかなにもかもがカオスだった。獅子王と薬研は分かる分かる言ってた。何が分かるのかさっぱり俺には分からねえ。
 そして、今はどいつもわいわいと新鮮な味覚を楽しみながら飯食ってる。はっきり言ってここ数日で一番賑やか。あと無駄にどいつもいい笑顔…いや長谷部と不動は仏頂面だけどそれはいいとして。

 おかしい。もう色々おかしい。え、何この穏やかな食卓。
 俺、荒れ果てた本丸に来たんだよな? 敵意剥き出しの刀剣男士がいる本丸を引き継いだんだったよな? あってるよな?

「んー、でも僕、昨日主さんが出してくれた料理も好きだったよ。何だか、素材の味! って感じがした」
「それ手ェほとんど加えられてねえからじゃねえの……」
「ふふ、でも、そう言う不動も全部、食べてましたよね?」
「素直じゃねんだからなー不動は~」
「うるせえ! 何だよ! ダメ刀をからかって楽しいかぁ!?」
「そ、その、ふ、不動は、だ、ダメ刀じゃ、ないと、思います…」
「お前らもう少し黙って食わんか。圧し切るぞ」

「頼むからちょっと黙ってくれ……」


 頭痛が酷い。冗談抜きで。俺はただ一人でやることやってただけのはずなのに、どうしてこんなことになってるのだろう。
 まさかちょっと手入れしただけで、纏わりつかれるようになるなんて思いもよらない。加えて今は長谷部と不動を除いて皆なぜか主・大将呼び。びくびくと怯えてたり殺意丸出しで刀構えてたこいつらは何処へ行ってしまったというのか。何でお前ら簡単に気ぃ許してんだよ。


(手入れくらい、どの審神者でもできるだろ)


 こんなことだけで気を許すだなんて馬鹿げてる。


「………何だ」


 視線を感じて、溜息を吐いてからそいつの方を向いた。アスパラを口に咥えたままこっちを見ている獅子王は、ぴくりと肩を揺らすと「いや」と首を振って目を逸らす。何もねえならこっち見るな。


「大将、掃除は昨日で大体終わったんだったと思うが、今日は何やるんだ?」


 今度は薬研に問われ、昨日の夜に思ったことをそのまま言った。


「…資材が足りねえ」

 言った瞬間、沈黙が下りた。
 不思議に思って見れば、どいつもこいつも飯食う手を止めて俺のことを見ている。


「……何だよ。変な事言ったか?」

 昨日の夜、めでたくも、また幸いにして政府からパソコンが到着した。…旧式だったが。もうこの際何でもいい。審神者通販が使えて基本的に連絡も取れるならどれだけ動きが遅かろうと何でもいい。たとえ一つの画面出すのに一分弱かかろうが使えれば良い。
 動きがくそ遅いパソコンで最初にやったことは、資材の残数の確認だった。こんのすけに既に何回か補充を頼んでいるが、実際の残数は知らない。もしかしたら俺が把握してないところに備蓄してあるかもしれないと思ったのだ。

 で、結果。見事に、補充してもらった分しか残ってなかった。クソかよ。


「……鍛刀、するの?」


 囁く様な、しかしちゃんと投げかける様に言われた言葉。発したのは、斜め前に座る乱だった。俺に向けているでかい碧の瞳を、不安そうに揺らす。
 乱だけじゃない。他の連中も、窺うように俺を見ている。


 鍛刀。資材と審神者の霊力を以て、刀剣男士を呼び覚ます手段の一つだ。通常、そうやって本丸に所属する刀剣男士の数を増やし、時間遡行軍に対抗する勢力を作り上げていく。それが審神者の仕事でもあるし、恐らくこの本丸も同じようにやっていただろう。…まあ、鍛刀部屋も折れた刀剣あったんだけど。

 ―――嗚呼、成程。鍛刀して、顕現して、すぐ折るっていう所行をしないかって、心配してるのか。


 ……馬鹿じゃねえの。

「しねえよ。鍛刀なんか」


 刀剣共の表情に、分かり易く安堵の色が出る。
 アホらしい。そんなことに時間なんか割けるかよ。それ以上に、俺は刀剣が嫌いだ。


「好き好んで嫌いな刀剣男士なんか増やさない。うぜえだけだ」


 正直なところを言っただけなのに、獅子王以外の刀剣の目が揺れる。なあ、今度は何。お前らだって嫌いな審神者何かに顕現されたくねえだろ。同類が増えねえって喜ぶところだろうが。
 ほら。獅子王なんかも、案外よく分かってる。目が揺れるどころか、にやついて―――――……ん? にやついてる?


「…何その笑顔」
「ん? いや、嬉しいなーって」


 普通なら、俺が刀剣男士を顕現しないことだと思うが、何かニュアンス的に違う意味な気がする。


「何が」
「つまりさ、新しい刀剣を増やさなくても、俺達がいれば充分ってことだろ? そんなに頼りにしてくれてるなんて、嬉しいなーって!」
「どうしてそうなった」


 獅子王の予想斜め上の超解釈は初めてではないし、毎度のことと言っても差し支えないほどだがそれで慣れられるかと言われると話は別だ。
 えー? と言いながら首を傾げてまだにやついてる獅子王を無言で睨みつければ、一瞬だけ、銀色の目が丸くなる。かと思うと、また表情が和らぐ。今度は、にやついているのではなく、妙に優し気な笑顔。

 数日で、こいつは表情がころころ変わるのは把握済み。無駄に素直だってのも、把握済み。ただ、時々、俺に向けて来る笑顔の意味が分からない。
 別に全部の笑顔の意味が分からないわけじゃない。にやついてるときはからかってたり、無邪気な笑顔のときは勝手にこいつが喜んでたりするってのは分かる。


(この笑顔は、わかんねんだよな)


 時々見せて来る優しい顔。審神者に向けられるべきではない顔。何を考えてるのか、聞いてみようかと思ったことは少しくらいはある。が、すぐに次の瞬間、こうも思う。
 何で俺がわざわざ、好き好んで、刀剣男士の思考まで理解してやらなきゃいけないんだ、と。
 この疑問がいつも浮上して、同時に我に返って、馬鹿馬鹿しくなって聞かない。例にもれず今回もそうだったので、面倒になり獅子王からは視線を外した。

「…では、資材が足りないと言うのは、何のための資材ですか」
「…そんなもん、手入れ以外に何に使うんだよ」


 あまり発言しない長谷部が尋ねて来たので、面倒くさいと思いながら答える。
 はいまた沈黙。そんな気はしてた。おい薬研笑ってんじゃねえ。もとはと言えばお前とか獅子王とかのせいだぞ。どうせ、またやれどいつを手入れしてくれだの言ってくるに決まってるから先手を打っておきたいってだけだよ。お前らがこれから何も頼んでこないって言うなら資材なんかどうでもいいわ。


「いやーでも資材回収ってことは、もしかして出陣?」

 獅子王、口ん中に食い物入れたまま話すな、汚い。

「嗚呼、そのつもり」
「そっか!」

 最後に味噌汁を飲み干して、空になった椀や皿を重ねる。ついでにあとで厨に刀剣が集まって来ても嫌だから、既に食べ終えてる皿があったらそいつらのも回収した。卓の端に置いていた盆を取り、そこに可能な限り運べるものを乗せていく。

「なあなあ主、隊長は決まってるのか?」
「へ?」
「…え?」

 盆を持ち上げようとしたところで聞かれて、我ながらとてつもなく間抜けな声が出た。いや、だって、聞かれるとは思わなかった。え。どういうこと。


「……え。だから、隊長。出陣する部隊の」
「は? え、お前、出陣してえの?」
「へ??」


 今度は獅子王の口から間抜けな声が出てる。お互いの顔を見ながら、俺にしてもそいつにしても状況把握ができてません、みたいな表情になっている。実際そうだ。
 あれ。何か会話噛み合ってなくね?


「……大将。気のせいなら良いんだが」


 頬杖をついていた薬研が、はたと思い至った様に背筋を伸ばした。


「…まさか、大将自ら出陣して、俺達刀剣男士は連れて行かず、資材を戦場で回収してこよう……なーんて考えてたわけじゃあねえよな?」
「まさかも何も普通にその気だったんだけど」
「はぁ!?」


 俺の言葉を受けて、目を見開いて固まってしまった薬研。
 そして素っ頓狂な声を出したのは、ずーっとぶすくれた顔で、周りの刀剣とすらほとんど言葉を交わさず黙々と飯を食ってた不動。
 お前も何なんだよ、急にでかい声出しやがって。
 
 加えて、隣でまだ飯を食っていた獅子王まで立ち上がって身を乗り出してきた。ああもう立つなよお前…デカイから見上げてると首がしんどいんだよ…。


「いやいやいや何でだよ主!? 大体主はまだ子供だろ!?」
「俺が子供だから戦えねえって言いたいわけ。普通の輩よりかはまともに動けるっての」
「確かに主がただの子供じゃねえことくらいは分かってるけど! そもそも審神者が自ら出陣するなんて聞いたことないぜ!?」
「仕方ねえだろ」
「仕方なくないって! どうしてそんな結論に至ってんだ!?」


 何かよく分かんねえが凄い焦りようだ。確かに審神者が出陣ゲート通り抜けて戦場行きましたなんて話俺も聞いたことねえけど他に誰が行くんだよ。
 そう思ってたら、視界の端で何かが動いた。見れば、おずおずと後藤が手を挙げていた。…お前口の横に米粒付いてるぞ。


「あのー…ごめん、ちょっと良い?」
「何だよ」


 まだ、審神者に何か意見するのは憚られる部分があるみたいだ。聞いてみると、恐縮したように肩を窄めていた。そこまで恐る恐るになるなよ。必要以上に関わりたくねえ俺は、お前らに何もしねえっつってんだろうが。


「…もしかして、大将、俺達を無理に出陣させられないと思って、自分で何とかしようとしてるんじゃねえかなーって…」
「……はあ?」

 今日はもう本当…どういうこと、の連続だ、朝っぱらから。まだ一日始まったばっかなんだがもう疲れて来た。

 後藤といい、お前らの中ではどんだけ超解釈が流行ってるんだ。
 お前らに無理に出陣をさせられない? そんなわけないだろ。ただ、お互い都合が良いと思っただけだ。お前らは審神者が嫌い、その審神者の言うことを聞いて出陣なんて、虫唾が奔るほど嫌なはずだ。そんで、俺も刀剣男士が嫌い、可能ならお前らの世話になんかなりたくない。
 な。丁度良いじゃないか。

 俺は誰にも頼りたくないんだ。とくに、刀剣男士には。

 はっきりと告げると、また空気の質力が増したような気がした。酷く重い。でも、明確にどういう空気となっているのかが分からなくて、俺は困惑する。話が済んだならもういいかな、と盆を片付けるべく歩き出そうとすると、また「主」と呼ばれた。……獅子王、お前、いつもそうだな。すぐ呼び止める。


「…何だ。もうはっきり言って面倒くさいんだけど」


 獅子王が俺の正面に回って、盆を取り上げる。床に下ろして、しゃがんで、目の高さを合わせる。…その方が確かに会話するのは楽だけど、何となく癪なんだよな。


「出陣したい」
「……はぁ?」
「俺が、出陣したい。主のためじゃなくて、俺が俺のために出陣したい。俺、刀だからさ。そろそろ鈍っちまうよ。だから行きたい」


『俺を手入れしてくれ』

 初めて、獅子王とちゃんと目を合わせて、しようと思ってした会話で、聞いた言葉。そのときと、同じ温度。だから分かった。またこいつは、そういうことを本気で言うのか。

「俺は出陣したい、主は資材が欲しい。これもお互い都合が良いだろ」
「獅子王の意見に賛成だな。大将、任せてくれねえか?」


 薬研も何でここぞとばかりに賛同するわけ。


「あ、あのっ……! あっ、わあっ」


 慌てて立ち上がった五虎退が、うっかり椅子を倒してしまい声を上げた。倒れた椅子と俺の方を交互に見ておろおろしてる。
 でも、椅子を起こすより先に、俺の方を向いて、五虎退は言った。

「ぼ……僕も、行って、良いですか……あの、その、えっと、…」
「待って、ボクも行きたい! あるじさん、ボクにも行かせて!」
「しゅ、主君! 僕も行きたいです!」

 五虎退が倒した椅子を起こしながら、乱が言う。続けて、秋田も。

「……不動、お前も行ってこい」
「っ!? な、何で俺が……」
「心配だと顔に書いてあるからだ。一緒に出陣してお前が守ってやれば良いだろう」
「っ………」

 戸惑っている不動を放って、長谷部が椅子から立ち上がり、歩み寄って来る。獅子王が俺から取り上げて床に置いていた盆を勝手に持ち上げた。
 図星をつかれた様子で、不動は俯いていた。

 ……っていうか何か勝手に話進んでる。え、これこいつらが出陣する流れ? 確か部隊の編成って六人までだったよな。目の前の奴らを何となく数える。獅子王、薬研、五虎退、乱、秋田、不動……うわ、六人ぴったり…まじか。
 出陣したいって……お前らは、無茶な出陣やらをさせられたんじゃなかったのか。

「みんな、自分の意思で言ってるんだ。だから、主はここで待っててくれ」

 太陽みたいな笑顔を浮かべる。自信にみなぎった声。獅子王は、まるで俺を安心させるみたいに笑う。


「後藤、帰ってくるまで大将や他の皆のこと、頼んだぜ」
「…おう。長谷部もいるし、大丈夫だって。そっちも無理すんなよな」

 今日は宜しくな、大将! 後藤も、また、どこか不安が残っているくせに、俺を信じようとしてるのが丸分かりの、精一杯の笑顔を向けて来る。
 宜しくと投げられた言葉に滲む、俺への、…何かを期待しているかのような感情。


 違う。俺はお前らを心配なんかしていない。
 それに、困る。信頼を向けられても。だって、俺は。


 ……頭が痛い。頭が、痛い。……どうして…こんなにも、上手く、いかない。

「……好きにしろよ」


 どうして。何故。


 最近俺が思うことは、こればっかりだ。

   ***


 午後。少年が何も言わないまでも、獅子王達は勝手に午前中作戦会議をし、昼食を取り終えると勝手に出陣していった。

 一応、行く前には全員と顔ぐらいは突き合わせておいたけど。久しぶりのまともな出陣だ、とか、初めて自分の意思で出陣する、とか末恐ろしいことまで言ってた(まあ前任の所行から言って当然と言えば当然だ)から、念のためちゃんと防具つけてるかは確認させてもらった。自分で行くならこんなことせずにも済んだのに本当めんどくせえ。

 少年は箒で庭に大量に落ちているゴミを掃きつつ、溜息を零した。
 穢れは順調に結界のおかげで浄化されていっているが、物理的なものは結局原始的な方法でしか綺麗する方法はない。昨日、掃除が大方終わったと言ってもそれはほぼ屋内だ。庭はまだちゃんと整えられていない。雪が中途半端に溶けてぬかるんでいる場所があったり、分厚く積もっていて掃除しようにもできなかったりと、進みも早くない。


(庭、変えられれば楽だけど……)


 季節によって姿を変えていく庭。
 もし一年中、桜を見ていたいとか紅葉を見ていたいといった場合は、政府に特別な術式を教えてもらうことで、今の庭をそうした景観に一変させることができる。ただし、高度な術式である分教える側も結構な労力を必要とされるためか、無償でというわけにはいかない。因みに、当然の如くこの本丸はほぼ無一文状態。立て直しのために通常は得られない支援を政府から臨時で受けているだけだ。

 無いものねだりはしても仕方ない、と頭を振った。外では折られている刀剣はあまり見かけなかったので、それだけは安堵する。屋内では至る所にあったので流石に辟易していた。
 だが、折れた刀剣以外でも気になるものはやはり目に入る。例えば、吐瀉物と思しきもの。堪え切れずに刀剣が外で何か吐いたものだろう。食事の習慣はないようだったので、ほとんど胃液と思われるが、もしかしたら何かを捻じ込まれていた可能性はある。


(別に、俺には関係ないし)


 付きまとってくるようになった刀剣の内、後藤と長谷部は本丸に残っているが、この二人は今畑での作業にあたっている。少年が指示したわけでもなく、ただ勝手に始めた。長谷部曰く、厨で食事を作った際に「刀剣も食べるのだとしたら今の野菜の備蓄では到底足りないと思った」からだそうだ。
 本当は畑での作業も少年がやるつもりだったが、いかんせんやることが多いため時間短縮を思えば、二人にやらせることが現実的だった。だから、渋々ではあったものの了承するに至ったのである。


 そんなわけで今は、周りに五月蝿い奴がいない。ちらちらこっちを見てくる奴も、傍で主だの大将だの言ってくる奴もいない。ああ、静かだ。平和だ。安心する――――


(―――――と、そう上手くはいかねえか)

 痛いほど感じる視線。それには、酷く中途半端な、形容しがたい感情が乗っている。「視線」は形があるわけでもないのに、向けられている本人には時折、嫌と言うほど訴えかけてくるものを汲み取ることが出来てしまうことが少なくない。不思議なことだ。
 どれくらい前からだろうか。少なくとも、ここの掃除を始めた時点ではなかった。途中で、ふと感じて、気付いたのが最初だ。あまり、刀剣たちが籠城している方の庭にまでは深く踏み込まないようにしていたつもりだが、それでも汚れているのが気になって近づきすぎたのがいけなかっただろうか。視線を向けてきている「それ」に背中を向けたまま、ぼんやりと考える。


「………安定?」


 自分に向けて声を掛けられてると分かった。呼ばれている名前は、決して自分じゃないのに。
 はっきりと、自分に向けられていたから。
 少年は嘆息する。―――これはまた……面倒なのに捕まった。

 足音が近づいてくる。一定のリズムではなく、非常に不規則。足を怪我しているのかと見当をつけた。


「帰って来てたんだね」


 声が疲れ切っている。けれど、どこかに喜びが滲んでいる。
 ドササ、と音がする。箒を持ったまま、少年は振り向いた。

 そこに、一人の刀剣男士が倒れている。否、倒れているのではなく、転んだのだ。いてて、と呟きながら身を起こし、何とか手と膝を使って立ち上がる。顔を上げる。目が合った。ふにゃり、と破顔して、再び歩み寄って来る。


「その顔、やめてよ。どうせ鈍臭いとか思ってるんでしょー?」


 安定はいつもそうだ、と。親しみを込めて怒りを口にする。

 大事だったのだ。かけがえのない、相棒だったのだと、分かる声。
 その、霞んでいる、淀んでいる、紅い瞳に映っているのは―――俺じゃない。


(嗚呼、やばい、これは―――)


 ―――きつい。


「安定、こんなに長い間、どこに行ってたの」「思ったよりボロボロじゃないんだね、良かった」「っていうかさー、俺の方がボロボロじゃん。あーあ」「安定がいない間も、色々あってさ」

 よろよろと近寄ってきて、正面にまでやって来る。何か、言っている。俺に向けていない言葉を、俺に向けて言っている。だからだろうか。手を伸ばせば届く、そんな距離にいるのに、耳に言葉が入って来ない。何を言っているか分からない。
 こくり。喉を鳴らした。


「加州」


 名前を呼ぶ。一緒に出た息が、震えたような、震えていないような。
 目の前のそいつが。加州清光が、不思議そうに、首を傾けた。


「あれ? 安定、声、何か変だね。それに、〝加州〟だなんて。返事もしないし、何か怒ってるの?」


 口の中が渇く。霞んだ目で、淀んだ瞳で、哀れな無邪気さを見せる赤い打刀は、酷く見苦しく、切ない。
 少年は歯噛みした。


「加州清光。俺は、大和守安定じゃない」


 加州の目が、ゆっくりと瞬く。呆けた様子で、きょとんとする。身体は少年よりも大きいのに、食堂で見たどの短刀よりもずっと幼く見えた。


「俺は審神者だ」


 言葉を重ねた。
 分かっていた。加州は、目が見えないのではない。でも、心の目は閉じている。半開きの目には、きっと何も映っていない。明確なところは、分からないけれど。


「あはは……意地悪言わないでよ」
「お前も本当は分かってんだろ」


 笑っているが、初めて加州の表情が歪んだ。
 やっぱりそうだ。思った通り、こいつには自覚がある。だって俺は、知っている。

「加州が、自分の相棒を間違えるわけがない」


 加州の表情から、笑顔が消えた。途端に血の気も失せて、能面のようになった。そっちが今のお前なんだろう、虚しいことに。
 赤い瞳に、やっと自分が映った。目を逸らしそうになるが、箒を握る手に力を込めて堪える。相手が逃げずに此方を見た。

 ――――なら、俺が逃げるわけにはいかないじゃないか。


「………誰、あんた」


 さっきまでとは打って変わって、冷たい声だった。ただ、これまでの刀剣男士のように、睨みつけて来るのではない。
 だからこそ、底が見えない黒い感情が、あるような気がした。


「誰でも良い。俺を大和守の代わりにさえしなければ」
「……代わり、なんて。ちょっと間違えただけじゃん」
「もう一度言おうか。お前が相棒を間違えるわけがない。違うと分かっててお前は俺を〝安定〟って呼んだんだ。そうだろ」


 心が壊れそうだから、現実を別のもので埋めようとしている。代わりを求めたのは、きっと、自分を守るためだ。


「大体、安定と似たような恰好してるのが悪い」
「身長も違えば袴の色も着物の色も、襟巻の色、ついでに髪の色も違う。……まあ、パッと見は間違えるのかもしれねえけど。そういや、最初に俺が刀剣共に挨拶に行ったとき、連中が殺気立ってる中で、お前だけやけに驚いた顔してたもんな。あんときは本気で間違えたんだろうが…流石に今は分かるだろ。違うって」


 加州の表情が痛そうに、崩れていく。だが、少年は言葉を止めない。


「俺に対しては良い、別に。ただ、代わりを立てるってのが本当のお前の相棒に対してどれだけ失礼なことか分かってんのか」

「……あんたに何が分かるの」

「分からない。でも関係ないよな、今。お前にどんな事情があろうと〝代わりを立てた〟事実は変わらない」


 唇を噛んで黙り込んでしまった。
 少年は、そこに突っ立っている刀剣男士を無言で見つめ続ける。この刀剣男士は、片手に本体と思われる刀を持っているが、すぐ抜けるような体勢ではない。鯉口を切るといったことをすることもなく、新しい審神者のこんなにも近くに来てしまっている。何と不用心なことだろうと考えた。


「……ねえ、あんた、あの人と同じ審神者なんだよね」
「…そうだ」
「だったら、聞いても良い?」


 か細い声。無言で続きを促した。


「――――どうしてあの人は、安定に単騎出陣なんて強いたんだと思う?」


 そういうことか。少年は納得する。
 前任の審神者に対して、大和守がどんな風に振舞ったのかは知らない。が、恐らく何か、気に障るような態度をとったんだろう。もしかしたら命令に背いたりしたのかもしれない。


「あの人は、何を考えて、安定を戦場に放り出したと思う?」


 ふふ、と加州が小さく笑った。


「審神者って、馬鹿なんだなあって思ったよ。俺。そんなの、折れちゃうに決まってるじゃん。ねえ、同じ審神者さん、どう思う?」


 少年は無言で、ただただ、見つめ返す。
 加州がひゅっと息を吸った。脱力した様に落ちていた両肩が、微かに上がる。かちかちと鳴る音は、加州の奥歯がぶつかっている音だ。


「……っんだよ……何とか言えよ……」


 地を這うような声は、少しばかり聞き取り辛い。 


「どうして安定があんな目に遭ったの…答えろって言ってるの……どれだけ、俺達を馬鹿にすれば気が済むって、聞いてるんだよ。答えろよ……」

「………」

「答えろよ審神者ァ!!!!!」

 歯を、食いしばり。俯かせていた顔を上げて。淀んで、霞んで、半分しか開いていなかった目を、かっと見開いて。突如、刀の柄に手を掛け、八重歯を剥き出しにし……怒りを露わにして、叫んだ。瞳孔が開いている。
 だが、それでも少年はあくまで静かに、見つめ返す。


「……お前さ、怒るか泣くかどっちかにしろよ」


 鬼の形相で子供を見下ろしながら、紅い目から零れていく涙は、頬を伝い、顎にたまり、はらはらと地面に落ちていく。
 怒鳴った加州は、肩を上下させながら不規則な呼吸を続けている。ふーっ、ふーっ、と繰り返されている吐息は、近寄って来た人間を威嚇する野良猫を思わせた。


「じゃあ聞くけど、お前、俺に何て言って欲しい」


 苦笑する。灰色の瞳が、微かに揺れ動いた。


「〝ごめんなさい〟とかの言葉が欲しいわけじゃないだろ」


 謝って大和守が戻って来るなら、いくらでも謝って良い。土下座して地面に額擦りつけて、地面舐めて、泥食って戻って来るなら、いくらでもやって良い。でもそうじゃないだろ。
 そう言ってから、少年は続けた。


「……多分、お前が欲しい言葉、〝俺〟は持ってない」 


 ――――ごめんな。


 困った様に、眉を下げて笑った少年が口にした謝罪。
 加州の表情から、一瞬で、全てが抜け落ちる。怒りの炎が灯っていた瞳に次に宿るのは、絶望と、怯え。つり上がっていた眉は情けなく下がって、「あ、」と震えた声が唇の隙間から転がり落ちた。
 前任の審神者の所行を、謝られたわけではない。では何に対しての「ごめん」なのか。言葉を交わしていた加州には、理解できた。同時に、ずっと逸らし続けていた現実が、目の前に広がる。


 大和守安定は、単騎出陣をした。
 そして、帰ってこなかった。


 相棒は、もう、ここにいない。


「あ、あ、あ………!」


 膝から崩れ落ち、とめどなく零れる涙は、とうてい一言で言い表せるものではなく。
 正面に立っている少年が、加州、と名を呼んだ。涙でぼやける視界では、少年がどんな顔をしているかは判然としない。


「お前は審神者を、許さなくて良いんだ」


 たったの一言が欲しかった。
 〝大和守安定〟の、〝ただいま〟が。

 加州は大声を上げて泣き出した。


   ***


 箒はこんなに重かっただろうかと思う。持ち上げる気力も無くて、引きずりながら歩いた。庭にある井戸の近くまで歩いてきて、足を止めた。すぐ近くの馬小屋の陰を横目でちらりと見る。

「……お前、いつもそうだな」

 言葉を投げてみれば、見やった場所から姿を現したのは長谷部だ。畑の作業のためか、今は戦装束ではなく内番着に身を包んでいる。 


「…いつも、とは」
「不動と俺が話してた時も部屋の外で聞いてただろ。立ち聞きって良い趣味とは言えねえと思うけど」


 気付いていたのか。長谷部は目を細める。この子供は色々おかしい。気配に聡い。物怖じもしない。年端もいかない見目なのに、妙に達観した物言いが目立つ。自力で出陣しようともしていたし、最初に広間で皆に挨拶をしに来たときも、突き出された刃を躱していた。襖を開けて、一秒もしない早業だったのに。
 この子供は、俺達刀剣男士の発言を、どれも分からないと言う。馬鹿じゃないのか、何言ってるんだと、突き放す。でも周りの接し方を見ていて、どうにも拭いきれない矛盾ばかりが浮き彫りになっている。


「仲間を泣かせた俺を許せないか」


 加州はまだ、先ほどと同じ場所でへたり込んだままだ。少年は彼を放置してその場を離れた。加州がついてくるようなことは無かった。それを知った上で、わざとあいつから離れたのだろうと思った。
 いいえ、と少年の言葉に首を振る。


「泣けなくなっていたのです、あの刀は。…ぼんやりとするばかりで、何も動けなくなっていたのを俺は知っている。あなたは……」


 言うべきか迷う。しかし、迷った時点で、もう自分は認めてたいと思っているのだと思った。そうでなければ、そもそも迷ったりはしないだろう。
 この審神者は前任とは違う。言葉を、紡ぐ。


「…あなたは、加州を救ったんです」


 灰色と、藤色がぶつかる。長谷部は視線をそらさない。少年も視線をそらさない。互いの瞳に、互いの姿を映したまま、時間がゆっくり過ぎていく。


「……冷静になれよ、長谷部」
「俺は冷静です。あなたを何も考えずに見ていたわけではありません」
「あーそ。じゃあお前の目は節穴なんだろ。俺は嫌いな奴を救うほどお人好しじゃない」
「……主」

 ぴくりと少年の眉が動いた。

 信頼しきれず、俺は疑念を持ってあなたを見ていた。だから、知っている。
 ――――あなたは、俺達があなたを「そう」呼ぶとき。決まって一瞬、辛そうに、顔を歪める。そんな資格は無いとでも言うように。

「あなたは、嘘が下手ですよ」

 少年は、己の襟巻に手をやった。口許まで引き上げて、顔の半分を隠すように埋める。目を伏せ、箒を引きずり歩き出す。
 離れていく小さな背中を見送っていると、ふと足を止めて、振り向いた。
 審神者が、自嘲気味に笑った。

「知ってる」


 風が吹き、後ろに流している襟巻がふわりと揺れる。


「でも、嫌いな奴らには本音話す義理、無いからな。嘘だらけなのは当たり前だ」


 そうやってあなたはまた嘘を吐くんですね。
 思ったけれど、今度は何も言わなかった。嘘だらけのこの審神者が、長谷部の目にはとても危ういものとして映った。

  ***


 すっかり日が暮れて、月が空に浮かんでいるのを横目に中へと戻った。

(長谷部、何があったんだろうなぁ)

 畑の作業をしている途中で、怒鳴り声が聞こえて来た。加州の声だ。咄嗟に鍬を放り捨てて駆け出したくなったが、長谷部に制された。俺が見て来る、戻ってこれたら戻る。そう残して、怒鳴り声のした方向に走り去ってしまった。
 暫くして彼は戻ってきたが、何かあったのかと問えば突然、「主と話をしていただけだ」ときた。長谷部が、あの子供のことを「主」と呼んだことに驚いた。まだ警戒しているのは、朝餉のときも昼餉のときも結構露骨だったからだ。


『大将と何話してたんだ?』
『色々だ』


 それ答えになってない、と思ったが、長谷部も色々考え込んでいるようだったので、追求しなかった。

 …長谷部だけじゃない。みんな、考えてる。大将の……審神者のこと。心を許している……否、心を許しているように見える、獅子王と、薬研も。ふとした瞬間、誰とも会話をしていない時間、二人は思案顔のまま、何を見ているわけでもないだろうに、ある一点に目を向けたままじっとしていることがある。
 俺達にとって、あの審神者の振る舞い方は、前の審神者とはあまりに違っていて、考える時間を要するのだ。

 夕餉を作らなければならないからと、厨に向かった長谷部。
 後藤はと言うと、汗と泥を拭い、手拭を首から引っ掛け、畑の状況を報告するべく廊下を歩く。何処に報告に行けばいいのか考えて、審神者部屋だと結論付けるとやはり、初めは躊躇した。しかし、薬研の「大将を頼む」という言葉が、背中を押してくれた。大丈夫、一人で審神者部屋に行っても、酷い目に遭うことはない。願いながら、信じながら足を進めた。
 ……すると。


「…あれっ…」


 審神者部屋の前に、立っている彼。全然予想していなかったので、後藤は目を丸くした。
 相手もすぐに気配に気づいたようで、ゆるりと此方を向く。褐色肌と猫っ毛、切れ長の金色の瞳。腕に見える、龍の彫り物。自分よりも大きい男。戦装束はぼろぼろで、ところどころに血が滲んでいる。


「……大倶利伽羅?」
「……お前、倉庫から出られたのか」


 驚いた風ではないが確認され、頷く。


「大将に出してもらった。他の兄弟も一緒に」
「…新しい審神者か」


 責めているつもりはないのだろうし、そういうニュアンスもとくに含まれていなかった。勝手に後ろめたさを感じて目が泳ぐが、取り繕っても仕方がないと思い、もう一度頷く。
 大倶利伽羅からは、そうか、と一言返って来るだけだ。


「大倶利伽羅は? 大将に用事か?」
「……別に、何も」
 
(……審神者部屋の前まで来てるのに?)

 訝し気に眉を顰める。もしかしたら審神者を殺しに来たのかもしれないと思ったが、殺気はまるで感じなかったのでその可能性は低そうだ。刀剣男士として、その辺の感覚には自信がある。
 だが、ならば彼は何故ここに?


「っ……」


 目の前にいる打刀が微かに顔を顰め、肩に手をやった。じわりと滲んでいる血は、決して浅い傷ではない。
 慌てて駆け寄り、顔を下から覗き込む。

「だ、大丈夫か?」
「……」

 視線を逸らす。肩を抑えたまま、身体の向きを変えて歩き出した。審神者部屋の障子には触れてもいない。 


「あ…待てよ、大倶利伽羅! 新しい審神者、信用できないかもしれないけど…手入れくらいは、絶対大丈夫だから! 俺からも話すから、その怪我、」
「五月蝿い。俺に構うな」


 足も止めないで離れていく。
 背中からもはっきりと読み取ることのできる拒絶に、後藤もそれ以上は呼び止めない。また、自分達は既にあの審神者と関わっているからこんな風に振舞っていられるが、全く関わっていない刀剣からすれば拒否するのは当然と言えた。


(…じゃあ、何しに来てたんだ?)


 意識が朦朧としていて、訳も分からず来た様子ではなかった。確固たる意志を持って、部屋の前に立っていたように見えた。言葉だってちゃんと交わすことができた。
 新しい審神者に興味が湧いたから偵察に来たのだろうか。…しかし何だか腑に落ちない。


「後藤?」


 名前を呼ばれて我に返り、振り向いた。自分よりの低い位置に頭がある。此方を見上げていたのは、審神者だった。初めから部屋の中にはいなかったらしい。


「何か用か」


 ちらりと審神者部屋を見やって尋ねて来る。後藤が部屋の前に立っていたからだろう。自分が大倶利伽羅に尋ねたのと同じだ。


「あ、うん。畑の作業、一通り終わったから、報告に来たんだ」
「そんなことか。いちいち俺に言わなくて良い。お前らが勝手にやってることなんだから」
「でも一緒に過ごしてるわけだしさ。…っていうか、大将は何処行ってたんだ? てっきり部屋の中にいるもんかと…」

 あーでも、聞いたところで、「関係無いだろ」って返されちまうかな。頭を掻いた。
 獅子王や薬研とのやりとりを見ても、尋ねたことを素直に返してくれることの方が稀のようだった。別に怪しいことは何もしてない、とか求めていない返事があることの方が多そうだ。こっちは怪しい事をしているんじゃないかと思い、尋ねているわけではないのに。
 だが、今回は予想に反して、即答ではない。言いにくそうな様子で喉の奥で何事かを唸ってから、襟巻の内側に手を入れ、項を擦った。

「…手入れ部屋に行ってた」
「手入れ部屋?」

 もう薬研たちが帰って来たのだろうか。だが、帰ってきたらいっぺんに六人戻ってくるわけで、もう少し賑やかになりそうなものだが。

「今、加州がいる。あー……何もしてない、はず」
「え、加州? それに、はずって?」


 大倶利伽羅の次は加州。あいつも外に出てきていたのか、と驚くが、それ以上に気になるのはやはり、審神者がいつもと違って歯切れが悪いこと。今日ならちょっと突っ込めば何か話してくれるだろうか、と試しに踏み込んでみた。
 自信が無さそうに、少年は視線を彷徨わせている。大抵、言葉を交わすときはこの少年は目を合わせようとしてくるから、尚更珍しい。


「……無理矢理、現実を直視させて……泣かせた」


 眉を垂らし、憂いを帯びた表情で、首を振る。


「………きついよなぁ、いなくなるって」


 少年が、小さく見えた。初めて外見に即した姿を目の当たりにした。泣くのを我慢しているような、途方に暮れた声だった。
 まだ、そんなにこの子供のことを知っているわけではないし、信じようとしている段階でしかない自分だが、見て来た印象と、今の印象は、少し……ズレを感じる。


 ――――………大将…?


 訝しげに少年を見つめていれば、ふと彼が顔を上げる。

「帰ってきた」

 一言言って、審神者部屋に入ろうとしていた体の向きを転換。すたすたと廊下を歩いていく。向かう方角にあるのは玄関だ。
 刀剣男士が出陣先から帰ってくるとき、微々たる変化ではあるが本丸を満たす神気が揺れ動く。それにすぐ気づくとは、本当に霊力を使う才がある大した子供である。感心しながら、後藤もその後ろをついていった。

「出迎えるんだ」

 嫌いな刀剣を、という言葉は飲み込んだ。純粋に疑問に思っただけだから言葉を投げかけたのだが、そこまで口にしてはただの嫌みにしか聞こえないだろう。

「違う。あいつらがどうなろうと俺は知らねえよ。資材どんだけ持って帰って来れたか確認したいだけだ。加州の手入れに使いたい」

 そっけなく言葉を返してきた。

(…どうなろうとって…)

 でも、加州の手入れに使うって言っちゃってるじゃないか。
 小さな背中を見つめながら、歩く。此方を振り向きもしないで言うものだから、表情は分からないが声は実に淡々としている。不思議と、俺にも分かって来た。

「なあ、大将」
「何だ」
「どうなろうと知らないって、それ、嘘だよな?」


 ぴたり。前を行く背中が止まったので、後藤も止まる。
 溜息を吐く音が聞こえた。とても長い音。


「本当」

 ――――だと、良いな。


 凄く、物凄く小さく付け足された言葉を、うっかり俺の耳が拾ってしまったのは、たまたまだったのか、それとも大将がわざと、ぎりぎり聞こえるように言ったのか。どちらかは分からないけれど、


「あとさ。お前、俺の後ろついて歩くな。うざい。あいつら出迎えたいならさっさと行けよ」


 今までとは違う意味で、この審神者のことを信じられなくなった。
 そして、信じてはいけないんだと、あの二人は認識しているんだろう。


 ただいまー、という声がいくつか重なって聞こえる。
 すると、再び歩きはじめた子供の足の進み方が、本当に微々たる差でしかないものの、早くなっていたのは……多分、気のせいではないと、思う。