刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)


 短刀〝不動行光〟の刃をいとも簡単に受け流したのは、化け物の腹から生えた長い槍。それが、不動の体の中央に突き刺さっていた。
 否、痛手を負ったのは不動だけではない。

「くっ……邪魔、するなっ……!」

 小夜の刃は、化け物の足に傷をつけることはできなかった。そこから現れた敵短刀が、大口を開けて襲い掛かってきたのだ。肩口を鋭く切り裂かれ表情を歪めた。……それでも、彼はすぐ後方へと下がり、まだ対処できた方だった。

「う、ぅ……!」
「そんな……」

 脳天を狙った二人。こちらは、狙ったそこから脇差の刃が突如生え出して、五虎退と秋田の体を袈裟掛けに斬りつけていた。

「どうして……!?」

 唯一、刃が通ったのは今剣。天狗の斬撃を受けて血が吹き出した化け物の右足は、前へ踏み出すことを諦めさせていた。そのおかげで敵の体が傾いたのだ。
 今剣は、血に濡れた他の四人を視界に入れ、丸い双眸を大きく見開いた。

「今剣! 不動を連れて離れろ!」

 叫んだ少年は、二枚の霊符を化け物に向けて投じる。それらが敵の足元に落ちると、霊符から噴き出して飛び散った霊力が、ばりばりと音を立てて動きを阻害した。傍にいる刀剣男士に害がないところを見ると、おそらく浄化の能力の一種だ。
 化け物の動きが止められており、本来なら攻めるのに絶好のチャンスである。

「主!」

 二重結界を張りながら、別の事に霊力も消耗する。少年がしんどそうにふらつくのを、獅子王が支えている。あの状態の子供の命令に背くことは、本意ではなかった。何より刀剣男士の命を最優先にする審神者であるのは、分かり切った事実だ。

「りょうかいです、あるじさま!」

 今剣は追撃を諦め、方向を転換。一本歯の下駄で軽快に飛び上がると、槍に突き刺さって身動きが取れなくなっている不動を強引に引き抜き、回収して離れた。不動の唇から苦し気な呻きが漏れる。

(さっき通ってた奴らの刀は通らなくて、チビのは通った……?)

 そこで状況を見ていた後藤がはっとする。
 まさかと思うが、それしか共通点はない。後藤は声を張り上げる。

「初めてあいつに対して刀を向けた奴のは、通ってる!」
「初めて……?」
「どういうことだ」

 すぐ横にいた薬研が眉根を寄せて問い返すと、言葉を割り込ませてきたのは駆け寄ってきた大倶利伽羅だった。手に持っていた巾着袋を近くにいる少年に投げ渡しながら短く言う。
 慌てて袋を受け取った子供は、中身を見ると痛そうに表情を歪める。しかし、大事に抱きかかえてから、息苦しさを振り切るように首を振って顔を上げた。悲しむのは今ではない。彼も、後藤に視線を向けた。

「あいつ、体内にこの辺の時間遡行軍を全部取り込んだんだろ? それってつまり、脳内もそうなんじゃねえかな。体内の奴らが一回でも刃を交えた相手のことを覚えてて、すぐ反応できてる……っと!」

 地面の下から現れた、敵短刀の不意打ちを跳ねて躱す。続けざまに短刀を振るってきたので、後藤はこれに応戦した。だが一太刀交わしただけで、敵は逃げ出そうと身を引いた。
 これにすかさず、横から大倶利伽羅が手を伸ばし、うねる細い骨の体を手で掴み、動きを封じる。そこに後藤が刃を叩き込み、消滅させた。

「……変な動きだ」

 逃げるのとも、相手との間合いを図るためとも違う動きだったのは、一目瞭然だった。それが、後藤の推測を裏付けているように思えた。
 もし、塵となって消えていくこの歴史修正主義者を取り逃がして化け物に吸収されていたら、後藤の刃は通らなくなっているということになる。

「チビ……今剣があいつに攻撃したのは、今のが初めてだ! 不動たちはその直前にもう、〝覚え〟られちまってる。長谷部達が戦ってた奴らも沢山吸収してるなら、最初からアレに攻撃が通らねえのも当然だ!」
「……」

 大倶利伽羅は、己が折れた刀剣の入った袋を取り返そうとしたときのことを思い出す。そういえば、体内の敵が飛び出して牙を剥いてくる直前、化け物が手に持って振るってきた刃を受け流している。きっとその一瞬で、覚えられたのだろう。
 化け物を構成する敵一体にでも太刀筋を覚えられたら、体内にいる全ての歴史修正主義者の脳味噌に共有される。そして、次に攻撃したときには、ありとあらゆる感覚をもってこちらの動きを読み、対策が行われる。

「ってことは、俺なら攻撃を通せるな! 任せろ!」

 獅子王が胸を張る。子供を背負った自分を狙っていた敵は殲滅したし、化け物に吸収されていないはずだ。化け物と直接刃を交えてもいない。

「そういうことだったら、俺もまだ刃は通るはずだぜ?」

 鶴丸も歩み寄ってくる。膝の痛みが強いのか、少々足の動き方が不自然だ。

「短刀の中で刃が通るのは、俺と後藤だけだな」

 薬研が後藤に目配せをする。後の小夜や今剣、不動、秋田、五虎退は敵に認知されてしまっている。攻撃したところで防がれて、返り討ちされるのが関の山だろう。
 他に乱藤四郎や平野藤四郎、前田藤四郎といったこの場にいない刀剣男士も攻撃が可能であろうが、彼らはここに駆け付けないところを見ると、手を離せない場所で戦っていると考えられる。期待はしない方が良さそうだ。――否、そもそも、不動らのように二重結界の範囲内にいてくれない限り、まず無理だ。最早この戦場は隔絶された空間。敵も味方も、ある意味公平ではあるが、結界の外にいる以上はおいそれと入れない。。

「それなら俺と安定もだよ」

 加州と大和守がこちらに合流する。二人も、この戦場に駆け付けたばかりの刀剣男士だ。まだ一度も刃を交えていない。
 だが、現状、刃を通すことができるのは、これだけ刀剣男士がいながらもたったの六人。しかも化け物に致命傷になり得るものは与えられていない状態だ。連続で刀を振るったとしても、精々きっちりダメージとして与えられるのは二撃までと考えた方が良い。敵も太刀筋を覚えたなら、すぐに体内の歴史修正主義者を使って迎え撃ってくるはずだ。二撃を許してもらえるということすら甘い考えかもしれない。

「……六人が刀を振って、あのデカいの倒せるの? 普通の急所を突くだけじゃ、倒れないだろ」

 肩で息をしながらも少年が尋ねる。
 霊力で動きを止めている間も、相手から感じられる穢れはとんでもない濃さだ。また、外見からしても首が二つあるのだから、最早あんなものは規格外の生き物である。――そのとき、

「う、わ。まって……まって! まっ……あ~~~っうるさいなぁ、もう!」

 前触れもなく、大和守が叫んだ。
 怪訝そうに見れば、彼は左耳にはめていた通信機をもぎとる。皆の前に差し出すと、通信機の横についているボタンを押した。同時に、

《核がある!!!!!!!》
「うるさいよ主!!!!」

 全員の耳をつんざくような大音声である。スピーカーとなって響いたその声に刀剣男士も少年も、驚くより先に眉を顰めた。
 それに対して全く遠慮なしに怒鳴る大和守の口調も荒いものである。

「きみ、もしかしてあの眼鏡の審神者かい? 核ってどういうことだ?」
《そ! 鶴ちゃん話が早くて助かるゥ! おたくの本丸の結界を張りながら、そっちの状況も分析してるのチョーチョー忙しくて辛いから、手早く話すんでついてきてちょーだい!》

 早口に言う審神者の声は、ふざけている割に切羽詰まっている。やかましくて大人しく聞くのも堪えがたい声ではあるが、皆は耳を傾けた。

《ヤッスーにつけた機械で、大体そっちの状況はデータで送って貰ってるんだけどさ。分析したらそのやばーいお化けさん、みんなの想像通り、歴史修正主義者が寄せ集まってできた集合体です!》
 

 少年の霊力で動きを封じられている化け物が、また、鳴き声を上げる。大事な感情の一つである恐怖を、無理矢理引きずり出されているような感覚だ。
 臆してなどおらず、絶対に負けないと考えているのに、自信を揺らがせる声は一種の攻撃にすら思われた。その中で、通信機から聞こえる審神者の声を聞き取るのは存外辛い。

《でも、歴史修正主義者がみーんな、こう、何? 仲良し同士でくっついて、集合体が出来上がる! とかそんなのはできないんだよ。集合〝体〟を作るには、その〝体〟の形を作るベースがいるわけよ!》

 懸命に訴えてくる声は、それこそが化け物を形成している核なのだと言う。集合体の敵は確かに複数の歴史修正主義者の力が一丸となった姿であるがゆえに、強い。一方で、形成する軸になっているものを壊しさえすれば、構成されている全ての個体もダメージを受けて、勝負が決するはずらしい。

《ただ、まず歴史修正主義者が合体するってだけでイレギュラーすぎるし、まずは核がある事実が確定してほしいんだけど》

 すると、動けない中でもがいている――今にも霊符の拘束から脱してしまいそうな化け物に向けて、刀を構えている燭台切がこちらに口を挟んだ。

「ねえ、核ってもしかして、最初に見えた嫌な感じがする光の球のことじゃない?」
《まーじで!? 見てくれてたのいるの助かる~政宗ちゃん正解だわ! それそれ!》
「主のそれについていける刀ここにはいないからね?」

 流石に政宗ちゃんは勘弁してくれと思うものの、大和守がすかさず突っ込んでくれたので、燭台切は寸でのところで言葉を飲み込む。
 通信機の向こうの審神者は華麗にスルーして続けた。聞いていてわざとなのか、聞いていないだけなのか、どちらなのかは不明である。

《だったらこの仮説でいけるわ、多分! 問題は、その核がどこにあるの~って話なんだけど、核周辺って特別こう、なに? 歴史修正パワーがつよつよのはずで! だから、敵の中で核の近いとこだけ――》

 ガチャン!!

「っ!!!」
「安定!!」

 皆が驚いて身を引いた。
 大和守の左手から血が迸った。同時に、そこに握られていた通信機が粉々に破壊されている。
 地中に潜んでいたのは、苦無を咥えた歴史修正主義者だ。骨の体をくねらせて、通信機に狙いを定めて飛び出してきたらしい。纏っている穢れの濃さから、化け物に吸収される前の個体だということは一目瞭然である。

「吸収させねえよ!」

 加州が打刀を振るい、敵苦無が動けないでいる化け物の方へ行くのを阻み、両断する。
 しかし、倒すことができたとはいえ、通信機はこれで使い物にならない。……ただ、十分すぎるほどヒントはもらえた。
 獅子王はぐっと拳を握り、薬研は思案顔で顎に指を添えた。

「つまり、核がある周辺はなんか特殊ってことだよな!」
「場所さえわかれば、勝機はある。さて……」

 攻撃を通すことができる刀剣男士が限られている状態だ。闇雲な攻め方をして打つ手を減らすことは避けたい。必ずここに、叩くべき核があると理解して効率的に刀を振るう必要があった。
 手がかりとして、眼鏡の審神者が言いかけていた中に、「核の周辺は力が一層強い」という分析があった。

「でも、そんなのパッと見で分かる?」

 加州は化け物を睨みつける。
 二つの頭に、黒い肌。血管の浮き出た筋肉、大太刀を遥かに凌駕する常識外れの巨体、斬り落とした部位から再生する能力、全身からこぼれ出る穢れ、背中のありとあらゆる得物。見かけについては、どれをとっても特殊だ。

 途中から参戦した身である刀剣男士では、分かる事は限られていた。

「……頭の先から足の先に至るまで、全部に核が分散してある、なんてことはないよな? もしそうだったら笑えないぜ」

 途方もないことを想像した白い太刀が、もがいている化け物をじっと見据えながら表情を引き攣らせる。
 だが、「頭の先……」と小さな声で復唱した宗三が唇を、薄く開けて強く息を吸った。口の中に一瞬で溜まった唾をまとめて飲み込み、皆を振り返る。

「……頭……頭の数! お小夜が攻撃したときのことを覚えていますか!? 長谷部! 燭台切!」

 ただならぬ雰囲気で声を掛けられ、長谷部と燭台切は揃って怪訝そうにした――のも、一瞬だった。
 二人ともが、体内に震えを感じるような衝撃を覚える。
 そうだ。化け物が、化け物たる姿になってすぐの時の攻撃だったので、すっかり頭から抜けていた。明らかに条件が異なっていた。
 宗三が、戦うことのできる面々を振り向く。

「敵は、負傷した部分の再生は行っています。腕も斬り落とされたところから新たに生やすのみで、腕や足が本来の数よりも増加することはない……でも、頭だけは、お小夜が攻撃しようとしたときに増えた! 攻撃を、受ける前に!」

 この戦いに諦めを抱いたものはいなかっただろう。だが、どうやって化け物を倒そうかと、肉体的にも精神的にも疲弊していたのは間違いない。
 宗三の気づきに、彼らの全身が震えた。
 それは希望を見出したことによる戦意に他ならない。

「……そうか。小夜ちゃんが攻撃したとき、急に頭が増えたのは、目を増やして隙を減らすためなのかと思ったけど……」
「本当は、一番狙われたくない場所だった。核の近くだったから失ったものの再形成ではなく、新たな頭を増やすことに成功していた……辻褄が合うな」

 燭台切と長谷部が何度も頷く。
 

「じゃあ決まりだな! 頭を、あとの攻撃できる刀剣男士で叩く!」

 後藤が気合を入れて短刀を構え、腰を落とす。
 その横に、大倶利伽羅も並び立った。打刀を構える。

「攻撃が通らない俺達も、翻弄する動きくらいならできる」
「そうだね、伽羅ちゃん! 僕も援護するよ、皆」
「籠の鳥と侮られては我慢なりません」

 次々に刀を構え直す刀剣男士らの視線の先で、間もなく化け物が、少年の放った呪符を振り払おうとしていた。
 長谷部が、子供を見つめる。胸に手を当てて、藤色の目を細めた。
 子供も、食い入るように、顔を上げて長谷部のことを見つめ返した。

「……主。俺達は、あなたと共に戦うために、ここにいます」 

 少年の息が詰まる。彼らは、自分の過去を知った。前の本丸で、何が起きたのかを理解して、同情ではない思いを向けてくる。
 ともに戦う。人間を信頼したのではない。審神者だから、主だから敬っているのではない。純粋な信頼がある。
 刀剣男士は刃を振るう。審神者は、その刀剣男士に、言わねばならない。

「主命を。主」

 かちり、と口の中で音がした。小刻みに震えた顎のせいで、歯と歯がぶつかり合っている。
 危険な戦いだ。敵も死にたくはない。負ける気で戦う者などいない。だから、一番攻められたくない場所が狙われたら、どんな無茶な動きをするかなんてわからない。
 弱い自分は彼らを送り出したくないと、心の底で思っていた。幼い感情がこんなところで顔を出す。精一杯背伸びをしてきたはずなのに、誰も彼も怪我をしていて、血まみれで、戦装束も全部がボロボロで――肝心なところで弱気になる。刀剣男士の足に縋りつきたい衝動を、堪える。

 大きな掌が、背中に触れた気がした。
 言ってやれ、クソ坊主。そんな、むかつく声がした気がした。

 少年は、大倶利伽羅から受け取った、折れた刀剣の入った巾着袋を抱きしめる腕に力を込める。戦闘不能となり、隅の方でくずおれている不動、秋田、五虎退と、その三人を背に庇い立っている今剣と小夜を瞳に映す。
 続けて、己の周囲に立つ刀剣男士を見回す。薬研、後藤、大倶利伽羅、鶴丸、燭台切、長谷部、宗三、加州、大和守――そして、獅子王。見た途端、獅子王は、にぃっと口を三日月型にして笑った。

「――主命だ」

 声が、震えた。
 刀剣男士たちを見つめた目で、少年は最後に、化け物を睨みつけた。

「あいつを、倒せ!!!」

 ――応!!!!