刀剣嫌いな少年の話 拾漆(完)


   ***
 

 ――二ヶ月後。

 縁側に座っている金髪の太刀は欠伸を噛み殺し、すぐ横にある柱に寄りかかる。
 庭は、いたって平凡な景色だ。よく育っているように見える庭の草木は風で揺れていた。横にいる黒い鵺も、気持ちよさそうに目を細めている。
 何の季節感もない庭は、ただの立体映像であるが、実際に風は吹いてくるのでなかなかの再現度と言える。ここから見える池に入ろう、などと思わなければ、見ている分にはまあまあ心地良い。

 獅子王の後ろの部屋では、煎餅を齧りながら和泉守と鶴丸が将棋に興じている。

「ガキ主、全っ然帰ってこねえな」
「そうだなぁ。役人と一緒に出て行ってしまってから、随分経つが……」
「大丈夫なのかねぇ……護衛に一人くらいつけさせてくれりゃあ、まだ安心できたもんをよ」
「それは俺だって進言しようとしただろう? 文句なら陸奥守に言ってくれ」

 部屋の隅で読み物をしていた陸奥守がぴくりと肩を揺らす。
 そろりと様子を窺えば、どことなく納得していない彼らの様子に、困り眉で本を伏せた。

「そがなこと言うても、坊……やなかった、主は〝はじまりの刀〟を受け取りに行きゆうがやき、仕方がないろう?」

 彼は、元々少年の親代わりでもあったあの男の刀だ。
 政府の内部事情もある程度は理解しているがゆえに、無理に護衛として少年についていきたいと言う刀剣男士を宥めたのは陸奥守だったのだ。

「〝はじまりの刀〟を顕現するあの場所で、別の刀剣男士が一緒に入る……有り得んことじゃ。やき、もがっても食い下がっても、護衛は許されんと思うた」
「あぁ? 俺達は立派な被害者だろうが。そんくらいサービスしてほしいもんだぜ」

 不貞腐れた様子で愚痴を零す和泉守に、陸奥守は曖昧に笑った。
 言い返す言葉はいくらでも思いつく。だが、不満に思っているところに正論を並べ立てても泥沼化するだけだ。主を心配してのことなので、彼の発言をむやみに否定するのも気が引けた。
 あと、と和泉守は続けた。

「……上手く言えねえんだが……今更、〝はじまりの刀〟かよって思っちまってるっつーか。……あーあ、鶴丸の爺さんよ、もう少し手加減しろ」
「ははは。俺の驚きの一手のおかげかな。でも、暇だから将棋でもしようと言い出したのはきみだろう?」

 軽口をたたきながら、和泉守が何を言っているのかは理解する。
 鶴丸も内心で頷いた。

 本丸の襲撃が起きた二ヶ月前。

 歴史への干渉が活発化していた中で、ようやく対応が追い付き、政府もようやく少年らの本丸の方にも手が回るようになった。
 政府直属の部隊がやってきたときには、既にあの化け物を倒した後であったので、ぐうの音も出ない状態であった。本丸の崩壊具合から、どれだけ熾烈な戦いが繰り広げられたのか、想像に難くなかっただろう。

『本当に、申し訳なかった。何もかもが遅すぎた』

 役人と謝罪し、追随する刀剣男士は揃って頭を下げた。
 早急に本丸が襲撃された際の対策を講ずると約束した。ひいては、全本丸の力を集結させるシステムを構築し、敵を迎え撃つことができる状態に持っていきたい、と述べた役人がいた。いやに具体的な話であったので、嘗ての本丸襲撃があったときから少なからず対策の提案はあったのだろうと思われた。

 刀剣男士の手入れ、および少年の負っていた怪我の手当は政府の治療担当である霊力技能者が請け負った。また、彼らの本丸の修復は、政府関係者の手によって行われることとなった。より強い結界を形成し、また、穢れ等も丁寧に祓うためだった。肝心な時に助けに来ることができなかった、政府なりの贖罪である。その一環として、修復が完了するまでは政府の管理下にある、本丸によく似せて作られた施設での生活をすることになった。似せているのは、精神的ストレスの軽減を狙ったものらしい。

 二ヶ月が経過し、自然治癒力の底上げもされていない少年の怪我も、多少は動き回れるほどに回復した。もちろん、松葉杖をつき、包帯も巻いたままだが、霊力の枯渇と失血で半ば死にかけであった状態を思えば十分な回復である。

 そして、本丸の修復も完了したと報せが入った。
 彼らは元いた場所は帰ることになったのだが、政府役人から審神者へと進言があったのだ。

『〝はじまりの刀〟を、審神者様にお選びいただきたい』

 正式に審神者となった際に契約した通り、少年は本丸の立て直しを成功させた。そのことに関する感謝と、こうした本丸の立て直しに対する丁寧なフォローアップを今後充実させていく心積もりを説明した。その第一歩として、〝はじまりの刀〟を手にする権利が与えられたのである。
 少年は現在、その〝はじまりの刀〟と対面するべく、ここを離れている。

 ……だが。

(ここにきて、俺が嫉妬するとはなぁ。刃生、分からねえもんだ)

 鶴丸は天井を仰ぐ。
 自分たちは、思い出したくもない前任の霊力で呼び起こされた刀剣男士だ。だから、〝はじまりの刀〟は、本当に初めて、少年の霊力で正式に顕現される刀剣男士ということになる。一体誰がやってくるのかは分からないが、誰であろうと、羨ましくて仕方なかった。和泉守の、「今更」と言う半ば負け惜しみの言葉には、その意味が込められていた。

 さらに、鶴丸はこの感覚に覚えがあり、気が付いた途端は思わず口の中が酷く苦くなったものである。
 少年が〝鶴爺〟の名前を出した時、そんな風に親し気に呼ばれていたらしい〝鶴丸国永〟がいたのだと知って、変な気持ちになったのを覚えていた。ある種の不快感があったらこそ、印象深かったのだろう。これを羨み、ないしは嫉妬の感情だと気づいて情けなく思えた。既に折れた〝鶴丸国永〟へ羨みを持つなど、無様以外にどう表現しろと言うのか。

「いいんじゃねえのー? 主だって、ちゃんと〝はじまりの刀〟がいねえと。審神者なんだしさ。陸奥守はまた違うみてえだし」

 縁側で庭の映像を眺めている獅子王が、眠そうに会話に加わってくる。
 陸奥守は肩を竦めた。

「わしは、ちっくと特殊やき。ただ、少なくとも坊の〝はじまりの刀〟にはなれんちや」

 獅子王が上体を捻って振り向く。

「陸奥守はさ、政府にいた刀だったんだよな?」
「そうじゃ。わしの主は元々、政府の役人。パートナーとしてやっちょった」
「〝はじまりの刀〟がどんな風に審神者と会うのかも知ってるのか?」

 腕組みをした陸奥守が、体を斜めにして唸る。

「ん~~~……政府の刀も、〝はじまりの刀〟を顕現する場にはおれんがよ。あそこは、役人とこんのすけ、それから、審神者本人のみの空間。けんど、勿論その後の本丸に移動しちょったところに居合わせたことなら、何回かあるぜよ」

 新人と〝はじまりの刀〟の初々しい会話を思い出し、思わずほっこりと笑う陸奥守に、獅子王は質問を重ねた。

「じゃあさ……その〝はじまりの刀〟に俺達ってどう接すればいいと思う?」
「……」

 ごめん、分かんなくてさ。
 困り顔で笑う獅子王は、傍らの鵺を手で優しく撫でた。

 〝はじまりの刀〟を少年が連れ帰ってくることに関して、邪見に扱う気はもちろんない。複雑な気持ちを抱く者はあれど、迎え入れられる刀を拒否する理由はなかった。獅子王としては、歓迎したいとさえ思っている。
 ただ、どのような事情や理由があったにしろ、自分たちは、子供に一度刀を向けた。そこに、本当に最初から、子供に忠誠心を抱く刀剣男士が入ってきたとき、どう接するのが正解なのか。

 来てしまえば、意外とすぐに馴染んで、悩むほどの話ではなかったと思うかもしれないのだが、現時点で気持ちの整理はついていない。

「ああ、獅子王くんたち、ここにいたんだ」
「兼さん、お疲れ様!」

 そこへ、廊下を歩いて部屋に顔を出したのは、盆を持った燭台切である。その横には、堀川もいた。
 盆の上には、鮮やかな緑が美しい、ずんだ餅が乗っている。

「今日でここの厨を使うのも、最後だからね。折角だしお菓子を作ったんだ。配り歩いてるんだけど、ずんだ餅、食べるかい?」
「僕も手伝ったんですけど、とってもおいしいですよ!」
「おー! 食べる、食べる! ここに置いとおせ!」

 出し抜けに腰を上げた陸奥守が、鶴丸と和泉守の将棋の盤を下ろして、卓袱台を叩いた。
 派手にぐちゃぐちゃにされた駒を見て、「あー! 俺が勝ってたのに!」「お!? じゃあこれは俺の勝ちでいいだろ!」「おいおい……!」と鶴丸と和泉守が繰り広げるくだらない会話を聞き、微笑しながら燭台切が盆を下ろす。

 ずんだ餅を見てほくほくと手をこすり合わせる陸奥守に、話を逸らされたなと察する獅子王。

「獅子王くんも、どうぞ」
「あー、うん。食う! 美味そうだな!」

 立ち上がった獅子王が縁側から離れ、部屋の中に入る。
 ずんだ餅の小皿を取り、菓子楊枝を手に取る。

「……獅子王は、獅子王らしく。おまんだけやのうて、他の刀剣男士も。思い思い、接すればえいと思うきに」

 ぱっと、陸奥守を見る。
 彼は、とても優しい顔で獅子王のことを見つめていたが、どこか憂いが滲んだ光を目に灯している。少年と、よく似ていた。
 一度は全てを失った刀剣男士は、今度こそ、この本丸の幸せと存続を願っているのだと理解できた。

 獅子王は、明るく笑った。

「おう! 悪いっ、陸奥守。ありがとな!」
「かまんかまん! 気にしな。今度からはわしもこの本丸の一員やき、よろしゅう頼むぜよ!」
「     」

 陸奥守に対し、鵺がやおら顔を上げ、声なき声を発する。

「おっほ! 鵺も歓迎してくれるがか! おまんはまっこと話の分かる奴じゃのお!」
「お前ら、めちゃくちゃ仲良くなっちゃったよな~」

 ともに部屋を護った間柄である。
 鵺が自分以外に明確に反応を示すことは稀なので、獅子王は面白そうに肩を竦めた。

 そうして、彼らがずんだ餅を頬張り、きらきらと表情を輝かせている最中に、
 

「大将が帰ってくるぜ! すぐそこまで来てるらしい!」

 口の端にずんだ餡を付けた薬研が走ってきた。
 すると、獅子王は跳ね返る様な勢いで小皿を置く。鵺がするりと彼の肩によじ登り切ったところで、彼は走り出した。その後ろに、鶴丸、和泉守、燭台切、堀川、陸奥守も続いた。