左文字相談室 ★薬不

「甘えるってどうやるんだ」
「あなたは相談相手を間違えていると思うよ」

 真剣な顔で放たれた言葉に、僕は思わずそう返していた。燭台切さんが剥いてくれた柿と、一緒に渡して貰った緑茶を、目の前で頭を抱えて突っ伏す薬研に勧める。
 僕と薬研は、それぞれ初めて鍛刀された短刀と、初めて戦場で拾われた短刀だ。本丸の初期から寝食を共にして、日々戦ってきた。薬研藤四郎は他の刀よりもずっと、人の身を得て共に過ごした時間は長い分、僕としても比較的気軽に接することができる刀だと思っている。
 ……思っているけれど、どう考えても今回ばかりは、僕に相談するものではないとも、思う。
「でも仲直りするにはそれしか……」
「……どうして、喧嘩になったの?」
 薬研と不動が恋仲なのは、この本丸で全員が知っていることだ。どちらも素直じゃない上に不器用で、恋仲としての関係に至るまでにも、結構色々大変なことがあったし、協力している刀もいたから、やっと恋仲として落ち着いたときは全員が安堵したほど。
 それからの二口の関係は円満で、心配する事なんてほとんどなさそうだったはずだけれど…。
「俺が甘えねえなら暫く口聞かねえって、行光が言った……」
「……もう少し、詳しく…」
 控えめに言って、とっても分からない。
「あー……」
 顔を上げて、ぐしゃぐしゃと乱暴に自分の頭を掻いている。顔は何となく疲れていて、あまり普段の凛とした振る舞いは見られない。
「ええとな……うーん……」
 いかにも、説明を始めそうな雰囲気を醸し出していたのに、なかなか薬研が口を開かない。無遠慮というわけではないけれど、どちらかと言えばはっきりと物を言う性格だから、珍しい光景だなと思った。
「……言いにくいことなの?」
「え、いや、言いにくいっていうか…言いにくいわけじゃないんだが……」
 ええい、と薬研は大きく首を振ると、卓に手をついて身を乗り出し、物凄く真剣な表情で僕の顔をのぞき込んだ。その表情は、新しい戦場が開かれたときなんかに行われる軍議のときにも見たことがある。
 ……戦でも、始まるのかな……。
「……良いか、小夜すけ。これから俺が話すことは、明日には忘れてないといけねえ」
「……?」
「いいな?」
「あ……うん」
 忘れないといけないようなことなのか、と僕は思わず身構える。そんなに他言できない事情、僕に話して、大丈夫なのかな…。
 薬研は意を決した様子で、言葉を紡いだ。
「……昨夜、行光とその、夜這いをしてだな」
「ああ……」
 無駄に納得してこっそり物凄く脱力した。
 不思議なことに、宗三兄様と江雪兄様は、そういうことに関しては僕に伏せたがる。僕はまだ知らなくていいって。早すぎるって。……でも、曲がりなりにも短刀だし、寝床に置かれていた経験もあったから、流石に僕もそういうの、知っているんだけれど…。
 なるほど。薬研は、兄様たちに怒られるのを警戒していたんだ。
「それで、まあ、何だ。……その、主導権を握るのが、いつも、俺でだな…いや主導権っつうか、あー……」
「……分かるからそれでいいよ」
「ああ、うん、すまん」
 夜這いという言葉を使っておきながら、できる限り直接的表現を避けて説明をしようとしている薬研に言う。
 そういえば、粟田口のみんなの、兄上である一期一振さんも、弟の耳にそういう話が入らないようにしているって、聞いたことがあったような気がする。もしかしたら、短刀よりも打刀や太刀の方が、「人間らしい」側面があるのかもしれない。なんて言うか、見目にとらわれるというか、子供(に見える僕たち)にはまだ早いって思いこんでしまうというか。
 ……他でもない短刀の薬研と不動は、〝そういうこと〟をしているわけだけれど、どちらも短刀らしい無邪気さとかが欠落していたから、黙認されているのかな。よく、分からない。
「小夜すけ?」
 声を掛けられて、ハッと我に返る。
「……ごめん、聞いてなかった」
「あ、やっぱりこういう話は……」
「そうじゃなくて、ちょっとだけ、考え事してただけだから。ごめんなさい。もう一回……」
「お、おう…」
 たどたどしく、薬研がもう一度、僕に説明をしてくれる。やっぱり直接的表現は必死に避ける物言いだったけど、言葉選びは上手かった。何を言いたいのかは伝わる。
 つまり、昨晩、不動と体を重ねたとき、主導権はいつも通り薬研が握っていた。でも、全部済んだ後に、不動が、いつも薬研に頼り切りであることが心苦しいことを言った。全然構わないと薬研は答えたのだけど、不動の方は納得できなかった。でも行為のときにどうしても不動が主導権を握れるとは思えず、本人もそれは感じていた。ならば、せめてそのとき以外に甘えてくれれば、甘やかすことくらいできると豪語した不動だったんだけど……
「…甘えるのは俺の柄じゃねえし、俺が甘えても気持ち悪いだけだろうって言ったら……」
「怒っちゃったんだね……」
 不動は、自分を卑下する割に、話している相手が自己卑下を始めると、「そんなことはない」と、いっそ積極的と言えるくらい肯定しにかかってくれる。僕も、復讐にまみれた刀なんて、と目の前で言ったら、そんなこと言うなって怒られた。
 この際、果たして薬研の発言が自己卑下に分類されるのかはさておき、どう怒ったのかは僕でも想像できる。
「でも、それなら薬研がその場で謝って、撤回すれば済んだんじゃ…」
「いや…俺がそうする前に、行光が〝どうせダメ刀に甘えても何も満たされないもんな〟って言うから……んなわけねえのに何言ってんだこいつって思って無性に腹が立って……」
「………怒っちゃったんだね……」
 目の前の短刀は、ぐったりした様子で頷いた。
「……それで、向こうも向こうで、甘えてくれないなら口聞かねえって…そのまま俺も部屋、飛び出して来ちまった…」
 そうやって繋がるんだ。
 なんて言うか、物凄く怒り方が似てるんだけど……
「……平和な喧嘩だね……」
 江雪兄様が聞いたら凄く……優しく笑ってくれそう。
「満たされねえわけねえだろあいつで満たされるからこそ好きで毎晩抱いてんだろうがぁっ! 可愛く啼きやがって畜生!」
 薬研が、ダンッ、と卓に拳を叩きつける。直前に置いてあった二人分の湯飲みを避難させて、一つは置き直して、もう一つはそのまま飲んだ。美味しい苦みが微かに舌を痺れさせる。
 薬研が再び卓に突っ伏した。包み隠さない表現が聞こえた気がしたし毎日って言葉に正直驚いたけど、顔には出さないで突っ伏した姿を眺める。そもそも、乱暴な言い方ではあるけど、それってただの惚気じゃないのかな……。恋愛感情なんてよく分からないから聞けば聞くほど難しく感じる。
 突っ伏したまま、薬研は、うろうろと手を空中で彷徨わせていたから、柿を探しているんだということはすぐに分かった。楊枝が刺してあるのを近くに寄せると、手に触れると同時に顔を上げる。
「なあ、小夜すけ…俺はどうしたらいい?」
 言いながら柿を口の中に入れて咀嚼する薬研に思う。どうしたらいいって……不動は甘えてくれないと口を聞かないって言ったんでしょう?
「……それは…不動に甘えるしか、ないんじゃ…」
「だよなぁ…」
「…嫌じゃ、ないんでしょう?」
 満たされないわけないって、言ってたし…。
「嫌じゃねえけど、言ったろ。甘え方が分からん。教えてくれ」
「あなたの目に僕はどう映ってるの……」
 だから僕のところにきたのかと思うと、ちょっと、やっぱり、脱力する。
 寧ろ僕は周りから、もっと宗三兄様や江雪兄様に甘えた方がいいと言われる立場だ。それに実際僕だって上手な甘え方なんてまるで心得ていないし、そもそも甘えることの意味とかその辺の認識も曖昧で、とてもではないけど教えられるような立ち位置ではないことの自覚くらいはある。
「でも前より、甘えるようになっただろ? 宗三や江雪に」
「それは、兄様の方から気を遣ってくれるからで……」
「じゃあ行光が俺に気を遣ってくれれば…?」
「そうじゃないと思う……」
「うん、だよな。行光はいつでも俺に気を遣ってくれてるし…」
「そういう意味でも、ないんだけど……」
 薬研はどうして、不動のことになるとこんなに、……何て言うか……頓珍漢なことを、言い出すんだろう。普段はあんなに、頼れる〝兄貴〟として充分すぎるほどしっかりしているのに。その証拠に、粟田口派のみんなは、薬研のことを同じ短刀であるにも関わらず、「薬研兄」と慕っているのを、僕は知ってる。
 ……そうだ、兄弟。
「ねえ、薬研」
「ん? 何か妙案が浮かんだか?」
「妙案っていうか…薬研の兄弟に、信濃が、いるでしょう…?」
「信濃? 信濃がどうした」
「信濃に、その……甘え方の極意、の、教えを乞うのは、どうかな…」
「その心は?」
「えっ……だって、信濃は一番、甘え方が、上手だから……」
 僕はそろりとお皿に手を伸ばして、楊枝が刺してある柿を取り、口に運んだ。程良い甘さで、堅さで、美味しい。こんな些細なものでも、美味で、お腹を満たしてくれると思うと、不思議と安心した。
「信濃が甘え上手なぁ……」
 予想に反して、薬研の反応はあんまり良くない。なるほど、とか納得したものは返ってこなかった。どちらかと言うと、僕の考え方にぴんときていない方。
「違うの?」
 すぐに誰かの懐に入りたがるし、遠慮なく誰かに飛びつきに行って、満足するまでそこに収まっていることがあるのはよく見かける。時々、宗三兄様や江雪兄様の懐に落ち着いていたのを見たこともあった。
 羨ましいな、と思ったことが何度かある。僕はあんな風に甘えることはできないから。僕が触れることで、その相手を傷つけることになってしまうんじゃないかと思うと、怖くてできない。
「違くはないんだが……じゃあ、小夜すけ」
「うん」
「俺が〝行光~懐入れて~!〟って、言えると思うか?」
「どうして信濃の口調まで真似るの……」
 頓珍漢だ。
「普通に……〝懐入れてくれ〟って、言ってみたら?」
 普通に、と言っても、僕もその発言を兄様達にするのは正直気恥ずかしいし、難しい。だから一瞬言うのは躊躇ったけど、毎晩やっていることに比べたら大したこともないかと思って、提案してみた。けど、
「いや、恥ずかしすぎるだろ…」
「何で」
 薬研の〝恥ずかしい〟の基準が分からない。
「いや、だって……えええ……無理だ…絶対無理…」
 薬研が頭を抱える。その耳は赤い。本当に照れているみたいだけれど、夜にやってることよりは圧倒的に刺激は少ないと思うな…。
「ああもう、どうすりゃいいんだ……!」
 自ら選択肢を削っている気がするんだけど気のせいかな…。
 でも本気で悩んでいる薬研に、何も助言できないのは嫌だった。僕だって、兄様達とどう接していけばいいのかとか、今までに相談したことはあるし、その度に色々助言はしてくれていたから。例えば、一期一振さんと接するとき、薬研はこう考えている、とか。逆に、薬研が兄様達の立ち位置だったら、弟の粟田口のみんなにこう接して貰えるだけで嬉しい、とか。視点を変えた考え方を教えてくれたのも、薬研だ。
 ……視点を、変える?
「……ねえ、薬研」
「んー?」
 突っ伏した顔を上げて頭をぐしゃぐしゃと掻き乱し、湯飲みのお茶を啜っていた薬研が首を傾げる。
「……長谷部さんに聞くのは、どう?」
「は?」
 きょとりと藤色の瞳が丸くなる。何を言っているんだ、と問われているのが分かった。
「……長谷部さんだって、甘やかすのは、得意じゃないでしょう? ちょっと、不動と似ているところがあると思う」
「それは俺も感じてる。あの二人は仲こそ悪いが、何だかんだ似てる。でも何で、長谷部に甘える極意なんて訊くんだ? 誰かに甘えてることなんてあったか?」
「そうじゃなくて……甘えられる立場、だから」
 上手く言葉が続かない。案の定、薬研もよく分からないと言いたげに、また逆方向に首を傾げてしまった。えっと……
「…博多が、長谷部さんに甘えてるの、見たことあるんだ。でも、長谷部さんは甘やかすのが、その、あんまり上手じゃないと…思うから。それでも、博多は満足そうにしていたし、長谷部さんも、満更でもないっていうか……」
 僕は、あまり他の刀をちゃんと見ることができているか、分からない。誤解かもしれない。でも凄く古参だから、指揮をとる立場になることも多くて、できるだけ本丸のみんなを注意深く見ているつもりなわけで…。
 自信は無かったけど、思い切って言ってみた。
「どう甘えられると、甘やかしやすいのか、とか。受け身の視点で、長谷部さんに意見を貰うのは、どうかなって…思ったんだ…」
「……長谷部か……確かに、甘える側のことばっか考えちまって、甘えられる側のことは忘れてたな…俺も基本甘えられる側とは言え、行光のことになると実際わかんねえことも多いし」
 顎に手を添えながら、納得したみたいに頷く。よし、と声を出して薬研は自分の膝を叩いた。悩みに悩んで淀んでいた目が僕に向けられる。
「流石小夜すけだ、参考になったぜ!」
「……そう」
「そうと決まりゃ善は急げだ。早速長谷部のとこに行ってくる」
「えっ、今から?」
「おう。後にしたら行光と喋れない時間が長引くってことにもなっちまいかねないからな。ありがとな、小夜すけ。あと、ごちそうさん」
「あ、うん」
 自分の湯飲みは持って、大股で部屋を出て行く。
 僕はその背中を見送り、お茶を啜ってから残っている楊枝の刺さった柿を取ると、一つ口の中に入れた。柿の甘みが、お茶の苦みと絶妙に絡んで、美味しい。
 長谷部さんには、今度謝ろうと思った。何となく。

   ***

「どうやったら甘やかせるんだよぉ!!」
「それ僕に相談します?」

 急にこの子が部屋に来た時点で嫌な予感はしてましたが、案の定ですよ。僕は息を吐く。「宗三ぁ!」なんて声をかけながら、一拍も待たずに部屋の障子を開けられたときは驚きました。そこに不動が立っていたのだから、ああ、魔王の短刀絡みですね、と察するには難くない。何せ、魔王の短刀であった薬研藤四郎と、この森蘭丸の短刀であった不動行光は、本丸全体公認の恋仲なのですから。
 それにしても。それにしても、不動。あなた、相談相手を間違えてはいませんか?
「だって……あいつには甘えてくれねえと口聞かねえとか言っちまったし……」
「でもいざ甘えられても甘やかし方が分からない、と。あなたも相変わらず、何も考えずに発言しますね……」
 長いため息を吐き出す。
「そもそも、どうしてそんな話になったんです? 喧嘩にしては内容は随分可愛らしいようですけど」
「可愛らしい喧嘩って何……」
「あなた達が今してる喧嘩のことです。それで、どうしてって僕は聞いてるんですけど」
 不動の眉間に、ぐっと力が入るのが見えました。視線を彷徨わせ、ぽそりと一言。
「……その……夜の、行為で……いつも俺、任せきりだから…」
「そうでしょうね。不動が積極的に引っ張る立場になるとは思えませんから」
「…何で分かるんだよ。……どうせ俺は主導権も握れないダメ刀ですよぉ……」
「ダメ刀と言うよりも性格の問題でしょう。それで?」
 適当に返すのは、まともに取り合っても無駄だからです。また自己卑下の無限回廊に突入しようとしている不動に、すかさず本来語ろうとしているものの内容の先を促しました。
 自分で言うのも何ですが、慣れたものですね、僕も。
「……何か、いつも薬研ばっかに頼っちまって……考えてみれば、何でこいつは俺に甘えてくれねえのかなって……」
「はあ」
「それで、甘えてくれって言ったら……薬研が、自分が甘えるのは恥ずかしいとか、言い始めて」
 自分の不安要素を取り除きたい。だから不動が、薬研に「甘えてくれ」と言ったのでしょう。その時点で、既に甘えているのは不動の方のように思えたけれど、本人は気づかないんだろうなと思いました。まあ、わざわざそこまで言ってやる義理もありませんから、無視しましたが。
 それより、僕は薬研が誰かに甘えている姿を想像してみました。でもすぐに頭には浮かんでこない。一期一振ですら、あまり甘えてもらえないと発言していたことを見たことがあります。
 なるほど柄じゃないんでしょう、でも不動はそれでは我慢ができなかったと。そういうことですね。
「結局、薬研は甘えると言ったんですか?」
「……いや……わっかんねーけど……甘えてくれねえなら口聞かないって言って、それっきり」
 ………本当に先を考えないで発言をしますねぇ…。
「…それって、不動は耐えられるんですか?」
「既に後悔してる……」
 顔を覆っている不動に肩を竦めた。何してるんです、この子は。
 ゆらゆらと落ち着き無く体を揺らして、それから不動は持ってきていた甘酒を掴んで一気に呷りました。ぷはっ、と息を吐き出しながら、
「つまりさ! 薬研がさっさと俺に甘えてくれりゃあ、何も問題ねえの!!」
「……あの子がそう簡単に甘えてくれるとは思えませんけどねえ……」
 甘え下手だし、普段から頼られる立場の薬研藤四郎。ちょっと甘えている姿というのは、今のところ、不動には申し訳ないけれど、想像ができません。
「だから! 相談に! 来たんだろうがぁ! …ひっく」
「ですから、相談相手間違えてるでしょう、もう酔っぱらってるんですか」
「……だって……」
 頬を膨らませて、拗ねたように顔を背ける不動には呆れますが、一方で、随分わかりやすい子になったなと思いました。顕現したての頃は、人の感情に戸惑ったり、ひたすら、かつて注がれた愛を返すことができなかったことを悔やんだり。だから周りの、仲間としての愛も怖くて逃げ出して、拒絶して、誰も手がつけられなかったりと散々な状態が多かった。
 これもきっと、どんなに拒絶をされても、頑なに愛を注ぎ続けた薬研の賜物なんでしょうね。……まあ、嫌いじゃあありませんよ、不動。今のあなたは。
「……宗三はさぁ…弟を甘やかしたり、しねえの」
「……してるんですけどね、これでも。前よりは」
「それで?」
「これで」
 遅れてやって来た不動には、やはり僕と小夜の、兄弟としての距離が遠いように見えるんですね。かなり前進していると言われてはいるんですが、あくまでずっと古参の彼らが見ればの話というわけですか。
 僕はそっと嘆息した。小夜は大事な弟ですが、どうも、距離の測り方が難しい。どうしても、空回ってしまう部分が多くなる。
「……同じ、左文字の兄弟とは言え…思うところは色々ありますからね」
「へえ……そんなもんか……」
「あなた、長谷部が嫌いでしょう?」
 不動の表情が固まり、不快そうに眉間に皺が寄せられます。何で急にそんなことを、と言いたげな目を向けられますが、僕は言葉を待ちました。
「……だって、あいつは、信長様のことを……」
 顔を俯かせて、そう言う。甘酒を飲んでいたのに、ただこれだけの問いであっという間に素面に戻ってしまうのは、酔いでは誤魔化しきれない感情だからなのでしょう。
「悪く言うから、ですか。でもそれは、直臣ではなかった男に、他でもない魔王が彼を下げ渡したことや……他にも色々あるからこそだと思いますよ。かく言う僕も、魔王のことはあなたのように盲目的に信頼することなどできはしません」
「っ! 誰が盲目的にって…!」
「ですが。……人の身を得てわかったでしょう。僕たちは口に出すことが全てじゃない、と」
「……」
「僕と小夜と……江雪兄様も同じですよ。僕たちは兄弟で、相手を思いやり、大切に思う心は確かにありますが、だから甘やかすことができる、甘えることができる、というものではないんです」
 僕の発言に苛立ちを露わにして腰を浮かせた不動でしたが、何ともいえない顔で結局座り直しました。僕の言葉を鵜呑みにする時点で、根っこが素直なところはどんなにやさぐれていても変わらないと感じます。
 つっけんどんに振る舞いながら、周りを拒絶しながら、顕現したときから結局、誰かの言葉は信じてしまう。危うい子。
 僕たちは、人間よりも遙かに長く世に残る。だから、否が応でも沢山の経験をする。無論、焼けて、消えてしまった刀がどうなのかは、わからないけれど。少なくとも、過去にとらわれている側面が大きい不動には、わかりやすい話ではないのでしょうか。
 暫く、部屋の中に沈黙がおりました。やがて、戸惑った様子で、不動が口を開く。それはとても暗くて、重い……
「……じゃあ、薬研が俺に甘えてくれないのは……俺が甘やかすとか、そういう問題じゃなくて……恥ずかしい以外に、本当は思うところがあるって、ことなのか……あいつ、甘えるのが、怖いのかな…」
「いえ、そこは純粋に恥ずかしいんだと思います」
「違げぇの!? 何で!?」
 一瞬とてつもなく重い話になろうとする気配がありましたけど不動、残念ながらそれは違いますよ。間違いなく。
「今の流れだとそうなるじゃん! 薬研はその、あの、…あの日に、…だからっ、色々思うことがあるとかそういうのじゃん!」
「非番の日に僕の部屋に来て〝不動が昨日も可愛かった〟とか言われている時点でそういう重い気はまずないかと」
「今の発言は正直聞きたくなかったなぁ! あいつ何話してんの!? 馬鹿なの!?」
 所謂惚気が始まると止まらなくなる薬研を知らないのは、あなたがいる場所では絶対やらないからですよ。多分頼られる立場でいたいから、そういう……情けない、というか。無防備な自分を見られるのが嫌なんだろうとは思いますが。そういう意味では、不動が薬研の恋仲でいるというだけで充分、「甘やかしている」ことになると思うんですが……まあ、言っても納得しないんでしょうね。
「……じゃあ、何? やっぱり俺がダメ刀だから甘えてもらえねえの?」
「そうなると、僕もダメ刀だから、あまり小夜に甘えてもらえないということになりますよ」
 瞬間、不動はうっと顔を歪めました。自己卑下は激しい割に、自分以外の刀の自己卑下に関しては毛嫌いするこの短刀、しかもその発言の原因が自分となると、ばつが悪そうに、こうした表情になります。
 前に、小夜にも同じ顔を向けていたことがありますね。あと山姥切でしたか。
「……とまぁ、意地悪はこのくらいにして…僕たちの場合は、先ほども言いましたが随分前よりはだいぶ、距離を縮められているんです。だからこれからも、無理なくゆっくり、距離をはかって行こうと思います。それから甘えてもらえて、僕も小夜を甘やかすことができて…僕も、江雪兄様に甘えることができれば。たとえ遅くても、良いと思っていますよ。……ですが」
 物凄く顔を歪めている不動を見て、僕は自分の表情に呆れが滲むのを感じました。
「……あなた達は口を聞かない約束をしてしまっていますからねぇ…」
「ほんっとにマジで後悔してるそこに関しては……」
 つまり、僕たちとは違って、不動と薬研の場合は長い時間をかけるというのはどちらも地獄でしかないというわけで。
 ……つくづく思いますが、あなた達って二人揃うと恐ろしく阿呆な部分が見え隠れしますよね。
「本来ならそういうのは時間をかけてゆっくり修正していくものですよ。性分なんて即日で変えられるものではありません」
「ううっ、説教やめろよぉ…後悔してるって言ってるだろぉ……」
 両耳に手をあてて唸る不動。
「……いっそ、もう会ってきて、撤回してくればいいではありませんか」
「それは、なんか、嫌だ」
 なんて面倒な。
「……はあ。自発的に薬研が甘えてくる可能性は低いと思いますけどね、僕は」
「………じゃあずっと口聞けねえってことかよ……」
「でも薬研もあなたと口を聞けないのはかなり痛いはずです。なら、あなたが積極的に甘やかして、甘えやすい状態を作ってあげればいいんじゃないですか? そうしたら、万に一つはなくとも、億に一つくらいの可能性で甘えてくれるかもしれませんよ」
 半ば投げやり気味に提案したのですが、思ったよりも不動の目が輝きました。……本気ですか、あなた。
「甘えやすい状態……! …いや、でも、俺甘やかすって、よくわかんねえし…そうだよ、だから、甘やかすってどうやるのかって宗三に聞きに来たんであって……!」
「僕が参考にならないことくらい、もうわかったでしょう」
「だけど……だけどぉぉ……!」
 他に誰に相談すれば、と突っ伏して、くぐもった声で嘆く不動に、参ったなと思いました。本気で悩んでいるのはわかっているのですが、本当にこうした手の相談事は僕は適任とは言えません。かと言って、甘やかすことが上手いと言える薙刀の彼や、薬研の兄なんかとは、不動はほとんど話しません。急に相談に行くというのは無茶でしょう。
 不動がある程度普通に喋ることができて、かつ、甘やかすことができる刀。……そう考えたところで、一人の短刀と共に頭に浮かんだ刀の名前を挙げる。
「……へし切長谷部」
「……ああ?」
 思いがけない名前だったのでしょう。先ほどの話からまた、脈絡もなく登場した名前に、不動は顔を此方に向けました。
「あなた、長谷部と似ているでしょう」
「似てねーよ! ふざけんな!」
「……じゃあ、長谷部は甘やかすのが上手だと思いますか?」
「え……」
 不動は思い出すように首を傾げ、視線を暫く空中に投げました。でも案がいすぐに、ふるりと横に振ります。
「……上手くねえと思う」
「そういう点ではあなたと似ている。それは否定できないでしょう?」
「う……まあ……」
 現に、甘やかし方がわからないと言っているのだから、否定はできるはずがありません。
「でも、博多が長谷部に甘えているのを見たことが、僕はあります」
「はかた? ……ああ、あの、薬研の弟の。…そういえば並んで歩いてるとこ、見たことあるなぁ」
「博多が甘えるのが上手ということもあるかもしれませんが、もしかしたら、甘えやすい何かが長谷部にはある、ということかもしれませんよ」
 僕の言わんとしていることに気づいたようで、不動の眉間の皺は今までの会話の中でも一番深く刻まれました。
「…え、何。つまりへし切のところに相談行けって言ってんの?」
「その方がまだ実りある相談になると思いますけど」
「無理だよ! 俺、あいつと喋るとすぐ喧嘩になっちゃうし、そもそもあんな奴…っ」
「でも、他に相談事をまともに喋れる刀、いないでしょう?」
 言葉を詰まらせている不動は、なんて面倒な子なんでしょう。嫌いだ、嫌いだと口で言うほど、この子が長谷部を嫌っていないことくらい、僕には分かります。いえ、この本丸にいる刀のほとんどが気づいているのではないでしょうか。気づいていないのは、本人だけです。
「……ううう…へし切か…うう…うううううう……」
「悩みますねぇ……」
 悩んでいる時点で、相談に行きたい気持ちはあるくせに。もっと自分に正直に行動したらどうですか。……気持ちは分かりますけど。
 延々とうなり声が響くので、僕は試しに一言、添えてみました。
「……色々我慢して長谷部に頼って、上手いこといけば、すぐに薬研と口が聞けますよ」
「行ってくる!!!」
 ガタンと音を立てて立ち上がり、障子を開けて外に出ようとする。でもその直前、足を止めて、此方を振り向くと、ちょっと澄ました顔をして、言いました。
「……ありがとな、宗三」
 大股で出て行き、廊下を歩き去っていきました。
 予想以上に、僕の一言が効いたようで、行動の早いこと早いこと。何て、容易い……。呆れ半分、驚き半分の気持ちで深く深くため息を吐きました。まあ、上手く行くことを祈っていますよ、不動。
 ……そして、長谷部。適当に頑張ってください。

   ***

 ――――後日。

 江雪左文字の部屋に、目の下に隈を作ったへし切長谷部が、「約二名の短刀から訳の分からない訪問を受けた上、延々話が終わらずどうしたらいいか分からない」と相談をしに行ったという目撃情報が、複数の刀剣男士から寄せられることとなるが―――

 それはまた、別のお話である。