あいつは俺を ★薬不

 あいつは俺を嫌っている。

 別に何をしたわけじゃない。ただ、幾千もの戦いを経てたどり着いた先で、それこそ死ぬほど探し求めていた短刀を見つけたのは俺だった。一目で、それが「不動行光」であるに気付いた。
 普段は粟田口派の中でも、頼れる「兄貴」としてちゃんとしているつもりだが、あいつを見つけたときばかりは浮かれた。だって、本丸に顕現したときから、ずっと、捜していた刀だったから。

 織田の刀として、存在していた頃。俺と行光は、特別な関係だった。早い話が恋仲だ。
 信長さんがお蘭のことを気に入っていたように、俺も行光のことが気に入っていた。無邪気でよく笑う奴で、今日は信長さんに何処を褒められただとか、下町を歩いていたときにお蘭が刀の自分に親し気に話しかけてくれたとか、そういう話を沢山していた。初めは楽しい奴だなと思っていただけだったが、その内、行光のことをもっとよく知りたい以上に、傍にいたいと思うようになった。
 想いを伝えたら、
『お前、まるで人間みてえなこと言うんだなぁ』
 吃驚した顔で俺を見返す、丸くて大きい紫の瞳が、純粋で綺麗だと思った。
『でも、本気だ。俺はお前と恋仲になりたい』
『俺、女じゃねえけど?』
『関係ない。細かい事は気にすんな』
『細かくねえよ』
 驚きで見開かれた目が三日月型になり、ころころと笑いを零す。この笑顔を守りたいと思う俺は、やっぱり、行光のことを恋い慕っていたんだろう。
 じっと、反応を待った。そしたら、行光は恭しく頭を下げて言った。「末永く宜しくお願い申し上げる、薬研通吉光様」と。それは、俺の想いを是として受け取った証だった。
 幸せだった。あいつと過ごす時間は。
 でもその時間は、天正十年六月二日に、突然、終わりを告げた。

 ―――だから、本丸で行光と顔を合わせたのは、それ以来の再会だった。

 審神者の……大将の力を受けて、短刀から人型が形成される。姿を現したそいつは、あの頃とはまた違う服を着ていたりしていたが、綺麗な長い髪もそのままで、綺麗な顔もそのままだった。甘酒を片手に、何だか赤ら顔ではあるが、些細な事だ。
「……俺は不動行光。織田信長公が最も愛した刀なん」
「行光!」
「っ!」
 口上の途中だったが、俺は我慢できなかった。隣りで大将が苦笑を零していたが、知ったことか。探し続けた恋仲の不動行光が、俺の目の前に、いる。感極まって、身体が震えた。
 行光は驚いた様子で目を見開いて俺を見た。そういう、綺麗な目を丸くするところが、行光らしくて、やっぱりお前は行光なんだと再認識する。
 そして、行光の目が今度は種類の違う驚きの色に染まったことに気付く。俺が誰か、気付いたらしい。やっとだ、やっと、お前に会えた―――そう思った矢先だった。行光が酷く、顔を歪めたのは。
「……何でお前がここにいんだ……」
 嗚呼、何だ。俺がいることに疑問を持ってるだけか。
「まあ、色々あってな。だが俺は薬研藤四郎に間違いない。あのときの、薬研だ」
「……あっそ」
 視線を逸らされた。何だ? 照れてんのか?
 行光は改めて大将に向き直り、口上の続きを口にした。大将も自分がこの本丸の審神者だと説明をしてから、じゃあ本丸の道案内を俺に任せる、と言ってきた。ああ、任せとけ、大将! ……そう答えようとしたのもまた、行光に遮られた。
「いらねえ」
「……は?」
「案内なんかいらねえ。どうせこれからここで暮らすんだ。嫌でも覚えんだろ」
「でも結構広いぞ。他の刀にもお前のこと紹介したいし……」
「紹介? お前が?」
 苛立ちが滲む声であるのが分かった。
 …そして俺は、やっと気づく。
「……行光? どうした?」
「どうした、ねぇ」
 鼻で笑われる。俺はこんな行光を知らなかった。
「お前が俺を紹介する? 冗談じゃねえ。お前は何も知らないじゃねえか」
「……え」
 赤ら顔のくせに、流暢に喋る行光は、はっきりと俺に敵意を向けていた。殺気と言っても差し支えないかもしれない。でも俺には、どうして顕現したばかりの行光にそんなものを向けられなければならないのか、分からなかった。
「何もって……だってお前と俺は」
「〝恋仲だった〟とでも言うつもりかよ」
 言葉を取られて、喉が詰まる。
 行光は呆れた風に首を振った。
「……じゃあお前が焼けた後は? あの日の、その後は? 俺はずっとずっとお前がいねえところで生きて来たんだ。あれからずっとずっとずーっと……それなのにどの口が〝俺を知ってる〟だなんて言えるんだよ?」
 いや、と言葉が続けられる。
「あの頃もお前は俺のことなんて何も知らなかったのかもしれねえなぁ、薬研通吉光様?」
 息がしづらかった。
 よく笑い、よくはにかみ、無邪気だった行光の面影がない。はっきりとした蔑みの視線が、俺に注がれる。でも、話している内容は、行光でないと知らない事ばかりで、だからこいつは行光であるのに違いないし、俺があいつを見間違えるわけがないと思った。
 だから余計に、混乱した。
「ゆきみ、つ」
「やめろ、それ」
 さっきまでの言葉も充分強めだったのに、更に強い声音で言われる。
「行光だなんて、親し気に呼ぶな」
「だが」
「薬研通吉光」
 鋭く睨まれ、一言。

「恋仲だった頃の〝不動行光〟なんて、もうどこにもいやしねぇよ」

 それから、行光と俺との距離は開くばかりだった。
 言葉を交わさないわけじゃないが、事務的なこと以外はない。必要のない会話を始めようとすると、容赦なく「興味がない」と言われ、畳まれる。
「貴様、何を休憩しているんだ! まだ始めて数刻も経ってないだろう!?」
「うるせえなぁ、へし切なら、一人でも楽勝だろぉ」
「長谷部と呼べと何度言えば分かる!?」
「へいへい、すいませんでしたねーっと……」
 本能寺でのことが、辛すぎたのか。織田の刀には皆俺と同じ感じに接するのか。そう思っていたが、行光は存外よく喋る。長谷部とは前にひと悶着あったらしくて、それからは顔を合わせるたびに喧嘩になっているし、宴会のときには酒を飲みながら「へし切なんか嫌いだ」と管を巻いていた。酔っ払っても尚あの言い方なんだから、本当に嫌いなんだろう。

 でも。

「あ」
「うぉ、………!」
 部屋を出たところで、丁度行光と鉢合わせる。
 俺の口からは間の抜けた声が出て、行光の方も吃驚して背筋を伸ばしていたが、俺だと分かると酷く顔を歪めて、踵を返した。

 ……行光は俺と、喧嘩すらもしてくれない。

「行光!」
 長い黒髪を揺らしながら去って行く背中に、たまらなくなって俺は声を掛ける。
 当然のように、行光は振り向くどころか、足を止める気配すら見せない。
「行光、待ってくれ!」
 早歩きで背中を追う。行光の歩き方が早くなる。そうすると俺も早める。
 待ってくれ、待ってくれ。頼む。頼む……
「……っ、行光!」
 大きく一歩を踏み出して距離を詰め、行光の肩を掴んだ、瞬間。
「触るなっ!!!」
 勢いよく、弾かれた。パァン、と手と手がぶつかる音が廊下に響く。ひりひりと手が痛む代わりに、やっと行光は振り向いた。
 また、歪んだ顔だった。
「……悪い……」
「……」
 兎に角、触ってしまったことを謝罪した。
 眉間にこれでもかと言うほど皺を刻む行光は、隠しもせずに舌打ちをしてまた、歩き出そうとした。だめだ、これじゃあ呼び止めた意味がなくなっちまう。
「頼むから待ってくれ!!」
 必死に叫んだ声が思った以上に揺れていて、自分で焦った。と思ったら視界がぐにゃりと歪んで、ぼやけて、ああ情けないと思いながら喉に力を込めて、漏れそうになる声を必死に堪える。
 足音がしない。行光の足先がこっちに向いているのだけが見える。深く俯いているせいで、肝心のあいつの顔が見られない。でも、だめだった。顔は、上げられない。ぎゅっと目を瞑って、震える胸を抑えながら深呼吸する。
「……なあ……俺の何がそんなに、ダメなんだ……」
 声を堪えながら、でも必死に絞り出す。か細い声になる。何て女々しいんだと自分で苦笑が漏れそうになった。行光から返事はない。
「……俺はお前に、何かしたのか」
 恋仲だったときに、余程何か気に障るようなことをしていたのか。それが積もりに積もって、ここで爆発したのか。でもお前はよく笑っていたのに。俺を気遣って笑っていたのか。やっぱり行光から返事はない。
「……俺が消えたら、お前は笑ってくれんのか」
 嗚咽が漏れそうになって、また喉に力を込めた。
 そう、俺は本丸に顕現した行光が、昔みたいに笑っている事を見たことがほとんどない。昔は自分のことをダメ刀だなんて言わなかったのに、今は最早口癖だ。全部が俺の責任のように思えて、潰れそうだった。
 行光が俺を拒絶しても、遠くから笑顔が見られたらまだ良かったかもしれない。でもそれすらない。嘆いている姿ばかり見かける。怒っていたり、苛立っていたりする姿ばかり見かける。行光が幸せに見えない。
 ―――もしかして、俺がいるからなんじゃ。
 そう何度思ったか、知れない。でも俺はお前に笑ってほしいのに。幸せになって欲しいのに。
「……お前がいなくなった後は俺が笑って生きてたと?」
 低い声が聞こえた。思わぬところで返事が来たので、俺は慌てて顔を上げる。行光は、やはり顔を歪めていた。歪めていたが……いつもと、違った。でも何が違うのか、分からない。
「……もういいか、行って」
 深い溜息を吐いて、さっきまでの表情が一瞬で消え、無関心そうに俺を見つめる。俺に背を向けて、さっさと歩き始める行光に、だめだと思いながら、「最後に一つだけ」と叫んだ。そうしたら、行光は止まってくれた。
「行光は、」
 聞くな、聞くな、と俺の頭の中が警鐘を鳴らす。でも、聞かずにはいられなかった。
「……俺のことが、嫌いか」
「嫌いだよ」
 即答だった。息をするのも忘れる。
「……大嫌いだ」
 繰り返した行光の背中が遠ざかり始め、やがて走り出し、一気に遠くなる。廊下の角を曲がって、見えなくなった。

   ***

 あいつは俺を好いている。

 織田家にいた頃、俺は普段からよく一緒にいることが多かった薬研通吉光に告白された。俺と恋仲になりたいと言われて、俺は男だと言ったら、それは細かいことだから気にしないと答えた。いや細かくねえわ、と思わず笑ってしまった。
 でも嬉しかった。俺も、同じ気持ちだったから。恋仲って、人間でいうところの[[rb:夫婦 > めおと]]と似たようなもんだろ? なら、薬研とずっと一緒にいられるってことだ。俺はお前と話すのが好きだから、優しく笑ってくれるのが好きだから。ずっと隣でそうしててくれるなら、恋仲も、良いなって。
 信長様に、蘭丸に、薬研。大事なもんが沢山だ。大事なもんに囲まれて、愛されて、俺はここに生きている。
 蘭丸も、また信長様に大変な仕事を与えられたとか、愚痴をこぼしながら、その顔が緩み切っているのが俺には見える。俺に言いながら、自慢してるくせに。蘭丸、お前がそうしてるのが、俺は嬉しいよ。ありがとうな。俺の声なんて聞こえやしないのに、話しかけてくれて。
 信長様も信長様だ。俺のことをまた、酒を飲んで、膝を叩きながら褒めて下さる。でも、ちょっと褒めすぎ。流石に、照れる。こういうときは俺が人間には見えなくて良かったって思った。
 それで、そういうことを全部薬研に話すと、薬研は全部聞いてくれる。俺の言葉に頷いてくれる。嫌なことがあって、それも言ったりすると、薬研は捉え方を変えるとか、助言をしてくれる。薬研の隣りは、息がしやすかった。
 蘭丸の愛情は。信長様の愛情は。
 ―――薬研の愛情は、分かり易くて、あったかかった。
 いつか俺も、それだけの愛を返すんだと心に決めていた。刀としてそこに存在すること。俺は心底、幸せだった。

 でもその幸せは、天正十年六月二日に、突然、何もかもぶっ壊れた。

 ―――だから、本丸で薬研と顔を合わせたのは、それ以来の再会だった。

 顕現した俺の目の前には、薬研がいた。口上を述べようとしたら親し気に声をかけられて吃驚したけど、本能寺で焼けて、永遠に失われてしまったはずの薬研が、そこに立って、目をきらっきらさせて、俺を見てた。
(……薬研……)
 薬研が、生きてる……! そう思いかけて、違う、と否定する自分がいた。
 薬研は死んだ。あの日。本能寺。光秀の謀反の、炎に包まれて。俺は確かに、この目で見た。……じゃあ、この薬研は?
「……何でお前がここにいんだ……」
「まあ、色々あってな。だが俺は薬研藤四郎に間違いない。あのときの、薬研だ」
 本当だ。この話している感じは、薬研のそれだ。そっか…まさか、再会するなんて。でも、あのときの薬研だってことは、やっぱりお前は、炎に包まれた薬研で、間違いないんだな。
 何の運命に導かれたのか知らねえけど、死んだはずのお前はここにいるんだな。死んだはずのお前は、俺を見て、そんなに嬉しそうに笑うんだな。そんなに目をキラキラさせて、餓鬼かよ。
 ……俺は、お前を助けてやれなかったのに。
「……あっそ」
 自責の念が、どっと押し寄せて来る。視線を逸らした。
 だからだ。だから俺は甘酒を飲んで、全部有耶無耶にしちまいたかったんだ。この感覚から、逃れるために。知らず知らずのうちに、瓶を持つ手に力が籠る。
 ……蘭丸も信長様もあそこで死んだ。薬研も。俺は、俺を愛してくれた全てを助けられなかった。なのに、俺は一口でのうのうと生き続けた。合わせる顔なんてあるわけもない。こんなダメ刀がお前の傍にいたから、きっとお前は、死んだんだ。
 なのにお前、その様子じゃあ、まだ俺のこと好きなんだな。分かり易すぎる。そんで、嬉しくて、悔しくて、情けなくて、……怖くて、泣けてくる。なあ、薬研。俺もう、お前に愛を返せる自信、ねえよ。
 でも。愛を返せなくても。俺はお前を守りたい。そう決めたら、俺がすべきことは、一つだけ。
 俺は薬研の傍にいた審神者に向き直り、口上の続きを口にした。そしたら、この審神者、本丸の道案内を薬研に任せようとしていた。でもそれは、無理だ。
「いらねえ」
 胸を張って答えようとしていた薬研の言葉を打ち消した。
 お前はもう、俺といない方が良いに決まってる。
「……は?」
「案内なんかいらねえ。どうせこれからここで暮らすんだ。嫌でも覚えんだろ」
 道順を覚えるのは別に苦手じゃない。蘭丸と何度も城の中を歩いたし、ああいう手の建物の構造は把握するのは慣れている。
「でも結構広いぞ。他の刀にもお前のこと紹介したいし……」
「紹介? お前が?」
 恋仲だった頃の俺を? ……薬研、お前の中の〝不動行光〟は、多分、美化されすぎてるよ。お前の目見てりゃ分かるもん。きらきらさせやがって。期待し過ぎなんだよ。知ってるくせに。俺はお前に愛を返せなかったダメ刀だ。
「……行光? どうした?」
「どうした、ねぇ」
 鼻で笑ってやった。
 お前にこんな笑い方することになるなんてなぁ。でもお前、このままだと、どうせいつもみたく良い事言って、俺を落ち着かせようとしてくるだろ。一緒にずっといた頃も、俺が悩みを相談したりしたら、絶対そうしてきたもんな。
 分かってる。お前の方が言葉が上手いことくらい。お前の方が、頭が回ることくらい。
「お前が俺を紹介する? 冗談じゃねえ。お前は何も知らないじゃねえか」
「……え」
 だから、お前の頭が回らない範囲で、苦言を呈する。これしかない。お前が死んだことなんて、俺だって本当は言いたくない。ごめん。ごめん。ごめん。
 ……こんなことでしかお前を突き放せなくて、ごめん。
 でもお前は絶対に、俺の傍にいない方が、いいから。
「何もって……だってお前と俺は」
「〝恋仲だった〟とでも言うつもりかよ」
 言わせない。もう恋仲なんかになっちゃいけない。あのときの俺は、浮かれてた。お前のためを思えば、俺はあのとき、お前の気持ちを受け取るべきじゃなかったんだ。もう、何百年も経っちまったけど、やっと気づいた。
「……じゃあお前が焼けた後は? あの日の、その後は? 俺はずっとずっとお前がいねえところで生きて来たんだ。あれからずっとずっとずーっと……それなのにどの口が〝俺を知ってる〟だなんて言えるんだよ?」
 言ってるうちに、徐々に、本気で、苛々してきた。
 ふざけんなよ。何で俺に会って、そんなに喜んでんだよ。丸分かりなんだよ。何なんだよ。俺は。俺は。
 お前は、お前自身がいなくなった後のことなんて、知らないだろ。会いたい会いたいってさめざめ泣いてた、情けねえ俺のことなんて。どうして助けられなかったんだ、どうして俺はただの刀だったんだ。そうやって泣いてたこと、お前は知らねえんだろ。
 そうだ。お前は、「何も知らない」んだ。
「あの頃もお前は俺のことなんて何も知らなかったのかもしれねえなぁ、薬研通吉光様?」
「ゆきみ、つ」
「やめろ、それ」
 だから、薬研。もう終わりにしよう。
「行光だなんて、親し気に呼ぶな」
 行光だなんて呼ばれたら、俺はきっと心の何処かで、喜んでしまうから。
 お前の傍にいたいと、いつか願ってしまうかもしれないから。
「だが」
「薬研通吉光」
 信長様のことを思い出しながら、俺は精一杯、薬研を睨んだ。
 すっげー傷ついた顔してるなぁ、薬研。そんな顔、見たくなかったよ、俺だって。でも……

「恋仲だった頃の〝不動行光〟なんて、もうどこにもいやしねぇよ」

 そう、思ってくれた方が、きっとお前は楽になれる。

 それから、俺は必死に薬研を避けた。万一声をかけられそうな場面になっても全力で無視をしたし、いざ目が合ったら睨むようにした。もう、あいつに俺に対する恋心なんて芽生えさせちゃいけないと思ったから。それならとことん嫌われるしかない。
 審神者がうっかり俺と薬研を同じ内番にしようとしていたときは土下座してでもやめてもらうように頼んだ。そんなに仲が悪いのかと心配されたが、細かく説明する気にもなれなくて、審神者には「察してくれ」と頼んだ。絶対察せねえ。無理だ。俺が第三者だったら絶対無理だ。
 でも審神者は了承してくれて、その点に関しては感謝している。でもそうしたらへし切と組まされることが多くなって、何でこんな小言の多い奴と、と思いながら一緒にこなしている。せめて宗三ならまだいいのに。
 薬研は遠くからでも俺のことをよく見てる。ちゃんと気付いてる。でも俺は無視をした。俺、こんなに感じ悪りぃのに、何でお前そんなに俺のこと見るわけ。いい加減学べよ。俺なんかに時間割いても無駄なんだって。

 でも薬研は死ぬほど諦めが悪かった。
 さっき、部屋から出て来た薬研とばったり鉢合わせて、慌てて逃げたら後ろから凄い勢いで追いかけられた。はっきり言って、ずんずん近づいてくる足音は恐怖以外の何物でもなかった。すげえ怖い。でも一瞬、追いかけてくれることが嬉しい、と…思った自分に、嫌気がさした。薬研を諦められてないのは、俺も同じじゃねえか。
 そこで肩を掴まれて強引に止められたもんだから、勢いよく振り払ってしまった。ああ、流石に今のは痛かったよなぁ、ごめんな。そう思いながらも、謝罪を口にしたらそこからずるずる喋ってしまう気がして、必死に口を結んで黙り、睨んだ。
 悪い、と謝られた。触ったことを謝ってんだろう。……本当は謝らなきゃいけないのは、俺の方なのに。
 何で。何で、こんなことになってんだろうな。俺達。
 こんなことなら、出会わなければ良かった。
 うっかり泣きそうになって、喉に力を込めて堪えた。このまま薬研を見てたら俺は、間違いなく泣く。ゆるゆるの自分の涙腺が憎らしい。急いで踵を返して、無視を決め込んで歩き出そうとした。が、
「頼むから待ってくれ!!」
 そう叫んだ薬研の声が、聞いたことないくらい悲痛で、涙で濡れていて、思わず足が止まった。……見捨てなきゃ。無視しなきゃ。そうしないとこいつはまだ、望みがあるなんて、思っちまう。
 頭では理解しながらも、震えた声で叫んだ薬研を置いていくことなんてできなかった。振り向くと、深く俯いている薬研がそこにいた。ぎゅっと胸を抑えている。苦しいのか。何でだよ。そんなに苦しいならさっさと俺のことなんて嫌えよ。楽だろ、その方が、絶対。
「……なあ……俺の何がそんなに、ダメなんだ……」
 か細い声が耳に届く。
 ダメじゃねえよ。ダメなのは俺なんだ。ダメ刀がお前みたいな良い刀の傍にいていいわけないだろ。心の中で言い返す。
「……俺はお前に、何かしたのか」
 何もしてねえ。……いや、何もしてねえってのは語弊があるかもしれねえけど。
 お前は俺に愛をくれすぎた。俺はその愛に報いることができなかった。だから、何かしたとしたらそれもまた、俺の方だ。
「……俺が消えたら、お前は笑ってくれんのか」
 ―――は?
 何だ、それ。
 思わず、何気なく逸らしていた目を、薬研に向ける。顔を下に向けている薬研がどんな表情をしているのかなんて分からなかったけど、今こいつは、何て言った?
 ……薬研が消えたら俺が笑う? そう言ったのか?
 お前は、お前がいないときに、俺が笑ってると、そう言ってんのか。本気で? 馬鹿じゃねえのか?
 脳裏に、薬研がいなくなった後の自分が甦る。ぐちゃぐちゃになって、泣いても泣いても止まらなくて。身体の震えが止まらなくて。届くことはないのに、お前の名前を呼んでいた、あのときの自分。
 ……なのに、お前は、そのときの俺が、笑ってたって言うのか。
「……お前がいなくなった後は俺が笑って生きてたと?」
 何を聞かれても答えないと決めていたのに、口をついて出た。思った以上に低い声が出た。それに驚いたのか、薬研が顔を上げた。ひっでぇ顔してんなと思った。薬研と目を合わせたのは、顕現したとき以来だ。相変わらず綺麗な目をしてた。こんなに辛そうにしてても、お前ってやっぱりかっこいいよな。
 拳を握り締める。爪が掌に食い込んで少し痛いが、気にならなかった。
 ……お前がいなくなった後の俺は散々だったよ。寧ろ笑い方なんか忘れた。
 ……笑えるわけ、ねえだろ。
 ―――薬研通吉光のことが、好きなんだから。
「……もういいか、行って」
 胸中で波のように荒れ狂う自分の感情に、蓋をした。言ったら意味がない。俺は決めたんだ。こいつを突き放すって。そうじゃないとこいつのためにならない。
 俺が傍にいたところで、俺はこいつを守れない。突き放した方がきっと守れる。
 薬研に背中を向けて、歩き始めた。そしたら後ろから、「最後に一つだけ」とまた声がかかる。お前、諦め悪すぎるだろ。何なんだよ。
「行光は、」
 少し躊躇ってる薬研に、そっと息を吐く。
 嫌だな。何か、何訊かれるか、分かっちまったよ。俺。
「……俺のことが、嫌いか」
「嫌いだよ」
 即答した。迷っちゃいけない。俺が気持ちを残しちゃいけない。お前が、俺を嫌いになるには。
 ほとんど自己暗示のようなもんだったけど、大丈夫、その内忘れるさ。俺を慕う恋心なんざ。
「……大嫌いだ」
 でも、改めて口にすると、胸の奥がぎゅっと痛くなった。我慢できなくて、俺は走り出す。薬研がどんな顔をしていたかなんて、見てられなかった。

   ***

「でさぁ、蘭丸の奴、こんなこと言うんだよ。〝農民の出なのにあんなに頭が回るなんてすごいお方だ〟なんて。信長様に尻尾振りやがってさー、あの猿」
「酷い言い草だな。だが秀吉のことは信長の大将も割合気に入ってるぞ。前に面白い猿だって言ってたの聞いたぜ」
「それ褒めてんの? でも蘭丸の方が信長様の近くで色々やってんじゃん、信頼も厚いしさ」
「だからって秀吉のことを悪く言うのは良くないんじゃないか? 他でもない〝信長様〟のお気に入りなんだから、そいつを否定しちゃあな」
「うっ……」
 織田信長の考え方を否定することに直結する。それは不動の本心とするところではない。それでもぶつくさ言う口を止めることができないのは、明日からが不満だからなのだろう。
 信長と蘭丸が言葉を交わしていたとき、当然ながら薬研と不動も、それぞれの懐に収まって話を聞いていた。たしか蘭丸は明日から、また遣いとして城を出ていくのだ。数日間に渡るので、当然、不動も薬研とはその間顔を合わせることは無くなる。
 信長が気に入っている蘭丸に自分が譲られた、そのことに関しては別に異を唱える気はないし、不動自身も蘭丸の人柄は好いていた。だから不満はない。だが唯一不満があるとすれば、こうしたとき、信長の傍にいられなくなること、そして薬研の傍にいられなくなることだ。
「お前、出てる間に秀吉が調子乗りそうなのが嫌なんだろう」
「別にっ。気にしてねーし! 蘭丸の方が、すっげーもん」
「ほう」
「気にしてねーからな!」
「はいはい、分かった分かった」
「んだよその言い方ぁ……」
 むっすりと頬を膨らまし、抱えた膝に顔を埋める不動の頭を、薬研は仕方なさそうに、しかし愛おしいと目を細めながら、そっと撫でた。
「子供扱いすんなよぉ……」
「でも今は子供みたいだぞ?」
「……別に俺は……」
「秀吉が何しようと気にしてない、だろ。さっき聞いた」
「………」
 薬研は肩を竦めて笑う。
「お前、嘘が下手だなぁ」
「嘘じゃねえし」
「そうか?」
「そうだよ」
 ただでさえ膨らんでいる頬なのに、更に頬を膨らませて体を縮こまらせてしまう不動を、薬研は面白くてたまらないと言った様子で喉を鳴らして笑った。
 埋めていた顔をちらりと上げて、笑っている薬研を見つめる。自然と不動も、口許が緩んだ。
「いいよ、すぐ帰ってきてやる」
「お前一口では帰って来れんだろ」
「だから、蘭丸と一緒に、急いで」
「お蘭を急かすのか? どうやって。俺達の声は人間には聞こえないぞ」
「そんなことねえよ、蘭丸は俺に声を掛けてくれるし、何となく俺の気持ちも分かってくれる。だから急いで帰って来る」
 首を傾けて、へにゃりと笑う不動は、とても無防備だった。
「薬研に早く会いてぇもん」
 素直なことだと、また薬研は不動の頭を撫でた。子供扱いするなと嫌々首を横に振られたが、顔が緩み切っていたのでそんなに嫌がっていないのは知っていた。
「あと心配するな。秀吉は確かにすげぇお人だが、大将のお蘭に対する信頼は変わらんさ」
 秀吉の名前を出した途端、幸せそうであった顔が歪む。露骨なものである。
「……だからぁ……」
「気にしてないんだったな。すまん」
 ああ、それと、と薬研は少し考える素振りを見せてから問いかける。
「なあ行光。お前、俺のこと好きか?」
 ぽかん。
 目をぱちぱちと何度も瞬かせ、滑らかな白い肌がふわりと赤く染まっていくのが見える。以前、赤くなっていく様が可愛いと口を滑らせたとき、暫く口を聞いて貰えなくなったので言わないようにするが、薬研はそのときと同じことを思って眺めていた。
 少し視線が彷徨ったが、こっくりと頭が縦に振られ、はにかみながら不動が微笑む。
「うん。すっげー好き」
 へへっ、と笑う不動の笑顔は、信長に褒められて笑う蘭丸と似ていた。やはり主と似るものなのだろう。薬研は、相手の頬に手を触れて、鼻の頭に口づける。
「ありがとな。俺もだ」

   ***

 スタァン! と襖を開けられて、身体がびくついた。寝ようとしていたところで急な来客だ、しかも外から声も掛けられず。驚くのも無理はねえと思うし俺は何も悪くないと思う。あと、やっぱり生きる場所が戦場だからってのもあるんだろうけど、急なことに咄嗟に短刀に手が伸びた。寝間着なのが心もとなかったけど仕方ない。低姿勢で構えながら襖の方を振り向いて、俺は放心する。
「……え……何で……」
 そこには薬研が立っていた。時間が時間だってのに、戦装束のままだ。っていうかさっき廊下で喋ったときは内番着だったはずだから、夕餉が終わった後にわざわざ着替えたってことになる。
 ……え? いや、わけわかんねえんだけど。
「行光。来い」
「…は?」
「来い」
 信長様を思わせる鋭い眼光で射貫かれて、俺は頷いてしまう。…いや、え、何。だがいつもの感じと違う。寝間着のまま廊下に出て、前を行く薬研についていく。
 どこに連れて行かれるんだろうと思っていたら、道場に辿り着いた。夜中に使って良いんだっけ、ここ。
 さっさと中に入って、薬研は置いてある短刀を模した木刀を二口手にとった。そして、一口を俺の方に放って来る。落ちたそれは、からんからんと安っぽい音を立てて転がり、俺の足にぶつかって止まる。
「構えろ。行光」
 薬研を見やると、目つきは鋭いまま木刀を構え、完全に戦闘状態で俺を見つめていた。
 ……あーそ。そういうことか。それならせめて髪くらい結んで来たかったけど、しょうがねえよな。
 俺は足元に転がっている木刀を拾い上げ、苦笑して見せた。
「ダメ刀ボコボコにして、気持ち良くなろうって?」
 俺の言葉に、薬研は答えない。
 なるほど。これで決別しようってわけね。なら付き合ってやろうじゃん。いくらでもボコボコにすりゃあいい。気に食わなきゃ、いっそ、折ってくれよ。 
 俺が、木刀を構える。途端、薬研が猛然と飛び込んできた。あまりの速さに目を瞠る。
「ずぇりゃ!!!」
「っ!!」
 渾身の力で叩きこまれる木刀を受け止めた瞬間、腕がびりびりと震えた。本気だ、こいつ。昔じゃ有り得ない所行に、思わず口許が緩みそうになって、目からは涙が出そうになった。
 これで俺達、本当に終わりだな。
 俺も全力で薬研の木刀を弾き返し、俺からも適当に打ち込む。当然、薬研の方はさっさと躱して、短刀らしく背後を取り、急所を狙ってくる。
 何回か木刀をかち合わせたところで、俺達はどちらからともなく距離を取り、牽制しながら様子を見る。
 薬研が、口を開く。
「……お前は、弱虫だ」
「……へ、そうだよ。ダメ刀だからなぁ、しょうがねえだろ?」
「お前はずるい」
「嗚呼。一口で生き延びちまってな、ずるいよなぁ」
「お前は、最低だ」
「………その最低なダメ刀とは縁を切った方が良いって、漸く分かったかよ?」
「まだ分からねえのか」
 薬研の、地を這うような声に体が竦む。俺を見る目はぎらぎらと光っていて、野獣を思わせた。
 床を蹴り、薬研がまた猛進してくる。俺はそれを受け止めようと木刀を構えたけど、先に襲い掛かって来たのは薬研の持つ木刀じゃなくて、奴の足だった。横から回し蹴りを受けて、持っていた木刀が飛ばされる。
 体勢を崩して無様に尻もちをついた俺に、木刀の切っ先を向けて、薬研は止まった。
「弱虫で、ずるくて、最低で……嘘吐きなお前を、俺は今も愛してる」
「…………は、」
「なめんなよ、行光。生半可な気持ちで俺はお前に気持ちを伝えたわけじゃない」
「っ……」
 決別じゃなく、真直ぐに、改めて気持ちを伝えて来た薬研に、俺の腸は煮えくり返りそうになった。
 ―――お前は何も分かってない!!!
「ふざけんな! 俺はお前のことなんか嫌いだ!!!」
「嘘だ!!」
「嫌いだ! 薬研のことなんかもう知らねえ! 俺はお前の顔なんか見たくもないんだ、大嫌いだ!!!」
「それが嘘だって言ってんだ!!!!」
 薬研が怒鳴る。木刀と木刀の擦れあう音、床を蹴る足音、それら全部が消えた道場の中で、嫌にはっきりと響いた。
 眉根を寄せる。痛みを堪える様に、でも、取り繕う余裕なんて無かった。何でだ、薬研。俺はこんなにお前を拒絶しようとしてるのに、何で、お前は……。
「……行光、気付いてないだろ」
「……何、に…」

「お前、嘘吐くとき、絶対言葉を繰り返すんだよ」

 薄暗い光を受けた薬研は、呆れたように笑っていた。さっきまでの獣のような目はどこ行ったんだと言うくらい、優しい光を湛えて。
「……え……いや、今の、は……」
 ただ、お前のことが嫌いなんだと分かって欲しくて、必死に…
「分かってる。今のはほとんどヤケクソだろ、お前。今のじゃなくて、さっき。廊下で話したとき、俺お前に聞いたよな。俺のことが嫌いかって。それにお前は嫌いだって即答した。……でもその後、繰り返した」
 覚えていない。でも、はっきりと嘘を吐いてると言われて、反応に困る。
 …だって、嘘ついてるのは、事実だから。
「…お前は昔からそうだ。自信がねえときとか、何とか自分を納得させたいけど本当は納得できてねえときとか。必ずお前はそういうとき、言葉を繰り返す。一回目は相手に伝えるために。二回目以降は自分に言い聞かせるために」
 呆けている俺に向けた木刀を下ろして、薬研は俺の目の前にしゃがんだ。傍らに木刀を置いて、俺を抱き締める。求めたくない……否、求めてはいけないと言い聞かせていた温もりがすぐ傍にあって、動揺した。何も言葉が出てこない。頭ばっかりが、ぐるぐる回る。
 ……薬研。駄目だよ。俺の傍にいちゃ。お前が幸せに、なれないよ。
「行光。お前、俺のことが嫌いか」
 抱き締められながら、耳元で囁かれる。息を吸った。答えないといけない。答えないと。お前なんか、嫌いだって。お前なんか……。
「……嫌い、だよ……」
「………」
「…嫌いだ……」
「ほら」
 くすくすと、耳元で笑ってる声がする。考える余裕もなくて、必死にしぼりだした言葉は、自然に繰り返されてしまった。
 一回目は、薬研に伝えるために。二回目は、自分に伝えるために。
 ……薬研の、言う通りだった。
「行光は相変わらず、素直だなぁ」
 しみじみ言う薬研の声は、優しくて、俺の身体を抱き締める腕は、細いくせに逞しくて、あったかくて。
「……嘘は、痛いだろ。俺も。……お前も」
 胸の奥が、じんわりとする。目の奥が痛い。
(……ずるいのは、お前の方だよ……)
 俺がいたらお前は幸せになれない。そう繰り返したかったけど、何だか突き放すこともできなくて、でも抱き締め返すこともできなくて。
 俺は、薬研が精一杯、正面からぶつかってきた気持ちを受け止めることも、跳ね除けることもできなくて。
 ただ、そうか。そうだよな、って。そう言って、頷くしか、なかったんだ。

   ***

(あいつは、俺のために、身を引こうとしてくれた)

(あいつは、俺のために、嘘を暴こうとしてくれた)

((あいつは俺を、愛している))

了