奴隷生活の中 (DQ5)

2019年8月30日

 パッシ――――ン、と大きく鞭が叩きつけられる音が響き、次いでドサ、と転ぶような音がする。
 鞭を手にした、また奴隷達の監視役を担っている男・魔物使いは(ちなみに、「魔物使い」はモンスターでもある)、その子供の体中の痣を見つめた。全て鞭で叩かれてできたものだった。
「気持ち悪い奴だな! 餓鬼のくせして、泣き声一つあげねぇ」
 あからさまな舌打ちをし、もう一度、力強く、少年を叩いた。周りの奴隷達は、仕事をしつつ黒髪の少年に哀れみの視線をおくるが、魔物使いに抗うほど恐ろしいことはないので見て見ぬ振りだ。
「やめろよ!」
 そんな中、少年と魔物使いの間に、緑髪の少年が割って入る。
「何だお前!? 餓鬼のくせに刃向かうのか!?」
「こいつがボーッとしてんのは、あんたらのせいで親父が殺されたからだろ!?」

 パッシ――――ン!!!!
「っぐぅ!!」
 背中を鞭で叩かれ、呻く。
「ちっ! 気分悪りぃな! まぁ、餓鬼なら今の立場がよく分からねぇのも仕方ねぇか。いいか? お前等は奴隷なんだ。黙って俺達の言うことを聞いてりゃ、死にゃしねぇ! 分かったらさっさと仕事に戻れ!!!」
 バチンと地面を叩き、魔物使いは二人の少年を睨みつけた。
 緑髪の少年は、黒髪の少年を立ち上がらせると、見つかりにくい岩の陰へと引っ張っていった。
「大丈夫か? リュカ」
「…………」
 リュカ、と呼ばれた少年は、虚ろな瞳をただ彷徨わせるばかりだ。
 父のパパスがゲマという魔物―――モンスターに殺され、連れ去られてしまった彼は、奴隷生活が始まってからずっとこの調子だった。
「ひっでぇな、傷…」
 リュカは、腕や足はまだしも、鞭を打ち付けられやすい背中においては、奴隷服の下から血が滲んできていた。
「なぁ、そろそろ素直になろうぜ? このままじゃ、死んじゃうぞ。あいつらの言いなりになって、途中で何とか逃げ出して、お前の親父さんの仇をとる! それが今考えられることだろ?」
 緑髪の少年―――ヘンリーは毎日、この科白を口にしている。
「……………っても………」
「え…え? 何?」
 奴隷になって一度も口を開いていなかったリュカが声を発したので、ヘンリーは面食らいつつも耳を傾ける。
 リュカは掠れた声で言った。
「仇を討っても………」
 彼の虚ろな瞳から、突如として涙が零れる。
「父さんは………戻ってこない…っ…」
「…………」
 ボロボロと零れる涙。
 ヘンリーは知っている。彼はずっと父親と旅をしていた。戦う時も一緒だった。だから、突然一人になった現実を受け入れられないのだろう。
 リュカはパパスに憧れていた。こんな強い戦士になりたいと思っていた。なってみせる、と思っていた。でも、未来はこんなにも、違う。武器も防具もとりあげられ、誰にも知られることなく奴隷となっている。逃げ出す手段なんてないし、助けてくれる者もいないとみていい。

 何より。もう、父は、パパスは、いないのだ。この世の何処を捜しても。

 ヘンリーが、リュカの小さな肩を強く握った。
「……泣くなよ…!」
「………ヘン……リー…?」
「泣くなよっ!!!」
 怒鳴る。ヘンリーに怒鳴られたのは初めてで、リュカは驚いたように固まる。
「泣くなよ! 泣いても親父さんが戻ってくるわけじゃないんだぞ!! 泣いても奴隷から解放されるわけじゃないんだぞ!! ただ鞭で叩かれるだけなんだぞ!! 泣くなら怒れよ! 俺がいなけりゃ親父さんは生きてたかもしれない! その怒る対象に、俺はうってつけだろ! どうして一人で落ち込んで一人で泣いてんだよ!! 何で!!」
 ボロリ、と涙が頬を滑り落ちた。
 リュカは呆然としていた。ずっと泣いていなかったヘンリーが、泣いていたのだ。
「…何で俺がいるのに…一人で悩むんだよぉ……!」
 強く肩を掴んでいたヘンリーの手が、力なくズルリと落ちて、地面に掌をつけた。
「バカやろー……」
 涙を流し続ける彼に、リュカは戸惑った。
 どうやって泣き止ませればいいのか分からなかったし、考えた事もなかった。
 王子であったプライドは全て捨て、ヘンリーは泣く。しかし、その声は大きすぎたのだ。

「お前等、こんなところで何をサボっている!!?」

 魔物使いの怒声だった。
 とうとう見つかってしまったようだ。
「また、餓鬼共か……ったく、めんどくせぇ奴隷が入ってきたもんだぜ…」
 鞭をゆっくりと振り上げる。
 ヘンリーは涙を拭うことも忘れ、ゴクリと息をのんだ。
 ゲマがパパスを殺したときと、同じ目。

 これは――――………

「いっそ…」

 ――――殺られる……!!
「死ぬか!?」

 魔物使いが鞭を振り下ろした。
 大きくしなりながら、それは少年を強かに打ち据える。少年――――リュカを。
「なっ…!?」
 今度はヘンリーが驚く番だった。
 彼の後ろに座り込み、虚ろな瞳であったリュカが、すっくと立ち上がってヘンリーの前に歩み出た。そして、あの鞭から庇ったのだ。
 両腕を広げたまま静止し、リュカが顔を挙げ、真っ直ぐに魔物使いを見る。
「……気……済んだ………?」
「っ!」
 その“目”に、魔物使いはたじろいだ。
 初めて、新しく入ってきた子供の奴隷が、口を開いた。それだけで充分驚くのに値したが、数日や数分そこらの前の“目”とは訳が違う。ある種の恐怖感さえ煽られるものだった。

 そう。
 魔物使いを含むモンスターたちが最も嫌う、正義の光が、瞳に灯っていたのだ。

「これ以上鞭で叩かれちゃうと、僕達仕事できなくなっちゃうよ。やっと真面目にやろうって、思ったんだ」
 子供なら確実に死んでしまうような鞭打ちを、この少年は耐えてみせた。
 ヘンリーは、ふと頭に、ゲマの部下・ゴンズとジャミに殴られ続けるパパスが浮かび、それが今のリュカと重なった。
「う………うるさい!」
 魔物使いに突き飛ばされ、よろよろと尻餅をつく。
「本当に不愉快な奴隷だ!!!」
 罵声を浴びせ、魔物使いは他の奴隷のところへと歩いていった。
「リュ…リュカ……?」
 ヘンリーが覗き込むと、リュカはにっこりと微笑んだ。
 ラインハット城に来て、パパスと一緒にいたときと同じ笑顔だ。
「ヘンリー……脱走の相談、しようよ」
 笑顔で軽くとんでもないことを言ってのける彼に、苦笑する。
「じゃ、仕事しながら早速考えるか」

 彼等がその目的を果たすことができるのは、十年の後のことである。
 そして、このときから、そして十年後からなのだ。

 本当の冒険が、始まるのは。

fin.