イブの世界

2020年4月7日

「全っ然、ダメだった…」
 いつでも若人から老人までの幅広い年齢の客でいっぱいのファストフード店。とくに最近では、クリスマスイベントに則ってアイスクリームやクリスマスっぽさを演出したバーガー、子供のための玩具付きセットを若干安くするなどから、客の足が絶えず賑わっている。そして、今日は十二月二十四日のクリスマス・イブ。クリスマスをどう過ごすかを皆思案しているようで、笑顔ばかりだ。聞き耳を立ててみれば、「商店街に飾られる巨大なツリーを、彼氏と見にいきたい」と言う微笑ましい女性の会話がすぐに入ってくる。 
 そんな空間の、中央の円形テーブルに、二人の男と一人の女がいた。一見、クリスマス前に何をしようか、と言葉を交わす別段珍しくも無い友達三人のように思えるが、実際は周りの雰囲気とはかけ離れた重い空気に支配されている―――否、支配されているのは、男一人だけだ。
「ダメだったって、何が」
 面倒臭そうに、女が温かいカフェオレを啜りながら尋ねる。
「昨日、吉祥寺に行ってきたんだけどさ…」
 いじけた様子で口を開くが、その向かいに座っていた男が手をヒラリと振った。
「もういい。聞かんでも分かる」
「いや聞いて!!!」
 相変わらずの我侭全開である彼に、二人は肩を竦めるしかない。
「だって、信じられるか!? 俺、頑張ったんだよ! すっごいすっごい頑張ったんだよ!!?」
「ナンパを、だろ」
「ナンパじゃない、〝女の子お誘い大作戦〟だ!!」
「同じだろ」
「ニュアンスが違う!!!」
「呆れるほどのネーミングセンスに拍手します」
「何それ!? こんなことで拍手されても全然嬉しくないんですけど!? イジメかなぁこれは! ねぇ、亮子ちゃん!」
 亮子は、ゴクンとカフェオレを喉に通して息を吐き出してから、静かな瞳で彼を見据える。
「だって、酷いもん。そのネーミング」
「仕方ねぇよ、隼人だからな」
 隣りでハンバーガーに齧り付き、口を忙しく動かす。
「〝隼人だから〟ってどういう意味だよ俊助…?」
 泣きそうな思いで隼人は俊助を見つめる。しかし彼は無言で手に持っているバーガーを食べ続けるだけだ。
「大体さ」
 亮子は、隼人の前に置いてあったLサイズのフライドポテトに手を伸ばし、一本……ではなく四本ほどとり、口に運んだ。
「ああっ! 俺のポテト!」
「なんであんたはそう、ナンパに走るかなぁ。そこそこカッコイイのに、そういうことするから株が下がるんだよ。あれだよ、無言で立ってれば滅茶苦茶いい、ってやつ」
 俊助までもが自分のフライドポテトを食べ始めたので、全てを二人に食べられてしまわないように隼人もポテトを指でつまむ。
「……俺が、こういうことする理由、分かる?」
「「発情期だから」」
「違う! ていうかそういうのは精神的ダメージがでかいからやめて!!」
 そして、亮子を睨む。
「オメーが俺をふったからだろうが…!」
「去年のクリスマス・イブにね」
 あっさりと答え、今度はチーズバーガーを少しずつ齧っていく。
「俺は、去年のイブイブまでずっと、お前とネズミノランドに行ってパレード見て、んで花火が上がるちょっと前に観覧車に乗って…って予定まで考えていたのに………っ!」
「お前、告ってふられるケース考えてなかったのか?」
「現実を甘く見すぎだね、彼女いない歴二十年」
 容赦なく吐き出される言葉は、(俊助には)見える刃となってグサグサと胸に刺さる。しかも何が辛いといえば、俊助にしてみるとこの二人ほど信用できる友達はおらず、だがしかしこの二人は実は、できていることだ。
「ちなみに、今回は何人挑戦したんだ?」
「八人……」
「多っ!」
「ごめんなさい、すみません、死ね、って言われた」
「最後の酷いね」
 わずかに同情した亮子だが、
「いや、普通だ」
 俊助はバッサリと言い放った。
 隼人が髪をガシガシと掻き、テーブルに突っ伏す。結構な勢いだったので、飲み物が零れるかも、と予測した亮子と俊助は、それぞれカフェオレとレモンティーのカップを持ち上げた。
 テーブルがガシャンと大きな音を立てた。周りの客の視線がこちらに集まったので、「馬鹿」と二人が呟く。
「だってさぁ、俺、このままじゃまた、独りぼっちでクリスマスじゃん。淋しくて死ぬ」
「ウサギか、お前は」
 ハンバーガーを食べ終えて、包み紙をグシャグシャと手で丸める。
「いいよなお前等はさぁ! 明日の予定言ってみ? ん? 言ってみ?」
 少しずつ、しかし確実にチーズバーガーのサイズを小さくしている亮子は、眉間に皺を寄せた。明らかに拒否の意だが、鈍感な隼人は気付かない。
 暫く沈黙が続いたかと思えば、彼女は俊助に一瞬視線をやる。目が、〝言って〟と訴えている。俊助は溜息を吐き出した。
「………ネズミノランドに行って、パレード見て、花火が上がる少し前に観覧車に乗る予定…」
「あーそーなんだ、へー」
 投げやりに相槌を打つ。
「それで、その観覧車の中でクリスマスプレゼント、とか言って、指輪とか出すんだろーなぁ」
 いっそ、そこまで言ってくれていいんだぜ、という気持ちを込めて、隼人が頬杖をつきながら言う。
 すると、俊助の顔が最初は能面のようであったが、徐々に赤く染まっていく。耳が茹でた蛸のような具合になってきたところで、チーズバーガーを食べ終えた亮子が目を丸くした。
「え、嘘、マジ?」
「………………………」
 照れ隠しか、顔が真っ赤になった彼は、残りのフライドポテトを片手でひっつかみ、全て口の中に放り込んだ。止める暇もない、早業であった。
 その行為で、先ほどの俊助の推測が正解であったことがよく分かる。
「え……ええっ……!」
 そこで、ふと亮子は思い出す。
 こないだのデートで手を繋いだとき、俊助がやたらと「指、細いな」などと、指の話題を持ち出してきていたのだ。実際、彼女の指はCMでアクセサリーの宣伝ができるのではと思うほど、真っ直ぐで長くて細い、綺麗な指をもっていた。だから彼がふいに興味を示しただけ、と思っていたのだが。
 そういえば、手の繋ぎ方にも彼は拘っていた。いつもは普通に繋ぐだけで充分、というものなのに、そのときだけは指を絡めて繋ぎたいと提案してきたのだ。もう付き合い始めて一年近くになるわけだし、いいか、と思って繋いだ。ひょっとして、あれは本人に聞かないでも指輪のサイズを探ろうとしていたのでは?
「やっば……ど、どうしよう……すっごい嬉しいんだけど……」
 頬に手をやり、紅潮するのを隠す亮子。
「ああもう二人で赤くなるな! ウザイ!」
 自ら振った話であったのに、これでは自爆しているだけではないか。疲れたように、隼人が肩から力を抜く。
「俺、帰る」
 俊助が立ち上がり、足元に置いていた鞄をたすき掛けにして、食べ終えたトレイを持ち上げると、トラッシュボックスに向かう。
 隼人と亮子も慌てて鞄を持ち上げて、俊助の後ろを追いかけた。うっかり自分達のトレイを忘れかけて、一度戻ってそれをとると、同じようにトラッシュボックスに向かう。
「隼人も行く?」
「へ? どこに?」
 俊助が亮子の言葉を続ける。
「ネズミノランド。バレちゃもうどうでもいいし。暇なんだろ?」
 ああ、そういうことか。
 しかし隼人は首を横に振る。
「遠慮しとく。俺をふった女が俺の親友とラブラブしてる図を間近で見たいやつがいると思うか?」
「じゃ、お前、また一人でケーキか」
「まぁ、孤独を愛する男ってのも、かっこいいんじゃね?」
 隼人とて、二人の邪魔をする気は毛頭なかった。たしかにクリスマスとなると、両親もそれぞれの職場でパーティとかで家にはおらず、本当に独りぼっちになる。去年も、一人でクリスマスケーキを商店街で購入して、カップルの群れをくぐりぬけ、家の中で食したのだ。
 ファストフード店を出ると、外の予想以上の寒さに三人は身を縮めた。
「ありがとな、こんな夜まで付き合ってくれてよ。イブなのに」
 素直に感謝の言葉を述べる隼人に二人は微笑む。
「別に? さすがにイブまで独りぼっちってのはねぇ」
「哀れすぎて、見てられないからな」
「むかつくなぁ」
 と言って、クックッと笑う。
「で、この後はどーすんの?」
 問いかけに、亮子と俊助は顔を見合わせる。
「……指輪、一緒に選びたいなぁ、と、私はさっき思ったんだけど」
 すると、幸せな彼氏は恥ずかしそうに鼻をかきながら、小さく頷く。
「じゃあ、これから行くか。………」
 彼がこちらを見てきたので、隼人は「ついていかねぇよ?」と笑ってみせた。二人とも、自分が一人でいるのを心から気の毒に思ってくれているのはよく知っている。
「これから、ナンパでもするかな」
「やっぱ、ナンパなんじゃねぇか」
 そして、二人は「じゃあ」と手を軽く挙げると、手を繋いで人々の群れへと紛れていった。
 一人になった隼人は、やれやれと肩を竦めてから、
「寒っ」
身震いする。すると、視界に何か白い物体が映ったように思って、天を仰いだ。
 白いものが、フワフワと静かに舞い降りてくる。
「雪かぁ。明日は、ホワイトクリスマスってか」
 ハー、と息を吐いてみると、それは全て白く塗られた。
 ポケットに手を突っ込み、猫背気味に歩き始める。

 ――――ジングルベル ジングルベル 鈴が鳴る

 商店街の、そこかしこの店から聞こえてくる、定番のクリスマスソング。
 ズズッと鼻をすすってから、敢えて隼人は、別のクリスマスソングを小声で口ずさんだ。

 ――――真っ赤なお鼻の トナカイさんは

 ――――いつもみんなの 笑い者

 ――――でもその年の クリスマスの日

 ――――サンタのおじさん 言いました

 ――――暗い夜道は ピカピカの

 ――――おまえの鼻が 役に立つのさ

 ――――いつも泣いてた トナカイさんは

 ――――今宵こそはと 喜びました

 クリスマスまであと一日。

 今年のクリスマス、あなたは誰と過ごしますか?

fin.