そして、また (DQ7)
僕はきっと忘れない。
僕らの隣りに、かけがえのない親友がいたことを。
取り戻せないとしても、彼との時間は決して消えることはないということを。
* * *
世の中が平和になって数週間。アルスは、鐘楼に腰掛けて、旅を始める前の頃のように、海を眺めていた。ただ、当時と比べて随分、船も人も多い。アルス達の活躍によって、これまで封印されていたエスタード島以外の大陸が現実世界に浮上し、その時計の針が再び動き始めたためであった。大陸が増えようとも、フィッシュベルの漁業はやはり指折りのもので、遠方から魚介類を輸入しに来る商人は後を絶たない。その際に得られた金銭は、現在も進められているフィッシュベルの再建にあてられている。この村は、一度、魔物の奇襲をまともに受けて、ほぼ壊滅状態に陥ったのだ。にも関わらず、この数週間で活気が戻りつつあるのは、他の大陸の者の影響も大きいらしい。
何気なく、壁の方を眺める。
“よう、やっぱここにいたか”
黒革の手袋が現れて、そしてあの金髪の少年の身体を引き上げてくれそうな気がした。しかし、それは、あくまで彼の想像であって、有り得ないことだった。二度と、あの少年は、アルスの前に現れないのだ。
「………ふぅ」
「何、溜息ついてんのよ?」
突然の声に肩を跳ね上がらせ、彼は振り返った。よいしょ、といいながら上ってきたのは、マリベルだった。
「なんでもないよ」
笑って、返す。彼女は眉間に皺を寄せた。
「あ、そ」
自らの赤毛を手で払い、少年の隣りに腰掛けた。武器も防具も何も携えていない彼女は、アルスと同じ位身軽な状態だった。尤も、この世は既に、かつてとは異なって、魔物がいて当たり前の世界となってしまっているので、外に行く際には再び携えることになるのだが。
マリベルは足を組み、その上に肘をついた。
「ガボ達、元気かしらね」
「うん」
ガボもメルビンも、そしてアイラも、戦いが終わった段階で、次にどうするかは決めていたようだった。
ガボは、危険な職をも正しい力として操ることができるという点を生かして、ダーマ神殿に厄介になっている。今となっては、一般人でもダーマ神殿で職を授かることができるのだが、それが必ずしも正しい方法として用いられるとは限らない。悪用する者の監視として、少年は神殿の役に立っているのだった。
“オイラができること、きっと、そんくらいだと思うからなっ”
無邪気な笑顔の裏には、葛藤があったのだろう。彼は過去の世界に故郷がある。しかし戻るわけにはいかない。かといって、この世界に元々居場所はなかった。自らの居場所を必死に探した結果だった。また、ダーマ神殿を選んだことには、きっと過去の世界での、大神官・フォズとの関わりもあったからだと思われた。
メルビンは、正式に聖騎士の長として、そして神の兵の顧問として、天空神殿に暮らしている。水晶宮にいた頃よりもずっと生き生きと仕事をしており、天空と地上とを繋ぐ架橋となることもできて、誇りに思えているようであった。
“元々神に仕えていた身。こうしていられることが、何より嬉しいでござる”
彼とて、年齢不相応な若々しさを備えているとはいえ、あの旅をした仲間の中では、必ず最も早く旅立つことになることは分かっていた。だからこそ、残りの時間を、本当の意味で神に捧げたいと考えていた。メルビンはこれから、最期のときを迎えるまでずっと、今の仕事に全精力を注ぐだろう。
アイラは、グランエスタード城の再建の手伝いに従事している。フィッシュベルが陥落してすぐ、魔物たちはグランエスタード城に揃って攻め入った。その一歩手前で、アルスとアイラとが抵抗を試みたおかげで、フィッシュベルほどの大事には至らなかったものの、中には空を飛ぶ魔物もいる。そちらは城内にいたマリベルが召還魔法で対抗したとはいえ、死人こそいなかったものの、かなりの損害があったことはたしかだった。
“ご先祖様のためにも、元通りにしなくちゃね”
アルスとアイラは、あの幾多の戦いの中で互いを愛していることを確認したこともあり、ガボやメルビンと比べれば多めに会っていた。しかし、彼女もそう暇ではなく、またアルスもフィッシュベルの再建に忙しかった。余裕がでてきたのはつい最近からだ。
「フィッシュベルの再建、順調ね」
「うん」
アルスとマリベルも手伝ったとはいえ、他の大陸からの応援もあってか、フィッシュベルの再建は実に順調だった。この調子なら、これまでどおりに漁に出ることができる日も、そう遠くはないだろう。
暫し無言になり、やがて、少女が徐に口を開いた。
「ずっと、考えてたんだけど」
「うん」
「あたし、やっぱり、行くわ」
首を回して、彼女を見た。
相変わらず、組んだ足の上に肘をついて、つまらなさそうにしている。が、その口角は吊り上っていた。
「本当は、このまままたフィッシュベルで、前みたいに暮らそうかなとは思ったんだけど」
こちらに顔を向ける少女の顔は、誰よりも優しく、誰よりも繊細で、誰よりも美しかった。目尻を緩めて、碧い瞳を細める。
「でも、それって、つまらないじゃない」
風が吹くと、少年の緑色の帽子が飛ばされかかり、あわてて手で押さえた。長くなった後ろ髪が揺れた。じきに、この髪はアイラに切ってもらうと約束している。
「折角、ここまでの美貌と知性がありながら、何も役立てないっていうのはね」
予想は、していた。遠くない未来、彼女も行くことを決めるであろう、と。
「そっか」
「あんたは? これから、どうするの?」
決して、もう戦いが不要になったわけではない。今後は、ずっと軟弱であったグランエスタード城の警備を固める為に、腕のある兵士が雇われることだろう。その兵士に、戦いの極意でも教えるのか。それとも、旅を始める前から言っていたように、やはり漁師を目指すのか。あるいは―――
「僕は、また、旅に出ようと思ってるよ」
予想していた答えに、ふわりと微笑む。
全ての始まりであった、神殿。そこでは、これまでの過去の世界と通じる石版の他に、白い台座が発見された。オルゴ・デミーラを斃してから、神殿内でまだ入ることのできなかった領域の奥を見にいったときに、見つけたものであった。まだ、未知の世界は存在したのだ。そして、考えるに、きっとまだ、何かしらの呪縛から逃れることのできない、最後の世界なのだろう。
「あたしやアイラ、メルビンにガボがいなくて、あんた、大丈夫なのかしら?」
「アイラは、来るって言ってるんだ」
驚いたように、マリベルは眉を上げた。
アルスは決まりが悪そうに頬を掻く。いつの間にそんな話をしたのだろう、と、心の底ではかすかに悔しさが顔をのぞかせた。けれど、この幼馴染は、彼女とそういう関係なのだということを理解している上では、それより先に必然性を感じた。
「許さないわよ。アイラもいながら、仮に負けたりなんてしたら」
「うん。頑張るよ」
少女は立ち上がり、一度、長めに伸びをした。くるりと踵を返して、アルスに向き直る。
「じゃあ、行くわね」
「アミットさんには?」
「言ってるわよ。パパをなだめるの、大変だったんだから」
言って、悪戯っぽく口許を歪める。
「もし」
「うん」
一瞬だけ、マリベルの瞳に、寂しさが宿る。
「その、石版世界に行ったとき」
「うん」
それは、少年自身も願っている奇跡、されど、起こりえない奇跡。
「バカ王子に会ったら、こう、伝えておいて」
「うん」
有り得ないと思うから、願いたくなる。
「“あんたの幼馴染は、これまでになく可愛くなったわよ”って」
アルスは、笑った。静かに、優しく。
「うん。分かったよ」
すると、少女は赤毛を躍らせながら、申し訳程度に軽く手を振り、降りていった。
少年はねじっていた体を元に戻し、再び、海に目をやった。
「キーファ、」
届かない声。届かない言葉。
ずっとずっと、恥ずかしくて、口にはできなかった気持ち。
神殿の散策に連れ出してくれたときから、ずっと抱えてた思い。
「君に出会えて、良かったよ」
旅を続ける少年の言葉が、空に溶けた。
fin.